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2024年04月23日

天皇の妻スベクヒャン


 2013年から2014年までMBCで放送された韓国ドラマ『帝王の娘 スベクヒャン』。
 物語の始まりは6世紀初め百済、24代・東城(トンソン)王の時代。



    東城(トンソン)王
 
 チェファは王の従弟であるユン(のちの武寧王)と恋仲になり身籠る。そのことをユンに告げる間もなく、チェファの父親は東城王を暗殺。


   チェファ


   ユン(のちの武寧王)

 逆賊となったチェファの父は自殺。チェファも父の後を追おうとするが、父の家来で聾唖者のクチョンに救出され伽耶に逃れる。

 

   クチョン

 チェファを心配するユンだが、忠臣ペ・ネスクから彼女は死んだと聞かされる。強大な百済を築くことを決意したユンは25代王・武寧(ムリョン)王として即位。


    武寧(ムリョン)王

 東城王の息子を守るため、武寧王は自らの息子と彼の息子を入れ替えてしまう。
 一方、伽耶に逃れたチェファはクチョンに助けられて娘を出産。ユンと約束した娘の名前はスベクヒャンだったが、チェファはソルランと名付けた。


    ソルラン

 その後も献身的に尽くすクチョンに助けられ、なんとか暮らしていくことができた。
 クチョンが自分に恋心を抱いていることを知りながらも、彼を受け入れられないでいたチェファ。クチョンが父の遺骨を手に入れてくれたことを契機に彼を夫として受け入れることになる。そして、2人の間にも娘が生まれ、ソルヒと名付けた。


    ソルヒ

 そして平和に暮らす4人。ソルランとソルヒは年頃の娘に育っていった。偶然クチョンを見つけたネスクはチェファの姿も確認し、王にチェファが生きていることを告げる。
 チェファと会おうとする王だが、チェファは遠くから見るだけで逢いには行かなかった。


 一方、チェファが生きていることはチンム公の耳にも入る。彼は実は武寧王の息子なのだが、東城王の息子として育てられる。彼は父と思っている東城王の敵を討つために伽耶の地までやって来た。


    チンム
 
 チェファもまた、父の敵の娘。人を使ってソルランたち一家を襲わせる。クチョンは敵の刃に倒れ、近隣の住民たちも殺され、瀕死のチェファと二人の娘が残される。息を引き取る真際、チェファはソルヒをソルランと間違え、ソルランが王の娘であることをソルヒに告げてしまう。すぐに間違いに気づくのだが、ソルランにはそのことを伝えないままに亡くなってしまう。
 姉ソルランの出自が羨ましいソルヒは、ソルランには母の話を伝えないまま、盗賊に連れ去られたように装ってソルランと離れ、一人百済の王宮を訪れ、王の娘として暮らし始める。


    ソルヒ
 
 一方、ソルランは偶然武寧王の世子のミョンノン(実は入れ替えられた東城王の息子)と出会い、妹を探すため、彼の統括する百済の諜報組織の一員となり、宮殿へと入ることになる。


    ミョンノン

 そのソルランの姿を見つけたソルヒは自分の身分を守るため、ソルランを危険に陥れ、また、彼女の秘密を知る者の命を奪って行くことに…。



 そして惹かれ合うソルランとミョンノン、ソルヒとチンム公。ともに別人に成り代わった男女二人ずつが、運命に翻弄されていく。
 このドラマは終盤になって急に12話分も短縮されている。全く違うラスト・ストーリーが用意されていたようなのだ。
 スベクヒャンの漢字表記も当初「手白香」だったものが「守白香」に変えられた。「手白香」は継体天皇の妃の名前として歴史資料に記されている。歴史歪曲議論が起こり、表記が変えられ、倭国との関連も描かないことになったようだ。フィクションとはいえ、どのようなストーリー展開だったか興味深い。


 実は武寧王と継体天皇、百済と倭国には、調べれば調べるほど深い関係があることがわかる。
 日本書紀によると、武寧王(461~523)は佐賀県唐津市にある加唐島で生まれたと記されている。生母は妊娠した体で渡海し、大和に向かう途中の筑紫で彼を出産。島で生まれたため嶋王と名付けられる。倭国で成長した後、百済に帰国。「末多王(東城王)が暴虐であったので、百済の国人は王を殺し、嶋王を立てて武寧王とした」と日本書紀は記している。百済中興のため数多くの業績を積み上げた聖君とされている。


 武寧王陵の棺は1400年以上を耐えた木棺である。その木棺のかけらを採取した結果、高野槙であることがわかった。高野槙とは、その種類が世界でも一種しかない近畿地方南部の特産物であるとされている。

 2001年12月18日、平成天皇は自らの誕生日に際し記者会見を行い、その中で有名な韓国との「ゆかり発言」を行っている。最後にその下りを全文引用しておく。
 「日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や、招へいされた人々によって、様々な文化や技術が伝えられました。
 宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、今も折々に雅楽を演奏している人があります。
 こうした文化や技術が、日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは、幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に、大きく寄与したことと思っています。
 私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。
 武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。
 しかし、残念なことに、韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした。このことを、私どもは忘れてはならないと思います。
 ワールドカップを控え、両国民の交流が盛んになってきていますが、それが良い方向に向かうためには、両国の人々が、それぞれの国が歩んできた道を、個々の出来事において正確に知ることに努め、個人個人として、互いの立場を理解していくことが大切と考えます。
 ワールドカップが両国民の協力により滞りなく行われ、このことを通して、両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております」
  


Posted by biwap at 11:57KOREAへの関心

2024年02月14日

曽根崎心中


 『曾根崎心中』終盤の道行文。
 日本語で綴られた最も美しい文だと言われている。

  この世の名残り 夜も名残り
  死ににゆく身をたとふれば
  あだしが原の道の霜
  一足ずつに消えてゆく
  夢の夢こそ あはれなれ
  あれ 数ふればあかつきの
  七つの時が六つ鳴りて
  のこる一つが今生の
  鐘のひびきの聞きおさめ
  寂滅為楽とひびく也


 「無常」と「情」。近松のすべてがこの一節に語られている。


 近松門左衛門の父・杉森信義は、とある不祥事で越前藩士の地位を奪われ浪人となる。次男であった門左衛門は近江国野洲郡中主村比留田の近松家に養子縁組となる。近松家は浅野家との因縁が深く、養父・近松伊香は赤穂藩浅野家の典医を務めることになる。
 浅野家は豊臣秀吉の正妻・北政所の実家である。本能寺の変・山崎合戦の後、浅野長政は大津城を築き城主となる。この時、瀬田領主であった大石家は浅野家に仕えることになる。
 後に「忠臣蔵」に登場する「浅野内匠頭」「大石内蔵助」は、「近松門左衛門」と抜き差しならぬ密接な関係にあった。因縁の舞台は近江から始まっていた。
 元禄15年(1702年)近松門左衛門50歳の時、赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件が起こる。四十七士の中には、幼い時からの知己であり同志でもあった大石内蔵助、わが子の様に慈しんだ甥の近松勘六・奥田貞右衛門兄弟がいた。縁深き人が切腹して果ててしまう。身勝手で理不尽な幕府権力。武士といえども公権力の前には平伏せざるを得ない。ましてそれが名もなき庶民ともなれば。虐げられ抵抗する手段を持たない人たちへ、近松の目は向けられる。


 そんな近松の胸を打つような事件が大坂で起こる。元禄16年(1703年)、曽根崎にある「露天神の森」での醤油屋の手代徳兵衛と堂島新地の遊女お初の心中事件。二人の心の葛藤を近松は思い描いた。そしてすぐさま浄瑠璃の脚本に書き上げた。近松の傑作の一つ『曾根崎心中』。竹本座で上演されるや空前の大当たり。傾きかけていた竹本座は息を吹き返すことになる。


