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2017年09月29日

サーカスにはピエロが


 頭が混乱し、欲に目がくらむと詐欺師に騙される。全財産をむしり取られた姿に見えなくもない。それとも、「化けの皮」がはがれたと言うべきなのか。
 政権交代のためには悪魔とでも手を結ぶという。でもそれでは何のための政権交代なのか。暴力革命は新たな暴力独裁を生み出してきた。目的のためにこそ、手段を選ぶのは大切なことだ。それが「変革の姿」を規定する。
 「希望」など全く見えない政治の現実。それでも絶望やニヒリズムに陥ってはいけない。「理性的なものこそ現実的である」(ヘーゲル)
 こんな時こそ、人間の本当の姿が見えてくる。「劇場政治」に惑わされることなく、しっかりと物事を見きわめ、自分の頭で考えていきたいものだ。
 テレビは、例によって面白おかしく煽るだけ。よって、「日本がアブナイ」というブログ記事を引用。

<昨日28日、衆院が解散された。何か10月22日が投票日らしいんだけど。どうにも力がはいらない。
 元衆院議長の自民党の伊吹文明氏が、うまいたとえをしていましたね。
『伊吹文明・元衆院議長(発言録)
 民進党は、一度は日本の政権を担った。衰えたとはいえ、厳然たる野党第1党。かつては日本一の会社だった。今、人気という運転資金が無くなってきて、慌てて本社もない(希望の党という)バブル企業に資金繰りを頼んでいるということでしょう。
 10人程度の議員しかいない新興バブル会社が、合弁の条件にいろんなことを言って、一緒になったらお前は新しい会社で雇用してやるが、お前は雇用してやらないと。そんな交渉を、おめおめと引き受けるというのはリーダーとしてどうかと思いますよ。
 リーダーである限りは、やっぱり自分が責任を持っている議員、党、組織、立候補予定者を、最後まで身の振り方を全てきちっと仕上げた上で、自分のことを最後に考えるのがリーダーの当たり前の姿勢。かつて日本一の政権をとった政党をたたき売って、たかだか10人くらいのバブル企業に、身売りをするのは、ちょっとわからないですね。
 選挙の生き残りの希望の党になっている感じがしますよ。(衆院解散後に派閥の会合で)(朝日新聞17年9月28日)』
 企業とか球団とかのオーナーが身売りするっていうなら、まだ話はわかるけど。でも、これは政党だからね!(ーー)
 国民の投票で選ばれた&国民が報酬を払っている国会議員が所属している政党の話なのだから。しかも、政党だって、国民の税金で助成金をもらっているし~。
 それが政策はさておき、人気や注目欲しさに、臆面もなく身売りをしちゃうとは・・・。_(。。)_
 前原氏は「理想の社会をつくるために、名を捨てて実を取る」と言っていたのだが。mewとは「理想」に思う社会や求める「実」が違っているんだよね~。 (ノ_-。)
 mewが理想としているのは、多様な国民の意思を反映できる自由&民主主義の社会。それを実現するために、mewが求めているのは、安倍自民党のような「アブナイ保守」をしっかりと監視、批判して、国政のバランスをとることができる「非保守」(中道・リベラル)の政党や議員であって。
 前原氏らの望むような「安倍の改憲、安保に賛成」の「改革保守」の政党をもう一つ作って、日本に保守二大政党制を築くことではないのだ。(**)
 それに「我々自身がプラットホームを作るということ」と“吸収合併”されることではないと言っているけれど・・・。
 最初っからこんな風に、希望の党側に主導権をとられて、どうして自分たちのプラットホームが作れるというのだ。てか、そもそも「われわれ自身のプラットホーム」ってどういうものなの?(-"-)
 ただ、mewは当然にして、この両院総会では反対派から疑問や非難が噴出するような荒れる総会になるものだと思っていた(期待していた?)のだが。
 議員だけの懇談会の間は、取材はシャットアウトされていたものの(記者がドアに耳を当てて、少しでも中の声をきこうとしてたりする)、怒号などはきこえず、いくつか質問が出ただけだったとのこと。(・・)
 誰かが「希望の党が公認しない人はどうするのか」と質問。前原代表が「自分が交渉する」と答えたらしい。
 結局、何か最後はみんなで拍手して「満場一致」の形をとり、前原案に賛成したという。(゚Д゚) 
 でも、昨日も書いたけど。希望の党は、公認申請をした人をみんな公認するつもりはないんだからね。太陽の党が選んでくださらないと、公認していただけないんだよ。(・・)
 いまや希望の女王と呼ぶにふさわしい(?)小池代表は昨日の日本記者クラブの会見でも、こう言っていた。
 「私どもは、合流という考えは持っていない。これから、『希望の党で戦いたい』という申し込みがあって、初めて、候補者として選ぶかどうかだ」と述べました。
 そのうえで、小池氏は「希望の党で出たい人もいるし、『そんなの嫌だ』という人もいるだろう。安全保障関連法の採決の際に全く賛成しないという人は、そもそも申し込みをしないだろう」と述べ、外交・安全保障政策などを考慮して民進党出身者の公認の是非を個別に判断する考えを示しました。(NHK17年9月27日)
 民主党(当時)は、15年の安保法制には全員が反対。あの前原代表でさえ、一部に違憲性があると言っていて、今度の衆院選でも、安保法制の(一部)廃止や9条改憲反対を公約にする予定だったんだけど。
 希望の党に公認されたい人は、衆院選で主張するはずだった考えを変えなければならず。変えない人は、公認を申し込むことさえけん制(実質的に制限?)されちゃうわけで。しかも、民進党にも公認されず、無所属で出るしかないし、資金の提供もないとか?
 それがわかっていなから、何で改憲・安保反対の議員たちも、前原案に賛成したのかmewにはわからない。(-"-) 
 あ、あと細野さまが、菅・野田元首相はいらないって。『希望の党の細野豪志元環境相は28日夜のBSフジの番組で・・・「民進党は歴史的役割を終えた。民進党の中で三権の長を経験した方々はご遠慮いただく」と述べた。名指しは避けつつも、首相経験者の菅直人、野田佳彦両氏は合流を辞退すべきだとの考えを示した発言だ。同時に、「最終的には小池百合子代表の判断だ」とも述べた。(時事通信)』
 もしかしたら、mewが、日本の国会、国民にとって大事だと思って応援していた議員の中にも、今回の「希望の党戦略」によって、公認がとれずに落選したり、出馬できなかったりして、国会から消されてしまう人が何人も出るかも知れないと思うと、尚更に哀しくなってしまいそうなのだけど・・・。
 何とかこのアブナイ「希望の党戦略」から中道・リベラルの議員を救う方法はないのか、ボケボケになりつつあるアタマを懸命にしぼってるmewなのだった。(@@) >

