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2017年01月28日

必殺、ホメ殺し


 「政治の使命は、この国に生きる人々の生命・財産を守ること、そう考えます。安倍総理は、誰のための政治をおこなっていらっしゃいますか。安倍総理は、きっちりとお仕事をされております。庶民を犠牲にして大企業を儲けさせる。そのご活躍ぶり、歴代の総理大臣を見てもナンバーワンです」
 「庶民から搾り取った税金で、庶民への再分配は最低限に抑え、真っ先に手当をするのは、選挙や、権力基盤づくりでお世話になった経団連や大企業など資本家、高額納税者へのご恩返し。とことんおいしい減税、補助金メニューを提供。一方で、派遣法を改悪し、働く人々をコストとして切り捨てやすくするルール改正などを取りそろえる。おかげで上場企業はあのバブルのときよりも儲かり、過去最高益。一方で、中小零細企業の解散・休業は、過去最高。まさに大企業ファースト!これぞ額に汗を流す政治家の鑑ではないでしょうか」
 「なぜ国がサラ金のようなシステムで若い人々を苦しめるのか。奨学金の利息収入は年間390億円ほど。奨学金の延滞収入は年間40億円ほど。これらで金融機関を潤わし、取り立てをおこなう債権回収会社に対しても手堅い仕事を提供する。若い者たちの未来には投資をしない、若いうちの苦労は買ってでもしろ。安倍総理の親心ではありませんか!」
 「事故原発の原因も究明しない、安全基準デタラメ、避難基準テキトー、原発がなくても電力は余っていますが、原発は再稼働します。海外に売りつけるために再稼働します。プルトニウムを持ち続けるために再稼働します。三菱、東芝、日立、鹿島建設、大林、大成、竹中、清水、IHI、富士電機、三井住友銀行、UFJなどなど、原発に関係する企業のみなさん、安心してください。安倍政権は脱原発など絶対にやりません。安倍政権は税金と電気料金を湯水のように使える発電方法は諦めません」
 
 「山本君の発言につきましては速記録を調査の上、“適切”に対応したい」(伊達忠一参院議長)
  


