› 近江大好きbiwap › 2019年12月

2019年12月29日

CO2に罪はない


 資料保存のため、2019年11月15日「歪曲が軽信され続ける地球温暖化人為説 」(田中宇)を引用しておく。権威の前に思考停止してはならない。深くそう思う。
<人類が排出した2酸化炭素など温室効果ガスによって地球が温暖化しているという「地球温暖化人為説」は、地球温暖化問題の大黒柱だ。人為説に基づき「温室効果ガスの排出を規制しないと、地球温暖化によって旱魃や山火事、洪水、海面上昇による埋没、巨大台風など大惨事が急増して間もなく人類が滅亡する。温室効果ガスの排出を厳しく規制すべきだ」と騒がれているのが「地球温暖化問題」だ。
 この「問題」の最大の難点は、本当に人類の温室効果ガスの排出によって地球が危機的に温暖化しているのかどうか確認できないことだ。地球が温暖化しているとしても、その原因が人類排出の2酸化炭素でないなら、巨額の費用をかけて石炭石油などの利用を規制して2酸化炭素の排出を減らしても温暖化は止まらず、無意味な政策になる。人為と無関係に地球が温暖化している場合、温暖化の原因は、太陽活動の変化など地球と太陽にまつわる周期的な変動である可能性が高く、それだと地球の気候は一定周期で温暖化と寒冷化を繰り返してきたわけで、今から何十年か先に温暖化で人類が滅亡する可能性はほぼゼロだ。
 この4半世紀に世界的な大騒動となっている地球温暖化問題は「人為が原因で急速な温暖化が起きているのかどうか」が問題だ。単に「温暖化しているかどうか」が問題ではない。太陽から地球に向けて放出されてくる宇宙線(微粒子)の量の変化など、人為以外の温暖化(寒冷化)の要素の中には重要そうなものがいくつかある。それらでなく、人類が排出した2酸化炭素などが原因で急速な地球温暖化が起きているという「人為説」を確定的に立証するのが先決だ。「石炭石油を使い続けると温暖化で人類が滅亡する。石炭石油の利用を禁止せよ」と軽信的な大馬鹿者みたいに騒ぐのはその後にやるべきことだ。
 温暖化人為説の根拠となってきたのは、国連の専門家パネル(IPCC)の学者たちが気候変動をシミュレーションするプログラム(気候変動モデル)を作って動かしたところ、人為が原因でこれから温暖化が進んで大惨事が増えるという結論が出たことだ。このモデルを作る際のデータの使い方が、温暖化を誇張する方向に偏向しているのでないかという議論が4半世紀にわたって続いてきた。IPCCの内外では、モデルが正しいと主張する勢力が、モデルに大きな偏向や誇張があると主張する勢力を政治力で無力化・排除する傾向が続き、このモデルが正しいと客観的に言える状態からどんどん遠ざかっている。
 このモデルを作った米国のマイケル・マンらIPCCの学者たちは、以前は安定していた地球の気温が、温室効果ガスの人為排出が急増した産業革命以来、急速に温暖化しているという「ホッケーの棒理論」を90年代から提唱していた。だがその後、ホッケーの棒理論は地球の過去の気温変化について間違っており正しくないという議論が続き「この理論によって人為説が確定した」といえる状況ではなくなった。
 2009年には、IPCCを主導してきた英米などの専門家たち(マイケル・マンの仲間)が、人為説を確定的なものに見せかける目的で、データ分析の際の歪曲のやり方を議論した電子メールの束が漏洩・暴露されてスキャンダルになる「クライメート・ゲート」が起きた。人為説を声高に主張してきたIPCCを主導する学者たちが、健全な科学的な議論に基づいて人為説を強化するのでなく、科学者としての倫理に反する歪曲行為を謀議しながら集団的に進め、人為説を捏造していたことが明らかになった。だが、クライメート・ゲートはあまり問題にならず忘れられていき、その後もIPCCが発する人為説と「温暖化で大惨事が起きる」という誇張が「確定的に正しい事実」としてマスコミで喧伝され、人類の多くがそれを鵜呑みにする事態が続いている。(何となくおかしいと思っている人は多いかもしれないが)