 お初は北新地にある天満屋お抱えの遊女。徳兵衛は醤油を商う平野屋の手代。主人・九右衛門は徳兵衛の叔父にあたる。徳兵衛の両親は他界、今は義母(父の後妻)のみが住んでいる。
 九右衛門は勤勉な甥の徳兵衛と妻方の姪を結婚させ、ゆくゆくは店を持たせたいと考えていた。しかし、お初と恋仲の徳兵衛は気乗りがしない。お初の存在に勘づいた九右衛門。徳兵衛の義母に結婚支度金の銀二貫を渡し、早く身を固めさせようとする。
 それを知った徳兵衛は、自分の妻は お初しかいないと訴えるが、主人は聞き入れない。徳兵衛は義母の家に行き、主人から受け取った大金を主人に返すために取り戻した。
 その帰り道、徳兵衛はばったり出会った親友の九平次に、金を貸してほしいと懇願される。人のいい徳兵衛は断りきれず、主人に返すための大事な大金を、九平次に貸してしまった。
 だが、約束の日を過ぎても、九平次は、金を返しには来なかった。一方お初の身にも、身請け話が持ち上がっていた。
 そんなある日、運命に追い詰められた二人は、久しぶりに生玉本願寺の境内で再会する。その時、町衆といっしょに九平次が現われる。「金を返せ」と迫る徳兵衛。「金など借りていない」と開き直る九平次。九平次はさらに、徳兵衛が店の金を使い込んだと町中に吹聴し、町の人々は、九平次の嘘を信じた。
 絶望した徳兵衛は、お初が働く天満屋に人目を隠れてやってきた。徳兵衛をかくまうお初。そこへ九平次が店にきた。 大金をはたき、あびるように酒を飲む九平次。徳兵衛をなじる声にじっと我慢をするだけだった。
 そもそも、遊女であるお初は、 徳兵衛と自由に結婚できる身分ではない。九平次にだまされた徳兵衛も今では追われる身。商人にとって一番大切な信用を失い、 叔父である主人にも合わせる顔がない。
 お初は、どうせ生きて結ばれることがないのなら、あの世で夫婦になろうと、徳兵衛に迫る。追い詰められた自分のために命を断とうというお初の心に、徳兵衛は心中を決心する。ふたりは店を抜け出し、曽根崎の森へと向かう。


 致命的なトラブルを抱えていたのは徳兵衛。心中を促していたのはお初の方だ。自分の意志で決断しようとするお初。「徳さまはもう死ぬしかない」「徳さま一人を死なせはしない」「だから一緒に死ぬ」「死ぬ覚悟、あるわよね?」と畳みかけてくる。
 お初は若くして身売りされた女郎。自分の意のままになることなど一つもなかった。自分で自分の身をどうすることもできない遊女の身分。しかし、最後にお初は自らの生を自ら決定しようとする。しかし、その意志の選択は、生ではなく死であった。
 近松は決して死を美化しているわけではない。「刀を持つ手は震え、そんなことじゃだめだと思い直しても、それでも手の震えは止まらない。ちゃんと突いているつもりなのに、切り先はあちらへ、こちらへと、とそれてしまう。そして最後は、刀の柄も折れんばかり、刀が砕けてしまいそうなものすごい力で突きまくり、肉をえぐる。恋する女はぐざぐざ刺され、苦しみ抜いて、暁に死ぬ。それを見届けて、徳兵衛も自刃する」
 目に見えぬ大きな力によって理不尽にも押しつぶされようとする人たちに、近松の限りなく優しい眼差しは向けられている。
  


Posted by biwap at 21:58芸術と人間思想史散歩

2024年02月10日

欧州農民一揆


 『被抑圧者の教育学』を著したブラジルの教育学者パウロ・フレイレは、「花瓶に水を注ぐような教育観」ではなく、「教育というものは自己発見であり、能力を発展させ、自立した精神をもって関心と興味を探求すること」だと述べる。
 反植民地主義、民族解放運動の指針となったフレイレだが、左右両翼の知識人たちの傲慢さと権威主義を批判している。「左翼陣営」の中にも、自分の主張はすべて正しく、意見の異なる者を排除するというセクト主義がはびこり、民衆の多様な意見や言葉を蔑視する風潮がはびこっているという。
 その過剰な自己確信を克服して、民衆のまえでより謙虚な姿勢をとるよう求めてきた。「教える側が人々に学ぶ」。そんな思いで、『長周新聞』「 欧州で広がる農家の大規模デモ 、誰が国民の胃袋支えているか」を抜粋引用する。


 ドイツ政府の農業政策に抗議してベルリンで集会を開く数万人の農家

 ドイツでは1月8日から約1週間にわたり全国の農民約3万人が約1万台のトラクターで各地の幹線道路や高速道路を封鎖し、首都ベルリンに押し寄せ、首都機能もまひする大規模な抗議行動をおこなった。きっかけとなったのは、農家向けの補助金削減への反発だったが、背景には「地球温暖化の原因は農業にある」として、「脱炭素」政策のターゲットとして農業を悪者扱いする政府への鬱積した怒りがある。
 農民の大規模な抗議行動は、同じように「脱炭素」政策の犠牲が押しつけられている手工業者や運送会社、トラック運転手、各種自営業者など広範な国民の支持を集めた。
 農民の大規模なトラクターデモはドイツだけではなくオランダやフランス、ポーランドなどEU各国であいついでとりくまれている。今ヨーロッパの農業や農家が直面している問題について見てみた。


 標識にぶら下げられた長靴(ドイツ)

 ドイツでは、昨年12月中旬から、政府に対する農民の抗議のシンボルとして、あちこちの市町村の道標にゴム長靴をぶら下げる行動がめだってきていた。「私たち農民が長靴を脱いで仕事をやめると、食料が足りなくなるぞ」という警告だった。
 農民の抗議行動のきっかけとなったのは、ショルツ政府が農業補助金を突然、「二酸化炭素削減に逆行する補助金」とし、2024年から廃止する方針を発表したことだ。これに対し、ドイツ農民連盟は昨年12月18日からベルリンで抗議デモを実施し、約1700台の大型トラクターがベルリンの主要道路を封鎖した。


 トラクターを集結させてコンテナターミナルの道路を封鎖した農民

 農家に対して補助金削減を強行する他方で、化学メーカーや製鉄所の生産プロセスで使われる化石燃料を水素に切り替えるための補助金や、外国の半導体メーカー工場を誘致するための補助金は温存してきた。そのしわ寄せが農家にふりかかった。これに農民の怒りは爆発した。
 農民たちは「ベルリンの政治家や官僚たちは、現実世界から切り離された“バブル”のなかで、畑で汗水垂らして働いたことのないコンサルタントやアドバイザーの意見だけを聞いて政策を決めている」と主張しており、各地で政府に対する農民の強い不満が噴き出した。
 今回の農民デモのきっかけとなったのは、70年以上続いてきた農業補助金の廃止に怒りが爆発したものだが、農民の怒りの根はさらに深く、ヨーロッパ全土に広がるEUの「グリーンディール」政策にもとづく農業破壊の強行に向けられている。
 EUは2019年に「温室効果ガスの削減」と「経済成長」の両立を掲げ、EUの新たな成長戦略に据えた。それから5年が経過するが、この政策によって「成長」したのは一部の再エネ関連産業のみという現実が赤裸々になっている。他方で中小規模の農業をはじめ広範な国内産業が犠牲になっており反発は国民的な規模に広がっている。
 ドイツ政府は再生エネルギー導入の最先頭を走っており、太陽光パネルも風車も増設されているが、電気の供給は不安定化し、料金は上がり、CO2の排出量ではEUでは1位、2位を争っている。肝心の経済は高い電気代とさまざまな規制でがんじがらめになっている姿が浮き彫りになっている。農業もこうした脱炭素政策に追い詰められた部門の一つになっている。
 ドイツの農業政策は、酪農はメタンなど温室効果ガスを排出するので縮小し、有機農業の面積を強制的に広げるとしている。牛や羊のげっぷに含まれるメタンガスは温室効果ガスのひとつとして悪者扱いされている。連立政府に参加している緑の党は、温室効果ガス削減を掲げて肉を食べることを嫌い、自動車に乗ることも飛行機に乗ることも悪とし、自転車に乗ることを推奨している。一部の過激な菜食主義者は牧畜を「動物虐待だ」と非難し、肉の消費を敵視し、食肉店の襲撃もおこなわれるという。こうした方向が「人造肉」や「食用コオロギ」に行き着いている。


 トラクターデモをおこなうオランダの農家

 2022年6月にはオランダで農民の大規模なデモがおこなわれた。オランダ政府が2030年までに窒素排出量を50%削減するとの目標をうち出したからだ。財務省の試算では、目標達成のためには、4万~5万軒ある農家のうち1万1200軒を廃業に、1万7600軒は規模を3分の1から2分の1に縮小することになる。政府は廃業する農家には補償を出したが、そのかわりに二度と農業に復帰しないと約束させた。また、それでも立ち退かない農家の土地は政府が強制的に没収した。
 政府の政策の根拠となったのはオランダ国務院がオランダ政府に対し、同国の窒素排出がEU規制に違反しており、過剰な窒素排出を許可すべきでないとの判決をくだしたことだ。
 オランダは他の国々に比べて酪農・畜産が盛んだ。九州と同じぐらいの面積だが、世界で米国に次ぐ2番目の農産物輸出国だ。人口1740万人に対し、1200万頭の豚、400万頭の牛、1億羽の鶏がいる。それらが糞尿やゲップを出して窒素やアンモニアの排出量を増やすとEUからやり玉にあげられた。
 EUは、すべての産業活動に対して、温室効果ガスを出すか出さないかで「善」か「悪」かにわけ、それを加盟国にも押しつけており、オランダ政府もその方針で突き進んでいる。
 オランダの伝統的な基幹産業である牧畜や酪農を破壊する政策に対して農民が立ち上がった。農民は「この排出基準を守るためには、農家は違う場所に引っ越すか、廃業するかしかなくなる」と声を上げ、何百台もトラクターを連ね、スーパーマーケットや主要道路を封鎖し、高速道路に家畜の糞尿を撒いたりした。この抗議行動に国境を接するドイツの農民も応援に加わった。
 緑の党の農業大臣は、「休耕地を増やし、土地を自然な状態に戻そう」と呼びかけている。緑の党は「農業は自然を荒らす」という理屈をつけて農業をやり玉にあげ、先人が何百年もかけて開墾した肥沃な農地の少なくとも一割をただの原っぱや湿原地にもどすことを掲げている。ただ、この主張は食料難が迫るなかで非難世論が噴き上がり、実施には至っていない。
 だが、こうした「温室効果ガス削減」を掲げて酪農や畜産、伝統的な農業をやり玉にあげる動きは、とくに中小規模の農家を追い詰め、ここ数年廃業に至るケースも増えている。他方で、中小規模の農家が手放した農地を大規模農家が買いとっており、農業の寡占化が進んでいる。
 農民のトラクターデモはヨーロッパ各地でおこなわれている。フランスでは1月中旬に南部のオクシタニー地域での道路封鎖に始まり、1週間後には農民組合の呼びかけで全土に広がった。農業を温暖化の原因とする政府が農業への補助金を削減したり、規制を強化したりしていることへの抗議行動だ。