後日談(2017年10月3日立憲民主党Y氏ブログより)
 いま晴れ晴れとした気分です。「希望の党」に属して、心にもないことを言わされることはなくなりました。ちょっと前まで安保法制反対と言っていたのに、突然その真逆のことを言わされるのはかなわないと思っていました。おかげで吹っ切れました。自分の良心に逆らうことなく、気持ちよく選挙戦にのぞめます。悔いのない戦いができることをうれしく思います。
 安倍政治を終わらせ、格差の少ない社会、公平ですべての人にチャンスのある社会、多様な価値観が認められる寛容な社会、子どもの貧困のない社会、平和な国際社会、原発ゼロを実現するためにがんばります。正々堂々と自らの信じる政策を訴え、信念を曲げることなく、全力で戦いたいと思います。
  


Posted by biwap at 09:17辛口政治批評

2017年09月22日

信頼と友好の使者



 琵琶湖文化館蔵「琵琶湖図」。円山応挙の孫・円山応震筆。中央に広大な琵琶湖を描き、画面左に三井寺・比叡山・比良山と山並みが連なる。画面右には近江富士の威名をとる三上山、湖南の山々が続く。右端に大津の町並みが描かれ、瀬田の唐橋は松並木の先にかすむ。画面右下に、湖岸に沿った町中を通る行列が描かれている。それを切り取ったのが上の絵。カラフルな服装の人々は明らかに異国風。正装した馬上の人物、団扇や傘を持つ者、槍や矛を持つ者の間に 、清道旗(セイドウキ)がひるがえる。これが「朝鮮通信使」。
 「琵琶湖図」は1824年、円山応震34歳の時の作品。朝鮮通信使一行が最後に近江を訪れたのは、1764年のこと。実際に見たわけではない。朝鮮通信使のもたらした強烈な印象は、消え去ることがなかったようだ。琵琶湖畔を進む朝鮮通信使の行列が描かれた、唯一の絵画資料であるとされる。
 朝鮮通信使。豊臣秀吉の朝鮮侵略のあと、関係修復を願う徳川家康の要請に応えて使節団がわが国に派遣された。以降200年あまりの間に12回派遣されている。
 朝鮮人街道(http://biwap.raindrop.jp/details1034.html


 近江出身の儒学者・雨森芳洲(アメノモリホウシュウ)(1668~1755)。芳洲は対馬藩に仕官し、朝鮮語と中国語に通じていたため2度の通信使に随行して江戸を訪れている。61歳の時、対馬藩主に献じた外交心得書の中で、「偏見や蔑視を排し、違いを尊重すべき」と主張している。その「誠信外交」の精神は、まさに今の時代に大きな意味を持っている。
 雨森芳洲(http://biwap.raindrop.jp/details1037.html

 約200年にわたり、両国の平和的な関係を築く礎となった「朝鮮通信使」。日韓友好のシンボルであり、世界史的にも意義があるとして、日韓両国の民間団体が昨年「ユネスコの世界記憶遺産」に共同申請した。「不幸な歴史を乗り越える手段に」と 。雨森芳洲の出身地・長浜市でも、登録推進実行委員会が設立された。地元には雨森芳洲の偉業を顕彰する「芳洲会」がある。世界記憶遺産への申請には、日韓で333点の資料が提出されており、うち36点は「芳洲会」が所蔵している。
 「ユネスコの世界記憶遺産」への登録は実現するだろうか。その決定は今年秋の見込み。国境の壁を越えた、民間の人たちの「日韓友好」への熱い思いが、是非実ってほしいものだ。「通信」とは「信(まごころ)を通わす」こと。こんな時代だからこそ、「通信使」の復権が切に望まれる。朗報を待つのみ。
  


