
2015年07月31日
寝物語の里



滋賀県米原市長久寺(チョウキュウジ)。長久寺村は、近江と美濃の国境をまたいだ村。江戸時代後期「近江輿地志略」によると、ここに屋敷が25軒あった。5軒は美濃国、20軒は近江国。両国の境には小さな溝があったと記されている。細い溝ひとつ隔てて並ぶ宿では、壁越しに「寝ながら他国の人と話合えた」ことから「寝物語の里」と呼ばれた。言葉も5軒が美濃なまり、20軒が近江なまりだったとか。また、美濃の5軒は金を使い、近江の20軒は銀を使っていた。江戸を中心とした金経済圏と上方を中心とした銀経済圏の境界でもあったのだ。国境に「近江国」の存在を肌で感じた。国家主義的ナショナリズムや強要された愛国心は、明治期以降に作られたイデオロギーに他ならない。
2015年07月29日
あかりちゃんの石礫

戦争法案PRビデオ。ヒゲの隊長が「あかりちゃん」に集団的自衛権をわかりやすく(?)解説。ところがネット上では、パロディー版が広がった。これぞまさしく「石の礫(ツブテ)」。
https://youtu.be/L9WjGyo9AU8
羊飼いの少年ダビデは、巨人ゴリアテを石の礫(ツブテ)で倒した。礫(ツブテ)は、弱小な者が強大な者を打ち負かす象徴として歴史の中に現れる。

2015年07月27日
その気になれば










旅はいつも「はずみ」。その気になれば、世界がきっと開けるはず。
2015年07月23日
アンダー・コントロール

2013年のこと。
「まず結論から申し上げますと、全く問題ありません。どうかあの、ヘッドラインではなくて事実を見て頂きたいと思います。汚染水による影響は、福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートル範囲内の中で、完全にブロックされています。
食品や水からの被曝量は日本のどの地域においても基準の100分の1であります。ま、つまり、健康問題については、今までも現在もそして将来も、全く問題ないということをお約束いたします。
さらに、完全に問題のないものにするために、抜本解決に向けたプログラムを私が責任をもって決定し、すでに着手をしております。実行していく、いまそのことを、はっきりとお約束もうし上げたいと思います」
「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。
さらに申し上げます。ほかの、どんな競技場とも似ていない真新しいスタジアムから、確かな財政措置に至るまで、2020年東京大会は、その確実な実行が、確証されたものとなります」
Posted by biwap at
06:10
2015年07月21日
時代は変わっていく

「戦争法案」強行採決に憤った「市民」が声を上げる。コンビニでコピーされた「アベ政治を許さない」の文字が揺れた。「生活」や「個」を大切にする「市民」運動の伏流が姿を現す。けっして操作される愚かな大衆ばかりではないのだ。新しい感性が、新しい時代を築いていく。
「戦争は、防衛を名目に始まる。戦争は、兵器産業に富をもたらす。戦争は、すぐに制御が効かなくなる。戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。精神は、操作の対象物ではない。生命は、誰かの持ち駒ではない。海は、基地に押しつぶされてはならない。空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。学問は、戦争の武器ではない。学問は、商売の道具ではない。学問は、権力の下僕ではない。生きる場所と考える自由を守り、創るために、私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。」(自由と平和のための京大有志の会)
2015年07月18日
Still Crazy