 IPCCなど人為説を喧伝する勢力は、人為説を補強するためのグラフをいくつも用意して「根拠」として主張している。だが、これらのグラフの中にインチキが多いことを、リバタリアン系の経済分析者であるマイク・シェドロック(Mike Shedlock)が最近指摘している。彼は、米国の人為説の主張者たちが近年の地球温暖化の根拠として挙げている5つのグラフについて、いずれもグラフの始まりの年次を恣意的に選ぶことで、それ以前の反対の傾向を隠し、もっと長期的なグラフだと温暖化の傾向にならないものを、短い期間のグラフにすることで温暖化しているかのように歪曲していると指摘している。以下、彼が書いた「Global Warming Fraud Exposed In Pictures」のページの内容に沿って説明する。
1つ目(U.S. Heat Waves)は、米国での年間の熱波の発生回数が1960年代から増え続けているグラフだが、1960年からでなく1900年からのグラフを見ると増減しつつの横ばい状態味で、1930年ごろにかけていったん増えた後に大きく減り、1970年ごろから再び増えている。1900年からのグラフだと温暖化していないことになってしまう。温暖化していると歪曲するためにグラフの起点を1960年にした観がある。
2つ目(U.S. WildFires)は、米国での年間の山火事の発生回数が1985年ごろから増える傾向であること。これも、もっと長く1916年からのグラフを見ると、1922年から1930年ごろにかけて急増し、その後1968年にかけて減り続け、その後は1985年ごろまで横ばいで、その後少しずつ増えている。この最後の少しずつ増えている部分だけを取り出し「山火事が増えている」と誇張している。
3つ目(Arctic Sea Ice Extent)は、北極海での氷域が1979年から縮小傾向にあること。これも1970年からのグラフを見ると、1970-79年に氷域が急拡大しており、それを見せると「温暖化によって氷域が縮小している」と言えなくなるので78年以前を隠している。
4つ目(U.S. Sea Level)は、米国NYの海面が1920年代から上昇傾向であること、これは、2万年前からのグラフを見ると、人類が温室効果ガスをほとんど排出していなかった産業革命前の方が急速に海面が上昇し、最近の千年ぐらいはむしろ以前に比べて少しずつしか海面が上昇していない。2万年間のグラフを見せると海面上昇が人為排出と関係ないことがバレるので、産業革命後だけの状況を見せている。
5つ目(WaVerly Ohio)は、オハイオ州の町で最高気温が華氏90度(摂氏32度)以上になる年間の日数が1955年から増加傾向であること。これも、1890年からのグラフを見ると、むしろ日数は減る傾向にある。
 これらの例ではいずれも、本当は人為説が正しくないことを示しているグラフが、開始年次の恣意的な選択により、人為説が正しいかのように思わせるグラフとして使われている。非常に悪質な、現実と異なる結論への誘導である。これを見ても人為を喧伝するマスコミやIPCCの詐欺的な専門家たちに対する怒りを感じない人、この件で私を攻撃してくる読者は、ひどく洗脳されてしまっている。マスコミや専門家(詐欺師)に騙されて温暖化対策が急務だと叫ぶ運動家たちは哀れだ。自分が間抜けなことをやっていると気づかず、そのように指摘する人を逆切れ的に間抜け扱いするので、さらに哀れだ。