Posted by biwap at 06:04近江大好きKOREAへの関心

2017年09月21日

気がつけば皆カイケン


毎日新聞2017年9月19日夕刊
<いきなり解散と言うけれど… 気がつけば「改憲勢力」ばかり>
 安倍晋三首相は28日召集の臨時国会冒頭にも衆院を解散する方針を固めた。自民党は、臨時国会で党の憲法改正案を示す方向だったが、解散すれば仕切り直しになる。選挙後、改憲発議に必要な3分の2を改憲派が占めるかは見通せないが、政界では、気がつけば「改憲勢力」は着実に増えている。
<背景に新自由主義の台頭 護憲は「旧態依然」?>
 「池田勇人首相以降、本気で改憲をやろうとする首相はいませんでした。その点、安倍首相は本気なので『異質』です。しかし内閣支持率が下落した今、安倍首相は実現のためというより、求心力を維持するために改憲を訴え続けていくしかない、という状況に変わりました」
 こう解説するのが、政権への「辛口」で知られる政治評論家の森田実さん。東京都議選で自民党が惨敗した後…
 確かに改憲を巡る安倍首相の言動は変化した。5月3日、保守系の民間団体へのビデオメッセージで、憲法9条について、戦争放棄をうたった1項と戦力不保持を定めた2項を堅持した上で、自衛隊の存在を明記。2020年に改正憲法施行というスケジュールも示した。ところが、「森友学園」「加計学園」問題などの影響で、7月に内閣支持率が危険水域とされる20%台まで低下すると「スケジュールありきではない」などと述べ、強気の姿勢から一転した。
 安倍首相は衆院を解散する意向を固めたようだが、悲願である改憲は諦めていないとみられる。選挙後に改憲派で3分の2を割るかもしれないが、その「強気」はどこから来るのだろう。
 改憲派の論客、百地章国士舘大特任教授(憲法学)は「小池百合子都知事の存在はプラスになるでしょう」と語る。
 小池氏の力は都議選でさく裂。代表を務めた「都民ファーストの会」から49人を当選させた。小池氏側近の若狭勝衆院議員(無所属)が代表を務める政治団体「日本ファーストの会」は、月内に設立する予定の新党で改憲を目指す考えを明らかにしている。14日の記者会見では、改憲によって衆参両院制から1院制へ変更する基本政策を強調した。「小池知事には訴えの一つにしたいと話して賛同していただいている」と述べた。
 では、小池氏の姿勢はどうか。毎日新聞の03年衆院選の当選議員アンケートでは「改憲賛成」と回答を寄せた。また、第2次安倍内閣発足後の13年3月の衆院本会議で、当時自民党に所属していた小池氏は質問の中で、安倍首相の憲法観を問いただした。「憲法の改正は国会にのみ認められた権限です。国会が最高法規である憲法を議論することは当然です」。都知事就任以降、改憲に関連する目立った発言はないが、改憲派と見ても違和感はない。
 「小池新党」に対しては「都議選の勢いを次の衆院選まで維持すれば一定勢力を形成する」というのが、政界関係者の一致した見方だ。さらに、民進党を離れた細野豪志氏ら、改憲に前向きな国会議員の参加も予定される。小池新党は、改憲を前面に押し出してスタートを切る可能性は高い。
 また、民進党も改憲勢力に加わるとの見方がある。理由は前原誠司新代表の存在だ。以前から自衛隊の存在を明記する「加憲」が持論で、安倍首相の立場と変わらない。6日の広島市内での演説で「憲法については堂々と議論する」と述べた。「安倍政権での改憲は許さない」としてきたこれまでの党執行部の方針とは違い、改憲に向けた議論に取り組む姿勢を見せている。
 小池新党+民進党。そこに与党の公明党、与党寄りの姿勢が目立つ日本維新の会を加えたら、改憲への車輪は動くか。
 公明党の山口那津男代表は14日、「自民党内の議論が集約されていない」などと発言し、憲法9条改正や20年の改正憲法施行は現状では難しいとの認識を示した。そうだとしても、公明党は一昨年の安全保障関連法の議論など、これまで最終的には自民党に同調してきた。また、維新は改憲による教育無償化などを掲げているし、代表の松井一郎大阪府知事ら党幹部は、安倍首相らと会談を繰り返すなど近しい関係を築いている。9条改正について、松井氏は「党内で意見集約をしたい」と前向きだ。
 この現状を百地さんはどう見ているのか。「若狭さんの改憲発言は小池さんの意向を受けてのことでしょう。前原代表も議論には前向きなので、国会を挙げて改憲問題に取り組む態勢ができてきた。その意味で、画期的なことです」と話し、千載一遇のチャンスだと強調する。
 なぜ改憲勢力がこれほどまでに大勢を占めるようになったのだろう。その答えを日本の政界の動きと世界的な潮流から解説するのは、「右傾化する日本政治」などの著書がある上智大の中野晃一教授(政治学)だ。
 まず日本の政界について語る。「四半世紀前の(小選挙区比例代表並立制を導入した)政治改革から始まり、構造改革、郵政民営化改革など、この国ではずっと改革ブームが続いています。政治とは改革をするものであり、改革を語れない政治家は守旧派と見なされる。その流れの中で憲法も語られ『改革イコール改憲』とされる一方、護憲派は旧態依然としているというレッテルを貼られてしまうのが現状です」と指摘する。
 世界的な動きでは、東西冷戦の終結後にグローバル資本主義の時代に入り、新自由主義が台頭したことが改憲派の躍進に影響したと分析する。新自由主義は政府による規制をできる限り減らし、自由競争を重んじる考え方だ。それが改憲派の増大を招く理由について中野さんは「政府は『官から民へ』という流れで、国民の面倒を見るというインタレストポリティクス(利益誘導型政治)から撤退した。その結果、どうやって国民の支持を取り付けるかを考えると、特に保守政党はイデオロギーに訴えるようになるのです」と語る。欧米の場合はそれが排外主義や移民排斥などに表れ、日本では、自主憲法制定(改憲)につながっているというのだ。
 改憲勢力の基盤は揺るがないようだが、改憲の実現性について、森田さんと中野さんの見方は一致していた。それは「改正を問う国民投票で過半数の賛成が得られる自信が、安倍首相や自民党になければ、国会発議を見送るのではないか」という考えだ。森田さんが解説する。「1955年の自民結党時、政綱には『現行憲法の自主的改正をはかり』と明記されました。だから国民投票で改正案が否決されると、党の存在理由が揺らいでしまうのです」。報道機関の世論調査では改憲に対する賛否は割れており、改憲への環境が整っているわけではない。
 ただ、国政での護憲派は衰退の一途だ。明確な護憲政党と言える共産、社民両党の衆参の国会議員は計39人。全国会議員(定数717)の5%に過ぎない。国政選挙で護憲の意思を託す受け皿になる政党が弱体化しているのが現実である。
 国民の賛否が割れているテーマを慎重に議論することにこそ、国会議員の存在意義がある。これからの憲法論戦は、この国の行く末を決める重要な節目になりそうだ。
  


Posted by biwap at 08:52

2017年09月16日

おかしいことはおかしい!



