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2016年09月29日

僕たちのヒーロー


 力道山をはじめ、自らの出自が明らかになることに怯え苦悩した人たちがいた。朴一『僕たちのヒーローはみんな在日だった』(講談社)及びLITERAXの記事から要約。


 松田優作。1949年、下関で生まれる。母かね子は、朝鮮半島からやってきた在日コリアン一世。優作は母が36歳の時に不倫した相手との間にできた子。彼の父親は優作が生まれる前に姿を消し、かね子は駄菓子や雑貨を売るよろず屋を営んでいた。それだけで家族を養っていくことは難しく、店の二階を娼婦に貸し出し、上がりの一部を受け取って家計の足しにしていた。
 複雑な生い立ちを抱えていた優作。家が女郎屋で劣悪な生活環境にあったことはインタビューでも隠すことなく語っていたものの、自分が金優作という名をもつ韓国籍の在日コリアンだということはかたくなに隠し通していた。それは、「松田は朝鮮人だから付き合うな」などと言われた学生時代の経験から。貧乏だった過去はファンから受け入れられても、生い立ちに関しては受け入れてもらえないだろうという確信があったからだ。生い立ちを知られたら周囲の人々は自分のもとから去っていってしまう。その強迫観念は優作の心を縛っていく。
 60年代後半、文学座に入団。本格的に演技の勉強を始めたころ、後に最初の妻となる松田美智子と同棲生活を始める。その時、優作から美智子に告げられた衝撃的な一言。「本当のことを知れば、お前は俺から逃げていく。絶対に逃げる」
 優作は美智子に自分が在日コリアンであることを告げていなかった。自分の恋人に生まれを明かすことができない。それほど差別意識の強い時代だったのだ。美智子の親族による身上調査の結果、後に美智子は優作の過去を知ることになる。だからといって優作との関係を終わらせることもなく、同棲生活は続いていった。
 その後、優作はスターへの階段を順調に昇っていく。そんななか、優作は美智子に「どうしても、帰化したい。協力してくれ」と頼み込んできた。それまでも帰化申請を行ったことはあったが、母親が風俗関係の仕事をしていたことなどで受け付けてもらえなかった。美智子の家の養子となる道を選べば日本国籍を取得できるかもしれない、彼はそう考えたのだった。俳優として活動し続けるためには、在日であるというルーツを捨てることがその時代どうしても必要だった。少なくとも、彼はそう考えていた。
 帰化に際しては膨大な資料を用意しなければならない。そのなかで彼が最も力を入れて書いた「帰化動機書」を読めば、その当時の差別意識の強さ、そして、その差別に優作がどれだけ追いつめられていたかがよく分かる。
 「僕は今年の七月から日本テレビの『太陽にほえろ!』という人気番組にレギュラーで出演しています。視聴者は子供から大人までと幅広く、家族で楽しめる番組です。僕を応援してくれる人たちも沢山できました。現在は松田優作という通称名を使っているので、番組の関係者にも知られていませんが、もし、僕が在日韓国人であることがわかったら、みなさんが、失望すると思います。特に子供たちは夢を裏切られた気持ちになるでしょう」


 都はるみ。1948年、在日韓国人の父と日本人の母との間に生まれる。1969年11月に発売された『週刊平凡』で母の北村松代が娘の出生についてカミングアウト。「朝鮮人と結婚したため、若いときからひどい差別と蔑視を受けてきた。世間を見返すためにどうしても娘を人気歌手に育てねば」と語った。この記事は思った以上の大きな反響を呼んだ。しかし、このまま発言を続けると歌手としての娘のキャリアが絶たれてしまうと判断した母はそれ以降取材をすべて断った。都はるみ本人も、そのことについて口を開くことはなかった。
 そうしてこの話題はいったん沈静化したものの、当時はまだまだ差別意識の色濃い時代。カミングアウトから7年後の1976年に都はるみが『北の宿から』でレコード大賞を受賞したとき、「都はるみの父は日本人ではない。そんな人が賞を取っていいのか」(『週刊サンケイ』)といったバッシングがメディア上で展開される。都はるみはその歌手人生を通じて差別意識に苦しめられることになる。


 劇作家つかこうへいも差別意識に苦しめられた著名人の一人。韓国出身の父のもとで在日コリアン二世として福岡で生まれ育った。
 「僕は表向き、差別なんてされたことはないよ、と言うことにしているんですが、実際はかなりありました。特に福岡県の場合、あのころは韓国が『李承晩ライン』というのを設定してそれを越えた日本の漁船をどんどん拿捕していたころですし、筑波炭坑の坑夫たちは気も荒かったですから、かなり激しい差別がありました。拿捕のニュースが新聞に出た日などは、学校に行きたくないと思った程です」
 そんな少年期の思いが、『蒲田行進曲』のヤスなど、後のつかこうへい作品に社会的弱者のキャラクターが多く登場することにつながっていく。「常に社会の底辺のところで頑張って生きている人に生きがいをもってもらいたい、光を当てて励ましたい」
 こうした著名人たちの体験は、当時の在日コリアンがいかに苛烈な差別にさらされ、そのことに苦悩してきたかを示している。こうした空気は1990年代後半に入ると、少し薄らいでいく。自分の生まれに関して負い目や苦しさを感じることはなく、むしろ、そのことに誇りをもつ世代が登場してきた。