 フィンランドと米国で今年6月に発表された「No Experimental Evidence for the Significant Anthropogenic Climate Change.(人為が大きな気候変動を引き起こすと考えられる証拠がない)」と題する論文によると、IPCCは低層の雲が気候に与える影響を無視し、それによって気候変動に対する人為の影響を実際の10倍に見積もっていた。人為が地球を温暖化した度合いは歴史の全体で摂氏0.01度以下であり、気候変動の原因の大半は人為でなく、磁場の変化で地球に降り注ぐ微粒子(銀河宇宙線)の量が変わり、微粒子を核として発生する雲の量が変わることによる地表の温度変化であると論文は結論づけている。
 今年6月に発表された神戸大学の論文「地磁気逆転途中に冬の季節風が強化していた」も、同様の結論を出している。
 フィンランドや神戸大学での研究結果は、人為説を覆しうるものとして重視されるべきだったが、政治的に人為説を誇張する動きの中でほとんど無視されている。人為説を否定する方向の学説は、政治的に無視ないし揶揄されてきた。無視や揶揄を批判する学者も攻撃され、研究費が回ってこなくなるなど学術界でほされてしまう。出世したい小役人な学者ほど「ご無理ごもっとも」的に人為説を受け入れ、人為説を批判する者を率先して攻撃することで出世していく。専門家の97%が人為説を「正しいと考えている」と報じられている。97%の大半は「小役人」であり、人為説を「正しい」と考えているのでなく「ご無理ごもっとも」と考えている。
 権威筋とその(うっかり)傀儡勢力は、新たな科学的な論証が出てきても無視し、人為説の再検証を阻止し、人為説が正しくない可能性が高まっていることを隠して「人為説はすでに確定しており絶対的に正しい」というプロパガンダを人々に信じ込ませている。このひどい状況は20年ほど続いており、人為説をめぐる状況は全く科学的でなくなり、全体主義もしくは悪質な新興宗教になっている。全体主義や新興宗教を敵視し、科学的な態度を自称する左翼やリベラル、共産党の人々が、人為説を確定した無誤謬なものと頑固に考えていることは、彼らの思考停止した教条主義的な浅薄さを示している。
 専門家の中には、このひどい状況を変えるべきだと思っている人々もいる。今年9月の国連総会に合わせて、世界の気候学や関連の学者たち500人が連名で「There is no climate emergency(気候変動で危機が起きることはない)」と題する書簡を国連事務総長あてに出した。書簡の概要は以下のとおりだ。IPCCの気候変動のモデルは欠陥の多い不適切なものだ。実際の温暖化の傾向はモデルの予測の半分以下であり、こんな未熟なモデルを使って政策を立てるべきでない。このモデルに基づいて何兆ドルもの費用をかける温暖化対策をやるのは浪費であるだけでなく、世界経済を破壊する危険な行為だ。気候変動が人類の危機につながるという人為説の主張は間違っており、科学でなく政治に基づいた動きだ。もっと科学的にやるべきだ。人為説が毒物として扱う2酸化炭素は、実のところ植物の繁茂など人類に有益な存在だ。莫大な金をかけて2酸化炭素を減らすのはやめるべきだ。温暖化がハリケーンや洪水や干魃を増やしていると考えられる統計的な根拠もない。
 私から見ると、この書簡の主張は全く正しい。温暖化人為説と、それを(軽信して)推進する人々は、人類にとって害悪である。2酸化炭素でなく、人為説こそが毒物だ。しかし、世の中の「常識」や、「事実」として報じられていることは、これらと正反対の方向だ。人為説は、歪曲的なプロパガンダの典型だ。ものごとの事情を詳しく調べる人々は歪曲に気づきうるが、そのような人は少数派だ。
 ここまで、地球温暖化問題の根幹にある人為説が歪曲であることを書いた。なぜ、この歪曲が根強く行われているのか。歪曲を主導するのは科学者でなく政治勢力だろう。科学者は下っ端だ。マスコミや学術界を動員して何十年も歪曲を維持するのは軍産複合体の特有のやり方だ。歪曲の手口から見て、人為説や温暖化問題の黒幕は軍産である。軍産は、何のために温暖化問題をやっているのか。>
  


