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2014年12月29日

近江のオニヤンマー


 山岡孫吉。1888年3月22日、滋賀県伊香郡東阿閉村(現長浜市高月町)に生まれる。尋常高等科卒業後、大阪で働く長兄を頼り家を出た。大阪瓦斯工事人夫として仕事をしていた時、ガスエンジンに出会い技術を学ぶ。1921年、わが国初の農業用石油エンジン製作。翌年、この石油発動機に「ヤンマー」と言う商標をつけた。幼い頃、「今年は沢山トンボが飛んでいる。きっと豊作やで…」と言った父の言葉。「トンボ」を商標にしようとしたが静岡の醤油機械会社から商標権侵害と訴えられる。結局トンボの親玉「オニヤンマ」と、山岡にも繋がる「ヤンマ」となった。1932年の欧米視察で、ディーゼルエンジンに出合う。石油発動機よりも経済的だが技術的ハードルの高いディーゼルエンジン。ついに小型高速ディーゼルエンジンの開発に成功。以降、中・高速型ディーゼルエンジンとこれを利用した工業製品の生産で業績を伸ばした。「ヤンマーディーゼル」は創業当初からの「ものづくり精神」という概念を頑なに守り続けた。その耐久性と信頼性は高く評価されている。マスコットキャラクターは、ヤン坊・マー坊。2013年2月には、長浜市に体験型テーマパーク「ヤンマーミュージアム」がオープン。近江発「オニヤンマ」の技術力を体感できる。バブルな虚業経済ではなく、やはり堅実な「ものづくり」が大切だ。  


Posted by biwap at 06:28近江大好き

2014年12月27日

小町ご一緒に

道草百人一首・その39
「吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ」(文屋康秀)【22番】


 山から秋風が吹くと、たちまち秋の草木がしおれはじめる。なるほど、だから山風のことを「嵐(荒らし)」と言うのか。荒涼とした嵐なのに、軽妙な機知を感じる。文屋康秀(フンヤノヤスヒデ)は、下級官僚だが六歌仙の一人として有名。三河掾に任命され三河国に下る時、小野小町を任地へ誘ったそうだ。「一緒に来てくれないか」と誘う康秀に対し、小町は「わびぬれば 身を浮草の 根を絶えて 誘う水あらば いなむとぞ思ふ(今は落ちぶれてしまった私、この身を浮き草として根を断ち切り、誘い流してくれる水があるのなら、ついて行こうと思います)」と答えている。はたして、小野小町はついていったのか?  


Posted by biwap at 07:04道草百人一首

2014年12月25日

近江古都幻想


 「志那の村々のかなたに、秀麗きわまりない三上山が、くっきり浮かんでいた。かってこの志那の地には、花摘寺の巨大な堂塔と、あの三上山がならびたっていたことになる。はるばると淡海にわたってきた大陸の人々にとって、これほどよい目標はまたとなかったのではあるまいか。ここに都があったのだ。数十もの大寺がならんでいた幻の古京が…。」(邦光史郎著「幻の近江京」)
 高いビルが視界を閉ざし、昔見えた山並みが風景から消されていくのは悲しいことだ。そんなに高くはない三上山がどこからでも見渡せた湖南の地。壬申の乱の敗戦によって消えていったその「栄華」に思いを馳せてみよう。「近江史を歩く・46」は、「近江古都幻想」。

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Posted by biwap at 08:06近江史を歩く

2014年12月23日

草津に待望の本格的書店


 11月22日、草津駅前に待望の本格的書店がオープン。大型書店はあったが、やはり本の並べ方が断然プロフェッショナルである。思わず本の世界へ引き込まれるような、知的空間。好奇心がそそられる。売れたらいいと、俗悪な本を山積みするようなこともない。これを機に草津がもっともっと文化的な街へ発展してほしい。正直、何をやっても「おっさん的」だったように思う。書店の横ももっと明るく開放的にして、おしゃれなカフェなどできたら、街づくりの拠点になるはず。せっかくの立地条件。これを活かさない手はない。せこせこ、ちまちまやると、たいていは失敗する。下は、ソウルのブックカフェ。