 朝の報道番組。ミサイル発射を想定した避難訓練の映像を見て激しいショックを受けた。いかに戦争を避けるかではなく、いかにミサイルを打ち落とすかを何の疑問もなく語る番組に、さらにショックを受けた。そして、どこを見渡しても「おかしいこと」を「おかしい」と言わないマス・メディアの状況に、さらに深いショックを受けた。批判の声を消し去れば、民主主義は死滅する。「おかしいこと」を「おかしい」と感じ、「おかしいこと」は「おかしい」と言い続けること。大切なのは、その小さな一歩。以下、ネット記事を引用。

<平和解決を求めることがなぜ「迷質問」呼ばわりされるのか。今月1日付の産経新聞は「菅義偉官房長官の31日の記者会見で、米韓合同演習を批判し、弾道ミサイルを相次いで発射する北朝鮮を擁護するような質問が飛び出した」と報じた。
 質問者は、加計学園問題などをめぐり、菅を質問攻めにして追及した東京新聞の女性記者だ。はたして彼女は本当に北を擁護したのか。実際のやりとりは次の通り。
東「米韓合同演習を続けていることが、金(正恩)委員長の弾道ミサイル発射を促しているともいえる。米韓との対話の中で、合同演習の内容をある程度、金委員長側の要求に応えるように、冷静になって対応するようにと日本政府は働きかけをやっているのか」
菅「わが国としては対話と圧力、行動対行動。基本姿勢の下に日米の強力な同盟の中で、国民の皆さんの安心・安全を守っていく。万全の態勢で取り組んでいる。その(質問の)内容については、北朝鮮の委員長に聞かれたらどうですか」
東「北朝鮮とのパイプがないので分からない。今の発言だと、ある程度、演習の内容についても北朝鮮側の要望に応え、冷静かつ慎重な対応をするように米韓サイドに求めていくという理解でいいか」
菅「わが国としてはありとあらゆることに対応できるように万全の態勢で取り組んでいる」
 彼女は北を擁護していないではないか。米国と足並みそろえた制裁強化で北を追い詰めるのではなく、冷静かつ慎重な対応という選択肢もある。
 質問を聞けば、平和解決の道筋が見えてきそうだが、産経新聞は
「東京記者、官房長官に迷質問『北要求に応じる調整しているか』」の見出しで記事に。さらに記事を転載したネットニュースでは、見出しが一段と過激になってしまう。
「『金正恩委員長の要求に応えろ』!? 東京新聞、官房長官にトンデモ質問」
 まるで東京新聞記者が会見で“北の要求に応えろ”とストレートに迫ったも同然の印象だ。事実、報道の3日後、東京新聞の代表電話に彼女への殺害予告が入った。電話の主の中年男性は「ネットニュースに出ている記者は、なぜ政府の言うことに従わないのか」「殺してやる」との趣旨を一方的にまくしたてたという。
 政府の言うことに従わないと殺す、とは許しがたい言論テロだが、いわゆる“ネトウヨ”たちも「調子に乗り過ぎだ」「国賊だな」「アホ記者だな」と女性記者を罵倒する言葉をネット上に書き連ねている。彼女を擁護しようものなら、今度はそれに対する反論、批判の集中砲火だ。もう、ムチャクチャである。
 北朝鮮の肩を持つ気はさらさらないが、まだ朝鮮戦争が休戦中なのに、米韓両軍は38度線の間近で金正恩指導部の壊滅を狙った「斬首作戦」なる物騒な訓練を実施しているのだ。北だって、こちらも武力を誇示しなければ、国が潰されてしまうと思うのもムリはない。政治評論家の森田実氏はこう言った。
 「北朝鮮危機のような国際問題は感情論を押し殺し、原因を冷静かつ俯瞰して対処すべきです。それなのに安倍政権は『対話と圧力』を掲げながら圧力一辺倒。対話の糸口を探す努力をせず、米国と歩調を合わせているだけでは危機は解決しません。一方的に偏った政府の対応が、平和解決を訴えようものなら、『北の回し者か』と言われるムードを助長するのです。現在の“北憎し”の風潮は『鬼畜米英』のスローガンの下、政府の気に入らない言説を述べれば『米国の手先』と罵倒された戦前に似てきています。今こそ、310万人もの同胞が命を落とした悲劇の教訓を、学び直さなければいけません」


 形だけ国家主義者の首相が北朝鮮危機をあおることで、この国には極めて危ういムードが蔓延しているのだが、反対意見が許されないのは3年後の東京五輪も一緒だ。「ニッポン頑張れ」と言わなければいけないムードがはびこり、選手は国のためにメダルを取ることが目的化している。
 実際、JOCは「金メダル数世界3位以内」と東京五輪の目標メダル数を発表し、前選手強化本部長の橋本聖子参院議員は「東京五輪を大成功に導く義務があり、それにはメダルの数が必要」とハッパをかけていた。
 オリンピック憲章は、国によるメダル競争を禁じているのに、この国ではメダル獲得のための選手強化費に予算がつく。メダル獲得を国家プロジェクトに仕立て上げるから、現場は過剰な重圧を感じてしまう。
 バレーボール女子の中田久美監督は就任初のミーティングで選手に「私たちの背負っているものは国家プロジェクト。結果を出さないといけない」と熱く語り、先日のワールドグランドチャンピオンズ杯で5位に終わると、カメラの前で悔し涙を流した。
 柔道世界選手権に初出場で金メダルを獲得した男子66キロ級の20歳、阿部一二三は「世界王者に1回なっただけ。東京五輪への第一歩にすぎない」と語り、“五輪ありき”の心境を素直に表現していた。東京五輪反対派のフリーアナウンサー・久米宏氏は日刊ゲンダイ「注目の人」インタビューで、こう喝破していた。
 「日本人はスポーツが好きなワケじゃない。オリンピックが好きなんですよ。オリンピックが好き。メダルが好きというビョーキです」
 オリンピック病に侵された政府と国民によって、選手やその周辺は2020年の本番が近づくにつれ、どんどん追い詰められていきそうだ。
 今の日本の風潮について、旧満州生まれで父・開作氏が戦前は特務機関の監視対象にされた、筑波大名誉教授の小澤俊夫氏(ドイツ文学)に聞いてみた。
 「くしくも北朝鮮危機と東京五輪への準備が重なってるのですが、そこに危険な国威発揚、ナショナリズムの拡大が露骨に見えて、非常に嫌な感じがしています。両者に共通するのは他の意見を許さない異様なムードです。メダル取りが国家プロジェクトなんて、ちょっと前の社会主義国家のような異様さだし、五輪を目いっぱい、政治利用したのがヒトラーなんですよ。それでなくても、最近の五輪は商業主義に毒され、選手ではなく、国が前面に出て、政治的な国威発揚に利用されている。だから、僕は五輪反対なんだけど、それすら言うのがはばかられるようなムードがある。これは大変危険なことです」


