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2016年07月29日

仙人になれそうもない



 昨春、京大原子炉実験所を助教のまま定年退官し、「仙人になる」と長野県に転居した小出裕章さん(66)。「政治嫌い」の彼は何を語ったのか(『サンデー毎日』2016年7月17日号から)。

 日本列島には中部地方から関西、四国を通って九州南西部まで貫く中央構造線という巨大な活断層があります。小松左京さんのSF小説『日本沈没』(1973年)はその中央構造線が割れ、日本列島の南側が太平洋に沈んでいくストーリーですが、中央構造線は愛媛県・佐田岬半島の伊方原発のすぐ北を通ります。
 伊方原発の設置許可取り消し訴訟は1973年秋から始まり、私も住民側の証人になりました。同時に裁判と並行して、私は原発近くの海の泥の放射能汚染調査を始めたのです。地元には「磯津公害問題若人研究会」というグループがあり、漁民も参加していましたので、海の汚染を公表するのは勇気のいる選択でした。
 私たちの調査では、取水口側より放水口側のコバルト60の濃度がずっと高かった。四国電力が汚染水を流していても、県や四電の調査では一度も検出されない。彼らの測定機器は私たちのより精度が低かったのです。しかし、汚染結果を公表したため、さすがの四電も海へ流す放射能の量を減らすべく努力するようになった。けれど、私がかかわった伊方原発1号機に対する裁判は敗訴しました。
 ただし、福島第1原発事故を受け、2011年に新たな運転差し止め訴訟が起こされています。佐田岬の根元に位置する伊方原発で事故が起きれば、そこから先の住民は絶対に逃げられません。県は大分県へ船で避難することを想定していますが、海が荒れたら終わりなんです。
 原発を巡る裁判では14年5月、大飯原発3、4号機の運転差し止めを求めた訴訟は1審・福井地裁で勝訴した後、現在名古屋高裁で審理中です。再稼働した高浜原発3、4号機の運転を差し止めた仮処分決定に対する関西電力の執行停止の申し立ては今年6月、大津地裁が却下しました。決定の取り消しを求めた異議審も同じ裁判長の担当だけに、却下される可能性が高い。
 しかし上級審になるほど裁判所は体制寄りになるので、高裁まで行けば判断がどう変わるかはわかりません。司法も行政、電力会社と一体化して原発を動かす方向に流れる可能性が高いと私は思います。
 さらに原子力規制委員会が、高浜原発1、2号機について最長20年の延長稼働を認めたことは看過できません。田中俊一委員長は「耐用年数40年」との原則を定め、それを超えた認可は「例外」としたのです。ところが、例外とする確かな根拠もない。これでは原則を設けた意味がない。さすが“原子力ムラ”の住民で固めた原子力規制委員会と思うしかありません。
 福島原発事故では、科学者を含む“原子力ムラ”の住人は何を起こしても処罰もされないし、責任も取らずに済むということが図らずも証明されてしまった。もし、事故の責任を問われて刑務所に行くかもしれない、となったら誰も再稼働など指示できません。
 田中委員長は川内原発について「新基準に適合している」としながら、「安全とは申し上げない」と逃げました。どんな構造物も「ゼロリスク」はありえず、この言い方は技術を操る者としては当然です。けれど、「基準に合致した」と言えば、安倍首相に「安全性を確認した」と論理をすり替えられる。委員長の立場ならそのことは承知のはずですから、田中委員長は責任を逃れ得ません。
 一方で、「核のゴミ」の問題は全く進展がない。
 政府が考えている高レベル放射性廃棄物の地層処分、使用済み核燃料を地下に埋める方法はやってはいけません。地下で10万年、100万年と安定させなくてはならず、それを保証できる科学は存在しない。「じゃあ、どうするのか」と問われたら、「わからない」と答えるしかない。そもそも自分で始末できないゴミを作ることが間違い。これ以上、ゴミを出さない決断をして、既にあるゴミの処理を考えるべきです。
 現状では、地上にコンクリートで保管する乾式キャスクしかないと思います。容器の蓋(ふた)はパッキンで封印されますが、劣化して放射性物質が漏れる。頻繁にパッキンを交換すれば、取り換え作業で被曝(ひばく)労働が増えてしまう。それでも、地下に埋めて目に触れなくする方がよほど怖い。常に監視できる状態に置くべきです。
 参院選が公示されましたが、政府の閣議決定によれば、30年時点での原発依存度が20~22%。実現するには、現在停止中の原発を全て再稼働しても足りない。必然、新規増設となります。それなのに原発が争点になっていないのは残念です。
 敗戦から4年後に生まれた自分は「戦後世代」と思っていましたが、昨年7月に安全保障関連法が可決、成立するなど、今の日本は「戦前だ」と気付きました。近いうちに日本が戦争に引きずり込まれるのではという危機感があります。
 俳人の金子兜太(トウタ)さんや作家の澤地久枝さんの呼びかけで毎月3日、JR松本駅前で「アベ政治を許さない」というポスターを持って立ち、「戦争反対」「原発反対」を訴えています。退官する際、「(俗世間と離れた)仙人になりたい」と言いましたが、簡単にはなれません。
 福島原発事故の収束も見えない中、原子力で生きてきた私には重い責任がある。「私でなければ」という仕事を厳選し、やれることはやっていきたい。 「簡単に仙人にはなれません」
  