  


Posted by biwap at 06:11近江大好き

2014年12月21日

抵抗する人間は美しい


 インドラ(帝釈天)は、アシュラ(阿修羅)の娘を連れ去ってしまった。烈しく怒ったアシュラはインドラ(帝釈天)に戦いを挑む。しかし、正義の神アシュラが、力の神インドラに勝てる訳がない。戦いはアシュラの敗北に終わる。それでもアシュラはインドラに戦いを挑み続ける。戦いは何度繰り返しても、アシュラの負け。インドラは、ついにアシュラを神々の世界である天界から追放してしまう。
 阿修羅はサンスクリット語のアスラ(Asura)の音写。「生命(asu)を与える(ra)者」とも、「非(a)天(sura)」とも解釈される。ペルシャでは大地に恵みを与える太陽神とされたが、インドでは熱さを招き大地を干上がらせる太陽神となる。仏教では、戦闘神アシュラは釈迦の守護神となる。アシュラ(阿修羅)とインドラ(帝釈天)の戦いの場が「修羅場(シュラバ)」である。
 興福寺の阿修羅像は、凄惨な戦いとはかけ離れた無垢な少年の姿をしている。30年以上前に読んだ小説、 灰谷健次郎の「兎の眼」。小谷先生が、高校時代の恩師の言葉をふと思い出す。「人間は抵抗、つまりレジスタンスが大切ですよ、みなさん。人間が美しくあるために抵抗の精神をわすれてはなりません」。
 人生は修羅場。自分自身との戦い。けっして譲ってはいけない何かのための戦い。挫けそうな時、こうつぶやけばよい。何かに抵抗している人間の顔は美しい。
  


