› 近江大好きbiwap › 2015年08月

2015年08月30日

朽木に訪ねたその人

 2005年1月1日、高島郡の5町1村が合併して高島市となる。これにより、永らく滋賀県唯一の「村」だった「朽木村」という行政区画は廃止される。旧朽木村一帯は「朽木谷」とも呼ばれ、古くから若狭国小浜と京都結ぶ「鯖街道」の街道筋として栄えた。

 近江源氏佐々木氏の庶流・朽木氏が鎌倉時代から江戸時代にかけてこの地を支配していた。朽木陣屋跡は、朽木氏の館跡に建てられたもので、江戸時代に陣屋となる。「朽木城」とでも言うべきものである。

 朽木氏の菩提寺・興聖寺。江戸時代に別の場所からこの地に移された。この地にあった秀隣寺は別の場所へ移される。

 この寺の境内には国の名勝指定を受けている有名な庭園(旧秀隣寺庭園)がある。京を追われた室町幕府の将軍が朽木氏を頼って数年間滞在した居館の庭園である。

 先程の居館のあった場所に、朽木宣綱は亡くなった妻のために秀隣寺を建てる。その後、興聖寺がその地に移転。秀隣寺は別の場所に移転を重ね、写真の朽木村野尻に再建されている。

 お寺の人に教えていただかなければ、これが「その人」の墓だとは気がつかなかった。キリシタンの遺物も盗難などにより紛失していったそうである。

「近江史を歩く・54」は、「朽木マグダレナ」
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Posted by biwap at 11:39近江史を歩く

2015年08月29日

実りの秋へ


 秋の気配が漂ってきた。稲刈りをするコンバインの後ろをサギが群がる。こぼれ種を食べるのかと思いきや、耕された跡から出てくる虫をついばんでいるようだ。サギは害虫を食べてくれる益鳥。驚いて出て来るバッタを狙っている。なかなか賢い。
 県別コメ収穫量ランキングを調べてみた。1新潟県 2北海道 3秋田県 4山形県 5茨城県 6宮城県。北海道などは面積が広いということもある。そこで、農業就業人口100人あたりの収穫量ランキングを出すと。1富山県 2秋田県 3新潟県 4山形県 5石川県 6滋賀県。滋賀県が堂々と登場する。米は暖かいところほどいいと思うのだが、日本海側で生産量が多いのはなぜか。米の品種改良や栽培技術の向上と、昼と夜の気温差が大きいことが稲の生育にはよいらしい。
 近江は古来、豊かなコメの生産地であった。再生エネルギーが普及すれば、地域としての自立が進む。豊かな地域社会を作り出すこと。それこそが真の富国であり、安全保障に他ならない。憎しみを背景にした威嚇や軍拡競争はもうおしまいにして、もっと楽しい未来図を描きたいものだ。

  


Posted by biwap at 06:36近江大好き

2015年08月28日

名勝・水茎の岡


 万葉集にも詠われ、平安の昔、絵師・巨勢金丘(コゼノカナオカ)があまりの美しさに描くのをあきらめたと伝えられる「水茎の岡(ミズグキノオカ)」(近江八幡市)。この地「岡山」は3つの山からなる。西端の小さな山が「頭山」、真中の大きな山が「尾山」、一番低い山が「後山」。1508年、この地の領主・九里(クノリ)氏が水茎岡山城を築城。九里氏は、堅田水軍と並んで二大水軍とよばれた水軍を擁していた。頭山の湖側に竜神を祭った小さな神社がある。ご神体とされている岩は、追撃の幕府軍を迎え撃った時に、八艘の船を隠していた「八艘隠し岩」という岩。


 現在、山の周囲は埋め立てられてしまっているが、もともとは湖に浮かぶ島状の地形であった。岡山城のある丘陵は湖岸道路で分断されている。1508年、将軍足利義澄が近江へ逃れてくると、九里(クノリ)氏は水茎岡山城に匿(カクマ)った。翌年3月には、城内で後に12代将軍となる義晴が誕生。同年8月、義澄は城内で病死している。その後、六角氏に攻められ、水茎岡山城は落城。廃城となる。
「近江史を歩く・53」は、「.近江将軍義晴」。
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Posted by biwap at 06:16近江史を歩く