Posted by biwap at 06:22辛口政治批評

2016年07月28日

都会人のあこがれ

道草百人一首・その84
「夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く」(大納言経信)【71番】


 源経信(ミナモトノツネノブ)。正二位大納言にまで昇進したので、大納言経信と呼ばれる。子が百人一首74番・源俊頼(ミナモトノトシヨリ)、孫が百人一首85番・俊恵法師(シュンエホウシ)。直系男子三代が百人一首に名を連ねている。
 この歌は、源師賢が所有する梅津(現在の京都市右京区梅津)の山荘に貴族たちが招かれた時に行われた歌会で披露されたもの。お題は「田家ノ秋風」。貴族たちは都の山里に別荘を作り、「田舎趣味」を楽しんだ。
 「夕方になると、家の門前にある田んぼの稲の葉にさわさわと音をたてさせ、芦葺きのこの山荘に秋風が吹き渡ってきた」
 「芦のまろや」は、「葦で屋根をふいた粗末な家」のこと。豪華な別荘は情景にそぐわないのだろう。田舎暮らしにあこがれる都会人のように、未知の世界には美しき思い込みがつきもの。現実の「自然」は、なかなか手ごわいのだが。
  


Posted by biwap at 06:17道草百人一首

2016年07月26日

NHK解体劇場


 『NHKは完全にアンダーコントロールされています。安心して政府広報放送をお楽しみください』
 
 かねてからNHKを反日的な偏向報道と批判してきた「安倍晋三と仲間たち」。2013年、NHK経営委員に「仲間たち」4人を起用。その一人。
 「すごくいいことを思いついた!もし他国が日本に攻めてきたら、9条教の信者を前線に送り出す。そして他国の軍隊の前に立ち、『こっちには9条があるぞ!立ち去れ!』と叫んでもらう。もし、9条の威力が本物なら、そこで戦争は終わる。世界は奇跡を目の当たりにして、人類の歴史は変わる」(百田尚樹)
 他に、埼玉大名誉教授・長谷川三千子、海陽学園校長・中島尚正、JT顧問・本田勝彦。
 百田氏の作品は首相も愛読、雑誌で対談するなど親交も深い。本田氏は首相の元家庭教師。長谷川氏はウルトラ保守派論客。中島氏が校長を務める海陽学園は、首相に近いJR東海会長の葛西敬之氏が創設。あまりに露骨な人事に、「自らが信頼し、評価している方にお願いするのはある意味では当然だ」と官邸は開き直った。
 NHK人事の裏に安倍ブレーン・葛西敬之氏の存在。葛西氏は、経済人団体「四季の会」のリーダー。2007年に経営委員長に任命された古森氏も、2013年の本田勝彦氏も、「四季の会」のメンバー。葛西氏は、戦前のように、日本を率いるエリートを養成する学校を創るべきだとして海陽学園を創設。その海陽学園の校長が中島尚正氏。
 この人事案の前、安倍首相は葛西敬之氏とゴルフ。産経新聞は「NHK幹部によると、葛西氏は、最近、NHKの報道姿勢への批判を幹部や経営委員の一部に伝えているといい、今回の経営委員人事は会長交代に向けた布石との見方も出ている」と正直に書いている。
 こうして2014年、NHK新会長に籾井勝人氏就任。「私の任務はボルトやナットを締め直すこと。放送法を順守しながらいろいろな課題に取り組んでいく」「(従軍慰安婦について)戦争をしているどこの国にもあった」「政府が右ということを左というわけにはいかない」と述べた。
 籾井勝人、福岡県出身。三井物産に入社し、主に鉄鋼畑を歩んだ。安倍首相の盟友・甘利経済再生担当大臣とは旧知の仲。安倍陣営の意向を汲んだ放送運営が始まり、番組制作のスタッフにも有形無形の影響力や圧力が及んでいく。
 「安倍晋三と仲間たち」は、NHKの最高意思決定機関である経営委員会に自分たちと同じ超保守的な思想の持つ主を次々と送り込み、ついには「政府が右ということを左というわけにはいかない」と言い放つ人物をNHK会長に据えた。かくして、NHKは政府広報放送と化した。しかし、現実はまだまだそんな甘いものではなかった。続編。
 2016年6月29日、朝日新聞。「NHKの経営委員会は28日、新たな経営委員長にJR九州相談役の石原進氏を選んだ。来年1月に任期満了を迎えるNHK会長の選考がこの夏から本格化するほか、巨額の費用を見込む東京・渋谷の放送センター建て替えなどの経営課題を抱えるNHK。そうした決定に大きな影響力を持つ今回の委員長選びにあたって、経営委は政権・与党との円滑な意思疎通を重視したと見られる」
 NHK経営委員長に就任した石原進氏。改憲を目指す超保守団体「日本会議」の地方機関「日本会議福岡」の名誉顧問。原子力利用を促進する「原子力国民会議」の共同代表でもある。
 思わず言葉を失いそうになるが、NHKの中にも「ジャーナリストとしての使命や意地」は、きっとあるはず。権力や利権から独立した真の公共放送の姿に立ち返ってほしい。NHK受信料は暴走権力への寄付金ではないのだ。
  