MJQといえばモダン・ジャズ・カルテット。しかしもう一つのMJQ、マンハッタン・ジャズ・クインテットのジャズ・ライブを聴きに栗東芸術文化会館「さきら」へ。まさかここでこんな音楽が聴けるとは。
リーダーのデヴィッド・マシューズを核にNYの超一流ミュージシャンで構成されたMJQ。今一番NYで注目されている若手トランぺッター、マイケル・ロドリゲスに参加要請。先日亡くなったオリジナル・メンバー、ルー・ソロフへのトリビュート曲も演奏された。スタンダード・ナンバーを中心にワクワクする演奏はジャズの楽しさを満喫させるものだった。入門者をも魅了しジャズ・ファンの層を広げていくこの企画、「さきら」恐るべし。
しかし「キミはまだマンハッタンを聴いているのか」(後藤雅洋)という激しい批判もある。後藤氏のように長年ジャズに関わってきた人物にとって、伝統的な即興演奏のようで実は全て計算づくの演奏は「ジャズでは無い」ということになるらしい。有名なスタンダード曲ばかり演奏し、リズムがカチッとしていてフュージョンっぽい。堅物のリスナーたちにとってはポピュリズムと映るのかもしれない。でもジャズ・ライブで自己満足的演奏を我慢して聞かされる初心者にとっては、そんなことはどうだっていい。
音楽だけでなく、その人柄とか生き方というのもファンになる大事な要素である。「日本語難しいです」と言いながら達者な日本語で挨拶する変な外国人デヴィッド・マシューズ。常日頃、横柄に英語をまくし立てる人間には辟易していた私なので、その魅力と温かさに思わずはまってしまった。不自由な右手と左手の5本の指が鍵盤を駆け巡っていく。音楽もスポーツも人間への共感なのだ。
1970年に解散したサイモン&ガーファンクル。1975年、ポール・サイモンはアルバム「時の流れに」(原題: Still Crazy After All These Years)を発表。そのアレンジを担当したのが、ピアニスト・編曲家のデヴィッド・マシューズだった。1942年生まれのデヴィッド・マシューズは今年プロ音楽家生活50周年を迎える。そして、マンハッタン・ジャズ・クインテット結成30周年。新作“Still Crazy”を携えたツアーが始まった。
“Still Crazy After 30Years!”in2015
2015年07月16日
どうにも止まらない




メディアは懲らしめ、国民は教化する。「国民の皆様に丁寧に説明する」という思い上がりの前に、まず国民の声に耳を傾けるべきだ。いや、そんな感性など微塵もなさそうなウルトラ(右翼)の皆さん。自己陶酔の独善ほど国民にとって危険なものはない。もうどうにも止まらない暴走政治。私たちは歴史から何も学ばなかったのか!

2015年07月14日
泣くな、はらちゃん

日本代表にも選ばれたことのあるG大阪・藤春廣輝選手は屈指のなでしこフリークである。「日の丸フィーバー」の「にわかファン」や社交辞令を求められる有名サッカー選手とは違い、サラリと的をついたことを言う。一押しは日テレ・ベレーザの中心選手・原菜摘子。ベレーザの試合を見るとこの不思議な選手はすぐに目につく。
ギャルっぽいメークをばっちりと決め、スポーツ選手らしからぬ華奢な体、どうみてもぶりっ子で甘えん坊にしか見えない仕草。しかしいったん試合が始まるとその軽やかな身のこなしと俊敏さに目を見張る。ボランチという重いポジションで接触プレーも怖がらずボールに食らいつく。外見からは想像もつかない豊富な運動量と身体能力。ベレーザがINAC神戸を破った試合でも、同じポジションの澤選手との力の差が勝敗を分けたといえる。
古くからの女子サッカーファンは日本代表に選ばれないのを不思議に思っていた。代表選考は何やら実力とは別の基準があるのではとさえ思ってしまう。ずば抜けてうまい選手だけど、やっぱり代表は無理かなと感じさせてしまうものは何なのか。いやその奇妙なアンバランスがこの選手の魅力なのかもしれない。
なでしこへの関心が高まった中、リーグ戦が再開された。メディアはこぞって代表選手を追いかけた。ベレーザは原選手の得点で勝利し、首位に躍り出た。メディアはそんなことには少しも関心を示さず、代表選手のアシストで勝利したと伝えただけ。有名選手だけを追いかけ消費の対象とし、ブームが引けば冷たく切り捨てる。受け手を馬鹿にしたその姿勢は現政権の政治とそっくりである。
東アジアカップ大会の予備登録メンバーが発表された。その中に原選手の名前があった。あの監督だからどうせ落とされるだろうというのが「通」の声。それはどっちでもいいが、人間観察もサッカー観戦の面白さである。スポーツとは「人間のドラマ」なのだから。
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09:01
2015年07月11日
絵解き「彦根屏風」


1955年、国宝に指定された「彦根屏風」。幕末の大老・井伊直弼の頃に井伊家に伝来したため、この名で呼ばれている。描かれた場面は彦根ではなく、下の絵にある江戸時代初期・京都六条柳町の遊里である。

当時、六条柳町の太夫は四条河原町で演じられる遊女歌舞伎の演者でもあった。遊里や歌舞伎という享楽的で華やかな世界。しかし、この絵はどこか冷たく寂しげである。この絵が描かれた寛永という時代。風紀の取り締まりが厳しくなり、華やかな情景は失われつつあった。何らかの追慕の想いが、この作品にはあったのだろうか。
遊里は、極めて高い教養を必要とする文化サロンであり、流行の発信源であった。寓意の中に散りばめられたファッショナブルな記号。屏風はそれを読み解く知的なゲームでもあった。折り畳まれた6曲の画面。3つのシーンに分けて見ていこう。