2015年08月26日

「嫌」でも「呆」でもなく


 ジュンク堂書店難波店。今年5月、反ヘイト本のコーナーを設置。決めたのは福嶋聡(アキラ)店長。「市場原理に任せて隣国への憎悪をあおる本を並べていることに違和感があった」。
 「大嫌韓時代」「どの面下げての韓国人」「笑えるほどたちが悪い韓国の話」「呆韓論」「バカが隣に住んでいる」「中国を永久に黙らせる100問100問」。じめっとした空気が社会を覆っている。そんな風潮に一石を投じようという動きが書店や出版関係者自身の中から起こった。
 売り上げに貢献するから置かざるを得ない。そもそも出版社みずから言論・表現の自由を否定していいのか?  自問自答しながら、どこかで良識のブレーキがかかることを期待した。しかし、もうこれ以上黙っていてはいけないのだ。自らの責任を問い直す人たちが声を上げた。「自分は加担しない」「私は差別や憎しみを飯の種にしたくない」「私たちの愛する書店という空間を、憎しみの言葉であふれさせたくない」。
 新聞やテレビというメディアが差別的言辞をそのまま流すのは明らかに不当だ。それを出版の世界にそのまま当てはめることは確かにできない。しかし、書店という公共空間の中で「差別や憎悪の煽動」といえる本を特設することが、企業倫理として許されるのだろうか。人を傷つける自由はないはずである。
 今この国を考える「嫌」でもなく「呆」でもなく。河出書房新社はこんな選書フェアを開催した。「嫌」や「呆」という文字が、隣国にレッテル貼りされる中、違和感を覚えた社員4人が企画提案した。「価値観の多様性」「社会に向けて、さまざまなボールを投げていく」ことを目指したという。

  


Posted by biwap at 09:19辛口政治批評

2015年08月25日

大河ドラマの逆説


 NHK大河ドラマ「花の乱」は、2012年「平清盛」と並ぶ低視聴率番組。でも、私の評価は逆だ。視聴率を稼げる「戦国」「幕末」ものよりも、別の時代の方がはるかに面白い。平板な正義や情感、信長・秀吉たちの言い訳タラタラなど、どうも好きになれない。視聴率に怯えず斬新な番組作りに挑戦してほしいものだ。「花の乱」は、悪女と評された日野富子の生涯を描く。溺愛する息子・義尚は、近江鈎(マガリ)の陣で亡くなる。「鈎(マガリ)」? そうそれは、意外にもすぐ近くにあった。



 国道1号線、上鈎交差点を琵琶湖側へ左折。車も入り込めない道を自転車で。いったいどこにあるのだろう。JR草津線の線路とぶつかったあたりに、そのお寺はひっそりと佇(タタズ)んでいた。ここがその場所なのか!

「近江史を歩く・52」は、「鈎の陣と甲賀忍者」
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Posted by biwap at 06:17近江史を歩く

2015年08月23日

NOヘイト・キッド


 東山紀之。元アイドルグループ「少年隊」のメンバー。妻は女優の木村佳乃。そう言えばNHK大河ドラマ『琉球の風』にも出演していた。1992年、初めて沖縄を訪れた時のことをこう語っている。「十七世紀から今日までの沖縄の歴史をふり返ると、沖縄の悲劇は極端なものだと思う。国内で沖縄ほど虐げられた歴史をもつ場所もない。今日に至るまで人々の思いは見事なほどつぶされてきた。なのに、どうしてこんなに明るく、親切でいられるのか。その優しさの裏には底知れぬ悲しみがあると思った。それを経験している人々の強さと優しさなのだ」
 その眼差しの確かさに驚かされた。広島のコンサート後、訪れた原爆資料館では「僕は韓国人の被爆者の人生に関心がある。差別のなかで、さらにまた差別を受けた人々はどんな人生をどんな人生観で生きたのだろう。演じることが許されるなら、その人生を演じてみたい。伝える必要があると思うからだ」。
 排外デモ、嫌韓本、あふれかえるヘイトスピーチ。そんな中、1冊の本が注目を集めている。東山紀之の自伝エッセイ『カワサキ・キッド』(朝日新聞出版)。神奈川県川崎市のコリアンタウンで過ごした極貧の少年時代。祖父がロシア人という出自。幼い東山と在日コリアン一家の交流。東山は小学校時代から差別への違和感をもち、虐げられた人たちに思いを馳せるようになっていく。
 13歳の時、ジャニーズ合宿所でマイケル・ジャクソンとブラックカルチャーに出逢う。「奴隷として鎖に繋がれてアフリカから連れて来られた人々は、運動不足にならないよう足踏みをさせられた。そこでリズムを刻むのが彼らの唯一の自己表現だった。生き残った人々は道端に落ちていた王冠(栓)を足につけ、リズムを刻んで遊び、ささやかな楽しみにしたという。それがタップ(英語で"栓"の意味)の始まりと言われている。タップダンスとは、虐げられた人々の発散であり、魂の叫びだったのだ」
 少年隊のデビュー、ジャニーズの先輩後輩との思い出、有名芸能人たちとの交遊、そして母親に背負わされる借金地獄。
 「いまは、芸能人というよりも、まず人として、人の親として生きていきたい、と思う」。東山は結婚し2児をもうける。寛容さを失った社会でもっとも必要なもの。それが「優しさ」。たとえば、泣いている子どもを見かけたとき、東山は「ほら、お友達が泣いているよ」と子どもたちに声をかける。「どこの国の子どもだとか、親が誰だとか、何をしているとかは関係ない。大人がそういう態度でいると、子どもたちは知らない相手であれ、あのお友達、大丈夫かな?と言い出すようになる」。
 まずは、大人が他者に対する思いやり、優しさの手本を示す。国籍や親の職業、取り巻く環境など関係ない。子どもたちに対する東山の思いであり、反差別に対する強烈な思いでもある。
 「人は人を差別するときの顔が最も醜いと僕は思っている」