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2017年01月26日

そうだったのか、あの降板


 国谷裕子。1993年4月5日から『クローズアップ現代』のレギュラーキャスターを務める。石原慎太郎相手に、汗をにじませ、必死に食い下がっていた姿が印象的だった。2016年度の番組改編に伴い、番組降板。岸井成格も降板した今、キャスターとして頑張っているのは、金平茂紀・佐古忠彦ぐらいか。
 トランプを生んだアメリカだが、一方でそれを批判するジャーナリズムは、その底力を見せた。一方、和製トランプを生んだ日本。見るも無残なメディアの追従ぶり。弱者をたたく「お笑い」精神が、知性を破壊しているかのようにも見える。それでも、言葉の力を信じたい。以下、LITERAXより引用。
 <トランプ大統領のメディア攻撃に注目が集まっているが、それを見るにつけ、日本の宰相はトランプの先駆けだったとつくづく感じずにいられない。トランプのようにいちいち言葉にしないだけで、この国の総理大臣は放送法をねじ曲げて解釈し、圧力文書をキー局に送りつけるなどの“攻撃”を仕掛けてきた。そして、トランプよりもっと露骨に、萎縮しないキャスターたちを次々に降板に追い込んだことは記憶に新しい。
 そのキャスターのひとりが、NHKの看板番組『クローズアップ現代』のキャスターを23年間にわたって務めた国谷裕子氏だ。その国谷氏が、先日、初の著書『キャスターという仕事』(岩波新書)を出版。約1年のときを経て、ついにあの降板騒動についても言及しているのだ。
 まず、国谷氏の番組降板が判明したのは2016年1月7日のことだったが、本人に降板が伝えられたのは、その約2週間ほど前の15年12月26日だったという。
 「〈クローズアップ現代〉を管轄する組織の責任者から、番組のキャスターとしての契約を2016年度は更新しないことが決定された旨、伝えられた。(中略)NHKから契約更新しないと言われれば、それで私の〈クローズアップ現代〉でのキャスター生活は終わりになる」
 国谷氏も「体力や健康上の理由などで、いつか自分から辞めることを申し出ることになるだろうと思っていた」というが、「(契約を更新しない理由が)番組のリニューアルに伴い、ということになるとは想像もしなかった」らしい。
 実際、国谷氏が降板を言い渡される1カ月前も、制作現場では来年度も国谷氏でキャスター継続と提案しており、「一緒に番組を制作してきたプロデューサーたちは、上層部からのキャスター交代の指示に対して、夜10時からの放送になっても、番組内容のリニューアルをしても、キャスターは替えずにいきたいと最後まで主張した」というのだ。
 国谷氏の降板は「上層部からのキャスター交代の指示」によって決定した。国谷氏は降板を告げられたとき、こんなことを考えたという。
 「ここ一、二年の〈クローズアップ現代〉のいくつかが浮かんできた。ケネディ大使へのインタビュー、菅官房長官へのインタビュー、沖縄の基地問題、「出家詐欺」報道」
 国谷氏が頭に浮かべたこれらのうち、最大の原因として考えられているのが、いわずもがな菅義偉官房長官への集団的自衛権にかんするインタビューだ。この14年7月3日の放送で、国谷氏は舌鋒鋭く集団的自衛権の行使にかかわる問題点を次々に質したが、放送終了後に菅官房長官が立腹し、官邸サイドはNHK上層部に猛抗議をしたと「FRIDAY」(講談社)が報じたほどに問題となった。
 同誌によれば、官邸は“国谷が食い下がったことが気にくわなかった”というが、このときの国谷氏の質問はいずれもが正鵠を射るもので、キャスターとして当然、聞き出すべき事柄ばかりだった。にもかかわらず、「相手に対する批判的な内容を挙げてのインタビューは、その批判的な内容そのものが聞き手自身の意見だとみなされてしまい、番組は公平性を欠いているとの指摘もたびたび受ける」(国谷氏の著書より)という現実がある。
 しかし、国谷氏の考え方は違う。「聞くべきことはきちんと聞く、角度を変えてでも繰り返し聞く、とりわけ批判的な側面からインタビューをし、そのことによって事実を浮かび上がらせる、それがフェアなインタビュー」と考えるからだ。
 「菅官房長官への私のインタビューは、様々なメディアで、首相官邸周辺の不評を買ったとの報道がなされた。それが事実かどうか私は知らないが、もしそうだとすれば、『しかし』という切り返しの言葉を繰り返したことが、不評を買うことにつながったのかもしれない。まだまだ、『聞くべきことはきちんと聞く、繰り返し聞く』ということには、様々な困難が伴うのだろうか」
