
2019年07月29日
韓国は『敵』なのか

朝日新聞2019年7月25日「論壇時評」。ジャーナリスト津田大介さんの文を抜粋引用する。
<政府が韓国向けの半導体材料3品目の輸出規制を厳格化する措置を発表したことが大きな議論を呼んでいる。安倍首相は3日に行われた日本記者クラブ主催の党首討論会で韓国の元徴用工訴訟に触れ、「1965年に(日韓)請求権協定でお互いに請求権を放棄した。約束を守らない中では、今までの優遇措置はとれない」と語った。同日、世耕経産相もツイッターで今回の措置を実施した経緯について、日韓間で生じている輸出管理の問題と元徴用工問題などで信頼関係が損なわれたことを理由として挙げた。
規制措置の実施を受け、ネット媒体では「輸出規制措置をとることは、韓国の無法を国際的に知らしめる」「韓国経済の生死を決めるのは日本であることをわからせなければならない」といった勇ましい言葉で今回の措置を肯定する議論が目立つ。実施直後に行われたJNN世論調査では今回の措置を妥当だとみなす国民が58%に及んだ。背景に日韓関係の悪化があることは明白だ。(中略)
なぜ日本は自分たちにとって経済的メリットの薄い輸出規制を進めるのか。木村幹はその理由を「政策の効力にではなく、これにより『韓国を痛めつけ』あるいは『痛めつけようとする』のだ、というメッセージそのものにある」と分析する。理路をたどって両国の中長期的な利益を模索するよりも「韓国が苦しむ姿を見たい」という国民をターゲットにした「感情」に訴えかける政策を、日本政府はあえて採っているということだ。そしてその政府の狙いは、世論調査を見る限り、現政権の支持率を下支えする結果をもたらしているようにも見える。(中略)
韓国ギャラップが12日に発表した世論調査結果によると日本に「好感が持てる」と回答した人は12%と91年の調査開始以降最低となった一方、日本人に「好感が持てる」とした人は41%に及んだ。このような状況下であっても国と個人を区別できている分、韓国人の方が日本人よりも若干冷静と言えるかもしれない。参院選も終わった今だからこそ、ヒートアップした対韓感情を冷まし、政経分離を進める政策を政府には望みたい。>
ほとんど嫌韓プロパガンダと化したテレビを見ていると、こんな時にこそ時流に迎合せず冷静に発言できる人がホンモノなのだと分かるようになってきた。妙なポピュリズムに踊らされるよりも、知性の力を地道に信頼していくしかないのではないか。
7月25日に「韓国は『敵』なのか」という日本の知識人による声明が発表された。韓国KBSニュースやハンギョレ新聞で初めてその存在を知り、ネットでたどり着いた。呼びかけ人の中にも多様な意見があるようだが、もう黙っていられないという「良識」の叫び声に共感した。賛同署名の拡散。これは私たちの「知性のロウソク革命」だ。
(https://peace3appeal.jimdo.com/)
2019年07月27日
「黒箱」がまいた種