Posted by biwap at 08:31辛口政治批評

2016年07月25日

消された『あまちゃん』


 事実とすれば、これこそまさに現代の「縮図」 ネット記事を要約してみた。

<能年玲奈。独立したいとする彼女に対し、所属事務所・レプロエンタテインメントは徹底的に仕事を干し上げ、飼い殺し。芸能マスコミを使って「演出家・演技トレーナーの滝沢充子氏に能年が洗脳されている」という情報をリーク。レプロは“芸能界のドン”バーニングプロの周防郁雄社長がバックについていることから、芸能マスコミも、その情報に乗っかって、能年に対するバッシング報道を繰り広げてきた。
 口火を切ったのは「週刊女性」。「能年玲奈、引退へ」と打ち、演技指導の滝沢氏の“洗脳”によりマネージャーに罵詈雑言を浴びせるなど能年の態度が変化。事務所が新しい仕事を入れようとしても拒否するなど暴走、いまも滝沢氏と同居しており、洗脳状態にある……などと能年側の非を一方的に書き立てた。
 この報道を受け、スポーツ紙、ワイドショーは一斉に能年バッシングを展開。5月24日放送『ミヤネ屋』。宮根誠司が「芸能界はもちろんなんですけども、他の一般の会社にしてもそうですけども、事務所に内緒で自分で事務所を無断で作るというのは、これはひとつのルール違反ではありますよね。おそらく契約もあるでしょうし」と、ヤクザまがいの“芸能界の論理”を盾に能年を批判。
 『直撃LIVE グッディ!』。「週刊女性」の記者を登場させ、能年と滝沢氏の現在の関係についてこう解説してみせた。「演出家の女性といま一緒に暮らしていまして、生活も、本当に仕事をこういう風に受ける受けないみたいなのも、どうも演出家の女性の言うことを聞いていると。我々の取材によると、能年さんの親も娘さんのことを心配して、『大丈夫なのか』と。『本当に一緒にいていいのか』みたいなことを説得したようなんですけども、彼女としては親の言うことも聞かないというか、そういうことにも耳を貸さず、現在も一緒に演出家の女性と生活しているって感じですね」
 これに対し、能年玲奈の母親が週刊誌で真っ向から反論。「そもそも『週刊女性』の人から今回取材は受けていないですし、どうしてこんなことを言われるのか、分からないですね。まず私は、玲奈が事務所を離れたいと思うならその気持ちを尊重したい。現に玲奈とはちゃんと連絡が取れています」「玲奈はマンションで一人暮らしをしています。滝沢さんにはご自宅もありますし、同居なんてとんでもない」「(滝沢さんの言いなりで、新しい仕事を能年が拒否したというのは)そんなことないと思います。だって自分が一番、演技の仕事をしたいのにね。前に『絶対に玲奈は洗脳されへん。支配されるのは嫌いやもん』って言ってました」「本当に酷い。関西ローカルの番組でも、好き放題言われてます。玲奈が弱いものいじめに遭っているように見えて、でもどうにも助けてあげられへんのが可哀そうで」
 これに対し、能年バッシングをやってきたワイドショー。『グッディ!』『ミヤネ屋』はもちろん、『スッキリ!!』も『とくダネ!』も『ひるおび!』も『白熱ライブビビット』も、1秒たりともこの反論を放映しなかった。大手事務所のお墨付きがあれば、あることないことを書き立て、犯罪者のようなバッシング報道を展開するくせに、その意向に反した記事は、どんな話題性のある問題でも報道せず、黙殺してしまう。ワイドショーの偏った姿勢、腐った体質がモロに出た形だ。
 能年玲奈は、所属事務所レプロエンタテインメントとの契約が終了したことを機に、芸名を変えて再出発しようとした。誰もが面食らった「のん」という芸名。だが、その裏には。
