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2018年06月24日

「焼肉ドラゴン」の読み方


 アベ・シンゾー氏お気に入りの映画『ALWAYS三丁目の夕日』。日本が高度経済成長へと向かう時代。「貧しくても、夢や希望に満ち溢れていた」「人と人の絆が深く、あたたかい人情に溢れていた」「日本の古き良き時代」。そんな時代への郷愁が、「日本」への郷愁へと塗りこめられていく。


 この『ALWAYS三丁目の夕日』の欺瞞性に怒り、そのアンチテーゼというべき作品が作られた。日韓共同制作の演劇『焼肉ドラゴン』。演出の鄭義信はこう語る。
 「あの時代が美化されているが、そんなに美しいものではなかった。僕は一人だけでも“裏ALWAYS”をやりたい。在日を通じて日本の一つの裏社会、歴史の断片を感じてもらえればうれしい」
 「いわば、逆『ALWAYS三丁目の夕日』の世界。暮らしが豊かになる裏で、僕より下の4世、5世には、自身が在日という実感すら持てない環境で育った人もいる。かつてこんな文化があったことを、どうしても書き留めておきたかった」


 日本社会に生きる数十万人の在日コリアン。「パンがなければケーキを食べればいいじゃないの」とうそぶいたマリー・アントワネットの如く、多くの日本人にとってそれは「見れども見えない人々」だった。
 舞台演劇であった『焼肉ドラゴン』が、作者・鄭義信の監督で映画化された。6月23日封切り。さっそく京都の映画館へ足を運んだ。


 それはあたかも故・新屋英子さんのひとり芝居「身世打鈴」を彷彿とさせるものだった。舞台セットのような空間とセリフ回し。その向こうにある「重い過去と現実」に想いを馳せ、思わず涙してしまう。骨太な人間の濃厚な魅力に圧倒される。この映画は本当に「焼き肉ホルモン」だ。ごたごたの面白さにハマってしまう。


 在日コリアン問題。いや、そんなものではない。アボジとオモニの、そこにいるだけの圧倒的な存在だけでも、すべてを語ってしまう。「人間が生きていくって、とてもとてもイイことなのだ」。そう思わせる力が、この映画にはあった。今を懸命に生きていこう。なぜか、そんなことを取りとめもなく考えながら映画館を出た。

  


Posted by biwap at 17:27芸術と人間KOREAへの関心

2018年06月22日

「万引き家族」の面白さ


 是枝裕和監督『万引き家族』。最近見た素晴らしい映画の中でも、秀逸な作品だった。
 第71回カンヌ国際映画祭で最高賞となるパルムドールを受賞。いつもなら日本人の受賞に大騒ぎするはずなのだが。「日本人が国際的な賞を受賞したら必ず賛辞を送るはずの安倍首相が沈黙を保ったまま」とフランス「フィガロ」紙は皮肉る。
 お仲間のネトウヨも一斉に攻撃を開始。「こんな映画絶対に見ない」「日本人は万引きで生計を立てたりしない」「変なイメージを外国に植え付けるな」「『万引き家族』のカンヌ受賞は世界に恥をさらすものだ」「万引き家族みたいな家族が現実に日本にいる、いられるみたいなのが拡散されているようで、とっても嫌だ」


 是枝監督が『万引き家族』の企画を思いついたのは、まさに日本社会で現実に起きていたことに触発されたから。
 「数年前に、日本では亡くなった親の年金を受け取るために死亡届を出さない詐欺事件が社会的に大きな怒りを買った。はるかに深刻な犯罪も多いのに、人々はなぜこのような軽犯罪にそこまで怒ったのか、深く考えることになった」
 2010年、足立区で111歳とされていた男性が白骨化して発見。実は30年以上前に死亡していた。死亡届を出さずに年金をもらい続けていたとして、家族が詐欺で逮捕。この事件を皮切りに全国で相次いで類似の事件が発覚。“消えた高齢者”として社会問題化。年金詐欺として大きなバッシングを浴びた。
 是枝監督はこの事件をきっかけに、“社会から排斥される存在”として年金と万引きで生計をたてている一家の物語を着想した。『万引き家族』の主人公一家は、決して架空の絵空事ではない。


 「日本は経済不況で階層間の両極化が進んだ。政府は貧困層を助ける代わりに失敗者として烙印を押し、貧困を個人の責任として処理している。映画の中の家族がその代表的な例だ」
 「日本では今も家族は『血縁』というイメージが固定化されている。特に、2011年大地震以降、このような家族の絆を大げさに強調する雰囲気について疑問を感じていた」
 『万引き家族』には、日本社会に対する違和感、問題意識が凝縮されている。格差の激化、共同体や家族の崩壊、機能しないセーフティネットによる貧困層の増大、疎外される貧困層や弱者、自己責任論による弱者バッシング。失敗者は存在しないものとして無視され、浅薄な“家族愛”ばかりが喧伝される。