 農業危機を訴え、国旗を揚げて抗議集会を開くポーランドの農民たち

 ポーランドでも1月24日、欧州グリーン・ディールの導入とウクライナからの農産物流入に反対して全土の250カ所で農民たちが道路封鎖の抗議行動をおこなった。農民はグリーン・ディールが排出ガス規制の一環として毎年4%の休耕とすることを批判した。
 ルーマニアでも1月10日から4500台のトラックやトラクターで道路封鎖行動をおこなっている。リトアニアでも1月23日から26日まで農業への補助金削減に反対し、5000人以上の農民が1300台のトラクターで抗議行動をおこなっている。
 EUは2019年末にグリーン・ディールの大方針として「サスティナブルを欧州の成長戦略とする」と発表した。そこでは農業や食を重点産業として位置づけ、「リジェネラティブ・アグリ(環境再生型農業)」と称して2030年までに欧州の農地の4分の1をオーガニックに転換するとの目標を掲げている。そこで進んでいるのは、民間企業や投資家による大規模な投資だ。
 EUは農薬や化学肥料の使用規制を強めると同時に、新ゲノム技術を「食料システムの持続可能性と回復力を高めるための革新的なツール」として推奨している。そして「気候変動に強く、病害虫に強く、肥料や農薬の使用量が少なくて済み、収量を確保できる改良品種の開発を可能にし、化学農薬の使用量とリスクを半減させる」としている。
 また、EUは昨年、食肉に関して牛の幹細胞を増殖させ、それを材料に牛を殺さずに本物の肉を3Dプリンターでつくるという技術が開発されたと発表した。中小の農家を酪農・畜産から追い払い、巨大企業が技術開発によって酪農・畜産分野を支配しようというものだ。「温室効果ガス削減」の名のもとに農業をやり玉にあげて中小の農家を廃業に追いやる一方で、進められているのは、農業分野を巨大企業が新ゲノム技術などで独占的に支配する方向だ。


 農家が連続的に大規模集会を開いているドイツ

 1月15日からスイスで開かれたダボス会議では、「農業が温暖化の原因」とされ、バイエル社CEOのビル・アンダーソンは「コメの生産はメタンの最大の発生源の一つであり、温室効果ガスの排出という点ではCO2の何倍も有害」と発言した。バイエル社はドイツの企業だが2016~18年にかけて遺伝子組み換え種子の世界最大手である米モンサント社を買収しており、世界の食の支配を狙う勢力として注目されている。
 日本では2018年に種子法が廃止され、コメや麦、大豆など重要作物の種子を国の責任で安定的に供給する制度をなくし、民間企業が種子をもうけの道具にすることに道をあけた。バイエル社CEOの発言は、そこに目をつけ日本のコメをターゲットにし、バイエル社が開発したF1種子を買わなければならないようにしようという企みも見える。
 環境の悪化や環境破壊は、自然を顧みない市場原理に基づく利益追求による開発、工業化による結果にほかならない。だが、農業や稲作、畜産など人類の古代からの営み、牛や豚のげっぷなどの自然の摂理までが地球温暖化の主因であるかのような論議がダボス会議でもおこなわれている。
 環境破壊どころか、農家があり、農業があるから治山治水が維持され、人々の住環境と動物の棲み分けやその狭間で起きるさまざまな問題が解決されてきたことは言を俟たない。そのような自然の摂理に従った人類の伝統的な営みを破壊し、市場経済での競争力を高めると称して大規模化したり、農薬や化学肥料などを多用して収量を上げる生産性一辺倒の「効率化」を進めてきたことにこそ問題があり、農業による環境破壊を問題にするのなら、過剰な市場競争を排し、より人にも環境にも優しい農業への転換を促すものでなければならないはずである。
 田に水を張ることも否定し、既存の農畜産業のあり方を根本から否定する先に、彼ら投資家らが意図しているものは、遺伝子組み換えやゲノムなどバイオやIT技術などを駆使し、デジタル農業、人工肉や人工卵、昆虫食などを新しいビジネスモデル(日本でも「フードテック」として政府が推奨)を構築し、既存の農業を淘汰して一部の多国籍企業が世界の農地、食料、アグリビジネスを独占・コントロールするというものに他ならない。これらはビル・ゲイツをはじめとする投資家が現実に主張していることでもある。
 「地球温暖化防止」や「脱炭素」「温室効果ガス削減」などを掲げて、農業や自動車、発電、エネルギーなど各分野で国家の強力な介入で新たな産業分野が形成され、従来の産業構造が根こそぎなぎ倒されている。かつては石油メジャーがエネルギーで世界を支配したように、今は再エネ産業の巨大資本がそれにとってかわろうとしている。
 ドイツなどヨーロッパでまきおこっている農民の大規模な行動は、「地球温暖化防止」などを掲げたEUや各国政府の巨大な産業構造転換政策とのたたかいであり、広く国民の支持を得ている。また全世界的に農業や農民が直面している共通課題に対するたたかいでもある。


 ブランデンブルグ門前での抗議行動  


Posted by biwap at 11:03CO2温暖化説への懐疑

2023年09月24日

福田村事件を知っていますか






 京都シネマ。満席で見られなかった人も出た。こんな映画は初めてだ。森達也監督作品「福田村事件」。
 製作資金が思うように集まらず、クラウドファンティングを募ったところ、開始1ヶ月で目標金額2500万円の半分以上が集まった。ネクストゴール設定によって最終的に3500万円以上に。
 「今」という時代に抗する、人々の抑えがたい「叫び」がうねりの様に響いてくる。
 深刻なテーマだが、エンターテインメントとしてもよくできた作品だ。何よりも映画として面白い。
 作品に敬意を表すると同時に、ここでは「福田村事件」を取材したNHK千葉放送局の記事を抜粋紹介したい。


 福田村事件は、関東大震災から5日後の1923年9月6日に起きた。当時、震災直後に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などと流言飛語が飛び交う中、各地では自警団が結成される。福田村でも、消防団や在郷軍人などから構成された自警団が結成され、村内の警戒にあたっていた。
 一方、香川県から薬の行商に来ていた15人の一行がいた。一行は家族や親族で行動し、福田村を訪れていた。村を流れる利根川から対岸の茨城県へ渡ろうと渡船場に行ったのち、近くの神社の鳥居に6人、そこから30メートルほど離れた水茶屋のベンチで9人が休憩していた。すると自警団がやってきた。「見かけない者だ」と一行を囲む自警団。団員の中には、一行を朝鮮人だと疑う者もいて、これをきっかけに一行を襲い、9人が殺害された。


 生き残った男性が襲われた時の様子を綴った手記が、香川県の文書館に残っていた。男性が事件後、裁判に備え、資料として利用するために書いたと言われている。長らく眠っていたが、7年ほど前に文書館に寄贈されたという。
 「取井ノソバデ、休ミテ居リタ処エ/青年会、シヨボ、在郷軍人ガキテ/鮮人ジヤトユウ人モアリ/棒ヤトビグチヲモッテ頭エブチコンダ」
 (鳥居のそばで、休んでいたところへ/青年会、消防、在郷軍人が来て/「鮮人じゃ」と言う人もあり/棒やとびぐちをもって頭へぶち込んだ)