  


Posted by biwap at 06:23biwap哲学

2015年08月21日

やっぱりおおかみ


 佐々木マキ。漫画家、絵本作家、イラストレーター。1966年、雑誌「ガロ」にてマンガ家デビュー。1973年、『やっぱりおおかみ』で絵本作家としての活動を開始。「マキ」とは、第二次世界大戦時、ナチスドイツ占領下のフランスで活動したレジスタンス組織のこと。


 『やっぱりおおかみ』について、作者はこう語っている。「おおかみを主人公にしようと決めた時点で、こんなふうに主人公がひとりぼっちのままという展開が、頭の中にあったんでしょうね。シルエットのおおかみが、仲間といっしょにたくさん暮らしてても、おもしろくも何ともないですから(笑)。異質な、というか場違いな感じが、シルエットにすることによって絵の上でもかなり出てると思います。湿ってるとかいうのが、自分でいやなんですね。もし、この絵本でも、描き手がもっとこのおおかみに感情移入してたら、それこそ、いやーな絵本になってたと思いますけれど。描いてる人が、かなりこのおおかみをつきはなしているんですね」


 主人公は、この世に生き残ったひとりぼっちのおおかみ。仲間を探してあちこちうろつくが、うさぎの街にも、やぎの村にも、豚の市場にも自分の居場所はない。とあるビルの屋上。そこには気球がつながれていた。しかし、旅立ったのは誰も乗っていない気球だけ。「やっぱり おれは おおかみだもんな おおかみとして いきるしかないよ」「そうおもうと なんだか ふしぎに ゆかいな きもちに なってきました」

  


Posted by biwap at 06:25芸術と人間

2015年08月19日

空飛ぶ「磐船」


 大阪府交野市、天野川の渓谷沿いにある磐船(イワフネ)神社。「天磐船(アメノイワフネ)」とよばれる天野川を跨ぐ舟形巨岩を御神体としている。この空飛ぶ船で降りて来たのが饒速日(ニギハヤヒ)。高天原から天孫降臨したニニギとは別に、天磐船に乗って河内国の河上の哮ヶ峯(タケルガミネ)に天下ったとされている。交野に勢力を持っていた肩野物部氏の氏神でもあり、物部氏と深く関わっている。
 初代神武天皇より先に大和に鎮座していることから、ニギハヤヒの存在には多くの重要な問題が含まれる。大和地方に神武天皇以前に出雲系の王権が存在したとする説や、大和地方に存在した何らかの勢力と物部氏の結びつきを指摘する説などがある。
 磐船神社の岩窟は修験者の行場で、1933年に一般公開された。岩場を歩く「岩窟めぐり」が「秘境スポット」と知られ、歩いて約20分のコースには年間約5千人が訪れる。しかし、2014年9月には42歳の女性が岩場で転落死している。受付で厳重にチェックされたのは、そのためだったのか。次回は、キチンとした服装でパワースポットを歩いてみよう。