 異様といえば、政府が北朝鮮のミサイル発射を想定した避難訓練を全国で実施、子どもたちが頭巾をかぶって机の下に潜る風景が当たり前のように報じられていることだ。まさか、21世紀の日本でこんな光景が政府主導で繰り広げられるとは……。戦時中に軍人が婦女子を集め、竹やりでB29を撃ち落とす訓練をやらせた姿を彷彿とさせる。
 「当時はうちの親父(開作氏)なんか、『何をバカなことをやっているんだ』と大声で言ったから、特高に捕まるんじゃないかとヒヤヒヤした。でも、本当に言えなかったんですよ。言うと、『国賊』のレッテルを貼られて、白い目で見られる。アウトです。でも、今のミサイル避難訓練で被害から身を守れるんですか? 合理性がないのに、ただ、恐怖心と敵愾心をあおるためだけに政府はやらせているような気がするけど、誰もおかしいと言えないでしょう。若い人は空気を読むことに汲々として、長いものには巻かれろという、日本人の気質が悪い方向に出ています。そこに朝鮮人、中国人への蔑視が加わる。麻生副総理は『ナチスの動機は正しい』などと言う。この国はとんでもない方向に突き進んでいますね」(小澤俊夫)
 行き着く先は、とてつもなくグロテスクなナショナリズムに染まった日本の姿である。>(日刊ゲンダイDEGITAL 2017年9月15日『北朝鮮と東京五輪があおる グロテスクなナショナリズム』)
  


Posted by biwap at 06:44辛口政治批評

2017年09月14日

そよ風のように街に出よう


朝日新聞「天声人語」(2017年9月14日)
<ある雑誌がこの夏、幕を閉じた。障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」。障害者をめぐる理論や政策を論じるのが主眼ではない。当事者の生の声にこだわり、恋愛や出産など見過ごされがちだった問題を取り上げた
▼1979年に大阪で創刊した。障害者が街に出ることに今よりずっと覚悟のいる時代だった。偏見や先入観は根強く、通りを行く障害者に注がれる視線は冷たかった
▼反響を呼んだ特集「車いすひとりある記」は、脳性まひの男性が介助者なしで外出する体験記だ。駅員に「介助者がおれへんかったら乗ったらあかん」と拒まれる。「あんたは死んだ方がしあわせやで」と通行人に言われる
▼最終の91号まで編集長を務めた河野秀忠(カワノヒデタダ)さんが先週、亡くなった。74歳だった。「終刊を見届けて間もなかった。雑誌と一緒に逝ってしまった」と古くからの友人も驚く
▼「鉄の意志がなければ生きられない社会は、鉄のように冷たい」「社会に不可欠なのは水道、電気、ガス、そして福祉」「心のアンテナを全開状態にしていないと、風のように吹き抜ける幸せをつかまえられない」。河野さんが本紙に語っている。平易で奥深い言葉は、在野の哲学者を思わせる
▼「そよ風」の刊行された38年の間に、障害者の暮らしの幅は少しずつ着実に広がってきた。それでもなお、障害のある乗客は駅頭や搭乗口でしばしばとまどう。障害者施設の入所者が危害を加えられる。そよ風がくまなく社会に行き渡るのはいつだろう。>

 障害者にやさしくない社会は、私たち一人一人にもやさしくない社会である。社会に生きる人たちが支え合っていく「しくみ」は、人類の英知の到達点。たとえ逆風が吹きすさぼうと、私たちはそよ風のように街に出よう。「強い国家より、やさしい社会」を目指して。
  


Posted by biwap at 09:49biwap哲学

2017年09月11日

「バベルの塔」を築いた画家


 ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展(大阪・国立国際美術館)


 ノアの洪水の後、人間はみな、同じ言葉を話していた。人間は石の代わりにレンガをつくり、漆喰の代わりにアスファルトを手に入れた。技術の進歩は人間を傲慢にし、天まで届く塔のある町を建てようとした。神は人間の企てを知り、怒った。そして人間の言葉を混乱(バラル)させた。
 今日、世界中に多様な言葉が存在するのは、バベル(混乱)の塔を建てようとした人間の傲慢を、神が裁いた結果だという。バベルはヘブライ語でのバビロンの呼び名。バビロニア各地には、33基の聖塔(ジッグラト)のあったことが知られている。
 ブリューゲルは、高い教養を持ち、知的に洗練された画家である。先輩画家ボスが人間の根源の醜さを描き出したことに対し、ブリューゲルは愚直な人間の人間らしさをそのまま描いた。北方ルネサンス特有の精緻な細部描写とそこに隠された寓意、そしてボスに顕著に見られるシュールさがここでも感じられる。
 イタリアで興ったルネサンス運動は、アルプスを越えドイツ、ネーデルランド、フランスなどにも届いた。これを北方ルネサンスという。洗練された技法を受け入れながら、各国独自の絵画表現を発達させていった。ボスやブリューゲルの絵は、意外と現代的で興味深いものがある。(http://biwap.shiga-saku.net/e1077826.html


 14〜15世紀に描かれた「バベルの塔」は、いずれも数階建ての塔で描かれている。それに対し、ブリューゲルは地平線まで見渡すパノラマ風景と巨大な塔を画面一杯に配置。その壮大な構図の中に、米粒ほどの人々の姿を描いてみせる。その数およそ1400人。割れたレンガ屑の飛び散った様子。作業員たちが休む飯場。拡大鏡で見なければわからない程の細部が丹念に描きこまれている。ブリューゲルがこれ程までに思いを込めて描きたかった「情念」とは何だったのか。
 「人間の傲慢」を戒めるお説教だとはとても思えない。もしかすると、有限な人間への果てしない共感だったのかもしれない。