 だが、国谷氏が安倍政権から「不評を買った」のは、これだけではないだろう。たとえば、15年7月23日に放送された『クロ現』の特集「検証 安保法制 いま何を問うべきか」において、国谷氏がこだわった点はこんなことだった。
 番組づくりの上で、担当ディレクターは番組の構成表において「なかなか理解が進まない安保法制」と書き出していた、という。当時、当たり前のようにメディアは安保法制を語る際に使っていたフレーズだが、国谷氏はこの言葉に違和感を抱く。
 「果たしてこの言葉の使い方は正しいのだろうか。『なかなか理解が進まない安保法制』という言葉は、文脈のなかでの置かれ方によっては、安保法制に反対が多いのは、人々の理解がまだ進んでいないからだ、という暗黙の示唆を潜ませることにならないだろうか。この言葉は、今は反対が多いが、人々の理解が進めば、いずれ賛成は増える、とのニュアンスをいつの間にか流布させることにもつながりかねないのではないだろうか。そういう言葉を、しっかり検証しないまま使用してよいのだろうか、私にはそう思えた」
 テレビは映像の力を発揮するメディアだ。しかし他方で映像は全体像を映し出すものではないし、ときとして人びとの想像力も奪うことがある。だからこそ、国谷氏は「言葉の持つ力」を信じ、同時に言葉に慎重だった。官製報道などではない、いま現在の問題を深く掘り下げて視聴者とともに考える──そうした番組をつくってきたのだという矜持が、国谷氏の文章には滲み出ている。
 国谷氏は本書のなかで、「私は長い間、かなり自由にインタビューやコメントが出来ていたように感じる」と書いている。そして「気をつけていたのは、視聴者に対してフェアであるために、問題を提起するとき、誰の立場にたって状況を見ているのか、自分の立ち位置を明確に示すようにしていたことだ」という。
 「例えば、沖縄の基地問題を沖縄に行って取り上げるとき、基地負担を過重に背負っている沖縄の人々の目線で取り上げていることをはっきり伝えていた。基地問題をめぐっては、定時のニュースなどで政府の方針をたびたび伝えていれば、逆に〈クローズアップ現代〉で沖縄の人々の声を重点的に取り上げたとしても、公平公正を逸脱しているという指摘はNHK内からは聞こえてこなかった。NHKが取るべき公平公正な姿勢とはそういうものだと、長い間、私は理解し、仕事をしてきていた」
 しかし、「ここ二、三年、自分が理解していたニュースや報道番組での公平公正のあり方に対して今までとは異なる風が吹いてきていることを感じた」と、国谷氏は振り返る。その時期は、安倍政権がメディアへの圧力を強めてきたタイミングと重なる。
 「その風を受けてNHK内の空気にも変化が起きてきたように思う。例えば社会的にも大きな議論を呼んだ特定秘密保護法案については番組で取り上げることが出来なかった。また、戦後の安全保障政策の大転換と言われ、2015年の国会で最大の争点となり、国民の間でも大きな議論を呼んだ安全保障関連法案については、参議院を通過した後にわずか一度取り上げるにとどまった」
 これは『クロ現』に限った話などではなく、同時進行で他局でも起こったこと、そしていまもつづいている問題だ。報道はいつしか骨抜きにされ機能不全に陥り、たとえば南スーダンの戦闘が「衝突」と言い換えられても大した問題にならないという社会になってしまった。
 オックスフォード大学出版局は、16年を代表する言葉として、客観的な事実が重視されず、感情的な訴えが政治に影響を与える状況を意味する「ポスト・トゥルース」を選んだ。だが、日本は数年前からすでにポスト・トゥルースの時代に入っている。このようななかで、メディアのあり方はどうあるべきか。国谷氏はこう綴っている。
 「伝えられる情報のなかに事実ではないものが多くなっているとすれば、人々の生活に大きな影響を及ぼしかねない決断をする立場にある人間に対して、その人間から発せられた言葉の真意、言葉の根拠を丁寧に確かめなくてはならない。選択された政策や経営戦略などを検証するために、『問うべきことを問う』ことがますます求められていくのではないだろうか。ジャーナリズムがその姿勢を貫くことが、民主主義を脅かすpost-truthの世界を覆すことにつながっていくと信じたい」 >
  