 今回の取材で、被害者の遺族がNHKの取材に応じ、事件後の地元での様子を教えてくれた。
 「生き残った一行が帰ってきて、『ほかの人は殺されたんだ』と。それはいかんという話で、住民らが神社に集まって『今から千葉に行くんだ』『みんな人を集めていくんや』と。『抗議に行くんや』と。それを村の女子衆というか女の人たちが、『殺されたらうちらどうするの』となだめて、みんなで泣いて終わった」。
 一方で事件については、被害者の地元でもほとんどの人は知らないという。その理由についてはこう口にした。
 「もともと福田村事件を知っている人というのは、ごくわずかだったと思う。その事件すらも知らない人がほとんどだし、良いことだったらそれは次の世代にもこうだったと伝えると思うんだけど、やっぱりそういうことって、みんな蓋をするをするじゃないけど、隠して言わない」。
 「知っている人もみんな話したがらない」。野田市の現場の近くに住むある男性が口にした言葉である。事件が起きた野田市でも事件は語られていない。男性によると、かつては町の祭りなどで若者と高齢者が交流する場があり、事件の話を伝え聞くこともあったが、その祭りもなくなり伝承される機会がなくなったという。


 その野田市で事件を地元の歴史として伝え続ける人がいる。市川正廣さんだ。かつて野田市役所に勤めていたが、1980年代に事件の記事を見て初めて知った。
 「率直に言って、まさかと思いました。全く知らず、誰からも教えてもらっていません。周りの人に聞いても、誰も知りませんでした。地元、旧福田村の人にも聞きましたが、みんな黙して語らず。これはまずいと思いました。しっかりと地元の歴史として残すべき。やはりあった史実は、負の歴史です。誰でもつらいです」


 負の歴史こそ伝え続けるべきと思いたった市川さん。一足早く香川県の市民グループが事件を調べていたが、千葉県側でも市川さんらを中心として市民グループを結成する。被害側の香川県、そして加害側の千葉県のグループが一緒になって活動を始めた。関東大震災から80年となった2003年。事件をしっかりと野田市の歴史として刻もうと、両グループが協力して慰霊碑を建立した。建立後は、県内外から慰霊碑を訪れる人たちに、現場を見せながら詳細を説明し、事件を伝え続けている。野田市の住民によると、慰霊碑があることで、事件について知らない人も知るきっかけになっているという。
 「多くの方々に、ただ知っただけではなくて、二度とこういうことを起こさないという人権問題として、100年前に起きたことであっても今現在にもつながる差別問題をしっかり見るためにも、このメモリーはあると思います。差別のない社会作り、人権尊重の社会作りにこの碑は大きな意味を持つ」。


 ことし6月、注目の本が再版された。福田村事件について丹念な取材を重ねてまとめた、一冊の本だ。執筆したのは作家・辻野弥生さん。彼女がこの事件を知ったのは、地元の千葉県流山市で関東大震災について取材していたときだった。野田市のある住民から「調べてほしいものがある」と連絡があったという。


 「野田の人が突然やってくきて、『こういう事件があるので、書いてくれませんか』と言われました。地元で事件のことはタブーで、『野田の人間にはあと50年は書けない』と」。
 事件の概要を聞き、関心を持った辻野さんはさっそく取材を始めた。しかし、いきなり壁にぶちあたった。事件に関する資料が乏しく、手がかりがなかったのだ。ほとんどが口頭での伝承であったため、活字で残っていなかった。
 「一番私ががっかりしたのが、活字も何も残っていなかったこと。その時は力が抜けましたね。どうやって調べようかと。でも同時に、たくさんの人に知ってもらうにはやっぱり活字で残す必要があると思いました。それでやっぱり書いておかなければならないと思いましたね」。
 わずかに残る当時の新聞記事を頼りに、現地に赴き取材を重ねていった。2013年に書籍化を実現する。そして関東大震災から100年にあたることし、改めて事件が注目され、本が再版された。辻野さんは今の時代にこそ、この事件のことをより多くの人に知ってもらう必要がある考えている。本の冒頭にはこのような辻野さんの思いが綴られている。
 「福田村事件も朝鮮人虐殺も、過去の不幸な出来事と片づけることはできない」。
 「今、違う形で、ネットの中で誹謗中傷を書き込んだりして人を死に追いやるようなこともある。竹槍のような武器が、ネットに代わってしまっている。この恐ろしさは、今の時代もある。活字にしておけば残りますからね。やはり刻んでおくことは大事です。決して歴史の闇に消えていかないよう、特に若い方にぜひ語り継がねばなりません。本を通じて、学んでもらいたい」。

 せっかく素晴らしいルポを作ったNHKだが、この後、災害時における流言飛語の問題として話をまとめてしまっている。今でも、テレビでは他国を一方的に誹謗中傷する言説が平然と流れている。憎悪と敵対を煽り続けているのは、あなたたち自身ではないのか。その自己批判なしにジャーナリズムの再生はあり得ない。
 100年前の事件を今なぜ見つめ直さなければならないのか。この映画に関心を持つ一人一人の市民に、闇の中を照らす一本一本の「たいまつ」を見る思いだ。
  


Posted by biwap at 12:50KOREAへの関心

2023年09月22日

再エネに侵される阿蘇山


 熊本県にそびえる阿蘇山。世界最大級のカルデラと、雄大な外輪山を持つ活火山。毎年国内外から多くの観光客が訪れる。外輪山に広がる日本最大級の草原は、古代から人々が牛馬とともに野焼きや採草、放牧をおこなって守ってきた。ところがその阿蘇外輪山の南側に、福岡ドーム17個分といわれるメガソーラーが突如あらわれて人々を驚かせている。


 阿蘇外輪山の南側、熊本県山都町。約119㌶の土地に太陽光パネル約20万枚が、まるで無造作に置かれたように平地や斜面を覆い尽くしている。
 遠くを眺めれば、真っ青な空に緑が映える、夏の阿蘇山の中岳や根子岳。その雄大な自然とはあまりにミスマッチな、黒々と光る大量の太陽光パネル。
 再エネは「地球に優しい」といいながら、長年月にわたって守られてきた大自然にこんなことをしていいのか。地元の住民は「ここに来ると吐き気がする」と語る。
 太陽光パネルが置かれた場所は、外輪山の尾根部分に当たり、かつては牛を放牧する牧草地だった。10年ほど前までは野焼きもやっていたという。
 同時にここは、町民に命の水をもたらす神働川の水源地。町民はここから出る豊かな湧き水をためて牛に飲ませたり、野菜を洗ったりしてきた。ところがメガソーラーができると雨が降っても土地に浸透せず、パネルの表面を流れ下って問題になっているという。


 ところがこれだけ巨大なメガソーラーだが、山都町の町民はほとんどが知らないという。通常ここまで登ってくる人はまれなのだ。
 熊本県上益城郡山都町は、北は阿蘇外輪山の南側、南は九州山地に接する山に囲まれた町。人口約1万2000人。農林業で成り立っている。
 この町にメガソーラーの建設計画が持ち上がったのは、2017年頃。2018年2月には、神働川の源流に一番近い目細地区に、事業者が高森町の牧野組合を連れて説明にやってきた。建設予定地の牧草地は山都町にあるが、その所有権は隣の高森町の牧野組合が持っていた。


 目細地区の男性はいう。「うちの集落には14軒が暮らしているが、みんなが反対した。というのも50年前、国の補助金事業で原野を草地改良するためブルドーザーで山を削ったところ、大雨が降ったとき田んぼに泥水が流れ込む大災害になった経験をしていたからだ。だから、また同じことにならないようにとみんなが反対した。反対したのに、その後事業者はわしらになにもいわないまま工事を始めた」
 目細地区のもう一人の男性は、開口一番「説明会はまるで脅しのようだった」といった。「“火事になっても知らんぞ”“養豚場をつくるぞ”といったり、“ここの部落が反対してもつくる”といったりした」
 2019年12月に起工式があり、工事が始まった。現場を見に行った住民は「私たちは太陽光発電と聞いて、牧野の草を刈ってそこに建てるのだと思っていた。ところが広大な牧野の表土がすべてはぎとられ、木は伐採、伐根されて、泥がむき出しになっていた」という。「説明会で事業者が“除草剤を撒く”と話したので、“除草剤を大量に撒くのはだめ”といったのよ」とも。
 そして2020年6月、梅雨時の天気のいい日に、どぶどぶに濁った泥水がいきなり田んぼに入ってきて稲をなぎ倒したので、目細地区の農家はびっくりした。水は白茶色で、「軟弱な地盤を固めるために大量に石灰を撒いたんじゃないか」と語られていた。
 農家の人たちが上流を見に行くと、工事業者がいて、「あんたらか?」と聞いたが、「一切流していない」という。町役場にも訴えたが、逆に事業者が役場にやって来て「泥水がうちの工事から出ているという根拠がどこにあるのか」という。そこで農家が川をさかのぼって登っていき、工事業者がホースで泥水を流していた場所をつきとめ、写真に撮って突きつけた。それでもなにも変わらなかった。
 この泥水被害について、いまだに事業者はなんの補償もしていない。住民たちは町長や町役場に何度も訴えたが、業者と結託した町も町民を守ろうとしない。今後、もっと大きな災害が起こったときはどうなるのか。