Posted by biwap at 07:03biwap哲学

2014年12月18日

ベトナム旅行記

 2014年12月13日~12月17日。二度目になるベトナム旅行。今回は、ホーチミン滞在型。朝6時、ホテル前の公園から突如大音量の音楽が。
 毎朝、ダンスをしているようだ。女性のグループ、いや2テンポ位遅れて踊っているおじさんもいる。朝早くから公園にはたくさんの人たちが体操やジョギングや散歩を楽しんでいる。早起き民族なのか?
 大都会の風景だが、植物が南国を感じさせる。緑が多い。6時半頃、朝のラッシュが始まる。
 とにかくこの国はバイク。クラクションを鳴らしながら洪水のようにバイクが走っていく。そのパワーには圧倒される。日本人はおとなしいな。でも、そのおとなしい日本人に過酷な試練が訪れる。
 信号がほとんどない。横断歩道でも、車はスピードを落とすことなく通過する。そこで、身を守るための横断術必殺技。ゆっくりと落ち着いて歩きだす。けっしてバイクの方を見てはいけない。自信たっぷりに前だけ見て歩く。バイクはかってによけてくれる。ここで変にたじろいだり、急に走りだすと危険きわまりないことになる。人生もかくの如しか。ホテルに帰りフルーツやジュースをイヤというほどお腹に入れたら、メコン川ジャングルクルーズに出発。
 船で島へ渡り、ボートに乗り換えジャングルクルーズ。櫂を漕いでいるのは小学生くらいの男の子。日曜日のバイトなのか。もっと奥深く探険できるのかと思ったこのオプショナルツアー。意外と観光コースに過ぎなかった。まあ京都の保津川下りといったところか。
 ベトナム料理は、とてもおいしかった。毎回はずれなし。肉、海産物、ハーブ系野菜。春巻きもそうだけど包んで食べるパターンが多い。薬草を食べているみたいで、体の調子もよくなってきた。市内へ戻ろう。
 ベンダイン市場。中枢部にあるホーチミン市最大の市場。何でもある。日本語、中国語、韓国語なんでも飛び出す。強引な客引き、値引き交渉。面白いが、どうも観光用市場の雰囲気だ。もっとディープなところへと、タクシーで25分程のビンダイ市場へ。
 でも、ここまで来るとさすがに買いにくい。手にとって見ていても、そ知らぬ顔である。とぼとぼと磁石だけをたよりに中心地へ戻っていく。ひたすら歩き続ける。
 ホーチミン市内には、かっての宗主国フランスの建築物が残る。
 ここは、郵便局。ホーチミン(胡志明)は、建国の英雄・胡志明の名前から来ている。後ろの肖像画がホーチミン。第2次大戦後、フランスから独立したベトナム民主共和国の憲法にはアメリカ独立宣言の一節が引用されていた。フランス撤退後、そのアメリカが南ベトナムに傀儡政権を作り介入してくる。そしてベトナム戦争。当時高校生だった私には、政治や歴史を学び、社会に目を開く大きなインパクトであった。1975年サイゴン陥落。その舞台が旧大統領官邸である。
 ベトナムの通貨はドン。銅という漢字から来ているらしい。何百万ドンというお金を持って買い物に行く。20万ドンが千円くらいだから、途中で何がなにやらわからなくなってくる。単位の大きさが一瞬、買い物の抑止力にはなる。路上でココナツの実を割り、ストローを突き刺してくれるココナツジュースは1万5千ドン。これは最高だった。一番、買いもののしやすかったのは、コープ・マート。さすが安心・安全のCOOPだ。今回も改めて感じた。日本語の通じないところがおもしろい。
 ベトナムは、面積は日本より少し狭いくらいで、人口は日本の約3分の2。けっして小国ではない。経済成長は鈍化したとはいえ、大きな潜在力を持っている。高層ビルの立ち並ぶホーチミン市では、地下鉄の建設が始まった。そのパワーと熱気は、まるで一昔前の韓国。でも、これからどこへ向かうのか期待と不安が入り混じる。小型アメリカ社会や物欲資本主義は、もうたくさんだ。アジアの歴史や文化や風土を活かした新しい社会。それはアジアの中で生きる日本のあるべき姿でもある。原発事故の収拾すら未解決なのに、ベトナムへ原発を輸出するなどという厚顔無恥の野蛮な政治が再び多数派を占めた日本。温暖な冬のベトナムから帰国した途端、寒波に震えてしまった。偏見と差別を乗り越え、友好と共生のアジアの春が来ることを信じて、アジアにもっともっと関心を持っていきたい。
  


Posted by biwap at 19:15旅行記

2014年12月12日

父と同じく

道草百人一首・その38
「今来むと 言ひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな」(素性法師)【21番】


 「今すぐに参ります」とあなたが言ったばかりに、9月の夜長をひたすら眠らずに待っているうちに、夜明けに出る有明の月が出てきてしまいました。藤原定家は別の解釈をしているようだが、優しそうな人だったのに来ないじゃないのという女性のやるせなさを軽妙に歌ったものだろう。百人一首の作者たちには、いろいろな相関関係がある。素性法師(ソセイホウシ)。 俗名・良岑玄利(ヨシミネノハルトシ)。良岑宗貞(ヨシミネノムネサダ)の子。というより「天つ風 雲のかよひ路 ふきとぢよ 乙女のすがた しばしとどめむ」の作者・僧正遍昭の子と言った方がわかりやすいかも。
 http://biwap.shiga-saku.net/e997471.html
 清和天皇の時代に左近将監(サコンノショウゲン)まで昇進したが、父親と同じくこれまた坊主めくりのお坊さんになってしまった。俗世の権力闘争は、げに恐ろしきもの。
  


