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2023年09月24日

福田村事件を知っていますか

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 京都シネマ。満席で見られなかった人も出た。こんな映画は初めてだ。森達也監督作品「福田村事件」。
 製作資金が思うように集まらず、クラウドファンティングを募ったところ、開始1ヶ月で目標金額2500万円の半分以上が集まった。ネクストゴール設定によって最終的に3500万円以上に。
 「今」という時代に抗する、人々の抑えがたい「叫び」がうねりの様に響いてくる。
 深刻なテーマだが、エンターテインメントとしてもよくできた作品だ。何よりも映画として面白い。
 作品に敬意を表すると同時に、ここでは「福田村事件」を取材したNHK千葉放送局の記事を抜粋紹介したい。

福田村事件を知っていますか

 福田村事件は、関東大震災から5日後の1923年9月6日に起きた。当時、震災直後に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などと流言飛語が飛び交う中、各地では自警団が結成される。福田村でも、消防団や在郷軍人などから構成された自警団が結成され、村内の警戒にあたっていた。
 一方、香川県から薬の行商に来ていた15人の一行がいた。一行は家族や親族で行動し、福田村を訪れていた。村を流れる利根川から対岸の茨城県へ渡ろうと渡船場に行ったのち、近くの神社の鳥居に6人、そこから30メートルほど離れた水茶屋のベンチで9人が休憩していた。すると自警団がやってきた。「見かけない者だ」と一行を囲む自警団。団員の中には、一行を朝鮮人だと疑う者もいて、これをきっかけに一行を襲い、9人が殺害された。

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 生き残った男性が襲われた時の様子を綴った手記が、香川県の文書館に残っていた。男性が事件後、裁判に備え、資料として利用するために書いたと言われている。長らく眠っていたが、7年ほど前に文書館に寄贈されたという。
 「取井ノソバデ、休ミテ居リタ処エ/青年会、シヨボ、在郷軍人ガキテ/鮮人ジヤトユウ人モアリ/棒ヤトビグチヲモッテ頭エブチコンダ」
 (鳥居のそばで、休んでいたところへ/青年会、消防、在郷軍人が来て/「鮮人じゃ」と言う人もあり/棒やとびぐちをもって頭へぶち込んだ)

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 今回の取材で、被害者の遺族がNHKの取材に応じ、事件後の地元での様子を教えてくれた。
 「生き残った一行が帰ってきて、『ほかの人は殺されたんだ』と。それはいかんという話で、住民らが神社に集まって『今から千葉に行くんだ』『みんな人を集めていくんや』と。『抗議に行くんや』と。それを村の女子衆というか女の人たちが、『殺されたらうちらどうするの』となだめて、みんなで泣いて終わった」。
 一方で事件については、被害者の地元でもほとんどの人は知らないという。その理由についてはこう口にした。
 「もともと福田村事件を知っている人というのは、ごくわずかだったと思う。その事件すらも知らない人がほとんどだし、良いことだったらそれは次の世代にもこうだったと伝えると思うんだけど、やっぱりそういうことって、みんな蓋をするをするじゃないけど、隠して言わない」。
 「知っている人もみんな話したがらない」。野田市の現場の近くに住むある男性が口にした言葉である。事件が起きた野田市でも事件は語られていない。男性によると、かつては町の祭りなどで若者と高齢者が交流する場があり、事件の話を伝え聞くこともあったが、その祭りもなくなり伝承される機会がなくなったという。

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 その野田市で事件を地元の歴史として伝え続ける人がいる。市川正廣さんだ。かつて野田市役所に勤めていたが、1980年代に事件の記事を見て初めて知った。
 「率直に言って、まさかと思いました。全く知らず、誰からも教えてもらっていません。周りの人に聞いても、誰も知りませんでした。地元、旧福田村の人にも聞きましたが、みんな黙して語らず。これはまずいと思いました。しっかりと地元の歴史として残すべき。やはりあった史実は、負の歴史です。誰でもつらいです」

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 負の歴史こそ伝え続けるべきと思いたった市川さん。一足早く香川県の市民グループが事件を調べていたが、千葉県側でも市川さんらを中心として市民グループを結成する。被害側の香川県、そして加害側の千葉県のグループが一緒になって活動を始めた。関東大震災から80年となった2003年。事件をしっかりと野田市の歴史として刻もうと、両グループが協力して慰霊碑を建立した。建立後は、県内外から慰霊碑を訪れる人たちに、現場を見せながら詳細を説明し、事件を伝え続けている。野田市の住民によると、慰霊碑があることで、事件について知らない人も知るきっかけになっているという。
 「多くの方々に、ただ知っただけではなくて、二度とこういうことを起こさないという人権問題として、100年前に起きたことであっても今現在にもつながる差別問題をしっかり見るためにも、このメモリーはあると思います。差別のない社会作り、人権尊重の社会作りにこの碑は大きな意味を持つ」。

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 ことし6月、注目の本が再版された。福田村事件について丹念な取材を重ねてまとめた、一冊の本だ。執筆したのは作家・辻野弥生さん。彼女がこの事件を知ったのは、地元の千葉県流山市で関東大震災について取材していたときだった。野田市のある住民から「調べてほしいものがある」と連絡があったという。

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 「野田の人が突然やってくきて、『こういう事件があるので、書いてくれませんか』と言われました。地元で事件のことはタブーで、『野田の人間にはあと50年は書けない』と」。
 事件の概要を聞き、関心を持った辻野さんはさっそく取材を始めた。しかし、いきなり壁にぶちあたった。事件に関する資料が乏しく、手がかりがなかったのだ。ほとんどが口頭での伝承であったため、活字で残っていなかった。
 「一番私ががっかりしたのが、活字も何も残っていなかったこと。その時は力が抜けましたね。どうやって調べようかと。でも同時に、たくさんの人に知ってもらうにはやっぱり活字で残す必要があると思いました。それでやっぱり書いておかなければならないと思いましたね」。
 わずかに残る当時の新聞記事を頼りに、現地に赴き取材を重ねていった。2013年に書籍化を実現する。そして関東大震災から100年にあたることし、改めて事件が注目され、本が再版された。辻野さんは今の時代にこそ、この事件のことをより多くの人に知ってもらう必要がある考えている。本の冒頭にはこのような辻野さんの思いが綴られている。
 「福田村事件も朝鮮人虐殺も、過去の不幸な出来事と片づけることはできない」。
 「今、違う形で、ネットの中で誹謗中傷を書き込んだりして人を死に追いやるようなこともある。竹槍のような武器が、ネットに代わってしまっている。この恐ろしさは、今の時代もある。活字にしておけば残りますからね。やはり刻んでおくことは大事です。決して歴史の闇に消えていかないよう、特に若い方にぜひ語り継がねばなりません。本を通じて、学んでもらいたい」。

 せっかく素晴らしいルポを作ったNHKだが、この後、災害時における流言飛語の問題として話をまとめてしまっている。今でも、テレビでは他国を一方的に誹謗中傷する言説が平然と流れている。憎悪と敵対を煽り続けているのは、あなたたち自身ではないのか。その自己批判なしにジャーナリズムの再生はあり得ない。
 100年前の事件を今なぜ見つめ直さなければならないのか。この映画に関心を持つ一人一人の市民に、闇の中を照らす一本一本の「たいまつ」を見る思いだ。