 メガソーラー建設予定地の牧草地は、もともと隣接する高森町の牧野組合の25人が共同所有し、牛を放牧していた。その25人が印鑑を押して、牧草地を事業者に売却した。しかし、山都町の農業委員会としては「ここは国の草地改良事業をおこなった牧草地であり、第一種農地であるから、農地転用は認めない」と決めた。
 ところが事業者は、牧野組合を連れてきて、農業委員会立ち会いのもとでの現地視察を求めた。現地は放牧をしなくなってから3年経っており、荒れていた。それを見て事業者が「なにが農地か。原野じゃないか」といい始めた。
 山都町の農業委員は、「県にも国にも問い合わせたが、どう対応していいかわからない。ついに農業委員会として、130haのうち1割程度を農地とし、あとは非農地とした。非農地にしたのが間違いだった。これが向こうの狙いだったんだ」と、悔やみながら何度も強調した。
 一方、山都町長も議会の議決を経ないまま事業者と協定を結び、開発許可を出していた。町議が協定書を見せてくれと要求したが、「協定書のなかに、第三者に見せてはならないという条文があるので見せられない」と拒否されたという。
 メガソーラーをつくるのに環境アセスはなかったのか?当時、太陽光発電の建設にアセスは必要なく、住民説明会も自治体の審議会も開催されない。こうして地元同意のないまま、メガソーラーの建設が進んだ。


 阿蘇外輪山には現在、約460戸の農家が参加する156の牧野組合があり、合計して約6000頭の牛を放牧している。しかしこの牧野組合も、年々高齢化が進み、後継者がいない状態で、メンバーも徐々に減っており、「10年後には今の野焼きも続けられない」という。
 牛の値段は暴落し、一方で輸入配合飼料はうなぎ登りに高くなっていく。廃業する畜産農家がたくさん出てくる。高齢化し、牧草地は荒れ、牛の数も減少していく。結局、土地を売ることになる。
 第一次産業が困難な状況につけ込んで、再エネ事業者が土地を買い占め、メガソーラーや大規模風力発電を次々につくっていく。


 山都高森太陽光発電所の土地登記は、26年間の地上権設定契約となっている。地上権設定期間が26年だと、地権者はその間、契約を解除することはできない。一方、事業者はこの期間、事業の採算がとれなくなったら、他の事業者に転売することも、事業ごと譲渡することも、一方的に撤退することも可能で、これに地権者が口を出すことはできない。
 地上権設定契約書の中に「倒産隔離」条項が入っている。それによって、たとえば台風がきて太陽光パネルが壊れ、修繕費用がかさんで事業の採算がとれなくなった場合、事業者は勝手に撤退でき、撤去費用は地権者や地元自治体に押しつけることができる。
 再エネをつくる場合、多くの事業者は合同会社を立ち上げる。山都高森太陽光発電所の場合、JREとSMFLみらいパートナーズが共同投資契約を結び、合同会社JRE山都高森をつくっている。通常、各企業はこの合同会社に資本金100万円程度の少額を入れ、そこに銀行からの融資などを呼び込む仕組みをつくっている。
 そして、台風などでメガソーラーが稼働できなくなり、事業者が事業から撤退するとき、地上権設定契約で「倒産隔離」条項が入っていれば、事業者は「責任財産」(この場合は合同会社に出資した100万円)だけを負債にあてると、それ以上の財産を失うことなく計画倒産することができる。そして壊れたメガソーラーはそのまま山の上に残される。壊れた太陽光パネルからは、鉛やカドミウムなどの有毒物質が流出する危険性があるにもかかわらず。


 阿蘇外輪山のメガソーラーだと、撤去費用は数億~数十億円はかかる。地上権設定契約では、この費用を地権者が負うことになり、それは事実上不可能なので、町や県が税金で負担しなければならなくなる。全国の風力や太陽光の用地取得は、多くがこのやり方でやられている。
 一方、町に入るメガソーラーの固定資産税は、年間1億円とも1億5000万円ともいわれる。収入源の乏しい町の窮状につけこむ手口だが、実際には将来にわたって何倍もの負担がおしつけられることになる。


 「CO2削減」「地球に優しい」といいながら、阿蘇の豊かな山々を破壊し、水源地を潰して巨大なメガソーラーをつくるのだから、まさに本末転倒である。しかも風力や太陽光は自然に左右される不安定な電源なので、火力発電のバックアップがなければ成り立たず、九電管内は太陽光発電をつくりすぎたために、何度も出力制御をやって太陽光で発電した電気を捨てている。
 日本が本来の独立国なら、政府は国民の食を守るために食料自給率の向上に努めるはずが、アメリカのいいなりになって農産物の輸入を増やし、農林水産業を存亡の危機に追いやっている。そこにつけ込んで、経産省お墨付きの再エネ企業が地方をターゲットに乗り込み、金もうけのためにやりたい放題をやっている。生活が脅かされるのは地方に住む人々である。

  


Posted by biwap at 12:49CO2温暖化説への懐疑

2023年09月15日

処理水という名の汚染水


 自らの責任で生じた汚染水を海へ捨ててしまう。いくら何でもやってはいけないことだ。でも、そんな批判をしようものなら、中国の肩を持つつもりか、風評被害を煽って地元の人たちを傷つけるのかと、訳のわからん言葉が浴びせられる。
 少なくとも、以下のことだけは確認しておいた方がよさそうだ。
 
 海洋放出される処理水にはトリチウム以外は含まれていないので安全だ。また、トリチウムは海外の原発や国内の原発からも海洋放出しているので安全だ。
 間違いの第一。流れてくる水は通常運転の原発からのものとは全く違うということだ。福島第1原発の敷地内のタンクに溜まり続けているのは、全電源を喪失し溶け落ちた核燃料を冷却し続けている汚染水だ。また、流入した地下水が核燃料デブリに触れて汚染水となっている。
 通常の原発では、燃料棒は被膜管に覆われており、冷却水が直接核燃料に触れることはない。だが、福島第1原発では、溶け落ちて固まったむき出しの核燃料デブリに直接触れることで放射能汚染水が発生している。その汚染度は通常の原発排水どころではない。2018年にはALPSで処理したにもかかわらずセシウム137、ストロンチウム90、ヨウ素131などトリチウム以外の放射性核種が検出限界値をこえて発見されている。
 これは汚染水以外の何物でもなく、処理水と呼ぶのはれっきとした詐欺行為である。


 間違いの第二。トリチウムは本当に何の害もない安全なものなのか。
 「トリチウムは自然界にも存在し、全国の原発で40年以上排出されているが健康への影響は確認されていない」という。だが実際に、世界各地の原発や核処理施設の周辺地域では、事故が起きなくても稼働させるだけで周辺住民や子どもたちを中心に健康被害が報告されている。その原因の一つとしてトリチウムもあげられている。
 トリチウムは水素の同位体で、三重水素とも呼ばれ、化学的性質は普通の水素と同一だが、β線を放出する放射性物質だ。人の体重の約61%は水が占めている。トリチウムは水とほとんど変わらない分子構造をしているため、人体はトリチウムを水と区別できず容易に体内の組織にとり込みやすい。トリチウムを体内にとり込むと、体内では主要な化合物であるタンパク質、糖、脂肪などの有機物にも結合し、有機結合型トリチウムとなり、トリチウム水とは異なる影響を人体に与える。
 トリチウムが染色体異常を起こすことや、母乳を通じて子どもに残留することが動物実験で報告されている。動物実験では、トリチウムの被曝にあった動物の子孫の卵巣に腫瘍が発生する確率が5倍増加し、精巣萎縮や卵巣の縮みなどの生殖器の異常が観察されている。
 実はこの内部被曝の問題は、原子力推進側にとって積年のタブーであった。内部被曝による人体への影響はアメリカのマンハッタン計画以来、軍事機密とされ隠ぺいされ続けてきたのである。


 政府の有識者会議は、トリチウムの生体への影響としてマウスやラットで発がん性や催奇形性が確認されたデータの存在を認めながら、ヒトに対する疫学的データが存在しないことを理由に、トリチウムが人体に影響を及ぼすことを裏付けるエビデンスはないと主張している。都合の悪い時はいつもこの理屈を使う。
 しかし実際にはトリチウムの人体への影響はこれまでもくり返し指摘されてきた。ドイツでは1992年と98年の二度、原発周辺のがんと白血病の増加を調査した。その結果原発周辺5㎞以内の5歳以下の子どもに明らかに影響があり、白血病の相対危険度が5㎞以遠に比べて2・19、ほかの固形がん発病の相対危険度は1・61と報告された。
 カナダでは、重水炉というトリチウムを多く出すタイプの原子炉が稼働後、しばらくして住民のあいだで健康被害の増加が問題にされた。調査の結果、原発周辺都市では小児白血病や新生児死亡率が増加し、ダウン症候群が80%も増加した。またイギリスのセラフィールド再処理工場周辺地域の子どもたちの小児白血病増加に関して、サダンプト大学の教授は原因核種としてトリチウムとプルトニウムの関与を報告している。
 日本国内でもトリチウム放出量が多い加圧水型原発周辺で、白血病やがんでの死亡率が高いとの調査結果も出ている。
 トリチウムは通常の原発からも海洋放出しているから安全と言っているが、実際に被害報告や危険性が指摘されている以上、人体にとって危険なトリチウムを排出する通常の原発稼働も止めるべきなのである。通常の原発から出ているのだから安全だなどと間抜けな言葉に騙される方も騙される方だ。
 トリチウムは宇宙線と大気の反応により自然界にもごく微量で存在し、雨水やその他の天然水の中にも入っていた。しかし、それが急増したのは戦後の核実験や原発稼働によってだ。さらにそれに輪をかけて、桁違いのトリチウムを無制限に放出し続けて、安全ですなどと涼しい顔をしていられる神経がわからない。


