› 近江大好きbiwap › 2014年07月

2014年07月30日

極私的だから趣味


庭の草花を適当に活けてみた。何となく音楽が流れてきそうなので、最近の練習曲について。1966年制作のフランス映画「男と女」。クロード・ルルーシュの名を世界に知らしめた映画だが、全編に流れていた「ダバダバダ」のスキャットが印象的。音楽担当は、かのフランシス・レイとブラジルの天才ギタリスト、バーデン・パウエル。このバーデン・パウエルを称えて作られたのが「バーデン・ジャズ組曲」。チェコのギタリスト、イルジ・イルマルの作品。3楽章構成だが、最初の「シンプリシタス」が人気。「素朴なもの」を意味するシンプリシタスは、哀愁を帯びた抒情的な美しいメロディーから始まり、一転してボサノヴァ風の和音を持した伴奏に移る。より情熱的なパッセージと自在なリズムの変化の後、再び哀愁のメロディーに帰り、静かに曲を閉じる。やっぱり、クラシック・ギターは奥が深い。ポピュラーをソロ・ギターで弾くより何十倍も面白い。
http://youtu.be/OwL0gx8vLYk

  


Posted by biwap at 06:20

2014年07月28日

集団的無責任体制



 五輪招致の時のあの言葉。「状況は完全にコントロールされている」「汚染水による影響は完全にブロックされている」。今日から東電は、福島第一原発の地下トンネルに毎日5トン超の氷やドライアイスを投入するそうだ。周辺の水を凍らせて止水するはずだったのが、凍らないようだ。それにしても、原子的いや原始的。福島第一原発のがれき撤去で飛散した放射性セシウムが昨年八月、数十キロ離れた水田のコメなどを汚染したようだ。東京電力は先週、この撤去作業で飛散した放射性物質が一兆一二〇〇億ベクレルに上ったとの推計結果を明らかにした。平常時の毎時放出量の二万八千倍が飛散していた。
 原発再稼動へ前のめりの人たち。ところが・・・。安倍首相「規制委が安全というなら再稼働を進めていきたい」。田中委員長「基準適合性は審査した。でも、けっして安全だと言っている訳ではない。再稼働は、事業者・地域住民・政府の合意で行われるものだ」。茂木経産相「原子炉等規制法に従ってやる。安全・再稼働の責任は事業者だ」。
 「原発ゼロは無責任だ」とか言っていた人たちの、責任感(無責任感)とは、こういうものだ。核廃棄物の最終処分場問題も解決しそうにない。後始末も出来ず、事故の原因すら未解明なのに、何もなかったかの如く再稼動しようとする異様な責任感(?)。危険なものを危険と感じなくなることくらい危険なことはない。それとも、私たち自身が、この集団的無責任体制にしっかりと飼いならされてしまったのか。

  


Posted by biwap at 06:26辛口政治批評

2014年07月27日

海を渡り、来たりし人々

勝手に読む古事記・12
応神天皇の時代、朝鮮半島との交流が盛んになる。鍛冶・織物などの技術を持った人たちが海を渡って来た。そして、「論語」「千字文」を伝えた王仁(ワニ)もやって来る。この時代より前のこととして、新羅の王子・天之日矛(アメノヒボコ)の渡来を語っている。ヒボコは、神宝をもって各地を転々としたのち、但馬国出石(イズシ)に落ち着いた。ここで妻を娶り、子をもうける。その子孫からオキナガタラシヒメ(神功皇后)が出ることとなる。神功皇后が、新羅の王子の末裔であることが唐突に語られる。いずれにしろ、想像以上に朝鮮半島との関係は濃密なようだ。神武から始まった「古事記中巻」は、応神で終わる。上巻は日本神話そのものだが、中巻には歴史の曙光が垣間見える。
  


Posted by biwap at 06:24勝手に読む古事記

2014年07月25日

習慣は第二の天性


やりかけたことを、もう一度やり直そうと始めた韓国語とクラシックギター。若い頃は、昨日より今日、今日より明日という上昇感覚があった。年齢と共に、今まで出来ていたものが出来なくなっていく下降体験。そんなことに、ちょっぴり抵抗してみたくなったのがきっかけ。急にうまくはならない。でも、昨日より今日、今日より明日をと、前を向く姿勢を習慣にしたい。ちょっと素敵な韓国語のフレーズを見つけた。
가는 말이 고와야 오는 말이 곱다.カヌン マリ コワヤ オヌン マリ コプタ(行く言葉がきれいではじめて、来る言葉がきれいだ。)

  