 契約が終了する間近の6月下旬、レプロから能年側に文書が送付されていた。契約が終了しても「能年玲奈」を芸名として使用する場合には、レプロの許可が必要というものであった。
 契約書〈乙がこの契約の存続期間中に使用した芸名であって、この契約の存続期間中に命名されたものについての権利は、引き続き甲に帰属する。乙がその芸名をこの契約の終了後も引き続き使用する場合には、あらかじめ甲の書面による承諾を必要とする〉。
 「甲」はレプロ、「乙」は能年玲奈。しかし、「能年玲奈」は本名である。芸名ならまだしもこれが本名に適用されるのは不可解だ。だが、能年側は、レプロのこの要求を呑んだ。「能年玲奈」という名前を使い続けることで、もしも裁判などになれば、今度は一緒に仕事をする相手に迷惑がかかることを危惧したからだ。
 レプロは文書でコメントを発表。2015年1月から今年6月までの期間は能年側が仕事や話し合いを拒否していたため契約不履行とみなし、その分の契約延長を申し入れているため、まだ契約は終了していないと主張。さらに、能年が改名して活動を再開したことに関し、同社は法的対処も含め検討しているとした。
 能年玲奈という女優のキャリアは、常にレプロ=バーニングからの嫌がらせが付きまとい続けてきた。出世作『あまちゃん』出演時には、ハードスケジュールを乗り切らなくてはならない朝ドラの撮影にも関わらず事務所からのサポートは手薄。そのうえ当時の月給はたったの5万円。
 阿川「資料によると、『あまちゃん』の撮影の時は洗濯する時間もないし、給料も月に五万円でお金がなかったって話がありましたけど……」
 能年「きゃー恥ずかしい! 財布の中に一円玉しか入ってない時がありました。洗濯が間に合わないから、明日着ていく下着もないような時がありまして。マネージャーさんも新人の方で忙しくされてるし、泣き言を言って怒られたことがあったので、相談しちゃ駄目だと思ってたんです……」 
  阿川「エーッ! NHKの朝ドラのヒロインだよ! 普通は事務所が万全のケアをするもんなんじゃないの!?」
 能年「うーん、それはわからないですけど……。そんな時に演技のレッスンをしてくれた滝沢充子先生が助けてくれて」
 『あまちゃん』でブレイクした有村架純が次々と話題作に出る一方、『あまちゃん』後に能年が出演したのは映画2本とオムニバスドラマ1本のみ。事務所からまともに仕事を回してもらえず生殺し状態に。
 能年と事務所の関係は悪化。いよいよ彼女に独立の機運が立ち始めると、レプロ側はメディアを使いネガティブキャンペーンを展開。「彼女が演出家・演技トレーナーの滝沢充子氏に洗脳されており、マネージャーに罵詈雑言を浴びせるなど態度が変化。コントロールが利かなくなっている」などと報じさせた。
 そして、契約終了がいよいよ目前に迫った今年5月。「週刊女性」に〈能年玲奈事実上芸能界を引退へ〉などと報じさせ、スポーツ新聞やテレビのワイドショーにもこの記事を大きく取り上げさせた。そして、前述の事態へ。
 テレビへの圧力は徹底して行われ続けた。その結果、なんと、能年が過去に出演した作品を資料映像として流すことすら出来なくなってしまった。『あまちゃん』脚本家・宮藤官九郎はこんな苦言を呈している。
 〈そう言えばトーク番組で『あまちゃん』の話題になり懐かしい映像が流れたのですが、映像使用の許諾が取れなかったのか、アキ(能年玲奈さん)がワンカットも映ってなかった。代わりに前髪クネ男(勝地涼くん)がガッツリ映ってて笑った。あまちゃんは能年さんの主演作ですよ、念のため 〉
  