 俳優の伊原剛志。2001年に『徹子の部屋』に出演した際、自分は在日韓国人三世として生まれたことを明かした。さらに、翌年には『日韓友好スペシャル 日本と韓国・愛と哀しみの衝撃実話』という番組に出演。青年時代を過ごした大阪市生野区の在日コリアン居住区を旅し、番組のなかで自分の家族やルーツについて振り返った。松田優作らが差別に苦しんだ時代では考えられなかった仕事だが、この番組に出演した後、伊原はこう語る。
 「私にとって、自分が何人ということよりも、役者だということのほうが大事なんです。役者は、自分がどういう存在かを知っていないと成り立たないと思う。だから日本人も韓国人も客観的に見れる自分の立場というのは、役者をやるのにかえっていいことだと思っていますよ」


 俳優の玉山鉄二も同じく自らの出自にプライドをもっている芸能人だ。2006年にソウルで開催されたメガボックス日本映画祭に出席し、父親が韓国人であることを明かした。彼は「機会があれば韓国で活動したい」と話すなど、日本と韓国の映画界の橋渡しの役割を担っていく意向も語っている。
 こうした在日の著名人たちの勇気あるカミングアウトもあって、一時はそのまま差別はなくなっていくように見えた。しかしその後、時代を逆行するように差別意識は急激な高まりを見せる。もしもいま、伊原や玉山のようなカミングアウトを行えば、その時点でネトウヨによる罵詈雑言の餌食となり、芸能人としての人気も危ういものとなるだろう。





 嫌韓ブーム、在特会やネット右翼によるヘイトスピーチ、安倍政権発足後の日本全体を覆う排外主義的空気。いまや、力道山や松田優作が自分の出自が明かされることに恐怖し、苦しんだ時代にまで戻ってしまっている。
 差別がいかに残酷で人を追いつめるか。その凍りつくような空気の中に生きることは、差別する人もされる人も、いやそこに住むすべての人々の心すら深く傷つけていくのだ。  


Posted by biwap at 06:36KOREAへの関心

2016年09月27日

鳴くまで待ったホトトギス

道草百人一首・その90
「ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明の 月ぞ残れる」(後徳大寺左大臣)【81番】


 ホトトギスが鳴いた方を眺めやれば、ホトトギスの姿は見えず、ただ明け方の月が淡く空に残っているばかりだった。それがどうしたと、ツッコミが入りそうなので少し補足。
 ホトトギスは、3月から5月にかけて日本に渡ってくる。季節の訪れを象徴する鳥として「夏を告げる鳥」「時鳥」などと呼ばれる。雅を愛する平安貴族たちにとって、ウグイスのように詩的で魅力的なものだった。特に山の鳥の中で朝一番に鳴くといわれるホトトギスの第一声(初音)を聴くのは非常に典雅なこと。
 夜を明かして待ち続けた。ホトトギスは動きが速く、こちらと思えばまたあちら、と移動する。「ホトトギスの初音だ」と振り返った瞬間、もうそこにはホトトギスはいなかった。夜明け前の月がぽっかり浮かんでいる情景がいっそう風雅だ。
 後徳大寺左大臣(ゴトクダイジノサダイジン)。本名、藤原実定(フジワラノサネタダ)。百人一首の撰者、藤原定家のいとこ。祖父も徳大寺左大臣と称されたので、区別するため後徳大寺左大臣と呼ばれる。平安時代末期、平氏が栄えた頃の人。
 ホトトギスの声を聴くためだけに徹夜するなんてのどかな情景だが、貴族の世はもう崩壊寸前だった。武士の世を告げる初音?
  


Posted by biwap at 06:14道草百人一首

2016年09月25日

シンプルこそ美しい

道草百人一首・その89
「秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ」(左京大夫顕輔)【79番】


 秋風にたなびいている雲の切れ間から、漏れ出てくる月光の、なんという澄みきった明るさだろう。
 藤原顕輔(フジワラノアキスケ)。正三位左京太夫にまで昇進し「左京大夫顕輔」。父・藤原顕季(アキスエ)は摂関家並みの勢いを持ち、歌道の「六条家」を興した人物。藤原定家の父・藤原俊成が興した御子左家(ミコヒダリケ)とはライバル関係。御子左家が芸術至上主義で、「幽玄」かつテクニカルであるのに対して、六条家は無技巧で淡々としたスタイル。
 この歌もこれといった技巧はなく、見て感じたものをシンプルに歌っているだけ。ストレートで格調高い。やはりシンプル・イズ・ベストというべきか。ドロドロよりサラサラの方が、かえって深い余情が伝わるものかもしれない。これと対極なのが、絶大な権力を握った藤原道長の歌。「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることの なしと思えば」。
 人間、何事も、こね繰り返し、やり過ぎて、失敗することの方が多いようだ。
  


Posted by biwap at 06:28道草百人一首

2016年09月23日

総統閣下はお怒りのようです


 総統閣下シリーズ。映画「ヒトラー 〜最期の12日間〜」に嘘字幕をつけたもの。一説によると、“総統閣下が相当かっかしている”さまから付けられたとか。誰かに似てるなんてことは決して言わないが、既に削除されている可能性は大いにあり。