Posted by biwap at 06:19

2014年07月23日

無垢へのあこがれ


ピカソは子どもの頃、美術教師だった父親から厳格で正確なデッサンを仕込まれた。子どもらしい絵とは無縁の世界だった。ところが、パリの児童画展。子どもたちの絵を見たピカソに衝撃が走った。無垢なもの。そこには、何ものにも束縛されない自由があった。最高の絵画技術を身につけた大芸術家ピカソ。無邪気で不器用、純真で無垢、そんな子どものような絵を描くことなどできるはずがない。それでも、欲しいものを手に入れようと駄々をこねる子どものように、ピカソは無垢を欲した。自由な世界を求め、自らを解放するため。パブロ・ピカソ作「ピアノ」(1957年)。1964年、京都でピカソ展が開かれた。その時に買ってもらった複製画を、大切に自分の部屋に飾った。それが、この絵だった。もう、50年前のこと。好奇心に満ちた少年の心が、ピアノの音に乗って聞こえてくるようだ。
  


Posted by biwap at 06:13芸術と人間

2014年07月21日

神功皇后とは何者なのか?

勝手に読む古事記・11
景行天皇(12代)の死後、成務天皇(13代)が即位するが男児が生まれず、直系は途絶える。そこでヤマトタケルの子タラシナカツヒコ(仲哀天皇)が皇位を継承する。なぜか下関や福岡にある仮宮で国を治めていた。そこで熊襲を討とうとしている時、皇后のオキナガタラシヒメ(神功皇后)に神が依り憑いた。「西の方にある、金銀財宝であふれた国を与えよう」という神のお告げを、夫・仲哀は疑い、琴を弾き始めた。これが神の怒りに触れ、琴の音が消えると同時に仲哀はこと切れた。神功は神託に従い胎児を宿したまま軍を率い、新羅を目指した。恐れをなした新羅はもとより百済も帰順したと書かれている。産気づいていた神功は石を腰に巻きつけ出産を遅らせ、筑紫に帰国後、男子を出産。後の応神天皇である。しかし、大和にいる母親の違う兄たちとの世継ぎ争いが待ち受けていた。生まれた御子は亡くなったという噂を流し、喪船に乗せて大和へ向かう。また神功自身も亡くなったので戦いをやめようと嘘をつき、相手が油断した隙に攻め入り、琵琶湖でことごとく斬り殺した。戦前の皇国史観でもてはやされた「神功皇后の三韓征伐」は、不思議な虚飾に満ちている。神功皇后の遠征は、中大兄皇子の時代の百済救援戦争が投影されているのかもしれない。この時、女帝斉明天皇は遠征中に九州で亡くなっている。そして神武東征と同じく、またしても西から東へ攻め込んで政権を奪取している。突如、河内平野に出現する巨大古墳の始まりは応神天皇陵から。馬具・武具の出土。騎馬民族征服説もある。性急に結論を急ぐより、仮説を楽しむほうが面白い。第1代・神武天皇、第10代・崇神天皇、第15代・応神天皇。ハツクニシラス(初めて国を治める)と言われるこの三人のみに、「神」の字がつけられている。女性で「神」の字がつくのは、ただ一人、オキナガタラシヒメ(神功皇后)。いったい何者?
  


Posted by biwap at 06:31勝手に読む古事記

2014年07月19日

ヤマトタケルの悲劇

勝手に読む古事記・10
ヤマトタケルは、第12代景行天皇の子として生まれる。幼名をヲウスと言い、オホウスという兄がいた。行き違いからオウスは兄オホウスを殺害して手足を引きちぎり、薦に包んで投げ捨てた。スサノオのような制御不能の破壊力に恐れをなした父王は、西方の熊襲を討伐するよう命じた。オウスは女装して敵の宴席にもぐり込み、首領のクマソタケル兄弟をやっつける。この時、弟のタケルから名前を譲り受け、以後ヤマトタケルを名乗るようになる。帰路、出雲に立ち寄ったヤマトタケルは、友達になっておきながらイヅモタケルを裏切って討伐し、凱旋した。
父王は息子の帰還を喜ばず、今度は東に行って蝦夷を平らげるよう命じる。ヤマトタケルは、自分が父に疎まれていることに気づいてしまう。戦勝祈願のために伊勢神宮に参り、巫女を務めていた叔母のヤマトヒメに悲痛な真情を吐露する。ヤマトヒメは、タケルの無事を祈り草薙の剣と火打石を与えた。相模の国に入った時、敵に野火を放たれ危機に陥るが、ヤマトヒメにもらった剣で草を薙ぎ払い、火打石で迎え火を起こすことで敵を倒すことができた。
三浦半島から走水(ハシリミズ)の海を渡って、房総半島へ向かおうとした時、荒ぶる海峡の神によって行く手を阻まれる。同行していた妻のオトタチバナヒメが、海に身を躍らせて神に命を捧げた。海は急に凪いで、ヤマトタケルは無事に目的地に着くことができた。7日後、オトタチバナヒメが身につけた櫛だけが海岸に打ち上げられた。
長い東国遠征を終え都に戻る前に、ヤマトタケルは近江国伊吹山の「山の神」を討とうとした。大切な草薙の宝剣を置いてきたヤマトタケルは、伊吹山の神など素手でも大丈夫だと言って出かけた。山の途中の登り道で大きな白い猪に出会うが、山の神の家来だと考えたタケルはそのまま先に進んだ。実はその猪は山の神そのもので、軽んじられて怒った山の神はタケルに激しい雹(ヒョウ)を降らせた。傷ついたタケルは大和に向かう途中の伊勢国能煩野(ノボノ)で力尽きて亡くなった。タケルの癒されない魂は白鳥となって大空の彼方へ飛んでいった。日本書紀のヤマトタケルは父の期待に応えようと頑張る忠実な息子。しかし、古事記は父と子の断絶を語る。白鳥となったヤマトタケルの魂は父のいるヤマトを素通りして飛び立ってしまうのである。
  


