› 近江大好きbiwap › 2014年11月

2014年11月30日

Cool Buddhism


 十字架上に刑死したイエス・キリスト。この世の終わりに再び降臨する。7つのラッパが鳴り響くと、いよいよ「最後の審判」が始まるのだ。すべての人々は蘇り生前の行いに応じて、天国行きと地獄行きに振るい分けられる。復讐劇のスタート。ところで、もう一人はこんな風に復活した。


 釈迦が入滅したことを聞いた母・摩耶夫人は、急ぎ涅槃の場にかけつけた。泣き崩れる母のために、釈迦は棺の蓋をあけ、身を起してこの世の無常を説く。説き終わると再び棺に戻り、蓋を閉じた。典拠の「摩訶摩耶経(マカマヤキョウ)」は中国でつくられた偽経(ギキョウ)とされるが、面白すぎる話だ。でも、このクールさはいったい何なのだ。  


Posted by biwap at 06:51民俗と文化への興味

2014年11月28日

××でビルを建てた近江商人


 1932年12月16日、東京日本橋・白木屋百貨店で火災発生。ロープを伝って脱出している真下には大勢の野次馬。この火災報道は世界中に配信。欧米諸国では女性の恥じらいを重んじて死んでいった女性店員への同情が涙を誘った。その後、白木屋は女性店員にはズロースをはくことを義務づけ、翌年には和服から洋装を奨励した。
 1946年6月15日、太平洋戦争から復員した塚本幸一は、京都の自宅へ帰り着いた。この日から、婦人装身具の商売を始める。創業当初の商号は「和江(ワコウ)商事」。1957年からワコール株式会社となる。塚本の夢は、「日本の女性を美しくしたい」。日本女性のファッションが和装から洋装へと大きく転換してゆく中、ワコールは女性下着メーカーとしてトップクラスの地位を固めていく。21世紀に入ると「女性共感企業」を宣言。「ブラジャーでビルを建てた近江商人」・塚本幸一。祖父・塚本粂太郎は、滋賀県五個荘村の繊維商人の家に生まれている。父の2代目・粂太郎は京都で商売を始めるが、幸一は近江八幡で育った。ワコールの前身・和江商事の名は、「江州に和す」という意味。
 女性も男性も、いくつになってもおしゃれでありたいものだ。どうでもよくなったらあかん。壊れものの人間を支えていくのは、たとえ形から入ろうと矜持(キョウジ)でしかない。
  


Posted by biwap at 06:22近江大好き

2014年11月26日

傘がない


 1972年の連合赤軍浅間山荘事件を契機に、全国に吹き荒れた学生運動の波は潮を退くように消えていく。1973年、「神田川」。「あなたのやさしさ」が、極私的空間への退行現象を誘(イザナ)った。1972年の「傘がない」は、ポスト・モダニズムの思想そのものであった。人民のために命を投げ出し革命のために死ぬ、そんな大義や正義こそが独善的暴力に他ならない。いかなる真理・道徳も、結局は個人の自由を奪う抑圧装置となりうる。ポスト・モダンの告発には共感するところが多かった。「傘がない」は好きだった。でも?と考える。論壇でもてはやされた「逃走」は、本当に非人間的状況を克服しえたのか? 通過点として必要なものが、到達点ではないケースは多々ある。その過渡期のエネルギーはどこへ向かったのか。あの頃の学生たちは今何を思い、心の中に何を感じているのか。
 井上陽水の「傘がない」。UA(ウーア)も面白いが、忌野清志郎が意外とはまっている。
http://youtu.be/eBCQEkdgkTI

  


Posted by biwap at 07:03

2014年11月24日

ついに焼きあがった「土器」




 人類が初めて手にした化学変化の産物・土器。「工業製品のルーツ」ともいえる。土をこねて器の形にし、火で焼き固める。水の漏れない容器は、食料を煮炊きすることを可能にした。それは、食生活において、いや人類の生存において、想像を絶する変化といえる。土をこねるという原初的な作業は、無意識の心性を呼び覚ますものなのかもしれない。などと適当な理屈をつけて、基礎も何もすっ飛ばして作った、やりたい放題の作品たち。子どもの優劣など評価できないのと同じで、出来が悪かろうが良かろうが、皆それなりに「よし」なのである。やはり世の中、出来損ないの存在なんて何一つない。

  


Posted by biwap at 06:22

2014年11月22日

自転車2台の離れわざ


 小さな車に自転車2台。ラクティスの後部座席を倒し、自転車の前輪を溝にはめ込む。後部座席のシートベルトを自転車にかけ、固定させれば出来上がり。出し入れもとても簡単。小型ハイブリッド車でこれができればいいのだが、候補車なし。一足飛びに、燃料電池車ができれば最高だ。不可能を可能にする日本の技術。それには、政策的誘導が必要だ。いつまでも原発にしがみついてないで、もっと夢のあることを語ってほしい。資源(resource)がたくさんある=resourcefulとは、「工夫に富む」という意味だ。  


Posted by biwap at 06:21

2014年11月20日

夢であいましょう

道草百人一首・その35
「住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ」(藤原敏行朝臣)【18番】