 「総統閣下はゾンビと化した東京電力にお怒りです」
  https://youtu.be/0CAeJqjjwsE


 「総統閣下は自衛隊のヘリで民間の重機を運ぶつもりです」
  https://youtu.be/B6qf-LdOjek


 「総統閣下は天皇陛下が生前退位の意向を示した事にお怒りのようです」
  https://youtu.be/j-4sj5QSl5s
  


Posted by biwap at 06:26

2016年09月20日

恋人ロッテの危機



 『若きウェルテルの悩み』(ゲーテ)。婚約者のいる女性シャルロッテに恋をしたウェルテルは、叶わぬ思いに絶望し自殺する。
 辛格浩(シン・キョクホ)。韓国慶尚南道蔚山(ウルサン) の農家に、10人兄弟の長男として生まれる。1942年、20歳の時に関釜連絡船に乗って日本に渡り、新聞・牛乳配達などをしながら、早稲田実業学校で学んだ。戦後、石鹼やポマード工場の経営に乗り出す。石鹼は飛ぶように売れた。占領下、アメリカ軍が持ち込んだチューインガムに着目。石鹼を煮る釜とうどんの製麺機で、ガムを製造。これが大当たりする。辛格浩=重光武雄は、稼いだ資金をもとに「株式会社ロッテ」を設立。社名は愛読書『若きウェルテルの悩み』の「シャルロッテ」に由来。焼け野原だった東京・新宿に土地を買い、ガムの増産に乗り出す。やがて「ロッテ」は業界トップに上り詰めていく。
 1965年、日韓基本条約締結。国交ができる。重光武雄は韓国への投資に乗り出した。1967年、韓国で「ロッテ製菓」を設立。1970年代からは事業の多角化へ。1976年、石油化学会社を買収。1979年、ソウルの一等地に高級ホテル「ロッテホテル」と「ロッテ百貨店」を開業。1989年、ソウル南部にテーマパーク「ロッテワールド」をオープン。「ロッテ」は総合財閥へと成長していった。
 韓国への進出当時、韓国国内では「在日韓国人が祖国の発展を支援しているのではなく、ただの日本企業の進出でしかない。日韓の経済的な格差を利用し、事業を拡大している」と批判された。しかし、歴代政治権力との「甘い関係」が、ロッテを成長させていった。特に李明博政権との蜜月度は歴代最高。「李明博夫妻がロッテホテルのスイートルームで寝泊まりし」「主要な報告や協議のために、側近たちがホテルに訪ねて行った」とも言われている。
 ロッテグループは2007年4月より持株会社体制に移行。株式会社ロッテホールディングスを設立。日本のロッテグループと韓国のロッテグループを統括している。日本のロッテは長男の重光宏之が、韓国のロッテは次男の重光昭夫が後を継いだ。しかし、ここから韓流ドラマさながらの後継者争いが始まる。骨肉の争いに加え、不正疑惑で韓国検察の捜査を受ける。系列会社の間で資産を移動させ、巨額の裏金をつくっていたというもの。
 日本で「ロッテ」といえば、お菓子やプロ野球のイメージが強い。だが韓国では、百貨店・量販店、製菓、化学と多種多様な事業を展開。傘下の企業数は日本の37に対し、韓国は74。2015年には約81兆ウォン(約7兆300億円)の売上高を記録。韓国ロッテは、日本のロッテをはるかにしのぐ、韓国第5位の巨大財閥である。
 世界中の多くの人々の胸に深く残る、永遠の恋人「シャルロッテ」。「お口の恋人・ロッテ」は、いったいどこへ向かうのだろうか。
  


Posted by biwap at 16:24KOREAへの関心

2016年09月16日

守るべきものは


 憲法改正に賛成か反対かという問いは悪質な詐欺のようなものだ。「改めて正す」ことに誰も反対などしない。問題は何をどう変えるかなのだ。「憲法の一字一句変えてはならない護憲教の信者」などという悪質なデマに怯え、良心的な人でさえ「私は護憲でも改憲でもない」などと逃げてしまう。そのため、いつの間にか「護憲」という言葉が特定の政治的立場を指すかのように操作され、公的施設からも「護憲」が排除されている。当たり前のことだが、公務員には憲法尊重擁護義務がある。
 「憲法を守る=護憲」とは、「国民主権・平和主義・基本的人権」という憲法の価値理念を擁護することだ。憲法96条には憲法の改正規定がある。「改めて正す」ことと「護憲」は矛盾しない。本当の対立軸は、「護憲か改憲か」ではなく、「護憲か懐憲か」である。
 今、政権側が目論む「改憲」論は、まさにその憲法の価値理念を変えようとしている「懐憲」に他ならない。なぜ、メディアはそのことを整理しないのか。戦後民主主義の価値観を戦前へと後戻りさせることこそ、政治的偏向である。失ってはいけないもの、守るべきものは何なのか。その一線に関しては、頑固に筋を通すこと。それが民主社会におけるジャーナリズムの役割ではないのか。せめて頑張っている声に耳を傾けよう。

「東京新聞」2016年9月9日社説
<歴史の読み方として、1935年を分岐点と考えてみる。天皇機関説事件があった年である。天皇を統治機関の一つで、最高機関とする憲法学者美濃部達吉の学説が突如として猛攻撃された。
 なぜか。合理的すぎる、無機質すぎる。現人神である天皇こそが統治の主としないと、お国のために命を捧げられない。「天皇陛下万歳」と死んでいけない。機関説の排除とは、戦争を乗り切るためだったのだろう。
 それまで「公」の場では神道と天皇の崇拝を求められたものの、「私」の世界では何を考えても自由なはずだった。だが、事件を契機に「公」が「私」の領域にまでなだれ込んでいった。それから終戦までわずか十年である。
 だから、戦後のスタートは天皇が人間宣言で神格化を捨てた。政教分離で国家神道を切り捨てた。そして、軍事価値を最高位に置く社会を変えた。憲法学者の樋口陽一東大名誉教授は「第九条の存在は、そういう社会の価値体系を逆転させたということに、大きな意味があった」と書いている。
 軍国主義につながる要素を徹底的に排除した。そうして平和な社会の実現に向かったのは必然である。自由な「公共」をつくった。とりわけ「表現の自由」の力で多彩な文化や芸術、言論などを牽引し、豊かで生き生きとした社会を築いた。平和主義が自由を下支えしたのだ。九条の存在が軍拡路線を阻んだのも事実である。
 ところが、戦後の「公共」を否定する動きが出てきた。戦後体制に心情的反発を持ち、昔の日本に戻りたいと考える勢力である。強い国にするには、「公」のために「私」が尽くさねばならない。だから愛国心を絶対的なものとして注入しようとする。国旗や国歌で演出する。そんな「公共」の再改造が進んでいまいか。
 憲法改正の真の目的も、そこに潜んでいないか。憲法は国の背骨だから、よほどの動機がない限り改変したりはしないものだ。動機もはっきりしないまま論議を進めるのはおかしい。戦後の自由社会を暗転させる危険はないか、改憲論の行方には皆で注意を払わねばならない。>
  