Posted by biwap at 09:50

2017年01月24日

伊勢裏参り

<牛頭天王と蘇民将来・その9>



 伊勢西ICは出口規制。伊勢神宮への交通渋滞を防ぐためだ。車は反対方向へ。二見町松下。「蘇民の森」と称されるこの場所には、かって松下地区の氏神である松下社があった。


 今は標識と鳥居と小さな小屋が残っているだけ。昔はうっそうと茂った森の中に信仰の中心があったのだろう。痕跡をわずかにとどめるだけ。消された「異神」が頭をよぎる。


 近くの「蘇民の湯」という温泉ホテルに宿泊。目の前に伊勢湾が広がる。信仰と人が流れ着き、信仰と人が流れ出ていった場所なのかもしれない。


 ホテルの玄関に、その痕跡があった。「蘇民将来子孫家」。二見の家々には、この注連縄(シメナワ)飾りが飾られる。蘇民将来信仰は根強く生きている。それは牛頭天王信仰とともに、伊勢神宮建立以前にこの地に入り、人々によって信仰されていった。
<牛頭天王が南海の神の娘を娶(メ)とりたいと、旅に出た。険しい山を越え、大きな川を渡り、伊勢の地に着いた頃には、日は沈みかけていた。行く手の薄暗がりの中に、こんもりとした森があり灯火がちらちらと見える。立派な門構えの家。この里で一番の長者、巨旦将来(コタンショウライ)の屋敷。
 「旅の途中で日が暮れて難儀をしている、どうか一夜の宿をお願いしたい」。奥から巨旦が顔を出す。「そんな汚れた着物を着ている者など、泊めることはできぬ。さあ出て行ってくれ」。
 月のない暗い夜道、森のはずれにぽっかり一つ、灯が見えた。粗末な造りの小屋。貧しい蘇民将来の家。「それは、お困りでしょう。こんなむさくるしい所でよろしければ、どうぞお泊まり下さい」。早速、粟(アワ)の藁(ワラ)を敷いて寝床をつくり、蘇民の妻も粟の御飯を蒸して出した。
 ところが夜半。牛頭天王は北の国から恐ろしい悪疫が襲ってくるということを察し、蘇民を起こした。驚く蘇民に茅(チガヤ)を刈り集めさせ、輪を編み、「茅の輪」を家の周りに張り廻らした。一夜明け、蘇民が起きて里の家々を見て歩くと、どこの家も疫病で倒れ、誰ひとり戸外に出てくる者はなかった。
 その後、蘇民の家は代々栄え、いつの頃からか、伊勢の地方では新年の注連縄に魔除けとして“蘇民将来”の符(フダ)をさげるようになった。松下社の森は、誰いうとなく、「蘇民の森」と呼ばれるようになった。>


 伊勢は、皇室の祖アマテラスが祀られる万世一系天皇神話の「聖地」。その聖者たちが目の敵にしたのが、同じ「てんのう」の名を持つ「牛頭天王」。
 松下社の祭神は、スサノオノミコト、天神、そして「不詳一座」。抹殺された異神たちは裏側に隠れている。スサノオ=牛頭天王、天神=牛頭の子ども・八王子、不詳一座=牛頭の妻・婆梨采女。巧みに名を変え、カムフラージュされている。しかし、注連縄飾り・木札、そして「蘇民の森」。聖地「伊勢」に、その痕跡は今も生き続けている。  


2017年01月15日

共謀罪への凶暴な準備





 特定秘密保護法案に対する国会周辺でのデモ活動。当時の石破茂自民党幹事長は次のように述べた。「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」。「デモはテロ」。この補助線を使うと、次の二つの記事が不気味なほど鮮明につながってくる。