 「対立している人と人、隔てられている世界を映画が繋ぐ力を持つのではないかと希望を感じます」
 重い現実を描きながらも、決して暗くも悲惨でもない。単なる社会派映画でもない。そこには人間への深い眼差しがある。だから映画を見るのが楽しい。楽しくない映画は見たくもない。
 この映画を見終わった後、なぜ面白いのか、何度も反復した。私たちが前提として持っていた思考の枠組みがガラガラと音を立てて崩れていく爽快さ。それに似た解放感が、この映画の魅力なのかもしれない。
  


Posted by biwap at 17:30芸術と人間

2018年06月14日

嘘から出た実





 これが現実になるとは想像もしなかった。朝鮮半島の分断と対立の悲劇を少し想像してみただけでも、その歴史的意義は、どんなに強調しても強調しすぎることはないはずだ。
 ところが、そのことを何とか否定したいかのような報道がメディアを覆っている。背筋が寒くなる思いである。不確かな思惑を勝手な推測で思いめぐらせても何の意味もないし非生産的なだけだ。
 戦争の危機から平和に向かうのを、敵対から友好へ向かうのをどうして素直に喜べないのだろうか。核をなくすと言うのなら、なぜそれを歓迎し支援しないのか。猜疑心や偏見や差別を乗り越えていくことこそメディアの果たすべき役割であるはずなのに、それを助長してどうするのだ。またしてもテレビのスイッチを切り、新聞を閉じてしまいたくなる。諦めてはいけない。小さな声を拾い続けよう。以下、2つのブログから引用。

<米国のトランプ大統領と朝鮮民主主義人民共和国の金正恩朝鮮労働党委員長による歴史的な会談が実施された。共同宣言にCVIDが盛り込まれなかったことを非難する言説が一部メディアから提示されているが、本質を見誤った議論である。重要なことは、米朝が交渉のテーブルに着いたことである。
 問題は「対話」によってしか解決し得ない。米国が「力」によって北朝鮮を殲滅することは、国際法上、そして道義上許されない侵略行為である。
 拉致被害者の家族はトランプ大統領の行動力を評価しているはずである。2012年12月の第2次安倍政権発足から5年半の時間が流れるが、拉致被害者の家族が指摘するように、拉致問題は1ミリも動いてこなかった。
 安倍首相は「圧力」一転張りで、「最大限の圧力」とだけ繰り返してきた。韓国で文在寅氏が大統領に就任して、積極的に「対話」を呼び掛け始めたことに対して、安倍首相は「対話のための対話には意味がない」と批判を展開した。平昌五輪開会式に出席しないとしていた安倍首相は、出席するべきであるとの主権者の声、自民党内の声に屈服して五輪開会式に出席したが、文在寅大統領との会談では、安倍首相が「米韓軍事演習を実施するべきだ」と述べた。これに対して、韓国の文在寅大統領は、安倍首相の発言は内政干渉にあたると批判したのである。
 米国のトランプ大統領はCVID、すなわち、完全な、検証可能で不可逆的な核廃絶の確約を取らずに、北朝鮮の体制の保証、米韓軍事演習の停止を明示した。安倍首相のこれまでの主張からすれば、CVIDを確保しない限り、体制の保証を与えるべきではないし、米韓軍事演習は継続するべきとのことになるが、相手がトランプ大統領だと、安倍首相は突然態度を変えて、批判を控えるのだろうか。
 5月24日にトランプ大統領が米朝首脳会談中止を金正恩委員長に対する書簡で表明した。このとき、安倍首相は、すかさず「トランプ大統領の判断を支持する」と表明したが、その直後に、トランプ大統領は6月12日の米朝首脳会談開催の可能性を示唆した。すると、すかさず、安倍首相は再び「トランプ大統領の判断を支持する」との姿勢を示したのである。自分の考えなど何もない。単に、権力者であるトランプ大統領に隷従しているだけの悲しい現実がある。単なるトランプ大統領の太鼓持ちに成り下がっているのである。
 米国の軍産複合体にとって東アジアの平和と安定は一大惨事である。軍産複合体にとって死活問題であるのは、戦争の火種が消えてしまうことである。現代の戦争は「必然」によっては生じない。「必要」によって生じているのである。
 「戦争」は戦争産業が存続するために、人為的に創作されているものである。トランプ大統領が東アジアの平和と安定構築に突き進むことは、戦争産業にとっての悪夢である。平和と安定が実現しないように、総力を結集する勢力が確実に存在する。この勢力が和平成立に向けてのプロセスに難癖をつける。
 日本のNHKは米国の支配勢力によって支配されてしまっている。だから、NHKも米朝首脳会談に対して極めてネガティブな伝え方をしているのである。こうした邪悪な勢力の妨害を排除して、東アジアの平和と安定を確立するべきである。
 トランプ大統領は秋の中間選挙に合わせて成果を顕在化させる考えだろう。トランプ大統領は朝鮮戦争の終結、北朝鮮の核廃棄を含む包括的な合意を、本年9月から10月に成立させるスケジュールを念頭に置いているのだと考えられる。
 東アジアに平和と安定がもたらされて、朝鮮半島の統一が実現することは世界がもろ手を挙げて歓喜するべきことである。昨日の米朝首脳会談は問題解決のための第一歩に過ぎないが、大きな第一歩を踏み出したことを、まずは歓迎するべきである。大きな第一歩を印したのに、難点ばかりを探し回る姿勢は建設的でない。圧力一点張りで、問題解決の方向には1ミリも動かなかったこれまでの「実績」と比較して、論評するべきである。>(植草一秀の『知られざる真実』6月13日)