Posted by biwap at 06:34

2016年09月14日

カエルの楽園


 超ベストセラー作家百田尚樹センセイの大ベストセラー小説『カエルの楽園』(新潮社)。27万部も売れたのに書評が乗らないとお怒りのようである。「週刊新潮」は、「大ベストセラーの書評を載せない『大新聞』のご都合」なる特集。産経新聞以外の大新聞は事なかれ主義に陥り、この偉大な問題作を無視したのだそうだ。
 その素晴らしき小説の中身をのぞいてみよう。
 主人公は、カエル喰いのダルマガエルに土地を奪われたアマガエル。この2匹が辿り着いたのは、ツチガエルの国・ナパージュ。ナパージュの崖の下には「気持ちの悪い沼」があり、そこには「あらゆるカエルを飲みこむ巨大で凶悪な」ウシガエルが住んでいる。ウシガエルは時折、崖を登ってきて、ナパージュの土地を自分たちの土地だと言い張り上陸してくる。ナパージュのカエルたちは「三戒」のおかげで平和が守られていると信じている。その「三戒」とは、「カエルを信じろ カエルと争うな 争うための力を持つな」。
 ナパージュはJapanの逆さ読み。ナパージュ=日本、ツチガエルは日本人。「三戒」は憲法9条。凶悪なウシガエルは中国・韓国・北朝鮮。
 ツチガエル(日本人)たちがこぞって歌う「謝りソング」というものがある。「我々は、生まれながらに罪深きカエル すべての罪は、我らにあり さあ、今こそみんなで謝ろう」。これぞ「自虐史観」。ツチガエルは過去にウシガエルを虐殺し、その場所に花を手向けている。「誰がやったの?」と訊かれても「よく知らない」。「昔のことになると、知らないことばかり」。誰に何を謝っているのか、わからないまま謝り続けている滑稽なカエルの姿が描かれる。
 そうしたなかで登場する一匹狼(一匹カエル?)。真実を語るツチガエル・ハンドレッド。ハンドレッドとは百=百田尚樹のこと。この百田ガエル・ハンドレッドは、日本人ガエルの虐殺をこう否定する。「ウシガエルたちが方々で言いまくっていることだ。今では世界中に広まっている」「ウシガエルの奴らは根っからの嘘つきだ」「その嘘を広めたのはデイブレイク(夜明け=朝日新聞)だ」「デイブレイクはナパージュ(=日本)の悪口が大好きなカエルなんだ。ナパージュのカエルを貶めるためなら、どんな嘘だってつく」
 愚かな日本人ガエルたちは「三戒」(=9条)を守っているために平和が続いてきたと信じているが、実態はスチームボートという名のタカ(アメリカ)が守ってくれていただけ。そんなナパージュの国に、二匹のウシガエルが上陸。危機感が強まる。元老のカエル・プロメテウス(安倍晋三)がタカに崖を見張ってほしいと言い出す。プロメテウス(安倍)は、現実路線の聡明なカエル。対話を求める日本人ガエルに対して安倍ガエルは、こう言い放つ。「話し合いですって? 相手は凶悪なウシガエルですよ」。
 そんななか9条信者ガエルたちは「三戒違反だ!」と反発。「プロメテウスの横暴を止めます。仲間たちと一緒に頑張っていきます」とオタマジャクシからかえったばかりのフラワーズ(=SEALDs)までもが登場。現実とは違い、安保法制は民衆の猛反対により否決。その結果、ナパージュにウシガエルが上陸。ここで現れた安倍ガエル。毅然と「三戒を破棄することを提案します」。だが、日本人ガエルたちは不戦を掲げ、三戒放棄案を否決。日本人カエルたちは平和が守られたと大歓喜。その最中ウシガエルによる日本人ガエルの大殺戮がおき、あっという間に国中をウシガエルが占拠。ナパージュは亡びたとさ。おしまい。
 全国民衝撃の結末に感動の嵐。素晴らしきネトウヨ妄想小説。「『9条を守れ』の声をのさばらせておくとこんなにコワイ結果を招くのか!」という声が聞こえてきそうである。「そうだ難民しよう」イラストで一躍ヘイト有名人となったはすみとしこ氏は、ツイッターで百田氏にこんなメッセージを送っていた。「今日届き、数時間で読破いたしました!読みやすい!わかりやすい!問題提起様々、いろいろ考えさせられる作品でした。ぜひ若い子に読んで頂きたい秀本だと思います!九条はカルトだ!」
 これぞ百田尚樹センセイ自画自賛の最高傑作。これを褒めたたえない大新聞はけしからん限りである。
 ホンマに日本はこんな知的水準でいいのだろうか。
<追記>この小説の中で百田センセイがしきりに揶揄するプランタンという語り屋がいる。「プランタン」とはフランス語で春のこと。どうやら村上春樹がお気に召さないようである。この小説(?)。あまりのばかばかしさに、大新聞も無視を決め込んだようだ。
  