◆1月12日沖縄タイムス社説「沖縄ヘイト番組 真偽不明悪意むき出し」
 東京のローカル局、東京MXテレビが2日に放送した報道バラエティー番組「ニュース女子」で、高江ヘリパッド建設問題を取り上げた。
 反対する人たちの声は1人も流されないまま「カメラを向けると襲撃に来る」「テロリストみたい」などと表現。「反対派の中には韓国人はいるわ、中国人はいるわ」と人種差別につながる発言があった。
 MXテレビは本紙の質問に対し明確な回答をしていない。事実関係の説明を求める。
 番組は「マスコミが報道しない真実」と題してジャーナリストの井上和彦氏の取材ビデオが流され、スタジオでゲストらが意見を述べ合った。
 ビデオでは「光広」「2万」と書かれた出所不明の茶封筒を示し、高江で反対する人は「日当をもらっている」と決めつける。だが、自腹を切って自主参加しているのがほとんどだ。
 ヘイトスピーチ(憎悪表現)に反対する団体「のりこえねっと」は交通費5万円を支給し、本土から高江に「市民特派員」を送っている。公開された要項にも財源はカンパであると書いているにもかかわらず、あえて「分からない」と強調。
 共同代表で在日3世の辛淑玉(シンスゴ)さんを取り上げ「反対運動を扇動する黒幕の正体は?」「韓国人はなぜ反対運動に参加する?」などと悪意に満ちたテロップを流した。辛さんは人権侵害だとして放送倫理・番組向上機構(BPO)に申し立てるという。
 こういった情報はネット上には氾濫しているが、放送法の規制を受ける地上波から流れるのは極めて憂慮すべき事態である。
 ビデオは辺野古新基地建設に反対する人たちを車内から撮影、「過激派デモの武闘派集団シルバー部隊」とテロップを映し、「万一逮捕されても生活に影響が少ない65歳以上のお年寄りを集め、過激デモ活動に従事させているという」とのテロップとナレーションが流れる。
 テロップやナレーションにする以上、誰からの情報なのかを明示する必要があるのに一切ない。
 そもそも、この番組には、なぜ、沖縄の人たちが辺野古や高江で抗議活動をせざるを得ないかの根本的な視点が欠けている。辺野古新基地建設を巡っては選挙で反対の民意が繰り返し示され、世論調査でも反対が賛成を上回っている事実には言及しない。
 苛烈な沖縄戦を体験、復帰前の米軍統治下の圧政にあらがい、「これ以上の基地負担はもうできない」という心情にも触れようとしない。
 「ポスト真実」(POST-TRUTH)の時代といわれる。POST-は「後に」「次の」という言葉で、ソーシャルメディアで不正確な情報が繰り返し流され、客観的な事実や真実が重視されない状況を意味する。
 米大統領選では虚偽情報がネット上を駆け巡った。クリントン氏を標的にしたものが多く、大統領選の結果に影響を与えたとの見方もある。
 事実ではない情報で敵をつくり、快哉(カイサイ)を叫ぶ。民主主義の根幹を揺るがす危険な動きである。


◆1月14日 東京新聞社説 「共謀罪 内心の自由を脅かす」
 話し合っただけで罪に問われる。それが共謀罪の本質だ。準備行為で取り締まりができるテロ等組織犯罪準備罪の法案が通常国会に提出される予定だ。内心の自由を脅かさないか心配になる。
 「行為を取り締まるのではなく、思想を取り締まるものだ」。戦前の帝国議会である議員が治安維持法についてこんな追及をしたことがある。明治時代に刑法ができたときから、行為を取り締まるのが原則で、例外的に共謀や教唆、未遂なども取り締まることができた。
 治安維持法はこの原則と例外を逆転させて、もっぱら思想を取り締まった。共謀罪も原則と例外の逆転の点では似ている。
 犯罪の準備段階で取り締まる罪は実に六百七十六にものぼる。詐欺や窃盗でも対象になる。道交法違反なども含まれる。では、それらの犯罪の「準備」とは具体的にどういう行為なのだろうか。六百七十六の罪でその定義をするのは、ほとんど困難であろう。
 むしろ、共謀罪を使って、捜査機関が無謀な捜査をし始めることはないのか。そもそも共謀罪は国際的なマフィアの人身売買や麻薬犯罪、マネーロンダリング(資金洗浄)などをターゲットに国連が採択した。
 それら重大犯罪には既に日本の法律でも対処することができる。政府は新設を求めるが、もう国内法は整っているのだ。日弁連によれば、国連はいちいちそれらをチェックすることはないという。つまり共謀罪を新設しなくても条約締結は可能なのだ。
 政府はむしろ2020年の東京五輪を念頭にテロ対策強化の看板を掲げている。だが、この論法もおかしい。例えばテロリストが爆弾を用いる場合は、企んだ段階で処罰できる爆発物使用共謀罪が既に存在する。テロは重大犯罪なので、法整備も整っているわけだ。政府は「テロ」と名前を付ければ、理解が得やすいと安易に考えているのではなかろうか。
 合意という「心の中」を処罰する共謀罪の本質は極めて危険だ。六百以上もの犯罪の「準備」という容疑をかけるだけで、捜査機関は動きだせる。「デモはテロ」と発言した大物議員がいたが、その発想ならば、容疑をかければ、反政府活動や反原発活動のメンバーのパソコンなどを押収することもありえよう。
 共謀罪は人権侵害や市民監視を強めるし、思想を抑圧しかねない性質を秘めているのだ。