Posted by biwap at 22:18CO2温暖化説への懐疑

2019年12月25日

Stop and Think



 少し考えればわかることを、なぜ誰も何も言わないのか。不気味な同調ムードが「王様は裸だ」の言葉を圧殺している。いや王様ではなく、国民自身が「裸の王様」なのかもしれない。
 「陛下」の対概念は「臣民」であり、国民主権の現行憲法下においては不適切な表現。これは過激思想でも何でもなく、戦後民主主義の教育を受けた人間としてはごくごく当たり前の感覚。この20年ほどの間に、右傾化した日本社会は確実に民主主義を空洞化させている。
 メディアの良心。以前はこんなことを真剣に考えていたのだと思うと隔世の感がある。
 12月23日「現代ビジネス」配信、宮下正昭氏の記事を抜粋引用。
<新聞、テレビなどマスコミの報道は基本、登場する人物に敬称や敬語は付けない。客観的に報道しているということを担保する必要最低限の不文律だろう。だから一国の首相にも、外国のトップや王族にも基本、敬称・敬語は使わない。
 しかし、日本の皇室だけには敬称、そして敬語が付いて回る。
 「日本国の象徴」だから仕方ないのか。敬称・敬語の多発は、皇室をタブー視する空気を醸成するのではないか。
 その影響を最も受けるのが、実は報じる側のメディア自身かもしれない。自らがつくりだした空気に、皇室に対する取材・報道の腰が引けてしまい、自由な論議を阻むことになりはしないか。
 こうした懸念を少しでも払拭しようと、試行錯誤し実践している大手メディアもあることは、あまり知られていない。
1990年7月。秋篠宮夫妻が鹿児島県に訪れるのを前に、共同通信鹿児島支局の記者4人と事務職1人は「皇室絡みでも客観報道に徹するべき」と話し合い、共同労組九州支部鹿児島班として「皇室敬語の廃止」を訴えた。秋篠宮来鹿の記事では、敬語を使わないことを宣言したのだ。
 「皇室にだけ、敬語を使い、敬うべきと、特別扱いすることは、『主権在民』『法の下の平等』をうたった憲法の原則に反する」とアピールした。さらに記者自身の問題として、「敬語表現を無自覚に用いる限り、皇室に対するメディアの批判的視点は生まれにくくなる」と自省した。
 鹿児島支局からのアピールを受け、社内でも各地の支局などで論議されたが、最終的に組合本部は「理解はできるが、闘争として容認できない」と断を下す。社内的に処分も取り沙汰されるなか、アピールは撤回された。
 共同通信鹿児島支局が皇室「敬語不使用」の挑戦に敗れてから3年後の1993年4月。沖縄では全国植樹祭が開催され、天皇夫妻を迎えることとなった。
 全国の注目が集まるなか、地元紙の一つ『沖縄タイムス』は、天皇夫妻に対する敬称・敬語をなるべく省くことを決めた。国民を下にみる意味合いを含む「陛下」といった敬称を省き、「~される」といった敬語も極力避けた。
 同紙は以降、動詞の敬語をやめ、記事冒頭だけ敬語が付く共同通信配信の記事にも、独自に手を入れて敬語を省いている。 
 それからまもなく、1993年6月6日付の『朝日新聞』社説「『さん』が『さま』になる日」が大きな関心を集めた。当時の皇太子と小和田雅子さんの結婚を3日後に控え、「雅子さん」が「雅子さま」に替わる皇室報道のありかたを自ら問い直す内容だった。
 「皇室報道では、まだ敬称や敬語が多過ぎる、と感じることが少なくない」と自戒を込め、「敬意さえ表しておけば問題はなかろうといった、報道する側の安易な意識が表れていないだろうか」と提起した。
 『朝日』の社説はさらに、過剰な敬語は「皇室と国民の関係を『上下』とみるような気分を生み、『国民の総意に基づく』と定められた国民主権下の象徴天皇制の基盤をおかしくさせないだろうか」とも懸念した。
 「敬称や敬語を多用しながら相手を批判したり、率直な意見を述べたりするのは難しい。過剰な皇室敬語の下では、率直な皇室報道には限界がある」
 同紙は早速、6月9日、皇太子結婚式の報道で敬語を省く。同日付夕刊は、見出しに「ご結婚」、記事中に「天皇ご夫妻」「お二人」の敬称はあるが、動詞は「歩みを始める」「読み上げた」。雑感記事も「歩を進める」「歩を運ぶ」などとした。『朝日』では、動詞の敬語省略はその後徹底されていくが、「行った」とか「言った」などという言葉は見かけない。「訪れた」「語った」などとしている。
 翌年1995年4月から『北海道新聞』も敬語を省いた。読者との窓口コーナー「あなたと編集局」で、「必要以上に敬語を使うことは、国民と皇族の距離を遠ざける側面がある」と説明。「敬語簡略化は『国民とともに歩み、国民に開かれた皇室を目指す』という今の皇室の考えにも一致します」と理解を求めた。