Posted by biwap at 06:35

2016年09月13日

わたの原漕ぎ出でば

道草百人一首・その88
「わたの原 漕ぎ出でて見れば 久かたの 雲ゐにまがふ 沖つ白波」(法性寺入道前関白太政大臣)【76番】


 「わたの原 八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣船」は、百人一首11番小野篁の歌。隠岐に流される篁の悲哀感。一方こちらは、「大海原に船で漕ぎ出し、ずっと遠くを眺めてみれば、かなたに雲と見間違うばかりに、沖の白波が立っていた」。なんと雄大かつ豪壮な歌。
 法性寺入道前関白太政大臣=藤原忠通(タダミチ)。権力の絶頂にあった藤原氏の長。百人一首75番藤原基俊が親バカにも息子のことをお願いした相手が忠通。この歌は、「海上の遠望」という題で、崇徳天皇の前で詠んだ歌。保元の乱で、崇徳天皇と藤原忠通は敵同士として戦うことになる。平清盛らの軍勢が崇徳上皇側を破り、後白河と藤原忠通側は勝利する。崇徳は讃岐に流され「鬼」となる。摂政関白太政大臣にまで登りつめた忠通は、詩歌や書にも才能を示した。晩年には出家し、「法性寺殿」と呼ばれた。
 同じ「わたの原」も人によって違って見えるものなのだ。
  


