› 近江大好きbiwap › 2014年02月

2014年02月28日

鎮魂の言霊

道草百人一首・その16 
「人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は」(後鳥羽院)【99番】
 
 「人が愛おしくも恨めしくも思われる」。33歳の時に詠んだこの歌には、何と深い憂鬱が漂っていることか。後鳥羽が憂えている「世」とは、鎌倉幕府の成立。時代は武家の世へ。この歌を詠んだ9年後、後鳥羽は幕府打倒のため挙兵。「承久の乱」である。敗れた後鳥羽は、隠岐へ流罪。その怨霊の祟りは、凄まじいものであった。仲違いした元主君の怨霊を慰めようとするのが藤原定家。「百人一首」の秘密が、ここにある。後鳥羽が好んだ水無瀬離宮の跡は、水無瀬神宮となる。祭神は、後鳥羽・土御門・順徳。いずれも承久の乱で流罪となった。定家は水無瀬川を、死霊の行き着く先であると考えていた。
  


Posted by biwap at 06:28道草百人一首

2014年02月26日

「藤原」の眼差し

道草百人一首・その15 
「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」(持統天皇)【2番】

 香具山は、大和三山の一つで天皇家が最も神聖視した山。そこに、白い洗濯物が干してあるとは?「羽衣伝説」であるという説もある。
 持統は、天智の娘、天武の妻。百人一首は、天智・持統から始まっている。なぜ、天武・持統ではなく、天智・持統なのか?
 百人一首の撰者「藤原」定家の眼差しがある。天智天皇の忠臣藤原鎌足は、天武天皇時代姿を消す。天武死後、息子藤原不比等が頭角を現す。持統天皇による抜擢。古代天皇制を確立したとされる天武・持統朝。内実は、藤原氏勃興の瞬間である。定家からすると500年前の伝説上の先祖たちだ。
  


Posted by biwap at 06:39道草百人一首

2014年02月24日

青い目の近江商人

こんなに素晴らしいものを壊そうとしていたのかと驚愕。町長リコール問題にまで発展した旧豊郷小学校校舎。実は、ヴォーリズの作品である。関西学院大学・神戸女学院大学・大丸百貨店・山の上ホテル・・・。郵便局・教会・洋館・・・。数え切れないヴォーリズの建築作品。近江兄弟社「メンソレータム」を普及させた商人でもある。日本名・一柳米来留(ヒトツヤナギ メレル)。「米来留」とは、「米国より来りて留まる」の意。「近江史を歩く37」は、「 青い目の近江商人」。
http://biwap.raindrop.jp/details1045.html (PC版)
http://biwap.raindrop.jp/sp/details1045.html (スマホ版)
  


Posted by biwap at 06:23近江史を歩く

2014年02月22日

「日本国民」にノーベル平和賞を

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」(憲法9条)
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」(憲法前文より)
名誉ある国民になれたのかもしれない・・・

  


Posted by biwap at 06:40

2014年02月20日

チャップリンを追放したもの

1952年、ロンドンに向かう船の途中、チャールズ・チャップリンは米国からの追放命令を受ける。この時期、米国で吹き荒れていたのは「マッカーシズム」。「共産主義者」追放の名のもと、偽リスト、偽証、歪曲、自白、告発、密告・・・。強引な手法で摘発を行い、リベラル派を社会から葬り去った。その主導者がマッカーシー上院議員。マッカーシーに協力した代表的な政治家が、リチャード・ニクソン、ロナルド・レーガン。最初のターゲットはハリウッド。「エデンの東」で有名なエリア・カザンは、実名を公表し仲間たちを売り渡した。追放されたドルトン・トランボは、別名で「ローマの休日」の脚本を書いた。最大の大物は、チャーリー・チャップリン。友人の映画人を救うため、ピカソらに応援を依頼。その行動が、非米活動調査委員会を怒らせた。マッカーシズムの恐怖に触発されて書かれた本が、リチャード・ホーフスタッター著「アメリカの反知性主義」。そして、「反知性主義」の妖怪は、今また日本を徘徊している。
  


Posted by biwap at 06:28芸術と人間

2014年02月18日

チャンスはピンチ、ピンチはチャンス

ガンバ大阪がJ2に転落したのは、世代交代を怠ったしっぺ返しである。優秀なユース組織を持ちながら、彼らの才能を活かせなかった。そして、リスタート。J1復帰の今季の活躍が期待される。女子W杯で優勝した「なでしこ」は、一躍ブームに。事実上のプロ集団「INAC」に入団した期待の若手たちは、外国人選手・ベテランの壁に出場機会がない。一人勝ちのリーグは面白くなく、代表も世代交代が進まず勝てない。潮が引くように、人気は衰えていった。筑波大に進学した猶本光は、レッズレディースに入団。出だしのケガがたたる。ベンチ入りも出来ない彼女は、それでもくさることなく、グランド外で物品販売。フィジカルの弱さを克服すべくトレーニングに励む。人は、巡りくるチャンスを決めきれず失速する。でも、ピンチこそチャンスなのだ。
  