「勝手に読む古事記・9」 
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Posted by biwap at 06:18歴史の部屋

2015年08月17日

沖縄2紙をつぶさないで


 政権与党の会合で「沖縄の二つの新聞はつぶさなアカン」と発言した百田尚樹氏。沖縄タイムスの電話取材に対して「沖縄の新聞をしっかりと読んだことはないが、ネットで読むと、私と歴史認識が違う。全体の記事の印象から私が嫌いな新聞だ」「私と意見が違う2紙を誰も読まなくなり、誰も読者がいなくなってつぶれてほしいという意味での発言だ」と答えている。成程、こんな人がNHK経営委員だったのか。
 8月14日18時、首相の冗長で一つも心に響かない談話に、後味の悪さだけが残った。さらに驚いたのがNHK政治解説委員の政府広報解説。成程。
 翌日、各紙社説を発表。成程と、心にストンと落ちたのが沖縄2紙だった。少々長いが記録のために引用したい。

<沖縄タイムス社説>[戦後70年談話]主語漂流 真意はどこに(2015年8月15日)
 安倍晋三首相は終戦記念日前日の14日、戦後70年談話(「安倍談話」)を閣議決定し、発表した。
 安倍談話は「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのおわび」など肝の言葉を盛り込んだ。戦後50年の「村山談話」、戦後60年の「小泉談話」を踏襲した形だ。表面的な言葉だけみれば過去の談話を引き継いでいるようにみえる。だが、心に響くことがなかった。なぜだろうか。
 四つのキーワードを踏襲しながらどの国に向けて語っているのか明示せず、一般的あるいは間接的にしか表現していないからだ。安倍首相自身の肉声に乏しく、どこか傍観者的に感じられてならない。
 たとえば「侵略」。「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」と表現している。先の大戦における中国などに対する日本の行為を侵略とは言い切っていないのである。その後の記者の質問にも「具体的にどのような行為が侵略に当たるか否かについては、歴史家の議論に委ねるべきだ」と答えているから、よけい疑念が募る。
 「植民地支配」については「植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せてきた」「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた」などと使用している。侵略や植民地支配とも主語がはっきりせず、加害者としての立場を意図的にぼかしていると言わざるを得ない。
 村山談話、小泉談話では「わが国は…多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と対象をはっきり示し、「痛切な反省」と「心からのおわび」につなげている。
 安倍談話では「痛切な反省」と「心からのおわび」は、「わが国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」と過去の談話を引用し、「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものである」と表明している。歴代内閣の姿勢を説明することによって間接的に安倍内閣の立場を示したもので、安倍首相自身の言葉による直接的なおわびではないのである。
 中曽根康弘元首相は月刊誌で先の大戦をめぐり中国や東南アジア諸国に対する日本の行為について「現地の人からすれば日本軍が土足で入り込んできたわけで、まぎれもない侵略行為だった」と断言。「歴史を正視し得ない民族は、他の民族からの信頼も尊敬も得ることはできない」と書いている。
 戦後70年の節目の安倍談話でありながら、どうしてこのようなあいまいな談話になってしまったのだろうか。
 連立を組む公明党はおわびを含め四つのキーワードを談話に取り入れることを求める一方、安倍首相の側近をはじめ保守層からは「おわびは必要ない」との声が出る。
 両立できないことをあえて両立させようとしたのが安倍談話である。それを象徴しているのが談話の「子や孫、その先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」としながら、「それでもなお、日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」の下りである。両方に目配りするあまり意味を成さない文章となった。
 安倍談話は「未来志向」になるとの触れ込みだった。冷え切った日中、日韓関係の改善に向けてなぜ、明確なメッセージを出さなかったのか。残念でならない。
 安倍首相は記者の質問に答え「ウクライナ、南シナ海、東シナ海など、世界のどこであろうとも、力による現状変更の試みは決して許すことはできない」と触れている。中国を念頭に置いた発言である。関係改善を促す方策を提示しないままでは緊張緩和を遠ざけるばかりではないか。
 歴代内閣が村山談話に基づく政府見解を内外に示しながらなぜ、隣国と和解できないのだろうか。誠実に過去と向き合い中国や韓国との協力・連携を進め、東アジアの新しい未来を築いていくというメッセージを示すべきだった。