Posted by biwap at 08:24道草百人一首

2016年09月11日

いったい何が問題なのか


 「いったい何が問題なの?」を書いた後、LITERAXがかなり本気モードの記事。以下引用。

 「二重国籍者に野党第1党の代表の資格があるのか」「他国の国籍を持っている人間がなぜ日本の政治家をやっているのか」「中華民国人を大臣にしていた民進党は責任をとれ」
 民進党代表選に出馬した蓮舫参院議員の「二重国籍」疑惑で、保守派メディアやネット右翼が狂喜乱舞して、蓮舫叩きに血道をあげている。
 最初に断っておくが、本サイトは「私はバリバリの保守」などと胸を張り、「(安保法を)『戦争法案』と言うのは、私はむしろミスリードをする言い方だったと思っています」などというセリフを平気で口にする最近の蓮舫氏の政治的スタンスに対して批判的であり、政治的に彼女を擁護したいとはまったく考えていない。
 しかし、この国籍をめぐる炎上事件に関しては、どう考えても蓮舫氏を攻撃している側がおかしい。その行為はむしろ、この国にはびこるグロテスクな純血主義がむき出しになった人種差別としか思えないものだ。
 その理由を説明する前に事実関係と報道の経緯を簡単に振り返っておこう。蓮舫氏は1967年、台湾出身の父親と日本人の母親との日本で生まれたが、当時の国籍法では日本国籍の取得は父親が日本国籍をもつ場合のみに限られていたため、台湾国籍になっていた。だが、85年、国籍法が母方の国籍も選べるように改正・施行されたため、日本国籍を取得している。
 ところが、先月末、元通産官僚の評論家・八幡和郎氏がいきなり、ウェブサイト「アゴラ」や産経系の夕刊フジで、蓮舫氏が台湾国籍を離脱しておらず、日本と台湾の二重国籍のままになっている疑惑を指摘。これに産経新聞が丸乗りして、連日ウェブ版で大報道を展開し、代表選の立候補会見でもこの問題を質問するなどしたため、どんどん騒ぎが大きくなっていったのである。そして、とうとう蓮舫氏サイドが「除籍が確認できない」としてあらためて台湾籍の放棄の手続きを行う事態となった。
 しかし、そもそも蓮舫氏が二重国籍、というのは本当なのか。ただ「国籍放棄の確認がとれていない」と繰り返すだけで、八幡氏が最初に疑惑があるとした根拠も、産経がそれに丸乗りした理由も、一切書かれていないため、両者がどういう根拠にもとづいているのかは不明だが、実は蓮舫氏についてはかなり前から、官邸や内閣情報調査室の関係者がしきりにマスコミに「国籍問題」をほのめかしていたという情報もある。
 だが、ここにきて、この「二重国籍」疑惑はあり得ない話という見方も出てきている。
 時事通信などが7日付で、〈日本政府の見解では、日本は台湾と国交がないため、台湾籍の人には中国の法律が適用される。中国の国籍法では「外国籍を取得した者は中国籍を自動的に失う」と定めて〉いると報じたからだ。読売新聞も7日付の記事で〈台湾籍を持つ人は日本では中国籍と扱われる。法務省によると、中国の国籍法は「中国国外に定住している中国人で、自己の意思で外国籍に入籍、または取得した者は中国籍を自動的に失う」と規定している〉と、同様の趣旨の記事を報じている。
つまり、蓮舫氏が85年に日本国籍を取得していたとすると、そのとき自動的に中国の法令に基づいて台湾籍(中国籍)は失っており、二重国籍というのはありえないことになる。
 一方、八幡氏はこうした報道自体を「知識のない記者が聞きかじりで書いた記事」と否定しているが、複数の新聞や通信社が一斉に同内容の記事を書いているということは、普通に考えれば、法務省当局のブリーフィングがあったと見るべきだろう。
 また、仮に蓮舫氏が「アゴラ」や産経が述べるとおり、85年の日本国籍取得の際に台湾国籍を離脱しておらず、結果、いままで「二重国籍」であったとしても、これはそこまで目くじらをたてるような問題なのか。
 たしかに、「国籍単一の原則」をとる日本では重国籍は認められておらず、85年施行の改正国籍法には、20歳未満の重国籍者には22歳までに国籍を選択させるように定め、〈選択の宣言をした日本国民は、外国の国籍の離脱に努めなければならない〉(第16条)という規定が設けられている。そして、国籍選択をしなかった場合、法務大臣は書面で国籍の選択を「催告」することができ、そのうえで「催告」を受けても1カ月以内に選択しないとき、日本国籍を失うとされている(第15条)。
 しかし、実際の国籍法の運用実態はまったく違う。第16条は「努力規定」的な運用しかされておらず、第15条でいう法務大臣による「催告」も、少なくとも施行から16年が経過した2001年の段階まで、法務省は「これまで一度もない」と回答している(柳原滋夫「永住外国人地方参政権問題でクローズアップ 宇多田ヒカルもフジモリ前大統領も 『二重国籍』容認が国を変える」/講談社「月刊現代」01年7月号)。
国籍法に詳しい近藤敦名城大教授も、朝日新聞9月8日付でこう解説している。
 「日本の国籍法は二重国籍保持者の外国籍の離脱について、努力義務のような規定になっており、より厳格に運用することは現実的ではない。世界的な潮流として複数の国籍を認める国が増えており、知らずに二重国籍のままというケースも多い。仮に二重国籍があったとしても、日本の国会議員、首相や大臣になる上での法的な禁止規定はなく、有権者がどう判断するかだ」
 今日の『スッキリ!!』(日本テレビ)でも、やはり国際法に詳しい五十部紀英弁護士がこう解説していた。
 「日本国籍を選択した時点で、台湾の籍は日本の法上ではなくなるということになります。台湾で国籍が残っているかどうかは、台湾側の判断ということになります。日本においては二重国籍の問題は生じない可能性が高いと思います」
 これが国際法の専門家の常識なのだ。むしろ、蓮舫は前近代的な父系血統主義の旧国籍法の被害者と言うべきだろう。
 ところが、「アゴラ」や産経新聞はひたすらこの「二重国籍」疑惑を煽り、“アンチ民進党”のネット右翼たちに火をつけ、ツイッターではいま、蓮舫氏だけではなく重国籍者全体まで標的とするこんな恫喝や虐殺扇動が溢れかえっているのだ。
 〈なりすましエセ日本人め。日本から出て行け〉〈支那に帰れ!日本人の振りして図々しいチャイナ女〉〈スパイ蓮舫ははやく親元の中国共産党に帰って死刑されろよ〉〈スパイとして射殺出来るように法整備した方がいいよ〉〈逮捕して国籍剥奪して、スパイとして殺処分を希望します〉
 いったい何を言っているのだろう。国籍を根拠に「殺せ」などと煽りたてるのはヘイトスピーチ、ヘイトクライムにほかならないし、当たり前だが「スパイ」に国籍は関係ない。しかも連中は重国籍の法的位置づけを問題視しているのではなく、明らかに“日本人ではない”とレッテル貼りをして狂気の雄叫びをあげているのだ。このネトウヨ思想の背景にあるのは、推定68万人いると言われる重国籍者(朝日新聞14年7月6日付)や日本で暮らす非日本国籍者に対する排除の眼差しだ。それは同時に「日本国籍者は国家に忠誠を誓わなければならない」という時代錯誤の国家観を意味する。