  


Posted by biwap at 14:53辛口政治批評

2017年01月11日

聞かせてあげたいあの人たちに


 2017年1月8日、第74回ゴールデングローブ賞授与式。映画界に長年貢献した人物に与えられるセシル・B・デミル賞を受賞したメリル・ストリープのスピーチ。
「ここにいる皆さん、私たち全員はいま、米国社会のなかで最も中傷されている層に属しています。だって、ハリウッド、外国人、記者ですよ。
 それにしても、私たちは何者なんでしょう。ハリウッドとはそもそも何なんでしょう。いろんなところから来た人たちの集まりでしかありません。
 私はニュージャージーで生まれ育ち、公立学校で教育を受けました。ヴィオラ・デイヴィスはサウスカロライナの小作人の小屋で生まれ、ロード・アイランドのセントラルフォールズで世に出ました。サラ・ポールソンはフロリダで生まれ、ブルックリンでシングルマザーに育てられました。サラ・ジェシカ・パーカーはオハイオで8人兄弟のなかで育ちました。
 エイミー・アダムスはイタリアのヴィチェンツァ生まれです。ナタリー・ポートマンはエルサレム生まれです。
 この人たちの出生証明書はどこにあるんでしょう。
 あの美しいルース・ネッガはエチオピアのアディス・アババで生まれ、ロンドンで育ち今回、ヴァージニアの片田舎の女の子役で受賞候補になっています。
 ライアン・ゴズリングは、いい人たちばかりのカナダ人ですし、デヴ・パテルはケニアで生まれ、ロンドンで育ち、今回はタスマニア育ちのインド人を演じています。
 そう、ハリウッドにはよそ者と外国人がうじゃうじゃしているんです。その人たちを追い出したら、あとは、アメフトと総合格闘技(マーシャルアーツ)くらいしか見るものはないですが、それは芸術(アーツ)ではありません。
 役者の唯一の仕事は、自分たちと異なる人々の人生に入っていくことで、それはどんな感じなのかを見ている人に感じさせることです。まさにその役目を果たした力強い演技が、この1年もいっぱい、いっぱい、いっぱいありました。息をのむ、心のこもった仕事ばかりです。
 しかし、この1年の間に、仰天させられた一つの演技がありました。私の心にはその「釣り針」が深く刺さったままです。
 それがいい演技だったからではありません。いいところなど何ひとつありませんでした。なのに、それは効果的で、果たすべき役目を果たしました。想定された観衆を笑わせ、歯をむき出しにさせたのです。
 我が国で最も尊敬される座に就こうとするその人物が、障害をもつリポーターの真似をした瞬間のことです。
 特権、権力、抵抗する能力において彼がはるかに勝っている相手に対してです。心打ち砕かれる思いがしました。
 その光景がまだ頭から離れません。映画ではなくて、現実の話だからです。
 このような他者を侮辱する衝動が、公的な舞台に立つ者、権力者によって演じられるならば、人々の生活に浸透することになり、他の人も同じことをしていいということになってしまいます。
 軽蔑は軽蔑を招きます。暴力は暴力を呼びます。力ある者が他の人をいじめるためにその立場を利用するとき、私たちはみな負けるのです。
 私たちには信念をもった記者が必要です。ペンの力を保ち、どんな暴虐に対しても叱責を怠らない記者たちが。建国の父祖たちが報道の自由を憲法に制定したゆえんです。」
  