 「処理水の取り扱いに関する小委員会」では処分方法として最終的に5つの方法を提示した。その処分方法別の費用は34億~3976億円の幅があったが、結局もっとも安い費用で済む海洋放出(費用34億円)に決定した。科学的な安全性より「安さ」を選択したのだ。そして、全世界に対し償うことのできない無責任と傲慢な大犯罪を演じている。
 異常なことを異常なことと気づかない位この世の中は異常なのか。無知ほど怖いものはない。最後の一瞬まであきらめるな!騙されるな!自分の頭で考え続けよ!
  


Posted by biwap at 21:11辛口政治批評

2023年09月14日

孤立無援から


 人と人が殺しあっていたら、すぐに止めるのが当たり前じゃないか。不思議なことに人殺しを止めようとしない「正義の味方」の顔を見たら、昨日の同志だったりして愕然とする。


 和田春樹著『ウクライナ戦争即時停戦論』の書評を抜粋引用する。 
 著者はロシア史・現代朝鮮史の研究者。ベトナム戦争以来、反戦平和・国際連帯の市民運動にとりくんできた。ウクライナ戦争をめぐっては、ロシアのウクライナ侵攻直後からいち早く「即時停戦」を訴え、「憂慮する歴史家たちの声明」。「日韓市民共同声明」。G7広島サミットに向けた「今こそ停戦を!」まで、学者仲間とともに連続的なキャンペーンを展開してきた。


 本書は、ウクライナをめぐって揺れ動く情勢の変化と、運動への賛否あわせた反響を丹念にとりあげ、ウクライナ戦争の内実に迫り、停戦の具体的な方策を提起するものとなっている。
 戦争には反対しなければならず、もし戦争になれば、即時停戦を働きかけなければならない。
 みずから空襲のなかを逃げまどった体験を持つ著者は、国民の多くが共有しあうそのような信念で活動してきた。ところが、ウクライナ戦争ではそのようなあたりまえの考えが以前のようには通用しなくなったことを痛感したという。
 マスコミはロシアを非難し、「ウクライナ支援」といって戦争を煽る報道をくり返す。そればかりか、「共産党」など「平和運動勢力」の一部やロシア研究者の間からも「侵略者ロシア」「専制主義者プーチン」を非難し撤退させることが第一で、そのためにウクライナの戦いを前進させることなくして停戦はありえないと主張するありさまであった。
 ウクライナの多くの民間人が砲弾に倒れ、強制動員されたウクライナとロシアの若者が殺し合うような戦闘をただちに止めるよう求めることが、正義に反するというのだ。それは今も続いている。
 徹底的に相手をたたきつぶすまで戦うのか、それとも戦闘を即時中止し交渉に入るのか。著者はそれ以外に選択肢はないと強調する。
 和平と停戦は別の問題であり、とくに二国間の戦争においては停戦することなく、正義や戦争犯罪、領土問題などを第三国を含めて解決する道筋を開くことはできないという。
 本書では特別に一章をもうけて、朝鮮戦争において複雑を極めた停戦過程を詳細に分析し、それとの比較でウクライナでの停戦の方策を提起している。
 著者はロシア研究の専門家としてプーチンの思想、信条、主張をロシア史の流れのなかで分析的にとりあげ、「プーチン=ヒトラーの再来」という見方を否定する。
 ロシアとウクライナは350年間一つの国であった。2014年のマイダン革命を前後したウクライナ東部での紛争、それに続く今日の事態は、「ソ連解体から生じたウクライナの独立に関連する対立の産物」なのだ。ウクライナ、ロシアの国民大衆の厭戦気分には兄弟同士のたたかいへの痛みがともなっている。
 なによりもウクライナとロシアは昨年、早くも開戦から5日目には停戦交渉を始めていたのだった。どちらの側も停戦を望んでいたが、「ブチャの虐殺」報道をきっかけに吹っ飛んでしまったかのように見える。著者は、そこではバイデン米大統領がポーランドでロシアに対する戦闘宣言ともいえる「ワルシャワ演説」をおこなったことが大きいと見ている。
 バイデンはウクライナ戦争を「専制主義」に対する「民主主義」の戦いと見なし、アメリカ主導の戦争(=代理戦争)として操作することを隠してはいない。さらに、この紛争は長引き、「少なくとも数年間は続く」と公言してはばからない。そして、「最終的には外交的に終わらせる」とのべている。
 著者は、そこにウクライナ戦争がアメリカにとって「新しい夢の戦争」であること、同時にその限界も明確に示されているという。米軍はこの戦争に直接参戦せず、戦死者も出さない。ロシアと戦って死ぬのはウクライナ人であるから、ロシアとの直接的な戦争にならない限り長く戦争を続けることができる。そのもとで、アメリカ製の武器を大量にウクライナに送り戦場で消費するので、兵器産業は莫大な儲けにあずかり喜んでいる。
 アメリカにとって、この戦争の目的はウクライナの軍事的勝利ではなく、ロシアの力を可能な限り弱めることにある。だからロシアとの直接的な軍事衝突の危険性が高まれば、ただちにウクライナ支援を止めて「外交的に終わらせる」というのだ。こうしたアメリカの新しい戦争のやり方は、アジアにおいて「台湾有事」を叫び、中国との緊張を高めて日本を武力衝突の最前線に立たせ戦場にしようとする動きにも貫かれているといってよい。


 岸田政府はウクライナ戦争を口実に「防衛政策の抜本的転換」を進めるが、本書はその愚かさにも踏み込んでいる。アジアにおいて日本がウクライナのような悲惨にいたらないようにするというのなら、中国や北朝鮮、ロシアとの緊張と軍事的対抗に走るのではなく、対話によるアジアの平和を追求する以外に道はないのだ。
 著者は「憲法九条擁護」をとなえて、「専制主義対民主主義」を旗印にしたアメリカの戦争に組み込まれていく潮流との違いを鮮明にしている。
 当初は孤立無援状態から始まった著者らの即時停戦の運動だが、その創意的な行動を通して市民の共感と支持を大きく広げてきた。そして、欧米を中心に「今こそ停戦を!」の声を上げる世界の知識人、文化人との連携をも強めてきた。本書全体に、「平和」を口で叫ぶだけでなく現実を変える実践を通してつかんだ運動への確信がみなぎっている。

  


Posted by biwap at 17:22辛口政治批評

2023年09月14日

新自由主義の墓場


 「El Pueblo Unido Jamas Sera Vencido!」(団結した民衆は決して敗れない!)
 2022年3月、南米チリで36歳の若き大統領が誕生した。ガブリエル・ボリッチ。10年前には高等教育の無償化を求める大規模な学生運動のリーダーであった。1973年9月11日のピノチェトによる軍事クーデターによってアジェンデ人民連合政府が転覆されて以降、約半世紀の時を経て、再び左派政党の大統領が誕生した。
 新内閣は、女性大臣14人、男性大臣10人の編成。24人中7人が30代。画期的なジェンダー平等と新しい世代のリーダーシップ。その背後には、社会的な不平等、先住民への抑圧と不正義、女性への差別や暴力、汚職や腐敗と闘う大規模な社会運動があった。
 「チリは新自由主義が生まれた場所であり、その墓場にすることだってできる」
 選挙中も選挙後も、ボリッチは自信を持ってそう言っている。ピノチェト独裁政権下で経済政策を作ったのは、新自由主義の提唱集団「シカゴ・ボーイズ」出身の経済官僚であった。チリは水道を完全に民営化した世界で数少ない国の一つである。1980年には、その「改革」は経済分野を超えて教育や社会保障にも拡大。年金と教育の民営化は、新自由主義の中心的なプロジェクトであった。世界に先駆けて国民年金制度を解体し、民間投資ファンドが運営する年金基金機構がとってかわっている。
 ボリッチらはセクト主義や革命によって資本主義を終焉させるというような、古い社会主義や共産主義左派とは一線を画す。彼らが目指すのは、環境、公共サービス、文化、そして女性の権利や多様性、先住民の権利を守ることによる、具体的な生活の改善であり、そのために新自由主義と決別することであった。
 南米12カ国では2019年に「大きな政府」を掲げてアルゼンチンで左派政権が復活。ボリビアでも反米左派政権が2019年にいったん崩壊したが1年で返り咲いた。ペルーでも新自由主義に反対する元小学校教師のカスティジョ氏が大統領に就任。チリを含めて七カ国で左派政権が誕生し、かつてない「左派ドミノ」の波が起こっている。中米ホンジュラスでは「貧困と格差是正」を訴えた左派のカストロ氏が大統領選に勝利した。