Posted by biwap at 06:11

2016年07月23日

この素晴らしき世界



 選挙が終われば牙をむいた!「田中龍作ジャーナル」より
<足立、多摩、習志野、柏、久留米、横浜、福岡…。暗闇に見慣れないナンバープレートが浮かび上がる。機動隊の警備車両、通称「かまぼこ」と呼ばれる大型車両が続々と全国各地から沖縄県北部に結集してきた。もう数え切れない。
 他府県から500人を超える機動隊員が一気に島に乗り込んでくるなど前代未聞のこと。これは間違いなく日本の沖縄の、いや日本の歴史に残る汚点になるだろう。
 沖縄本島北部の過疎地、東村の高江集落はわずか160人足らず。間もなく、国が米軍のためにオスプレイも使う新しいヘリパッドの工事に着手する。
 2007年から粘り強い反対運動が続いてきたが、国は今度という今度は、圧倒的な腕力で基地に着工しようとしているのだ。しかし、この山の中で座りこむ人の数など数十人、緊張が高まっている今日現在でも150人くらいのものだ。
 辺野古のゲート前に比べてもかなり小規模な座り込みだ。そこに他府県から500人の機動隊員。沖縄県警とあわせると800人規模とも、1000人規模になるとも報道されている。
 150人の非暴力の市民を相手に1000人の機動隊部隊。どう考えても常軌を逸している。
 夜がやっと白み始めた午前5時30分。機動隊の第一陣がゲート前になだれ込んで来た。あれよあれよ という間に増派されていき、30分も経たぬうちに300人位にまで膨らんだ。
 機動隊は座り込んでピケを張る反対派住民を次々とゴボウ抜きしていった。住民の次はゲート周辺に停めているマイカーの排除だ。機動隊はマイカーをジャッキ付きの荷車に乗せて一台一台移動させていった。
 援軍が駆け付けようにも不可能だ。警察はゲートの4㎞手前から道路封鎖した。タクシーさえも通れない。すべての交通を遮断した。反対派住民は孤立無援となった。
 反対派の街宣車2台が10年前からゲートに横付けされヘリパッド建設資材・機材の搬入を阻んでいた。反対派にとって最重要の砦だ。だが砦をガードしていたマイカーも住民も排除された。
 砦は裸同然となった。2台の街宣車の屋根に乗る反対派は、合わせて約10人。彼らはロープで自らの体と街宣車をつないだ。
 機動隊は間髪を入れず攻め込んだ。街宣車の屋根によじ登り反対派の排除にかかった。高さ2メートル以上ある街宣車の屋根から落ちれば大ケガは免れない。