Posted by biwap at 09:16

2017年01月09日

札束より花束を


 2015年末の「従軍慰安婦」問題をめぐる日韓合意は、これ以上、両国関係をこじらせないための苦肉の策だったといえる。10億円の札束でケリをつけようとした。そうとられることが、実は一番まずいやり方だったのだ。その一番まずいやり方しかできない「稚拙さ」。さすが「坊ちゃん政治家」である。実は、韓国側は合意の際に表明した安倍首相の「おわび」を、以前のアジア女性基金のように元慰安婦への手紙にしてほしいと求めていた。しかし、安倍首相は衆院予算委員会で、手紙は「合意の外だ」として「毛頭考えていない」と全面否定。冷淡な印象を与えた。
 そして、今回。韓国・釜山の日本総領事館前に新たな慰安婦少女像が設置されたことを受け、駐韓大使を一時帰国させるなどの対抗措置をとった。しかし、この措置は、朴政権批判の韓国世論を、反日感情へとさらに激化させる恐れがある。日本国内の右派勢力への配慮以外に、この対抗措置にいったいどのような効果があるというのだろう。歴史問題に誠実に向き合わなければ、この問題はけっして解決しないはずだ。琉球新報、2017年1月9日社説が比較的冷静に分析していた。

<駐韓大使帰国 対抗より冷静な対応を
 政府が駐韓大使を一時帰国させると決めた。韓国・釜山の総領事館前に、民間団体が従軍慰安婦を象徴する新たな少女像を設置したことへの対抗策である。
 ソウルの日本大使館前にある少女像について、2015年末の日韓合意で韓国側が「適切に解決されるよう努力する」との文言が盛り込まれた。その進展が見られない中で釜山にも設置され、日本側が強硬姿勢に出た。安倍首相は8日放送のNHK番組で「韓国側にしっかりと誠意を示してもらわないといけない」と述べた。
 しかし、民間団体の行動に、日本政府が性急に対抗措置を取るのは、韓国側のさらなる反発を招き、むしろ日韓の関係悪化を招く。
 今回は駐韓大使らの帰国だけでなく、通貨危機の際にドルなどを融通し合う「通貨スワップ(交換)協定」の協議再開の中断や、ハイレベル経済協議の延期にも踏み込んだ。日韓の経済連携にも影を落とす措置だ。
 韓国は朴槿恵(パククネ)大統領が国会で弾劾訴追され、政府が機能不全に陥っている。日本側が強力な対抗措置を取っても、韓国政府が解決に向け主導できるとは思えない。逆に朴大統領を追い詰めた韓国の大衆運動を刺激して、反日の方向に向かうことも予想される。
 朴大統領の弾劾裁判の結果によっては今年前半にも大統領選が行われるが、日韓合意が大統領選の争点となり、候補者が対日強硬姿勢を取るようなことになれば、慰安婦問題の解決はさらに遠のく。
 そもそも2015年末の日韓合意は慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的に解決する」とした。日本的に言えば「水に流す」という意味だ。しかし韓国に「水に流す」という考え方はないし、慰安婦問題はまだ忘れられない記憶である。日本側は韓国の国民感情を理解し、「忘れないが許す」という方向になるよう粘り強く努力すべきだ。謝罪する側が「水に流せ」という姿勢で臨むため、合意に対する韓国社会の理解が深まらないのではないか。
 日本政府は事あるごとに「わが国を取り巻く安全保障環境は厳しい」と繰り返すが、今回の事態で互いの国民感情を悪化させ、合意そのものを揺るがせては、自ら安全保障環境を悪くすることになる。
 隣国関係を対立ではなく互恵へと進めるために、日本側が冷静に対応することが必要だ。>
  