 2022年10月30日。ブラジル大統領選の決選投票がおこなわれ、左派・労働者党のルラ元大統領が、右派現職のボルソナロに勝利し、政権の座に返り咲いた。中南米では、メキシコ、ニカラグア、コロンビア、ベネズエラ、ボリビア、アルゼンチン、ホンジュラス、ペルー、チリと主要国で軒並み左派政権が誕生している。
 80年代以降、世界に先駆けて新自由主義の実験場とされた「米国の裏庭」中南米。今、新たな歴史が幕を開けようとしている。
 勝利宣言したルラ大統領は、「これは私や労働者党の勝利ではなく、政党や個人の利益、イデオロギーをこえて形成された民主主義運動の勝利だ」と、集まった数十万人もの人々に呼びかけた。
 そして選挙中、かつてない規模のフェイクニュースや嘘が垂れ流され、人々を翻弄したことにふれ、今後は教育分野への国家投資を拡大し、文化省を復興させ、文化に関する州委員会を設立し、教育や文化に誰もがアクセスでき、雇用と収入を生み出す産業にまで成長させることを強調。
 「文化を恐れる者は、民衆を嫌う者、自由を嫌う者、民主主義を嫌う者であり、文化の自由がなければ、世界のどの国も真の国とはいえない」と述べた。
  


Posted by biwap at 16:46歴史の部屋

2023年09月14日

サンチアゴに雨が降る


 2023年9月11日、チリ・サンチアゴの大統領宮殿では50年前のクーデター発生時刻に合わせて軍政による犠牲者への黙とうをささげる行事が行われた。
 今から約半世紀前のことだった。世界で初めて自由選挙による社会主義政権がチリに誕生した。
 チリの基幹産業は銅。世界の生産量の約3割を占めている。しかし、銅産業はアメリカ資本の傘下に置かれていた。これに対し、銅鉱山はチリの主権の問題である。国営化すべきと主張したのがサルバドール・アジェンデ。


 アジェンデは1908年に中産階級の名家として生まれた。医師としてサンチアゴの貧困地区に住み、社会的弱者と接してきた。1937年の国会議員選挙でアジェンデは社会党から下院議員に立候補し当選した。貧困の解決には社会化した計画経済しかないと主張し、銅鉱山を国営化しチリ人の手に取り戻すことで、その収益を貧困にあえいでいる労働者に還元しようした。


 アジェンデは、社会主義政党を中心とした勢力に1970年大統領選挙に担ぎ出された。一方、米国は銅鉱山の利権喪失、アジェンデの対米自主路線が他国に与える影響を懸念した。ニクソン米政権はアジェンデ大統領当選阻止に向けてあらゆる妨害工作を行った。
 アジェンデの社会主義路線をソ連と同様であるとしたネガティブキャンペーンが行われた。ソ連によって蹂躙されたプラハの春に関するポスターがばらまかれた。妨害活動に膨大な資金がつぎ込まれた。しかし、アジェンデは大統領選挙に勝利する。


 アジェンデは主要企業の国有化や大地主からの土地の収用といった社会主義政策だけではなく、社会的弱者の生活を保障するための政策を行った。物価凍結、賃金・年金の引き上げ、緊急住宅計画の実施、教育施設の拡充、機動隊の解散、公共事業拡大計画の実施、15歳以下の子どもへのミルクの無料給付など。
 従来の政権とは異なる社会的弱者を重視した政策は民衆から大きな支持を獲得し、大統領就任の翌年1971年4月の地方選挙では与党人民連合は圧倒的勝利を収めている。
 しかし米国や既得権益を保持する特権層にとっては自身の権益を脅かすもの以外の何物でもなかった。一日も早いアジェンデ政権の崩壊を!彼らは政権を崩壊させるためのあらゆる手段に出た。
 米国はチリへの融資の停止を行い、チリ経済を締め上げた。その一方で、チリ国内での軍事クーデターを促すべく、チリ軍部に対して500万ドルの信用供与を行うなど経済的支援を惜しまなかった。米国傘下のケネコット社はチリの主要産業である銅の暴落を図るべく、銅の大量放出を行い銅の価格を下落させた。
 米国のコリー大使は「アジェンデ政権下では、ナットもボルトも一つとしてチリに入れるのを許さない。あらゆる手段を使ってチリを最低の貧困状態に陥れてやる」と豪語している。
 チリ国内の社会情勢が不安定となる中で行われた1973年3月の総選挙ではCIAが選挙資金を反アジェンデ勢力に注入したにもかかわらず、人民連合は大きく勝利した。


 業を煮やした反アジェンデ勢力は、もはや軍部によるクーデター以外にアジェンデ政権を倒せないと判断。軍部に対して本格的なクーデターの画策を行うようになった。
 1960年代には「軍の近代化」の名の下に米国指揮下の訓練プログラムが組み入れられ、反共産主義教育や反乱鎮圧活動の訓練が行われた。4000名ほどのチリ人将校が米軍の訓練を受けており、米国はここで育成した親米将校らを最大限駆使した。




 1973年9月11日早朝、軍がクーデターを起こした。アジェンデ大統領は私邸からモネダ宮殿に向かった。陸海空軍および国家警察は、大統領に対し投降を呼びかけた。午前8時30分頃、軍は新政権誕生の放送を行った。しかしアジェンデは辞任やモネダ宮殿からの退去を拒否した。
 正午ごろ、モネダ宮殿に対し4機のホーカー ハンター戦闘機によるロケット攻撃が行われ、その後陸軍が突入し、およそ2時間の白兵戦の後、炎上するモネダ宮殿内で、アジェンデは自ら自動小銃を握って自殺した。顎から頭に向けて銃弾が2発発射されていた。




 15時30分頃、ラジオ放送で、アジェンデ政権側の無条件降伏およびアジェンデの死亡が伝えられた。22時、軍政評議会発足。陸軍総司令官であり軍事評議会委員長に就いたのが、9・11クーデターの首謀者で、この後チリの独裁者として君臨するアウグスト・ピノチェトであった。ピノチェトはさらに、チリ全土を恐怖に陥れることになる秘密警察DINAを自らの直属の組織として創設した。


 「左翼狩り」が行われた。人民連合の関係者、労働組合員、市民や活動家が逮捕・拘束・殺害。サンティアゴの室内競技場エスタディオ・チレには、多くの左派市民が拘留され、そこで射殺されなかったものは、投獄あるいは非公然に強制収容所に送られた。また、左翼系の書籍や雑誌はことごとく没収され、公衆の面前で焚書された。



 米国政府は経済面でもピノチェト軍事政権を支援した。米国農務省は10月と11月にそれぞれ2400万ドルを供与した。米国国際開発庁は3年間で1億3200万ドルを提供した。米国が牛耳る国際金融機関も対チリ信用供与を再開した。
 プロパガンダの面でも米国政府はピノチェトを支援した。その多くは、ピノチェト政権の国際的イメージアップを狙ったもので、チリのキリスト教民主党の著名な議員たちがラテンアメリカとヨーロッパを回ってクーデターを正当なものとして説明するというツアーの資金を提供した。
 日本では当時の政権与党である自民党の他、民社党などが反共主義を理由にクーデターを支持した。とりわけ民社党は塚本三郎を団長とする調査団を派遣し、クーデターを「天の声」と賛美した。


 ピノチェトの政治体制に反する者への拷問は悲惨を極めた。目、鼻、口、膝、敏感な陰部に狙いを定めて繰り返し打撃をしたという物理的な暴力が行われたほか、爪の下に針を差し込みそこに電流を流すといった電気ショックを行うなどした。女性に対しては性的に辱める拷問も行われていたという。直接的な拷問以外にも、2m四方の部屋に押し込められた上、トイレに行くことも許されず汚物をそのまま垂れ流すといった人間の尊厳に反する行為も行われていた。