 しかも、これはなにもファナティックなネトウヨだけの話ではない。こうしたグロテスクな純血主義、差別主義は「アゴラ」や産経新聞にも通底している。たとえば前述の八幡氏は国籍とは無関係に、蓮舫氏をこう攻撃しているのだ。
 〈村田蓮舫という本名があるのに、頑として村田姓を使わないし、子供にも中国人らしい名前しか付けなかった華人意識のかたまりである〉(「アゴラ」8月29日付)
  〈もちろん、違法な二重国籍だったことがないとしても、蓮舫さんには、村田蓮舫という本名を使われないとか、日本文化に対する愛着を示されていないとか、尖閣について領土問題と表現されたように、日中間の国際問題についての見解などに問題があることに変化はない〉(同9月5日付)
  〈どの国でも、生まれながらの国民でない人物を、政府のトップにするような物好きな国民はめったにない〉(「ZAKZAK」8月30日付)
 結局、「アゴラ」や産経新聞は「二重国籍」疑惑を特ダネ扱いして鬼の首をとったかのように騒ぎ立てているが、その根っこにあるのは純血思想と排外主義、差別主義であることがよくわかる。とりわけ、蓮舫氏の子どもまで「中国人らしい名前」などと標的にし、「華人意識のかたまり」とレッテル貼りをするのは、どう考えても異常だ。日本国籍を取得していたとしても、自分のルーツに想いをはせて子どもの名前をつけることはちっともおかしいことではないし、日本人の中にも大陸由来の名前をつけるケースは決して少なくない。だいたい、政治家や企業経営者などは孔子の論語の一節をことあるごとに引用するが、八幡氏に言わせればそれも「華人意識のかたまり」になるとでもいうのか。
 また産経新聞は9月7日付で、インタビューで「二重国籍」を否定した蓮舫氏に対し、〈ただ、蓮舫氏の国籍手続きを行った父親は台湾籍を離脱していないことも明らかにし、「二重国籍」疑惑はさらに深まっている〉などと書いている。しかし、いうまでもなく父親が台湾籍を離脱するか否かは蓮舫氏の国籍選択とはまったく無関係だ。つまり産経は“蓮舫の父親は日本人じゃないから蓮舫も日本人じゃない”と言っているのである。これは完全に“ハーフ”に対する差別である。
 つまるところ、こういうことだろう。「アゴラ」や産経新聞にとって、蓮舫氏の国籍法上の疑惑追及は建前で、結局、父系血統主義というイデオロギーをばらまき、血統による差別を正当化しようとしているにすぎない。はっきり言って、「エセ日本人を殺せ」などと叫んでいるネトウヨと大差ないのだ。
 しかも、世界はいま、連中ががなり立てる父系血統主義というカルトとは真逆の方向性を打ち出している。事実、重国籍を認めている国はおおよそ半数にも及び、先進国でもアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、カナダ、スイスなど欧米を中心にかなりの数にのぼる。重国籍の政治家も珍しくない。たとえば元カリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツェネッガーがアメリカとオーストリアの二重国籍者であることは有名だ。一国の政治のトップでも、ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領(ペルーと日本)やタイのアピシット・ウェーチャチーワ元首相(タイとイギリス)などの例がある。加えれば、「イギリスのトランプ」とも言われるバリバリの保守タカ派政治家、ボリス・ジョンソン前ロンドン市長も英米の重国籍者だ。
 保守派が主張する“「純血」=「国家への忠誠心」”というのがカルト的な幻想であるのは自明だろう(ちなみに、最近保守論客の仲間入りを果たしたケント・ギルバート氏ですら、今回の件に関してはCS番組で「人種差別に聞こえる」と珍しくまっとうなことを言っている)。
 なお、ヨーロッパでは60年代までは二重国籍に否定的であったが、97年のヨーロッパ国際条約では肯定的に変化した。これは、国際結婚やEU国間の自由移動、移住労働者の増加や定住などの現実に即したものだ。また、二重国籍のメリットとしては、諸分野で活躍した者が「母国」に帰国しやすく経済効果をもたらすことや、複数のアイデンティティをもつことで国家間の摩擦を防止することなどが挙げられている。
 他方、保守派やネトウヨは重国籍を認めるデメリットとして「テロを誘発する」などと喧伝する。ツイッターでもこのような主張がよく見られた。
 〈二重国籍はスパイによる情報流出およびテロの危険性が増すのでは?〉〈日本国籍と他国籍を持つ者が、2つのパスポートを使い日本に簡単に入国してテロをする可能性も否定出来ない。この二重国籍問題は大きな問題にするべきです〉〈事実上二重国籍は放置状態であり、従って犯罪、テロ、スパイ、脱税などもやり放題状態だと推測されます。これは安全保障上の懸案事項である以上早急に手を打つ必要があります〉
 見当違いも甚だしい。たとえば二重国籍を認めているフランスでは、昨年のパリ同時テロ事件を受けてフランソワ・オランド大統領がテロ関連の罪で有罪になった者から国籍を剥奪する内容を含む改憲案を示し、激しい批判にあった。フランスの歴史人口学者・家族人類学者であるエマニュエル・トッド氏は、朝日新聞のインタビューでこのように断じている。
 「テロへの対策としてもばかげています。想像してください。自爆テロを考える若者が、国籍剥奪を恐れてテロをやめようと思うでしょうか。逆に、国籍剥奪の法律などをつくれば、反発からテロを促すでしょう」(16年2月11日付)
 すなわち、「アゴラ」や産経新聞、ネトウヨたちは、カルト的な血統主義をふりかざすことが共同体の分断を生み、かえって国家を危険にさらすということをまったく理解していないのだ。言い換えれば、蓮舫氏の「二重国籍」疑惑をあげつらって「国家への忠誠心がない」などとほざいている連中のほうこそ、結局、グロテスクな差別主義をむき出しにすることで「国益」を害しているのである。
 いや、問題なのは、保守系メディアだけではない。当の蓮舫氏や民進党の対応もおかしい。蓮舫氏に対しては、民進党内からも「代表の資格はない」「説明責任を果たすべきだ」などとの声が出ており、蓮舫氏自身も「生まれたときから日本人」などと強調して慌てて台湾政府へ除籍を申告するなど火消しに必死だ。
 しかし、民進党は、民主党時代の2009年マニフェストのなかで〈就労や生活、父母の介護などのために両国間を往来する機会が多い、両親双方の国籍を自らのアイデンティティとして引き継ぎたいなど〉の要望を踏まえ、重国籍を認める国籍制度変更の方針を打ち出していたのではなかったか。
 本来は、民進党も蓮舫氏もこんな差別的攻撃に弁明する必要なんてまったくなく、寛容な多様性のある社会の構築を打ち出していくべきなのである。それを保守メディアやネトウヨに煽られて「日本人」を強調し、逆に蓮舫氏に説明責任を求めているのだから、開いた口がふさがらない。「二重国籍」云々より、こうした対応のほうが、よっぽど有権者からの信頼を失うことがわからないのか。
 いや、民進党のことなんてどうでもいい。問題は時代錯誤で差別的な純血主義のイデオロギーがまるで正論であるかのように、この国全体を覆いつつあることだ。わたしたちはこの差別思想が何よりいちばん危険であることに気づくべきだろう。