 ブリューゲルは農民生活を題材にした作品を多く残している。この時代の絵画は農民を「無学で愚かな者」の象徴として描いていた。ブリューゲルもそれと同じだと考えられてきたが、果たしてそうなのか。
 農作業に向かう娘たちの初々しい表情。結婚式に集まる人々の喜びの様子。生活の隅々にまで入り込み、「人間」としての農民たちの側に立たなければ、とうてい描けないものだ。
 ブリューゲルは、エラスムスなどの「人文主義者」の著作にも親しんでいたと言われる。
 エラスムスの著書『痴愚神礼讃(チグシンライサン)』は、痴愚の女神モリアーが人間社会の馬鹿馬鹿しさや繰り広げられる愚行を饒舌に風刺するというもの。王侯貴族や聖職者・神学者・文法学者・哲学者ら権威者を徹底的にこき下ろし、人間の営為の根底には痴愚の力が働いているのだ、人間は愚かであればこそ幸せなのだ、と自画自賛する。
 「ヒューマニズム」の語源「フマニタス」は「へそ」を意味する。どんなにエラそぶった「お偉い方々」のお腹にも、オレたちと同じ「へそ」がついている。それはどことなくユーモラスでさえある。正義を掲げた宗教戦争の凄惨な殺し合いに比べ、「へそ」の戦いは実に柔軟でしたたかだ。
 ブリューゲルの描いた『バベルの塔』。「有限で愚かしい人間」が懸命に生きていく姿。それは、「神の威厳」ではなく、「人間の尊厳」なのだ。ブリューゲルはキャンパスいっぱいに渾身の力で、自らの『バベルの塔』を築き上げようとしたのだ。
  


Posted by biwap at 06:15芸術と人間

2017年09月09日

知ってか知らずか



 ミサイルが飛んでいくのは、上空500km。飛行機の高度は10km。核弾頭がついているわけではなく、実験用ロケットを海に落とすのと変わらない。いたずらに危機を煽るのではなく冷静に対処すべきだ。
 素人が考えてもわかることを「専門家の皆さん」はなぜか言わない。
「今こそ、北朝鮮を叩きつぶす時だ!」「北朝鮮とアメリカじゃアメリカの圧勝」「15分で北朝鮮は地球上から消滅する」「さっさとやっちまえ」
 ネトウヨの叫びを、本音として共有している人たちも多そうだ。


 北朝鮮は、ソウルを射程におさめた600門を超える長距離砲とロケット砲を国境線付近に配備している。もし、アメリカが北朝鮮を先制攻撃したら、北朝鮮は一斉にこれらのロケット砲を約1000万人が住むソウルに撃ち込んでくるだろう。
 日本を射程にした中距離ミサイル「ノドン」が200発以上ある。軍事衝突と同時に、今度は本物のミサイルが日本の在日米軍基地やその周辺に向けて発射される。日本はイージス艦のSM-3やPAC3で迎撃すると言っているが、全て撃ち落とすことは不可能だ。


 最終的に北朝鮮は壊滅するかもしれないが、その前にどれだけの韓国人と日本人が死傷しているのか。いや、殺傷された北朝鮮の民衆だってけっして「虫けら」ではないのだ。どう考えても偶発戦争の危機を避けるのが第一。素人が考えてもわかることを「専門家の皆さん」はなぜか言わない。
 それにしても、戦争をゲームのようにとらえ、煽動する連中が幅を利かせている。


 かつてのベトナム戦争。アメリカはメディアを統制できず、米軍が村を焼き払う映像、機銃掃射によって倒れていくベトナム民間人の映像など、戦争の生々しい現実を伝えた。大規模な戦争反対の運動が起こった。


 その反省から学んだのが、1990年のクウェート侵攻にはじまる湾岸戦争。フセイン大統領を悪者であると国民に刷り込み、戦争の正当化と愛国心を煽る一方、メディアを徹底して統制した。爆撃から逃げ惑う人、吹き飛ぶ人といった地上の模様は隠され、暗闇でミサイルが飛び交う現実味のない映像が流された。
 戦争に反対する人たちを「平和ボケ」と嘲笑いながら、戦争を知らない「幼児」たちが戦争をもてあそんでいく。大切なことはあらゆる国の核兵器を全廃し、けっして戦争を起こさせないこと。
 素人が考えてもわかることを「専門家の皆さん」はなぜか言わない。
  


Posted by biwap at 06:23辛口政治批評

2017年09月07日

異邦人は君ヶ代丸に乗って


 「猪飼野(イカイノ)」。JR 鶴橋駅・桃谷駅の東方、平野運河の両側一帯あたり。在日コリアンの街として有名。現在の地図に地名はない。


 「日本書紀」仁徳十四年条、「猪甘(イカイ)の津に橋わたす、すなわち其のところをなづけて小橋という」。この「猪甘津(イカイツ)の橋」が猪飼野の由来とされる。ここは、朝廷に献上する猪を飼育していた猪飼部(イカイベ)の住居地であった。「猪」は、野生のイノシシではなく、渡来人が大陸から持ち込んだブタのこと。
 同じく渡来人のもたらした優れた技術により、文献上日本最古の橋である「猪甘津(イカイツ)の橋」が架けられたのである。時代が下って江戸時代になると「つるのはし」と呼ばれた。現在の「鶴橋」の地名の由来となる。