若衆と遊女2人、一番右に禿(カムロ)。若衆のからだをくねらせたスタイル。慶長期の「かぶきもの」の流れを汲む当世風スタイルである。このくねらせ方。実に近世初期の絵師「岩佐又兵衛」風である。リードをつけた西洋犬を連れ、一瞬振りむく遊女のポーズ。後の「見返り美人」の原型となる。江戸初期寛永期の「きれいさび」を取り入れた最先端ファッションである。若衆にナンパされるのがうっとおしいのか、眉をひそめる洗い髪の遊女と素知らぬ風を装おう禿。洗い髪の遊女の小袖は芭蕉文様。謡曲「芭蕉」に登場する芭蕉の精とみる説もある。禿の怪しげな様子も何となく妖怪っぽい。

脇息でくつろぐ女、その後ろで禿を見つめる男、文を書く女、そして禿。没頭して手紙を書く遊女。なじみの客に文を出すのも遊女の大事な仕事。しかし、誰でも読み書きができる時代ではない。書をしたためるには深い教養がいる。管弦、和歌、書画にいたるまでひととおりのことができなければ一人前とは言えないのだ。屏風のどの場面にも禿がいるのに気がつく。幼い頃から遊女として仕え、教育されていたことを暗示している。脇息でくつろぐ遊女の姿。維摩居士(ユイマコジ)の姿を似せて描いている。維摩居士は、釈迦の在家の弟子で、釈迦の教化を助けた人物。当時の知識人なら維摩居士像は当然の教養だった。脇息でくつろぐこの女性は維摩の知的なイメージを投影させている。遊女たちを取り仕切るいわゆる管理職だったのかもしれない。後ろの男性は、遊女たちの監視・教育係なのか。

双六をする3人、三味線を弾く3人、そして禿。実に見事な「琴棋書画(キンキショガ)」だ。琴棋書画とは、古来中国の知識階級が嗜(タシナ)むべき、琴(キン)・囲碁・書・画の4つの技芸を指す。日本でも中世以降さかんにこの画題が描かれている。彦根屏風では、琴を三味線、囲碁を双六、書を艶文、画を画中画の屏風絵というように、当世風にアレンジしている。
彦根屏風が描かれた時代、画を鑑賞できる層は限られていた。その限られた層の人々の教養があって初めて理解できる重層的なイメージ。知的で高度な解読ゲーム。まだまだ解明されていない謎。「彦根屏風」の尽きない魅力を楽しんでみよう。
2015年07月09日
民主主義の作法

「昭和25年の次の年の名称は1951年とする」。1950年、参議院文部委員会に提出された「年の名称に関する法律案」である。元号を廃止し西暦一本にするのは自然なことだと受け止められていた。その理由は3つ。
①国際化(2020年東京オリンピックは平成32年東京オリンピックとは言わない)
②国民主権(一人の人間を君主とし、その生死で時代を区分するのは民主主義の世の中にふさわしくない)
③合理的(昭和43年(1968)と平成10年(1998)は30年離れている)
元号は中国で始まった紀年法で、もともとは皇帝の支配する時間を意味した。一人の天皇が一つの元号を持つ「一世一元の制」は天皇主権に基づくものであり、日本国憲法の象徴天皇制にはなじまない。特定の家柄や血筋によって特別の人間が作られるのは「法の下の平等」に反する。人間の上に人間を作るのも差別である。
この法案は別の法案(文化財保護法)を優先させたため国会に提出されず廃案となった。しかし、法的根拠のなくなった元号は慣習としてのみ存続していたため、昭和天皇の死とともに自然消滅するはずだった。これに危機感を抱いた保守勢力は1979年、反対を押し切り元号法を制定。政府は国会質問に対し「元号は強制しないと」と答弁している。ところが官庁の公的文書など、事実上の強制は行われている。昭和64年1月7日の次は平成元年1月8日だった。また、こんなことを繰り返すのだろうか。一人の人間の生死で時代を区分することには無理がある。天皇自身の人間としての尊厳をも傷つけかねない。
大きな流れに抗することは大変だ。でも、ほんのちょっぴりでも抵抗してみよう。私たちは国民(主権者)であって、けっして臣民(家来)ではないのだから。