 「危ないから止めて」。屋根から逆さに落とされそうになった女性が悲鳴をあげた。機動隊は一向に気に留めなかった。首を絞められる男性もいた。


 大量の機動隊が投入され、ゲート前の県道70号線は屈強な男たちで埋め尽くされた。


 午前10時20分。反対派のリーダーである山城博治・沖縄平和運動センター議長がマイクを握った。山城議長は「これ以上機動隊の暴力に晒されたくない。今日はこれでここを出る」と一時撤退を宣言した。辺りは静まりかえった。
 反対派弁護士の小口幸人氏は「法律がないのに警察は思うがままにしている。戒厳と同じ。県はこんなことをする気がないのに」と指摘した。
 現場の道路は県道70号線で管理者は沖縄県だ。街宣車を停めているのは道路から外れた路肩だった。県道封鎖についても正当な法的根拠はない。
 「警察の上(官邸)が命令を出せばそれがルールになる。治安維持のためならそれがルールになると思っている」。小口弁護士は喝破した。
 治安維持のためなら首相に大権が与えられ、個人の権利を制約できる。道路封鎖を決めたのは官邸だという。
 「(強制排除について)一切説明はなかった。問答無用の安倍政権を象徴している」。山城議長の言葉が事態を的確に表していた。>

 「美しい国日本、この素晴らしき世界」
  “WHAT A WONDERFUL WORLD”
  https://youtu.be/p5fNtpizsPI
  


Posted by biwap at 06:09

2016年07月21日

消された遺言


 「何故戦争がいけないか。戦争が始まると、すべての優先順位は無視され、戦争に勝つことが優先される。昔から『人ひとり殺せば犯罪だけど、戦争で何人も殺せば英雄になる』と言われてきた。特に日本国は危ない。民主主義、個人主義の発達した欧米では、戦争になっても生命の大事さは重視される。捕虜になって生きて帰ると英雄と言われる。日本では、捕虜になるくらいなら、自決しろと教わった。いったん戦争になったら、日本では一般の人は、人間として扱われなくなる。それなのに安倍政権は、この国を戦争のできる国にしようとしている」
 「僕は、ポピュリズムの権化のような安倍首相をまったく信用しない。本当にやりたいのは憲法改正であり、日本を『戦争ができる国』に変えることでしょう。実際、ニコニコして、口当たりの良いフレーズを並べておきながら、国民の過半数が反対した特定秘密保護法を強引に通してしまった。法衣の下に鎧を隠しているような男の言動にだまされてはいけません」
 「『戦争とは、爺さんが始めておっさんが命令し、若者たちが死んでゆくもの』。これは大林素子さんの力作『MOTHER 特攻の母 鳥濱トメ物語』の中で、特攻隊長が、出撃してゆく隊員に、『戦争とは何か』を告げるセリフであった。
 現在にたとえれば、『爺さん』は、尖閣諸島の国有化のタネをまいた石原慎太郎維新の会共同代表だろう。『おっさん』は当然、“国防軍”を平気で口にする安倍晋三首相である。彼らはおそらく死なない筈だ。扇動したり、命令したりするだけで、自分達は安全なところに居る。前の戦争の時もそうだった。そして実際に死んでゆくのは、罪もない若者なのだ。それを知っていたからこそ、9条改正に6割以上の若者が反対しているのである。おそらく前の戦争のことは、学校で教わったに違いない。安倍政権は、この“教育”さえも改悪しようとしている。怖ろしい企みである」
 「今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません。だが今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずな事が連日報道されている。書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです」
  