 『毎日新聞』も、実は『朝日』が敬語省略を決めた3ヵ月後の1993年9月ごろから「敬語なし」を敢行した。
 同紙の記事データベースを見る限り、大きな流れとして「敬語なし」が同9月19日付の記事から2014年11月まで続いた。しかし、『毎日』は『朝日』のように内規で決めているわけでなかった。だから完全には統一されない。天皇誕生日には敬語がある年やない年があり、運動部取材のニュースには敬語が付いた記事もあった。
 さらに、大阪本社は東京発の敬語がない記事に手を加え、敬語を1回は入れるようにしていた。中部本社、西部本社は東京本社と同一歩調をとったが、2012年5月ごろからは西部本社も敬語を1回加えるように変えた。
 当時、西部本社の幹部に理由を尋ねると「読者の多い北九州の高齢者対策」と答えた。皇室報道の難しさ、皇室敬語への国民、特に高齢者の空気の厚さを感じさせる。
 『読売新聞』の場合は基本、1文章に1回の敬語を使うように規定し、「ご訪問される」のような二重敬語は避け「訪問される」としている。
 『産経新聞』も同様だが、動詞が体言止めの場合でも「ご感想。」「ご鑑賞。」などと敬語を付ける。見出しにも敬語が目立つ。いずれにせよ、両紙は1文に1回敬語を付けているから、記事によっては、かなりの頻度で敬語が使われる。音読してみると、その敬語がけっこう耳に残る。
 テレビはどうだろう。NHK、民放各局ともニュースは基本、『読売』や『産経』と同じく1文に1回敬語を使っている。
 新聞を読む人は減っているが、テレビはまだ新聞ほどそっぽを向かれてはいない。アナウンサーやレポーターがワンセンテンスごとに付ける敬語の影響力は大きい。情報番組だと二重敬語も飛び出す。
 2019年11月10日の新天皇即位パレードは地上波全6局で生放送され、合計視聴率は45%を超えたらしいが、二重敬語や1センテンスに2回敬語を使う現場からのレポートもあった。
 耳に残るテレビの皇室敬語。客観的な報道を目指すためにはせめて、共同通信や『毎日』のようにニュースの最初の動詞だけ敬語にすることはできないだろうか。
 イギリス王室の故ダイアナ妃の息子、ウィリアム王子、ヘンリー王子の結婚や赤ちゃん誕生を報じる日本のニュースに敬語は使われない。原稿を書く記者も、それを読むアナウンサーも、日本の皇室を扱う場合と違って気分は軽やかなのではないだろうか。
 動詞の敬語は省いている『朝日』だが、天皇・皇族の死亡や出産時には、最初の1回だけは「亡くなられた」「出産された」などと敬語を使っている。内規で定めているようだ。
 しかし、本来なら読者が注目している大きなニュースでこそ、敬語を省くことを決めた原点を見つめ直し、客観報道に徹すべきではないだろうか。ことを荒立たせたくない気持ちはわからないではないが、徹すべきだ。
 2016年7月、天皇が生前退位の意向を示しているとNHKがスクープして大きなニュースになった際、マスコミ各社も後追いしたが、記事冒頭1回だけ敬語にしているはずの共同通信、『毎日』の本記は複数の敬語を使っていた。『毎日』は天皇の即位宣言を報じる記事でもリードで2回、敬語を付けていた。
 天皇や皇族が地方を訪問した際、全国紙では県版にも関連記事が載ることが多い。敬語を使わないはずの『朝日』の県版でも敬語が何度も使われた記事が出てくる。
 『毎日』の場合は、女性週刊誌並みの敬語のオンパレードという記事もあった。記事冒頭1回だけ敬語を入れる共同通信の記事を載せている地方紙のなかにも、地元を訪れた天皇や皇族を自社で取材・執筆すると敬語が増えるケースがある。読者は困惑することだろう。
 宮内庁記者のように日々、皇室関連記事を書いているわけではない全国紙の支局記者や地方紙の記者たちが、つい敬語を多用してしまい、それをデスクも編集者も許してしまう。
 全国紙のある支局勤務記者は「敬語にした方が無難だろうという感じになる」と語っていた。地元のテレビ局の記者も1センテンスに複数回、敬語を使うといったことになったりしてはいないだろうか。
 だれが強いるわけでもないのに、「敬称・敬語を付けてさえいればいい」という空気。皇室が世間の注目を集める時ほど、「内なる天皇制」が頭をもたげる。メディアは敬称・敬語を省いた報道に徹する方がいい。そうして初めて、日本の皇室はどうあるべきか、国民は率直に話し合うことができるだろう。>
  