<琉球新報社説>戦後70年終戦記念日 不戦の誓いを新たに 評価できない首相談話(2015年8月15日)
 戦後70年の終戦記念日を迎えた。ことしは多くの人が不戦の誓いを新たにしているのではないか。
 言うまでもなく、他国を武力で守る集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案が国会で審議されているからだ。
 法案は7月中旬に衆院を通過したが、国民からは新たな戦争に巻き込まれかねないとの懸念が消えない。それにもかかわらず、安倍晋三首相は今国会中の成立を目指すという。戦後70年間、日本が培ってきた平和主義や専守防衛の国是は根本から揺らいでいる。
 政府は戦後70年の安倍首相談話を決定した。戦後50年の村山富市首相談話が明記した先の大戦をめぐる「おわびの気持ち」「侵略」などの言葉が盛り込まれた。
 中曽根康弘元首相の言葉を借りるまでもなく、大戦でのアジア諸国に対する日本の行為が「紛れもない侵略」だったことは動かしようのない事実だ。アジアに多大な犠牲と苦痛を与えた歴史と向き合い、謝罪するのは当然である。
 だが安倍首相の談話には違和感を覚えた部分も少なくない。主語や対象を明確にせず、首相自身の考えに曖昧な点が数多く残った。
 おわびは「わが国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」と歴代内閣による謝罪の経過を紹介する中で触れた。「歴代内閣の立場は、今後も揺るぎない」と付け加えたが、直接的な謝罪は避けた。
 侵略に関しては「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、二度と用いてはならない」「植民地支配から永遠に決別しなければならない」としたが、客観的表記にとどまる。「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた」ことに触れたが、加害の立場に言及しなかった。
 一方で「戦争に関わりのない世代に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と述べた。これは「歴史に真正面から向き合う」姿勢と矛盾しないのか。それとも謝罪はもう十分ということなのか。
 首相は過去の国会答弁で「侵略という定義は学問的も国際的にも定まっていない」と述べて物議を醸した。14日の会見でも「どのような行為が侵略に当たるかは歴史家の議論に委ねるべきだ」などと述べている。
 公明党や中韓両国など国際世論への配慮から渋々「おわび」したのではないか。そうした疑念はかえって深まった。率直に加害の過去を反省し、アジアにわびる言葉がなかった点など評価できない。
 沖縄は戦争で本土防衛の捨て石となり、県民の4人に1人が命を落とした。その沖縄戦から私たちが得た最大の教訓は「軍隊は住民を守らない」ということだ。
 沖縄戦で日本軍が守ろうとした「国」とは何か。12日に琉球新報社の「琉球フォーラム」で講演した戦史・紛争史研究家の山崎雅弘氏から含蓄に富む話があった。
 山崎氏はドイツに降伏したフランスが国家体制、領土の順に切り捨てて国民の生命・財産を守ろうとしたのに比べ、日本は逆に国民を最初に切り捨てて国家体制を守ろうとしたと報告。戦後日本の安保論議から、軍と市民の関係性の総括が欠落していると指摘した。
 談話で首相は「いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきだ」と表明したが、一方では多くの国民が「戦争法案」と懸念する安保法案の成立に突き進んでいる。不戦の誓いに逆行するような動きが、国民に「新たな戦前」の不安をかき立てている。
 首相は会見で「未来に向け世界で日本はどういう道を進むべきか」と問うたが、憲法の国民主権や平和主義に基づく戦後の歩みを続けることこそがその答えだ。市民よりも国家が優先された過ちを繰り返さないために、今こそ不戦の原点を見詰め直すべきだ。
  


Posted by biwap at 07:07辛口政治批評

2015年08月16日

琵琶湖バレイ50周年


 冬の夜。琵琶湖西岸にそびえる比良山系に煌々とした灯りが見える。ゲレンデから眼下に琵琶湖を望む、国内有数の都市近郊型スキー場「琵琶湖バレイ」。1965年、産経新聞社がサンケイバレイとして開設。1968年、産経の経営悪化のため資産整理の対象となる。名古屋鉄道が引き取る形で買収。名鉄グループがスキー場・びわ湖バレイとして経営。2006年、名古屋鉄道は運営会社の累積債務超過を理由に、「日本ケーブル」の子会社「NCリゾーツ」へ譲渡。オフシーズンは高原公園として営業されている。夏のロープウェイは比良山系への登山者の利用も多い。琵琶湖バレイ・ロープウェイから蓬莱山を散策してみた。



  


Posted by biwap at 06:15近江大好き