Posted by biwap at 06:13

2016年07月20日

旅の歌枕

道草百人一首・その83
「嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり」(能因法師)【69番】


 漂泊の歌人・能因法師(ノウインホウシ)。生まれは摂津国古曾部(現高槻市)。大学で詩歌を学び文章生となるが、26歳の時に出家。日本各地を旅する。和歌の題材とされた名所旧跡を「歌枕(ウタマクラ)」と言う。能因法師はこれを求めて旅した「歌枕マニア」。
 さて、この歌。「三室の山」は奈良にある「甘南備山」(カンナビヤマ=神の住む山)。「龍田の川」は、三室の山の麓を流れる川で紅葉の名所。どちらも代表的な「歌枕」。
 山風が吹いて三室山の紅葉が吹き散らされた。その紅葉が竜田川の水面に集まり、錦のような美しさを作りだしている。
 山と川を時系列に対比させた、ゴージャスでビジュアルな表現。さすが能因。
  


Posted by biwap at 08:45道草百人一首

2016年07月18日

明日へ


 女性プロデューサー、女性監督、女性主人公、キャストもほとんど女性という社会派映画「明日へ」(2014年)。2007年、韓国で実際に起きた事件をもとに、過酷な労働環境の中でたくましく生きる女性たちの姿を描いている。ハリウッド大作がスクリーンを占拠する中、異例の興行成績を収め、大きな支持を集めた。
 大手スーパーマーケットのレジ係ソニ。夫は出稼ぎ。苦しい家計の中、家族のため懸命に働き、2人の子供を育てている。上司の嫌みや悪質なクレームにも我慢し、ようやく正社員への昇格が決定。しかしそんなある日、会社は現場の業務を外部に委託。非正規雇用者たちに解雇通達が下された。パートの女性たちは力を合わせて労働組合を結成。強大な企業を相手に解雇撤回の闘いを始めた。


 韓国では、非正規雇用が全労働者の45%を占め、その半数は女性。格差社会、ワーキングプア。そうした社会問題に、ストレートに真正面から切り込んだ。たくましく生きる女性たちの姿が感動的だ。過酷な現実や苦悩を抱えながらも、凛としてそれを乗り越えようとする力がこの国の社会にはあるのかもしれない。


 修学旅行中の高校生らを死なせたセウォル号沈没事故。多くの市民が抗議集会へ参加。日本では伝えられなかったことがある。彼らの怒りは、金儲けのためには人命をかえりみない「強欲経済」に向けられていたのだ。労働組合を既得権益の権化と揶揄する橋下型ポピュリズムのわが社会。果たしてそれは健全な姿なのだろうか?
 女性監督プ・ジヨン初の商業映画。原題は「カート」。
  


Posted by biwap at 12:35KOREAへの関心

2016年07月16日

天皇の護憲


 明治維新。天皇を討幕のための手段=「玉(ギョク)」と呼んだ志士たちは、この「玉」を「現人神(アラヒトガミ)」に仕立て上げた。国教としての「国家神道」の成立。皇室の祖先である天照大神を最高神とし、それ以外の信仰は弾圧されていく。小学校に天皇の写真(御真影)を祀り、神として最敬礼すること、天皇のために命を捧げることが強制された。教育勅語を教典とし、国粋主義の教育が国民を教化した。
 行きつく先は、「八紘一宇」(天皇の威光を世界の八方に拡げ一つの家にする)を旗印にした「聖戦」という名の侵略戦争。天皇の名の下に一切の自由は抑圧され、民衆は赤紙一枚で戦場へ駆り立てられた。この国家体制を支えたのが大日本帝国憲法。第1条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」、第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」。日本を戦争へ暴走させた原因は、まさにここにあった。
 日本国憲法第1条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」。戦前の天皇と戦後の天皇は全く別のものだと言っている。天皇は神ではなく人間であり、国民は主権者であり臣下ではない。しかし戦後の歴史は、この自明の原則が一つ一つ崩されていく過程でもあった。
 謎だらけの明仁天皇「生前退位の意志」。しかし、そこには大きな意味が隠されている。戦後民主化の中、きちんと清算されなかった封建遺制の数々。生前退位の禁止、女帝の禁止、一世一元の制(一人の天皇が一つの元号を持つ)。いずれも明治期天皇制絶対主義の時代につくられたものだ。
 「万世一系」の男性血統を国家の基軸に据え、天皇を現人神と位置づける以上、途中で降りることなどありえない。明治憲法の真髄ともいえるこの終身制をひっくり返し、生前退位を打ち出したのだ。天皇が生前に退位するということは、天皇は国家の「役職」にすぎないということを示す。役職だから、時期が来たら自分の意志で退位できる。役職を果たせなくなったら交代する。現憲法では当たり前の考え方だ。だがそうなれば、天皇を現人神に担ぎ上げ、国民支配のイデオロギーに利用することは難しくなってしまう。
 明仁天皇は、日本国憲法の精神に沿った新しいかたちの皇室作りを目指しているのかもしれない。小泉政権時、女性・女系天皇が検討されたのも、自分の陵墓を縮小し、埋葬を土葬から火葬へ切り替えたいという希望を表明しているのもその表れである。
 2004年、園遊会の席上、東京都教育委員が「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけた際、天皇は「強制にならないことが望ましい」と述べている。天皇を政治利用しようとする人たちの異様さに比べ、その感覚はバランスを保っている。
 改憲をもくろむ「安倍晋三と仲間たち」。その究極の目的は、戦前の「強く美しい国」日本。まさに、明仁天皇が脱却を目指した「そのもの」である。
  