Posted by biwap at 06:19道草百人一首

2014年12月10日

許されぬ恋ならば

道草百人一首・その37
「わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ」(元良親王)【20番】


 元良(モトヨシ)親王は、暴君と噂された陽成天皇の第一皇子。陽成は、関白藤原基経によって退位させられる。
 http://biwap.shiga-saku.net/e1003986.html
 元良は、風流と色好みの世界へ隠遁する他なかった。そんな彼が落ちた恋。宇多天皇の愛妃、京極御息所(藤原褒子ホウシ)。
 近江国の志賀寺にあらゆる欲望を捨て、悟りの境地を得た老僧がいた。ある日その上人が、琵琶湖に波うつ湖面を眺めていると、その湖岸に京極御息所が立ち寄った。不覚にも彼女と目が合ってしまった上人。胸は高鳴り、魂は浮かれてしまった。という位の美女。
 元良と京極御息所は不倫の恋に落ち、宇多の目を避けて逢瀬を重ねるが、ついに露見し元良は謹慎処分。百人一首のこの歌は、その熱烈なラブレターである。
 「これほど恋に悩み苦しんでいるので、ことが露呈してしまった今となっては、もうどうなっても同じ事です。それならば難波の海に差してある澪漂(ミオツクシ)ではないが、この身を滅ぼしてもあなたに逢いにいきたい」。
 澪漂(ミオツクシ)は、「身を尽くす」の掛詞。海に建てられた船用の標識で、大阪市の市章。難波といえば大阪。元良親王の歌碑は名神高速道路吹田サービスエリアの中にある。サービスエリアのオープン記念に揮毫されたものらしい。
  


Posted by biwap at 06:21道草百人一首

2014年12月08日

悪の権化・大伴黒主


 積恋雪関扉(ツモルコイ ユキノ セキノト)、通称「関の扉」(セキノト)は、歌舞伎演目の一つ。
 雪の降り積もる逢坂の関。不思議なことに小町桜が咲いている。そのかたわらに、後の僧正遍照である良岑宗貞(ヨシミネノムネサダ)が隠棲していた。
 元の恋人・小野小町が通りかかり、その仲を関守の関兵衛が取持とうとする。しかし、関兵衛はどこか怪しい。実は関兵衛こそ、天下を狙う大伴黒主であった。
 野望の成就祈願に使う護摩木にするため、小町桜を切り倒そうとする。ところがそのとたん、五体がしびれ身動きが取れなくなる。そこに薄墨と名乗る遊女が現れ、関兵衛をくどきはじめる。実は薄墨こそ、小町桜の精であった。
 小町桜の精は、かって傾城薄墨となって宗貞の弟である安貞と相愛の仲となった。しかし、その安貞は黒主に殺されてしまう。その恨みを晴らすため人の姿となって現れたのである。やがて二人は互いの正体を現し激しく争う。


 ここに登場する僧正遍照(良岑宗貞)、小野小町、大伴黒主は、いずれも 「六歌仙」。六歌仙たちを互いに絡ませ、美しい桜をバックに演じられる幻想的な舞踊劇、それが「積恋雪関扉(ツモルコイユキノセキノト)」である。
 六歌仙の中で唯一、小倉百人一首に撰ばれていないのが大友黒主(オオトモ ノクロヌシ)。大伴黒主は、近江国滋賀郡大友郷の人。貞観年間、園城寺神祀別当となる。没後、近江国志賀郡に祀られた。壬申の乱で敗れた天智の子・大友皇子の末裔であるとも言われるが、出自の大友村主氏は渡来系氏族である。


 祇園祭山鉾の一つに、「黒主山」がある。謡曲「志賀」にちなんだもの。
 「帝に仕える臣下が、近江国志賀の山桜を眺めていた。老若ふたりの樵(キコリ)に出会うが、老人の樵が背負う薪には、花の枝が添えられていた。不審に思い尋ねると、老人は分不相応なふるまいも紀貫之が書き示した歌の道に叶う姿だという。そして自分が黒主、人は山神とも見るだろうと告げ志賀の宮へ帰る。その夜、花陰に休む一行の前に志賀明神が現れて、花吹雪の中、神楽を舞う」。
 なぜか悪役となった黒主。畏怖と賤視の向こうに、体制への反逆者を垣間見る。

  


Posted by biwap at 06:15エピソード百人一首

2014年12月06日

似て非ならざるもの








「地獄への道は善意で敷き詰められている」(旧約聖書)
  


Posted by biwap at 06:42