<トランプ政権と安倍政権は、一見親和性が高いように見えて、その実は根本的に全く異なっている(トランプは反グローバリスト反ネオコン、安倍政権は親グローバリスト親ネオコン)と評してきたけど、いよいよ米朝会談の開催とともにその実態が明確に表に出てきたね。
 安倍政権は、その配下のマスメディアの報道論調からも見ても明らかなように、本音では米朝会談が決裂し、米朝が軍事的に激しく対立するのを心底望んでいる側であり、平たく言えば、これまでアメリカ、イスラエルを拠点に世界中に”ネットワーク”を張りめぐらせ、軍事利権を強固に構築しては世界中で悲惨な戦争を繰り返してきたネオコン軍産資本の傀儡政権ということだ。
 アメリカではすでに、トランプ政権の誕生を機に、かつてのネオコン軍産による米国覇権拡大政策から、新たな世界秩序戦略に基づいた米国覇権撤退政策に大転換している。
 北朝鮮危機を演出させた後に待っていた、南北朝鮮の統一や戦争の終結、在韓米軍の撤退の流れも、トランプ政権による一貫した覇権後退政策の一つであり、すでに韓国では、親北の文政権によってかつてのネオコンの影響力がある程度低下してきているように見えるものの、日本を見ると、もはや「ネオコンの新たなる根城」と化しているがごとく、世界でも唯一無二といえるほどの好戦的な政治勢力(軍産傀儡)に埋め尽くされている状況となっている。
 トランプ氏においては、相手の譲歩を引き出したり、敵(ネオコン・反トランプ勢力)を喜ばせるためにわざと好戦的な態度を出したりしているけど、見たところ、安倍政権は本気で北朝鮮の非核化や平和と安定を嫌っているように見えるね。
 今まで権力者に任せっきりで、政治のイロハすら何も興味を持ってこなかった多くの日本国民にとっても、これからはとても厳しい時代になっていきそうだし、政治家も官僚も国民も、全ては「真の自立心と高い思考能力」を求められる時代になっていくのは間違いないんじゃないかな。>(「ゆるねっとにゅーす」6月14日)
  


Posted by biwap at 10:42

2018年06月13日

梅雨の中休み


 「石見神楽」の魅力にとりつかれ、はるばる島根県へ。「石見神楽」は島根県西部の石見(イワミ)地方に古くから伝わる伝統芸能。古事記や日本書紀などの日本神話を題材にしている。


 まず、石見銀山の見学から。電動自転車をレンタルし、坑道のある龍源寺間歩(マブ)まで坂道を登る。歩くと40分以上かかる登り道も実に快適。


 銀山採掘のために掘られたのが「間歩(マブ)」と呼ばれる坑道。700余り確認されている。


 石見銀山(イワミギンザン)は、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山。この時期、日本はなんと世界の銀の約3分の1を産出していた。そのかなりの部分がこの石見銀山だった。


 とてつもない富が動き、賑わったはずの町並み。今、その繁栄の痕跡を探すのは難しい。


 2007年、世界遺産登録。観光客が殺到し、治安悪化や騒音などの観光公害に直面した。車の乗り入れ制限などの対応がとられたが、皮肉なことに今は観光客の減少に悩まされている。


 石見銀の輸出港でもあった温泉津(ユノツ)。温泉街をしばらく歩くと龍御前神社に着く。毎週土曜日20時から、この場所で石見神楽が演じられる。


 一番前の席にかぶりつき。この臨場感がたまらない。本日の演目は「八幡」と「武内」。


 「八幡」。武勇の神、八幡宮の祭神である八幡麻呂を讃える神楽。九州宇佐八幡宮に祀られている八幡麻呂という神様が、異国から飛来した大六天の悪魔王が人々を殺害しているのを聞き、神通の弓、方便の矢をもって退治する。