  


Posted by biwap at 06:34

2016年09月08日

いったい何が問題なの?


 産経新聞が報じた蓮舫氏の「二重国籍」問題。ネットには、こんなマグマが噴き出した。
<まったく国益になりそうにない在日おばちゃん/嘘つきなのは間違いない/民進党を体現する良い党首候補じゃん。/日本が嫌いな外国人が事業仕分けしてたとか怖過ぎだろ/こいつとアグネスは日本にマイナスだから国外追放でいいよ。王さ貞治やジュディオングを見習えよ国続どもが。/コイツが総理にでもなったら移民や外国人参政権で日本が滅茶苦茶になるぞ。徹底的に追い込んで辞任させろ。/コウモリかよ。こんなの政治に関わらせたらあかんやろ/だーかーらー帰化人議員はダメなんだよ ただでさえ反日で日本人に無茶苦茶やってんのに/事業仕分けも日本の国力を削ぐ為だったったって、はっきりわかんだね。/コイツに仕分けられた日本に必要な事業の関係者はブチ切れていいだろもう/政治倫理審査会に諮るか国会に証人喚問すべきだな。/こんなのがトップ当選だったって、東京選挙民のレベルがわかるわ。/中国人が総理大臣になろうとしてたんか/帰化1世は政治に参加させたらダメだろう/凄くない?こんなやつが一時期日本の中枢で重要な役職に就いてたとか/こういう人は祖国に有益な法案を取り付けてこぎつけが済めばとっとと辞めるんじゃないか、ってそんな疑いさえ抱く/中国人が日本の防災予算や研究予算を仕分けと称して削りまくっていた訳か。/在日議員は日本国への復讐心を内包している怖れがあるから当然見過ごすワケにはいかんのよ/産経新聞以外ぜんぜんマスコミがニュースにしないよね。マジで腐ってるのは日本のTV新聞>
 別の意味で腐っているのかもしれないメディアだが、8日朝刊で朝日新聞が論点をまとめた。
<蓮舫氏は1967年に日本で生まれ、父(故人)が台湾出身、母が日本人。17歳だった85年に日本国籍を取得した。この直前まで日本の国籍法は、父が日本人の場合のみ、子が日本国籍を取得できると規定していた。法改正で、父母のいずれかが日本人であれば取得できるようになった。
 2004年に参院議員に初当選し、今年7月の参院選で3回目の当選。民主党政権時には行政刷新相を務めたが、これまで台湾籍を放棄したかどうかが騒ぎになることはなかった。
 蓮舫氏は85年に日本国籍を取得した際、父とともに大使館にあたる台北駐日経済文化代表処を訪ね、台湾籍の放棄を届け出たと説明してきた。7日の報道各社のインタビューで、台湾籍を放棄する書類を再び代表処に提出した理由について「台湾に31年前の籍を放棄した書類の確認をしているが、『時間がかかる』という対応をいただいた。いつまでに明らかになるかわからない」と説明。あくまで「念のため」だと強調した。
 蓮舫氏はまた、3日の読売テレビの番組で「私は生まれた時から日本人です」と発言したが、この日のインタビューでは「生まれ育った日本で、ずっと日本人でありたいという思いで言ったが、法律的には85年から日本人だ」と修正した。
 日本政府は台湾と国交がないため、日本国内で台湾籍を持つ人には、中国の法律が適用されるとの立場をとる。中国の国籍法は「外国に定住している中国人で、自己の意思で外国籍を取得した者は、中国籍を自動的に失う」などと規定。中国法に基づけば、蓮舫氏が日本国籍を取得した85年の時点で、中国籍を喪失したという解釈が成り立つ余地がある。
 仮に、蓮舫氏の台湾籍が残っていた場合は、問題になるのだろうか。
 日本の国籍法は、日本国民であることを選びながら外国籍も持つ人について「外国の国籍の離脱に努めなければならない」と定める。日本政府が国籍は一つだけであることが望ましいとする「国籍唯一の原則」をとっているためで、努力義務にとどめている。
 努力規定とはいえ、首相を目指す政治家として、政治的にその妥当性が問われる可能性はある。
 外交官は、日本国籍があり、外国籍のない人に限られている。外務省は「外交交渉で日本と他の国のどちらかを選ぶような場面に直面しかねないため」と説明する。首相や国会議員には外国籍を排除する規定がないが、外交官の属する行政府や自衛隊を率いるトップとしての首相、あるいは首相をめざす野党党首に許されるかどうかという点だ。
 蓮舫氏への批判が広がったのは、元通産官僚の大学院教授の指摘を、ネットの言論サイト「アゴラ」が取り上げ、夕刊フジが報道したのがきっかけ。産経新聞は6日付朝刊で「蓮舫氏くすぶる『二重国籍』」との見出しで、「深刻な問題が浮上している」と報じた。
 政権与党からも「国会議員としてどうか」(閣僚の一人)との声があがる。
 蓮舫氏は7日のインタビューで、「ネットで(心が)折れそうな書き込みがあった」と語り、国籍が話題になることを「非常に悲しいなという思いがある」と答えた。
 蓮舫氏に近い議員は「『首相をめざす』と言う時に、想定しておくべきだったが気の毒だ」と語る。民進代表選で蓮舫陣営に入っている一人は「日本で育ち、日本語をしゃべり、日本人として生きてきた。人を差別するような見方をしないでほしい」と話す。
《国籍法に詳しい近藤敦・名城大教授(憲法)の話》 日本の国籍法は二重国籍保持者の外国籍の離脱について、努力義務のような規定になっており、より厳格に運用することは現実的ではない。世界的な潮流として複数の国籍を認める国が増えており、知らずに二重国籍のままというケースも多い。仮に二重国籍があったとしても、日本の国会議員、首相や大臣になる上での法的な禁止規定はなく、有権者がどう判断するかだ。>
 政治家としての蓮舫氏を評価しているわけではない。しかし、この問題が産経新聞の言うような「深刻な問題」とはとても思えない。むしろ「深刻な問題」は、それを攻撃する「排外主義」の方にある。天皇の生前退位や女性天皇の問題も、時代遅れの「非常識」が残存していることこそ「深刻な問題」なのだ。即位であれ退位であれ、何人も自分の意に反して強要されることがあってはならないし、今の時代に女だからダメだとか、男系論に至っては「女は子どもを産む道具だ」と言っているのと同じである。民主主義社会で「当たり前」のことすら、この国では「当たり前」になっていない。それを堂々と言えないのなら、やはりこの国のメディアは腐っているのかもしれない。
  


Posted by biwap at 09:37