Posted by biwap at 10:04

2019年12月15日

近江の隠れキリシタン


 1965年、滋賀県草津市にある草川家。家の改修のために仏像を移動させようとしたところ、像と蓮台の間から布にくるまれた状態で聖母マリアの「メダリオン」が発見された。今年5月に奈良大が蛍光X線分析で成分を調べた。青銅製で桃山時代から江戸時代初期にかけて作られたものだと判明した。滋賀では珍しい「隠れキリシタン遺物」として注目を集めている。


 以前、九州を旅行した時のこと。秀吉の朝鮮侵略の拠点であった肥前名護屋城の址を訪ねた。


 大規模な城の周囲には、130以上の諸大名の陣屋が構築されていた。諸大名の陣屋の配置図をのぞいてみると、名だたる戦国大名の中に観音寺詮舜陣屋跡の名前が見えた。まさかと思ったが、間違いなく滋賀県草津市にある「芦浦観音寺」である。


 観音寺は1591年に秀吉から船奉行に任命され、朝鮮侵略(1592)に際しては、水夫の徴発と兵糧米の徴収・輸送を行っている。そして詮舜自身、秀吉の側近として名護屋城に出向いているのだ。
 観音寺には「芦浦観音寺文書」という貴重な史料が残っている。草津市の古文書講座でその中の次のような書簡を読んだことがある。


 織田信長がその祐筆松井友閑の腫物の治療させるために芦浦に滞在中の耶蘇教の医師をその居城に寄こすよう直々に観音寺に申し付けたが、未着ゆえに督促の手紙を送っているのである。耶蘇教とはカトリック教会の一教団で信長の保護の下、医療事業を行っていたのであろう。なぜかその医師が芦浦観音寺に滞在していた。


 この時期、信長に抵抗する共同戦線が作られ、その最大拠点が石山本願寺とそれに呼応する各地の一向一揆であった。南近江でも一向宗門徒たちは金ケ森・三宅(現守山市)に立て籠もり抵抗闘争を行っている。その中心地金ケ森と芦浦観音寺(現草津市)は目と鼻の先である。芦浦観音寺のキリシタンとの関わりは信長への迎合であったのかもしれない。


 秀吉の朝鮮侵略の先導的役割を果たした観音寺だが、やがて政権はキリシタン弾圧へと向かう。キリシタンの内部事情に通じていた観音寺は新たな役割を担うことになる。


 江戸時代初期、長崎の宗門目明しとしてキリシタン弾圧に辣腕を振るった沢野忠庵という人物がいる。沢野忠庵ことクリストワン・フェレイラ。1580年ポルトガル生まれ。日本に渡来し布教活動に従事。1632年、イエズス会日本管区長となり潜行活動。翌年、捕らえられ穴づりの刑を受ける。地中に掘った穴の中に逆さづりにされる拷問で、一緒に穴づりされた6名のうちにはかっての天正遣欧使節中浦ジュリアンがいた。ジュリアンは苦しみに耐えながら3日目に息を引き取る。一方、フェレイラは5時間後に背教を申し出て助けられた。
 沢野忠庵と名を改めたフェレイラは、京都所司代板倉重宗からキリシタン吟味役に取り立てられ、後に長崎に住み宗門目明しとなる。芦浦観音寺文書にも「長崎之者」として登場する。「長崎之者」、京都所司代、観音寺という三者の緊密な連携を示す文書が残る。


 こんな記述がある。永原源七という「きりしたん」が死亡。その子九左衛門は常念寺の「もんと」となるのだが、観音寺の指示のもとにその行動が監視されている。「笛吹新五郎」なる人物が訴人となり九左衛門がかくれキリシタンであることが観音寺に密告される。九左衛門は京都所司代の命により入牢せしめられ、12年にして牢死している。
 被差別民と考えらえる「笛吹新五郎」も何らかの転向者であったのかもしれないが、想像の域を出ない。一向一揆、キリシタン、思想弾圧、転向。「メダリオン」の向こうには、歴史の闇に埋もれていった深い「現実」が潜んでいる。