 「あの住之江の岸に寄せる波の『よる』ではないけれど、人目が気になる夜でもないのに、ましてや現実ではないのに。どうして夢の中でさえ、人目を避けて来ていただけないのでしょう」。平安時代は、男性が女性の家へ通う通い婚が慣習。男性が見限ってしまうと、もう女性の家へはやって来なくなる。せめて夢の中でも。いやいや、夢は恋の深さを測るバロメーターだった。夢の中にすら出てこないとは。藤原敏行朝臣(フジワラノトシユキアソン)。実は、在原業平とは妻同士が姉妹の関係である。百人一首の人間関係は、なにやら意味ありげだ。
 「夢であいましょう」は、1960年代前半、毎週土曜日夜に生放送されていたNHKのバラエティ番組。軽妙なトークと、シャレた音楽。上品でおしゃれな番組だった。いつからバラエティ番組は俗悪・軽薄で見るに耐えないものに劣化してしまったのだろう。  


Posted by biwap at 06:24道草百人一首

2014年11月18日

解散権の乱用は違憲よ


 解散は総理の専権事項だと、当然のように言われるが、そう簡単な話ではない。解散権の根拠については古くから憲法上の論点であった。憲法を素直に読めば、衆議院の内閣不信任案可決に対抗して、衆議院の解散が認められている。憲法制定当初もそう考えられていた。最初の衆議院解散となった1948年。与野党共に解散で合意していたのだが、形式的に野党が内閣不信任案を提出。それを可決した上で、衆議院を解散した。憲法69条の規定によるので「69条解散」と呼ぶ。ところが、天皇の国事行為を定めた憲法7条の中に衆議院の解散がある。国事行為は、内閣の助言と承認に基づいて行われる形式的な儀礼に過ぎない。しかしこれを根拠に内閣がやれと言えばいつでも解散できるとするのが「7条解散」だ。「7条解散」が慣例化していき、総理大臣がフリーハンドで解散権を行使できるかのように考えられてしまった。もともと、議院内閣制とは、議会の信任によって内閣が存立しているものである。その信任を失う以外に、自らの存立基盤を恣意的に解散させることなどありえない。百歩譲っても、重要法案の否決や基本政策の根本的変更を民意に問うというのが常識的な線だろう。どんな美辞麗句を並べようと、今回の解散に大義はなく私利私欲に過ぎない。もし大義があるとすれば、国民がオルタナティブを求めることだ。  


Posted by biwap at 11:44

2014年11月16日

湖北観音の里を訪ねて


 観音さん。ゾロアスター教の女神アナーヒター、ヒンドゥー教のシバァ神など多くの神々の属性が複合され一つに結晶した。紀元1世紀頃には観音信仰が成立。その後、ヒンズー教の影響で、聖観音像から多面多臂(タメンタヒ)の密教的観音に姿を変える。観音信仰は朝鮮半島を経て日本へ渡来。観音さんが一人で勝手に来るわけはないので、日本海から都への途次、この地域に土着していった人たちがもたらしたのが湖北の観音信仰なのだろう。戦国戦乱の中、焼き払われようとした観音さんを土に埋め、これを守り続けたのは泥まみれの民衆。宗派を越えた原初的な信仰の姿がそこにはある。「近江史を歩く・45」は、「湖北己高山と観音の里」。
http://biwap.raindrop.jp/details1053.html (PC版)
http://biwap.raindrop.jp/sp/details1053.html (スマホ版)

  


Posted by biwap at 06:26近江史を歩く

2014年11月14日

少し早かった湖北の紅葉


 中山道・柏原宿から西へ入った清滝。清瀧寺(セイリュウジ)の紅葉は、来週くらいが見頃か。でも、かえって静かな秋の一時を満喫できたともいえる。清瀧寺は、近江源氏の流れを引く京極氏の菩提寺。バサラ大名・京極道誉、ホタル大名・京極高次。時代の奔流を巧みに乗り越えてきた名家である。若狭小浜、出雲松江、播磨龍野、讃岐丸亀と領国を移りながらも、常に近江・清滝を自らのルーツと考えた。「近江史を歩く・44」は、「京極氏は清滝にかえる」。
http://biwap.raindrop.jp/details1052.html (PC版)
http://biwap.raindrop.jp/sp/details1052.html (スマホ版)
  


Posted by biwap at 06:25近江史を歩く

2014年11月12日

猫と行平鍋

道草百人一首・その34
「たち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む」(中納言行平)【16番】


 飼い猫がいなくなった時、猫の皿にこの歌を書いて貼っておくと猫が帰ってくるというおまじないの歌。あなたと今別れて因幡の国に行きますが、その因幡の国の峰に生えている松の名のように、あなたが待っていてくれると聞いたならば、すぐにでも飛んで帰ってきますよ。任地の因幡へ出発する時から、イヤで仕方がなさそうである。作者・中納言行平こと在原行平(アリワラノユキヒラ)は、平城(ヘイゼイ)天皇の皇子・阿保(アボ)親王の子で、在原業平(アリワラノナリヒラ)の異母兄弟にあたる。彼も藤原良房の権力掌握の過程で左遷されたようで、2年ほどで帰京するも、何らかの理由で須磨に蟄居させられる。都への絶ちがたい思慕の情は、飼い猫に寄せる想いに通じるものだったのか。ところで、行平鍋というのがある。在原行平が、須磨で海女に塩を焼かせた故事に因(チナ)むらしい。その時用いた鍋に白い塩が現れ、それが雪のようだったので「雪平鍋」とも書く。
  


Posted by biwap at 06:29道草百人一首