Posted by biwap at 06:51

2016年07月15日

祇園祭の伏流

<牛頭天王と蘇民将来・その8>


 祇園祭は、明治までは「祇園御霊会」と呼ばれた疫病退散の祭りである。平安時代、円如と云う僧が播磨国広峰から「牛頭天王」を遷して祀ったのが現在の京都八坂神社。牛頭天王がインド祇園精舎の守護神だとされたため、「祇園社」と呼ばれた。


 牛頭天王は疫病を防ぐ神とされるが、その由来は次のようなものだ。牛頭天王は須弥山中腹の豊饒国の武塔天王の太子で、竜王の娘を妻問いに行く旅の途中、宿を求めた。弟の巨民将来は断ったが、兄の蘇民将来は牛頭天王をもてなした。帰途、牛頭天王は巨旦将来の一族を皆殺しするが、兄の蘇民将来にはこう言った。「あなたの子孫にこう伝えなさい。もし後世に疫病が流行ることあらば、『私は蘇民将来の子孫である』と名乗って、茅の輪を腰に巻きなさい。されば疫病から免れ得るであろう。」


 このときの護符になった茅の輪は「茅」を束ねて「巻」いたもの。そこで「茅巻(チマキ)」と呼ばれ、それが同じ発音の「粽(チマキ)」となり、束状の粽が厄除けのお守りとなった。粽には「蘇民将来子孫也」という護符がつけられている。各地で行われている「茅の輪くぐり」も、これに由来する。


 牛頭天王信仰が、どのような人たちによって、どのような過程を経て、民衆の中に広まっていったかについては明らかでない。2001年には、長岡京の発掘現場から「蘓民将来之子孫者」と墨書された木簡が出土している。平安時代前の長岡京時代には、すでに牛頭信仰のあったことがわかる。疫病を防ぐ強い霊力を持つとされる牛頭天王。その信仰は、平安時代末期から中世にかけて燎源の火のように広まっていった。牛頭天王を祀る神社が数多く現れる。その多くは従来からの社に牛頭天王を併祀した。それがいつの間にか、それまでの祭神を押しのけ、牛頭天王が主祭神の座を占めるようになっていった。


 明治維新後、一大宗教改革が行われた。廃仏毀釈、神仏分離、国家神道への統合。牛頭天王を祭神としていた神社は、祭神をスサノオ神に変えるか、祭神の中から牛頭天王を除外した。社名を牛頭天王社としていた神社は、素盞鳴命神社、須賀神社、八坂神社などと名を変え、あるいは旧来からの社名に戻した。京都の祇園社も、その名を八坂神社と改め、祭神をスサノオ神に変更した。
 それでも、千数百年の歴史を持つ民衆信仰の伏流は断ち切れなかった。町家には今も「蘇民将来」の札が掲げられている。

  


Posted by biwap at 15:46牛頭天王と蘇民将来