Posted by biwap at 06:25勝手に読む古事記

2014年07月17日

もう一人の初代天皇

勝手に読む古事記・10
初代神武天皇から後、8人の天皇が続くが、いずれも存在感がなく淡々と記述が進む。これを欠史八代という。そして第10代・崇神天皇。4世紀に実在した大王と考えられ、ミマキイリヒコという名を持つ。「イリ王朝」あるいは「三輪王朝」と呼ばれる政治権力が誕生した可能性が強い。このミマキイリヒコの時代、恐ろしい疫病が流行した。憂い嘆いたミマキイリヒコの夢の中にオオモノヌシが現れ、オオタタネコに自分を祀らせるよう告げた。ミマキイリヒコは、すぐにオオタタネコに命じて三輪山の神オオモノヌシを祀らせたところ、疫病は収まり国に平和が戻った。奈良県桜井市にある大神(オオミワ)神社。祭神は大物主(オオモノヌシ)だが、その神は出雲大社で祀られた大国主(オオクニヌシ)が仮に姿を現したものだとも言われる。昔、イクタマヨリビメのところへ通ってくる不思議な若者がいた。そのうちにヒメは身籠った。若者の正体を知りたくて、ヒメは衣の裾に糸のついた針を刺しておいた。糸をたどっていくと三輪山の社へ着いた。ヒメは、神の子を身籠ったことを知った。糸巻きに三巻きの糸が残ったことから、この地を三輪と呼ぶようになった。こうして生まれた子の曾孫が、オオタタネコだったのだ。三輪山の北西麓一帯に、弥生時代末期から古墳時代前期にかけての大集落遺跡がある。建設された主時期は3世紀で、前方後円墳発祥の地とされている。これが、纒向遺跡(マキムクイセキ)である。神武と共に崇神も、ハツクニシラス(初めて国を治める)の称号を持つ。
  


Posted by biwap at 06:06勝手に読む古事記

2014年07月15日

バサラ華道事始


最近、庭の花を取ってきては、花瓶に活けるのが道楽になってきた。どうして、今までこんなことをやろうとしなかったのか不思議なくらいである。作法や流儀などというと、急に億劫になる。自分で気持ちよく感じたら、それでいいのだと試行錯誤するのが楽しい。聖徳太子が建てたとされる京都・六角堂。その池の畔で太子は沐浴した。太子に花を供えたのが小野妹子。「池坊由来記」では、この小野妹子を「池坊」の祖としている。華師としての池坊が最初に登場するのは室町期。六角堂の僧侶・「池坊専慶」である。華を立てるとは、刈り取られた生命(花・葉・枝)を再び活かすことである。あの世とこの世の境界に位置する無縁の者たちがこれを担ったようだ。それにしても無茶苦茶か?これでいいのだ。  


Posted by biwap at 08:10芸術と人間

2014年07月13日

黄昏のBlueberryFields


大津市伊香立にある「BlueberryFields 紀伊國屋」。20数年前、滋賀に転居して以来のお気に入り隠れスポットである。湖畔の灯火(トモシビ)が灯(トモ)り始める夕暮れ時、琵琶湖のパノラマを眺めながらのディナーは、最高の贅沢。いわゆる「酒の席」は嫌いだが、食事をして語り合うのは大好き。幸せとは、きっと大切な人と大切な時間を共有することなのだろう。黄昏を楽しみながら、近江の人であることがなんとなくうれしくなった一時であった。
  


Posted by biwap at 08:34近江大好き