Posted by biwap at 06:34

2014年02月16日

「皇帝」と「英雄」、実は「民衆」

「皇帝」と「英雄」という、超豪華な組み合わせ。久しぶりのオーケストラ。「皇帝」は、ナポレオンがウィーンを占領し、ウィーン中が混乱に陥った1809年頃に作曲。「皇帝」という名は、ベートーヴェンがつけたものではない。映画「不滅の恋」でも使われていた第2楽章は、息を呑む様な美しさだ。「英雄」は、フランス革命への共感から作曲されるが、ナポレオンの皇帝即位にベートーヴェンは激怒したと言われる。しかし、これだけ様々な感情が爆発すればスーッとする。これぞ、カタルシス。それにしても、お国はもっと芸術文化の発展に力を注いでほしい。金メダル競争も隣国への敵対心もうんざりだ。落ち着いた品性のある社会がいい。
http://www.youtube.com/watch?v=iXPIUnPkE9w

  


Posted by biwap at 17:55

2014年02月14日

西行の月

道草百人一首・その14
「嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな」(西行法師)【86番】

 西行法師。俗名は佐藤義清(ノリキヨ)。鳥羽上皇に「北面の武士」として仕えていたが、23歳の時、家庭と職を捨て出家。嵯峨野のあたりに庵をかまえ、「西行」と号す。その後、陸奥や四国・中国などを旅し、漂泊の歌人と呼ばれる。
 「月が私に嘆けと言っているのか、いや、そうではない。月のせいだとばかりに流れる私の涙」。面白い表現だ。
 でも、西行と言うと、やはり「願わくば 花の下にて 春死なむ その如月(キサラギ)の 望月(モチヅキ)のころ」。でも、この歌は惹き込まれそうで、カルタ取りには不向きかも。というより、百人一首は、単純な名歌集ではないのだろう。
 四国の旅。讃岐国で西行は鬼と化した崇徳院の霊を慰めている。
  


Posted by biwap at 06:26道草百人一首

2014年02月12日

視点をずらしてみれば・・・

「コロンブスの新大陸発見」。なぜ「新」で、なぜ「発見」なのか?そこにいた人たちは、「新」大陸から来たコロンブスを「発見」した。アイヌモシリとは、アイヌ語で「人間の大地」。北海道や樺太・千島列島などは、「アイヌモシリ」であった。奈良時代の日本地図は現在と大きくずれている。東北地方にも、大和政権の外側にいた人々がいた。蝦夷(エミシ)。平安時代中期頃からは「エゾ」と呼ばれる。12~13C頃、蝦夷は北方オホーツク文化と混じりながら、アイヌ文化を成立させる。度重なる和人の侵略に対し、コシャマインの乱(1457)やシャクシャインの乱(1669)などが起こる。「蝦夷地」と呼ばれていた土地は、日本の植民地として併合され「北海道」となる。アイヌ民族は、独自の言語や習慣を禁止され、住んでいる土地を奪われ、同化政策を受ける。「北海道<旧土人>保護法」が撤廃されたのは、わずか10数年前のこと。国際的には、先住民族として位置づけられている。視点を少しずらせば、見えてくるものがある。「単一民族国家」という幻想や、「日本固有の領土」などという非科学的な言辞を、相対化してみることも大切である。
  


Posted by biwap at 06:25歴史の部屋

2014年02月10日

璋子に仕えた堀河

道草百人一首・その13
「長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ」(待賢門院堀河)【80番】

 待賢門院璋子(タマコ)は、白河院の養女。白河は息子の鳥羽に璋子を嫁がせたが、璋子のお腹には白河の子が身籠っていた。産まれ落ちたのが崇徳。白河院死去後、後ろ盾を失った璋子は、次第に美福門院得子(ナリコ)に「妻」の座を奪われていく。そして、鳥羽に抗議し出家。共に出家したのが待賢門院璋子に仕えていた堀河である。
 一夜を共に過ごした後、「いつまでも末長くあなたのことが好きですよ」と男から来る「後朝(キヌギヌ)の歌」。「不安で仕方ないのです」と返す恋のテクニック。乱れた黒髪が官能的。西行が璋子と禁断の恋仲だったという伝承は、彼が堀河と親しかったことによるものだろう。写真は大河ドラマ「平清盛」の堀河。
  


Posted by biwap at 06:36道草百人一首