 ピノチェト政権下では、新自由主義学派のミルトン・フリードマンの弟子 で俗に「シカゴ・ボーイズ」と呼ばれる経済学者の政策が採られた。彼らの経済学は反ケインズ主義に基づくものであり、政府による規制、貿易障壁を資本主義の理念に反するものであるとして、政府による規制撤廃、徹底した民営化、財政縮小による自由放任経済を理想とするものであった。
 ピノチェトは彼ら「シカゴ・ボーイズ」を経済顧問とし、彼らの進言に沿って国営企業の民営化、関税の引き下げ、財政支出の削減、価格抑制の廃止などを行った。
 その結果、クーデターの翌年1974年にはインフレ率375%を記録。失業率も増加し、一般庶民はパンを買うのにも苦労する有様となった。
 ピノチェト政権を容認していたアメリカ政府もチリ国内での民意の不満の高まりやアメリカ議会からのピノチェト政権の軍事独裁に対する批判の声が出始めると、アメリカ政府はピノチェト政権に民政移管を行うよう求め始めた。
 ピノチェトは1990年に大統領を辞任。1998年に病気療養のために渡英した際、国際逮捕状が発行され、ジェノサイドと人道に対する罪で逮捕・拘束された。しかし、健康上の問題があるとして拘束が解かれた。
 その後もチリ国内でもピノチェトを裁判にかける動きはあったものの、健康上の問題や認知症を理由に有罪となることはなく、2006年に91歳の長命でこの世を去った。
 この間、チリは新自由主義の実験場に位置づけられ、国営企業を次々に多国籍企業に売り渡し、外国からの輸入自由化、医療や教育を中心にした公共支出の削減、食料などの生活必需品の価格統制を撤廃した。
 フリードマンはこれを「チリの奇跡」と呼び、米国は同様の手法でアルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルにも軍事独裁政権を成立させ、多国籍企業の草刈り場にした。
 チリ経済は破綻し、貧富の格差が極限にまで拡大した。同時にCIAが暗躍する反政府運動の弾圧は続いた。拷問や投獄などの被害者は7万人をこえたとされる。
 一握りの富裕層をさらに富ませ、中間層をも消滅させ、大多数を貧困化して社会を荒廃させた。その恩恵を受けたのは多国籍企業と「ピラニア」と呼ばれる投資家の小集団だけだった。
 だが、いまや南米をはじめ世界的に幾多の犠牲をともなってくり広げられた新自由主義の壮大な実験は、その失敗が明白になり、米国の支配は行き詰まりを迎えている。


 アジェンデは死の間際、唯一残ったラジオ放送局から最後の演説をおこなった。
 「我々のまいた種は、数千のチリ人民の誇り高き良心に引き継がれ、決して刈り取られることはないと確信する。軍部は武器を持ってわれわれを屈服させるだろうが、犯罪や武器をもってしても歴史の進歩を押しとどめることはできない。歴史は我々のものであり、人民がそれをつくるのだ。
 人民は、破壊され、蜂の巣にされたままであってはならない。屈服したままであってはならない。我が祖国の労働者たちよ!
 私は、チリと、その運命を信じている。私に続く者たちが、裏切りが支配するこの灰色で苦い時代を乗り越えていくだろう。遅かれ早かれ、よりよい社会を築くために、人々が自由に歩くポプラ並木が再び開かれるだろう。」


 あれから半世紀の時をこえて、2021年12月、チリで「新自由主義の墓場にする」ことを宣言する新大統領が誕生した。南米において、狂気に満ちた軍事的経済的謀略や、内政干渉をともなう新自由主義を乗りこえた新しい歴史の端緒がひらかれようとしている。
 独立と民主主義を求める人々のたたかい。激しい弾圧と紆余曲折の中、そのたびに増していく民衆の力を押しとどめることはできないことをチリ人民は教えている。
  


Posted by biwap at 11:04歴史の部屋

2023年07月19日

百姓を怒らすでない


 「フードテック投資」という妖怪が徘徊している。金儲けのためなら手段を択ばない例の面々。
 2020年、農林水産省は今後の活性化領域としてフードテック官民協議会を立ち上げた。同協議会には約1000人の産官学の組織に所属するメンバーが集まった。
 ゲノム編集食品、培養肉、コオロギパウダー入りのお菓子。産業振興面での今後への期待は大きいという。食品メーカー、商社、食品流通事業者、金融機関、ベンチャーキャピタルまでが注視している。

三菱総合研究所の「フードテックの未来展望」を読んでみよう。
<食料のうち、気候変動の観点から負荷が最も大きく、需要拡大が懸念されているのは、牛肉である。牛肉1㎏を作るのに必要とされる飼料要求量(穀物を含む)は25㎏にも及ぶ。大量の水と土地を必要とするのに加え、牛のゲップに含まれるメタンガスがCO2の28倍もの温室効果を有する。これらを合わせると、牛肉1kgの生産により、88kg分のCO2排出と同等の環境負荷があるとされている。
 これに対して、より効率の良いたんぱく源として、植物肉、コオロギをはじめとする食用昆虫、培養肉、精密発酵による乳製品などの新しい食品製造(フードテック)が提案され、一部はすでに市場で流通し始めている。果たして、これまで食べてこなかったたんぱく源への移行はスムーズに進むのだろうか。これまでに食経験のない食品については、より丁寧な説明や制度的な後押しが必要になる。
 例えば温室効果ガス排出の多さから各たんぱく質を評価すると、最も多い牛に比べて豚は約3分の1、鶏は約5分の1、昆虫食では鶏よりもさらに少量となる。
 では、培養肉や、植物肉、魚介類はどうなのか。牛乳に比べ精密発酵乳は生体の飼育を伴わない分、温室効果ガスの排出が少ないとされる。こうした情報が分かることではじめて、価格とおいしさという従来からの指標に加え、気候変動など環境視点からの評価を加味した商品選択が可能となる。>


 オランダは九州ほどの小さな国にもかかわらず、多数の家畜を集中させて生産効率を上げる「集約畜産」を採用することで、現在もアメリカに次ぐ世界第2位の農産品輸出額を誇ってきた。その分、家畜の糞尿に含まれるアンモニウムが大気へ排出する量も大きい。牛のげっぷに含まれるメタンガスの温室効果は二酸化炭素の28倍であるという。このため、気候活動家はオランダがEUの中で最大の集約家畜頭数を維持し続けていることを非難した。
 2022年6月、オランダ自然・窒素政策相は2030年までに国全体のアンモニアと窒素化合物の排出量を半減させるという目標を打ち出した。そのために、家畜の数を3分の2に減らし、さらに農地を強制的に買い取るという。
 農業を基幹産業としているオランダで、何千もの農家が家畜の数や経営規模を大幅縮小しなければならなくなり、政府に協力しなければ完全廃業を余儀なくされる。さすがに、「何か変だよね」となる。
 「温暖化による地球滅亡というショックをたてに、畜産を潰し農地を没収するドクトリンを進めているのでは?」
 オランダ政府が自国農民を土地から追い出すその裏で、同時に進めていたプロジェクトがある。「スマートシティ」開発計画。
 3000万人から4000万人の住民が、水耕栽培や昆虫食などCO2を出さない健康な食事をし、あらゆるデータがネットでつながれ、生活に必要なサービスが最速で受けられる、持続可能な生活スタイルを送るという全く新しい都市計画。メガポリス都市の建設には大量の土地が必要だ。


 廃業を恐れる農家や農業団体は大規模なデモを始めた。2022年9月には農業大臣が辞任に追い込まれる事態にまで発展した。農家主導の政党が、上院議員選挙で第1党に躍進した。グローバリズムに対する素朴な反発が背景にある。


 農家団体は数多くのトラクターで高速道路を封鎖し、都市部でデモ行進を繰り返した。抗議活動が繰り返される中で生まれたのが「BBB(農家市民運動)」だった。


 党首ヴァン・デル・プラス氏。元々は養豚を専門とする農業ジャーナリスト。政治的にアジるというより、人々に分かりやすく話す才能を持っている。母親がアイルランド出身。選挙集会では米国の人気歌手ニール・ダイヤモンドの名曲「スイート・キャロライン」に乗って演説をする。
 この曲はアイルランド系のジョン・F・ケネディの長女キャロライン・ケネディに捧げたものと言われ、アイルランドでは人気の曲だ。オランダ国内では、「キャロライン」という名前は非エリート層の出身を思い起こさせるという。
 農家や地方の有権者が、グローバリゼーションで恩恵を受ける都会のエリートや富裕層をやり玉に挙げ、政治の場で反旗を翻す風景は、欧米で広がっている。
 庶民性を表す「キャロライン」を前面に出したBBB。怒れる農家が主導し田舎代表として存在感を示したオランダの反乱は、多くの国で関心を集めた。
 日本では、かつてTPP反対運動で反グローバリゼーションの立場から市民団体を巻き込んだ農協も、自民党政権下で徹底的に牙を抜かれていった。政権与党に刃向かってまで自分たちの要求を突きつける兆候は見られない。


 欧州では素朴な農村の怒りは、中道右派政党へと向かっている。日本でも、都市のリベラル左派は「サンデーモーニング」を見ながら、地球温暖化に危機感を募らせている。蜘蛛の巣の張った観念左翼は、もう一度原点から再出発した方がよろしいのではないかと思う。  


Posted by biwap at 14:47CO2温暖化説への懐疑