 このあたりは、百済からの渡来人が多数居住した。百済は663年、唐・新羅連合軍に攻め滅ぼされ、百済から大勢の人が日本へ渡来。「日本書紀」には、「百済王」一族が難波に居住したと記されている。この一帯に、「百済郡」ができた。現在に残る地名。生野区の林寺にある「百済」バス停、JR関西の「百済駅」(現在は東部市場前駅)、旧平野川はもと百済川といい、旧生野村の南に北百済村、南百済村があり、市電にも百済停留所があり、四天王寺のすぐ東に百済村の字名もあったという。
 室町期、猪養野庄と呼ばれた時期があるが、近世以降は猪飼野村になる。村はほとんどが農家。田は稲作一毛作。畑は主に綿作。余業として、木綿稼ぎ・わら仕事。これが明治期まで続いた。
 近代に入り、鉄道が開通。大阪の急激な市街地化と人口増の波が、郊外である猪飼野まで押し寄せる。農業生産向上と洪水対策を目的にした平野川の改修工事も、整備された農地は住宅地となっていった。


 1910年、韓国併合。日本の植民地支配が始まる。「土地調査事業」の名のもとに、朝鮮の土地の多くは日本の国有地とされ、多大な米が日本内地に奪い取られていった。生活基盤が解体し生活に困窮した朝鮮人。半島北部の人は満州・中国東北部に渡り、南部の人は日本に職を求めて移住した。
 猪飼野に朝鮮から移住する人が増えたのは、平野川開削工事の際に多数の朝鮮人が集められたというのが定説だった。しかし、平野川の工事開始前に、すでに朝鮮人密集地区が数箇所あったという証言もある。『異邦人は君ヶ代丸に乗って』(金賛汀著・岩波新書)によると、それまでに茶屋・皮染色工場などで働いていたが、条件が良かったので、平野川開削の人夫募集に応じたと記されている。むしろ、済州島・大阪間に定期航路が開設されたことが最大の要因だという。
 日本の植民地支配は、済州島においても大きな荒廃をもたらした。日本の近代漁法は漁場を荒らし、日本の大規模紡績工業による安価な綿布の流入は、唯一の有力産業である綿花栽培・手紡家内工業を壊滅させた。済州島民たちは極貧に苦しんだ。それでなくとも、韓国本土からの差別を受けていた済州島の人びと。生活の糧を求めて、日本に向かった。
 1920年代、大阪・済州島間に定期航路が開かれる。定期船の船名は「君ヶ代丸」。植民地の民がその支配者の国に移住しなければならない時に、乗せられた船の名前に「君ヶ代」が使われるという皮肉。済州島から朝鮮人が大量に渡航し、猪飼野に住みついた。
 大阪に渡航してきた済州島出身者を労働者として雇うという零細工場が、猪飼野地域周辺にあった。家内工業の街として、ゴム・セルロイド・金属加工などの零細な産業が発達。働く場と生活する場が同じという地域家内工業。多くの朝鮮人がこの地に集まった。
 猪飼野に住みはじめてからも苦難は続いた。差別により住居を貸してもらえず、ようやく探してからも1畳あたり平均2人ほどのぎゅうぎゅう詰めの暮らし。露店は警察に水をかけられ、開いた夜学も暴力的に警察に閉鎖させられ、職場でも労働条件や賃金に差を付けられた。彼らの受苦がいかばかりのものだったか、今は想像する他ない。


 鶴橋駅周辺は、高架下を中心に商店街が複雑に入り組んでいる。戦前このあたりは、主に小さな町工場と住宅であった。戦争の激化に伴い、駅付近の強制疎開が実施。建物は撤去され空き地となった。敗戦後、近鉄ガード下を中心に、いも・にぎりめし・古着などを売るバラックが建っていった。無断で自由市場が開かれ、許可なしに統制品・禁制品などの自由販売を行う闇市場となった。
 そこで店を出す人も、在日コリアンが大半。警察が総動員となり、闇市場の閉鎖と撤去が断行された。バラックは全部取り壊された。その後、卸売専門商店街にするために本建築の店舗が建てられたが、1947年2月の大火でほとんどが焼失。しかし、交通利便な地であることから、すぐに復興・整備される。商店は最初、卸売専門で発足したが、徐々に小売りも行われ、店舗が所狭しと並んでいく。
 「国際市場」と呼ばれる駅の東側は「在日」の店舗が多く、華やかな民族衣装店やチヂミ専門店などが並ぶ。在日コリアンの街。衣料品から食材まで、その独特の雰囲気でいまや観光名所としても注目を集めている。


 1917年6月。猪飼野の借家で妻と義弟と共に電球ソケットの製造・販売を始めた人物がいた。新型の電球用ソケットを考案し、当時勤めていた大阪電灯に採用を具申したが受け入れられず会社を退職。当初、ソケットは売れずに困窮。その後、アタッチメント・プラグ、二灯用差込みプラグのヒットにより、経営は軌道に乗った。アタッチメント・プラグと二灯用差込みプラグ発売前後の1918年には猪飼野を離れ、北区西野田に住居兼工場を構えた。松下電気器具製作所(後のパナソニック)。猪飼野は、松下幸之助デビューの地でもあった。  


Posted by biwap at 22:02旅行記KOREAへの関心

2017年09月05日

俊徳丸伝説


 能『弱法師(ヨロボウシ)』。河内国高安に住む高安通俊(タカヤスミチトシ)は、他人の讒言を信じて、実子の俊徳丸(シュントクマル)を家から追い出してしまう。後悔した通俊。俊徳丸の現世と来世の安楽を願い、春の四天王寺で七日間の施行を営んだ。その最終日、弱法師(ヨロボウシ)と呼ばれる盲目の若い乞食が、施行の場に現れた。実はこの弱法師こそ俊徳丸その人だった。
 弱法師が施行の列に加わると、梅の花びらが袖に散りかかった。花の香を愛でる弱法師。通俊は、弱法師が我が子・俊徳丸であると気づくが、人目をはばかり、夜に打ち明けようと考える。日想観という瞑想に入った俊徳丸。かつて見た難波江の景色をくっきりと思い浮かべ、「満目青山(バンボクセイザン)は心にあり=すべての景色は、心の中にある」という意味深い言葉を発する。ところが、心の景色に惹かれて狂態となり、あちこち転びつまずく現実の姿のみすぼらしさ。盲目の悲しさに打ちのめされてしまう。
 夜更けに通俊は、自分が父であると打ち明ける。俊徳丸は恥ずかしさのあまり逃げようとするが、通俊は追いついて手を取り、高安の里に連れ帰った。