Posted by biwap at 17:14KOREAへの関心

2017年01月05日

春日の「藤」



 平城京の東に、碁盤上の四角形を大きく崩す張り出し部分がある。「外京(ゲキョウ)」と呼ばれる。そこにあるのは、藤原氏の氏寺・興福寺。その外側には藤原氏の氏神を祀る春日大社。そこは、まさに「藤原ゾーン」。
 春日大社の祭神は「春日神(カスガノカミ)」。春日神とは何者か。その実体もはっきりしない不思議な神。社伝によると、奈良に都ができた頃、遠く鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)を迎えたという。その後、香取神宮から経津主命(フツヌシノミコト)、枚岡神社から天児屋根命(アメノコヤネノミコト)・比売神(ヒメカミ)を招き、あわせて祀ったとある。春日神とは、複数の神が合体したものだろう。
 鹿島は藤原鎌足の出生地とする説がある。いや逆に鹿島からタケミカヅチを迎えたことから出生地とされたのかもしれない。アマテラスが出雲に国譲りを強要した時、その使いとして脅しをかけに行ったのが、他ならぬ武甕槌命(タケミカヅチノミコト)と経津主命(フツヌシノミコト)。鹿島香取と一括して呼ばれるこの地は、蝦夷に対する大和政権側の前線基地でもあった。
 天児屋根命(アメノコヤネノミコト)は、アマテラスの岩戸隠れの時、アマテラス連れ出しに一役買う神。比売神(ヒメカミ)は、その妻。共に藤原氏の前身・中臣氏の祖とされる。これらが合体した春日神は、アマテラス陣営の忠実な臣下だったことが伺える。やがて権力に絡みつき、それを事実上支配する「藤」となる。
 春日大社は、藤原氏の氏寺・興福寺と密接に結びつき、信仰を広げていった。こうした神仏習合は、ある意味一般的な形態。しかし、明治維新後の神仏分離令と廃仏毀釈の流れの中で興福寺は膨大な境内地を奪われる。春日大社もそのあおりを食い、大幅に規模を縮小。第二次世界大戦後、春日大社は境内地を取り戻し現在に至っている。
  


Posted by biwap at 06:29神社解体新書

2017年01月03日

「白髭」の正体


 「しらひげの神のみまへにわくいづみ これをむすべばひとの清まる」。上の句は与謝野鉄幹、下の句は与謝野晶子の作。1912年に参拝した二人が、神社に湧き出る水の清らかさを詠んだもの。
 白鬚神社(シラヒゲジンジャ)。湖西を琵琶湖沿いに北上すると、湖と神社の隘路を通ることになる。琵琶湖の中に建てられた大鳥居。古くは陸上にあったそうだが、琵琶湖の水位上昇に伴い水中に立つようになったと伝えられる。日の出の方角なのか、それとも遠く「白山」を指向しているのか。
 全国にある白鬚神社の総本社。「比良山の神」を祀る原始信仰の場だったようだが、祭神は「猿田彦(サルタヒコ)」の1柱とされる。近江は朝鮮半島から多くの渡来人が定住した地。白髭神社も、渡来神を祀った神社なのかもしれない。
 いわゆる「天孫降臨」。アマテラスの孫ニニギが天降りしようとした時、分かれ道に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。アメノウズメに、その神の元へ行って誰であるか尋ねさせると、国津神の猿田彦で、ニニギらの先導をしようと迎えに来たという。ニニギらが無事たどり着くと、猿田彦はアメノウズメと共に故郷である伊勢国の五十鈴川の川上へ帰った。ある日、猿田彦が伊勢の阿邪訶(アザカ)の海で漁をしていた時、比良夫貝(ヒラフガイ)に手を挟まれ、溺れ死んだという。猿田彦は伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座し、中世には庚申信仰や道祖神と結びついた。
 不思議なことに猿田彦には椿がたえずついてまわる。平田篤胤は、猿田彦の「猿」は「サ」の当て字で出雲の「佐太」から出た名前であるとした。佐太大神はスサノオの孫で、出雲系の重要な神。宍道湖の北岸にある佐太神社。近くの許曽志は、古くから猿田彦の生地と伝えられる。「こそ」は「社」を意味する古代朝鮮語。猿田彦は新羅系渡来人金工集団が祀った神であるという説がある。彼らは鉱脈を探し求め、山に入る際、魔除けのための椿の杖を持っていた。鉄と渡来、そして出雲から伊勢への穴師の巡行。「白髭」の向こうには何かがある。

  


Posted by biwap at 06:42近江大好き神社解体新書

2017年01月01日

私を支えた言葉


「人間は自らつくるところのもの以外の何者でもない」(サルトル)  


Posted by biwap at 06:14biwap哲学