 八幡神は日本神話とは無縁な存在で、歴史の舞台に忽然と登場する。『豊前国風土記』には、「新羅の国の神、みずからわたり来たりて、この河原に住みき」とある。豊前は「秦王国」があったとされる場所。八幡神社の総本社である宇佐神宮(宇佐八幡宮)がある。渡来人が自分たちの信仰する神を祀った可能性が大きい。
 武神である八幡神は、源氏の守り神となる。源義家は石清水八幡宮で元服したことから、八幡太郎義家と呼ばれる。源頼朝は鎌倉幕府を開くと、八幡神を鎌倉へ迎え「鶴岡八幡宮」としている。


 2番目の演目は「武内」。武内宿禰(タケノウチノスクネ)は、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣。300年以上、生きたとされる。


 神功皇后が他国を外征の為、住吉の神に戦勝を請うと、『潮干る瓊(シオヒルニ)・潮満つる瓊(シオミツルニ)』の二つの瓊(タマ)を授かる。日本に攻め入った賊を撃退する為、海上での戦いで神功皇后は武内宿禰(タケノウチノスクネ)を従えて2つの宝珠を巧みに使いこれを打ち破る。撃退された賊徒は最後には神功皇后と武内宿禰に命を助けられ、忠誠を誓うという物語。
 神功皇后「三韓征伐」の話や、海幸彦・山幸彦の話が入り混じっている。討伐されたのは「隼人」なのか「新羅」なのか?


 それはさておき、この2つの演目の人間関係が気になる。
 仲哀天皇が九州で熊襲を討とうとしている時、皇后のオキナガタラシヒメ(神功皇后)に神が依り憑いた。「西の方にある、金銀財宝であふれた国を与えよう」というお告げ。夫・仲哀はこれを疑ったため、神の怒りに触れ滅する。神功は神託に従い胎児を宿したまま軍を率い、新羅を目指した。戦前の皇国史観でもてはやされた「神功皇后の三韓征伐」である。


 産気づいていた神功は石を腰に巻きつけ出産を遅らせ、筑紫に帰国後、男子を出産。これが、後の応神天皇。実は、八幡神は応神天皇(ホムタワケ)と習合され同一視されている。その父は、不遇の死を遂げた仲哀天皇ではなく執事の武内宿禰だったという異説も。つまり、神楽の2つの演目の主人公は「父と母とその子」だったのか?


 梅雨の中休み。石見への旅はいつの間にか想像力の翼で、異次元の世界へとタイムスリップしていった。山陰の鄙びた温泉街・温泉津(ユノツ)温泉。そこは、その秘密の入り口なのかもしれない。
 つまらない人生をつまらないと言っても、いつまでもつまらないだけ。楽しもうと思えば、人生はなんだって楽しめるものだ。  


Posted by biwap at 06:41旅行記

2018年06月07日

一本の考える葦


 もう怒りを通り越して、ただただ唖然とするばかりの政治状況。「息を吐くように嘘を吐く」醜い姿にほとほとウンザリ。するとそれを逆手にとって、いつまでこんなことやっているのだとあらぬ方向へ世論誘導。
 「いつまでも」「しつこく」「くだらない」ことをやっているのは、メディアの方ではないのか。今日も「パンとサーカス」による愚民化は続く。いや、諦めさせることこそ愚民化そのものなのだ。
 「人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である」(パスカル) 人間の尊厳は、考えることのなかにある。諦めることなく考え続けよう。
 2018年6月6日「日刊ゲンダイDIGITAL」に次のような記事が出ていた。シンプルでストレートなアピール文が、なぜかとても新鮮だった。

<世界平和や核兵器禁止などを訴える有識者でつくる「世界平和アピール七人委員会」が6日、安倍内閣に退陣を求める緊急アピールを発表した。財務省の文書改ざんや陸上自衛隊の日報隠蔽などの不祥事を受け、討議した結果だという。
 アピール文は以下。
「5年半にわたる安倍政権下で、日本人の道義は地に堕ちた。私たちは、国内においては国民・国会をあざむいて国政を私物化し、外交においては世界とアジアの緊張緩和になおも背を向けている安倍政権を、これ以上許容できない。私たちは、この危機的な政治・社会状況を許してきたことへの反省を込めて、安倍内閣の即時退陣を求める」
 首相官邸と財務省のウェブサイトにも送付した。
 同委員会は、ノーベル賞受賞者の故・湯川秀樹氏らが1955年に結成。現在は、武者小路公秀氏(国際政治学者)、大石芳野氏(写真家)、小沼通二氏(物理学者)、池内了氏(宇宙物理学者)、池辺晋一郎氏(作曲家)、髙村薫氏(作家)、島薗進氏(宗教学者)が委員を務める。
 今回のアピールは発足以来130番目となるが、時の内閣の退陣を求めるアピールは過去になく、初めてだという。>
  


Posted by biwap at 09:38