 俊徳丸は、「俊徳丸伝説」(高安長者伝説)で語られる伝承上の人物。河内国高安の長者の息子で、継母の呪いによって失明し落魄するが、恋仲にあった娘・乙姫の助けで四天王寺の観音に祈願することによって病が癒える。この題材をもとに謡曲の『弱法師』、説教節『しんとく丸』、人形浄瑠璃や歌舞伎の『攝州合邦辻(セッシュウガッポウガツジ)』などが生まれた。説教節『しんとく丸』では信徳丸(シントクマル)。おなじ説教節『愛護若(アイゴノワカ)』との共通点も多い。


 近藤ようこさんの漫画『妖霊星 身毒丸の物語』は、説教節『しんとく丸』をもとにしたもの。
 長者の姫君。とても美しい姫なのに、日がな一日自室に篭り、畳いっぱいに並べた鏡を眺めて過ごしている。その訳は両親が、自分が生まれる前に亡くなった姉の事ばかり口にするから。何かにつけて姉の死を嘆く両親を見て育った姫。
「私はここにいるのだろうか」「必要とされているのは姉上で、私など存在していないのではないか」 
 自分が今ここにいる自覚が持てない。沢山の鏡を覗いて、自分がいると確かめようとする。
 身毒丸。旅から旅を続ける田楽一座の芸人。元々は河内の長者の家に生まれた。長らく子宝に恵まれなかった両親は、清水寺の観音さまに願掛けをした。観音菩薩はこう告げた。「その子が三歳になった時、そなたか妻の命が危うくなるが良いか?」こうして誕生したのが身毒丸。
 身毒丸の母親は病に倒れ、そのまま帰らぬ人となる。父親は観音に逆恨みし、また同時に息子を恨んだ。父親は幼い息子を連れて家屋敷を捨てて出奔し、物乞いに身を落とす。そして寿命が尽きる時、旅の田楽一座に息子を託した。「父母の穢れを身に受けて生まれた子供」 そんな自覚から、鏡で自分の顔を見ることさえ嫌がった。
 自分などいないのでは?と危ぶむ長者の姫。自分なぞいない方がよかったと感じている身毒丸。この二人は、瓜二つの顔をしていた。
 姫は田楽一座の興行で身毒丸を見て驚く。「あそこに私がいる」
「おまえを見ていると、自分に会っているようで嬉しい。おまえは本当にいるのだもの」
「なにを戯事を。俺はおまえじゃないぞ」
「では、私は何者だろう?」
「自分が何者かなんて知らないほうが仕合わせだ」


 拒絶された姫。屋敷を抜け出し身毒丸に会いに行くが、「消えてしまえ、おまえはいない」と突き放される。姫はその言葉に強い怒りを覚える。「愛しいと思っても逃げる者なら、憎むほうが甲斐がある」
 姫は清水寺で丑の刻詣りをする。「身毒丸の命を取り給え、さもなくば…」
 端正で美しかった身毒丸は、徐々に体が膿み崩れる業病に冒されていった。包帯を巻かれ、一座からも捨てられ、天王寺界隈の物乞いの群れに紛れていった。
 自分のかけた呪いが効いたと知った姫は再び出奔。今や見る影もない身毒丸に会いに行く。自分が誰かは明かさずそのまま寄り添った。
「おまえはどこのお方か、何故こうまでして下さる?」「私は、罪を滅ぼさねばなりません。自分の作った恋の罪を」
 失明して歩くのもままならぬ身毒丸に付き従い、姫は一緒に物乞いをして介抱した。
「恋は終わった。自分の手で終わらせてしまった。身毒丸は顔かたちも変わり果て、もう私の鏡ではない。私はまた、私ではなくなってしまった」
 淡々と「振り出しに戻った」と感じる姫。対して身毒丸は、様々な生き死にを見せる他の物乞い達を知るうちに、「生きている」ことを疎ましく思わなくなっていった。
 その後、身毒丸は姫の祈念によって救われ、彼女の子供として生まれ変わるというストーリーが展開していく。宿縁からは逃れられない二人が星に導かれるが如くに出会い、傷つけ合い、再生していく。「誰も勝手に生き死にはできぬ」 その言葉に己の身を託す姫と身毒丸。説経節『しんとく丸』を借りた死と再生の物語。
 八尾市山畑地区に6世紀頃の横穴式石室墳墓がある。「俊徳丸鏡塚」と呼ばれている。俊徳丸が住んでいたとされる山畑地区。そこから少し北にある街道。俊徳丸が高安から四天王寺へ通った「俊徳道」として伝えられている。

  


Posted by biwap at 06:15芸術と人間

2017年09月03日

笑いという石の礫


 笑いは、強い者を揶揄してこそ価値がある。弱い者を笑うのはいじめでしかない。いつのころからか、この国の「お笑い」は、弱い立場にいる人たちを攻撃するようになった。ワイドショーに出たお笑い芸人が「世間の声」を代弁するかのように振る舞い、松本人志のような「保守オヤジ」たちが声高に叫ぶ。世間の空気が作られていく。
 ヒトラーを徹底的に揶揄したチャールズ・チャップリン。英国王室・教会・軍人・警察など、硬直した権威の欺瞞を茶化し続けたモンティ・パイソンなどのコメディアン。お笑いやコメディは、庶民が権力に対して持ち得る数少ない武器だった。
 権力をもっている方が強いに決まっている。もたない側にできること。ギャグにして笑い飛ばす。それすらできなければ、ただ押さえつけられるだけの恐怖社会でしかない。
 愛川欽也氏はこう言っていた。「テレビやラジオでものをしゃべる人間は、いつもどんな時代が来ようとも、ユートピアが生まれない限り、野党じゃなきゃダメなんだ。野党が今度政権取ったら、また野党になれ」

  


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