朝日新聞デジタル(2019年7月27日)有料会員限定記事。しっかりと見つめていけば、片隅で孤立無援の戦いをしている人の姿が見える。この記事に込められた「思い」がキラキラと輝いていた。
吉岡桂子さんの署名記事「伊藤詩織さんの『黒箱』がまいた種 未来へ、国境越えて」を以下引用。
しょぼ降る雨を吹き飛ばす熱気が覆う。中国内陸にある四川省成都市の書店「言几又」で22日夜、ジャーナリスト伊藤詩織さんとの交流会があった。20~30代を中心に約350人が詰めかけている。
伊藤さんは、望まない性行為で精神的苦痛を受けたとして、元TBS記者の男性に損害賠償を求める訴訟を起こしている。男性は「売名を図った悪質な虚妄」として損害賠償を求めて反訴している。こうしたいきさつを含めて、性暴力やセクハラを告発する世界的な運動「#MeToo」が広がる前から、実名で声をあげる伊藤さんを知る中国人は少なくない。彼女も制作にかかわった英BBCの日本における性犯罪のドキュメンタリー「日本の秘められた恥」が、ネット経由で広まっているからだ。
今回の訪中は、手記「Black Box ブラックボックス」の中国語版「黒箱」の刊行(初版3万部)をきっかけに、中国の出版社が企画した。10日ほどの滞在中、ほかにも上海、杭州、北京で会合が開かれた。中国のネットには続々と、伊藤さんへの敬意と支援の声が寄せられている。
壇上に現れた伊藤さんに拍手がわく。
「本名と顔を出して告発したのはなぜ」
「真実が持つ力を信じる。(事象は)ブラックボックスの中で難しい面もあるが、挑戦する。一人のジャーナリストとして立ち続け、未来に向けて語ると決めた」
女性の人権問題に詳しい地元の弁護士や大学教授らも登壇し、中国でテレビ局の司会者をセクハラで訴えた女性ともスマホを通じてやりとりした。自らの経験を著書と同じく抑えた言葉で振り返りながら、被害者としてだけでなく「サバイバー」として、潜在的な被害を減らし、社会を良い方向へ変えるために生きる。そんな覚悟を静かに語ると、通訳の女性は涙ぐんだ。私も気づくと何度も息を止めて聞いていた。
「日本では受けいれられないのでは」
日本が欧米の先進国と比べて、女性の権利の保護や男女の平等で遅れがあることは、国連などの調査から中国でも有名だ。それゆえに出た問いである。伊藤さんはイギリスに拠点を移した理由の一つをこう、答えた。「(告発後に)ネットを通じて脅迫や恥辱的な言葉をぶつけられました。私だけでなく家族や友人にも、です。想像を超えていた」。身が凍る思いがした。
日本の問題点を話したり権力を批判したりすれば、「反日」だと発言を封じたがる人がいる。まったく逆だと思う。議論の抑圧こそ、民主国家にとって「恥」である。
中国をみてみよう。「#MeToo」や「#我也是(中国語で、私も)」は、政治的に敏感な言葉だ。昨年初めから大学、宗教界、メディアなどでの性被害事件に対して声があがるが、この言葉はネットから繰り返し削除されている。中国では、女性の問題に限らず、当局が管理できない市民の連帯は政治的な脅威とみなされ、厳しく制限されている。伊藤さんのイベントの宣伝に「#MeToo」が一文字も見当たらないのは偶然ではないだろう。
だが、言葉を消しても問題は消えない。だからこそ、被害者から見た司法や救済制度の不正義を指摘し、立ち向かう彼女の姿に「勇気をもらった」と共感が集まる。規制をかいくぐりながら、助け合いと一歩ずつの変革を模索する人たちの心をうつ。
終了後のサイン会は長蛇の列。かたことの日本語で「がんばって」「ありがとう」と声をかけている。女性ばかりではない。地元の学校の図書館で働く男性は、いがぐり頭の中学1年生のおいっ子を連れてきていた。「大事な教育の機会だ。男性こそが共有すべき問題だからね」
他人事にしない想像力が国境を超えて人をつなぎ、社会を変えていく。「共感の包容力に励まされた」。そうほほ笑む伊藤さんはまた一つ、未来へ向けて種をまいた。
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06:50
2019年07月18日
狂気を生き延びる道

ふと大江健三郎の小説のタイトルが頭をよぎった。地球上には推計1万5千発もの核弾頭が存在していると言われる。

Jアラートが鳴る。「事実上のミサイル」「飛翔体」などと訳の分からない言葉を弄び、「竹やり訓練」をさせる。その異様さに気づかないことがすでに異様である。

戦争がなくなると困るのは、巨大化した軍需産業。飢餓や貧困の解決に回されるべき富が人殺しの道具に浪費される。自衛の名のもとに軍拡競争が進められ、緊張と敵対関係が煽られる。その異様さに気づかないことがすでに異様である。

目に見えないものを思い描く力が必要なのだ。
栗原貞子が40年以上も前に書いた詩を読み返した。
〈ヒロシマ〉というとき
〈ああ ヒロシマ〉と
やさしくこたえてくれるだろうか
〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉
〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉
〈ヒロシマ〉といえば 女や子供を
壕のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
〈ヒロシマ〉といえば
血と炎のこだまが 返って来るのだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは
返ってこない
アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああヒロシマ〉と
やさしくかえってくるためには
捨てた筈の武器を ほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を撤去せねばならない
その日までヒロシマは
残酷と不信のにがい都市だ
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08:57
2019年07月11日
成功体験と自尊感情

まだ投票もしていないのに選挙情勢が報じられ、暗澹とした気分になる。捏造、改竄、言論統制。もう権力が何をしようと、国民は「裸の王様」にひれ伏す羊でしかないのか。「成功体験と自尊感情の欠如」とある人は評した。
少し古いが「AERA 2017年9月18日号」の記事を引用する。
東浩紀「真相究明で名誉を回復 その過程重視する韓国と日本の違い」
<8月末から1週間、韓国に滞在した。韓国南部の都市、光州で2年に一度開かれる現代美術の祭典、光州ビエンナーレに協力することになり、打ち合わせに招かれたのである。
光州は1980年に大規模な民主化運動が起き、ときの軍事独裁政権と衝突して150人を超える死者を出した。当時は学生と過激派の暴動と見なされたが、その後見直され、いまでは民主国家韓国の出発点と認められている。95年に始まった光州ビエンナーレは、単なる文化事業ではなく、その名誉回復と深く連動した祭典だ。大規模な銃撃戦があった旧全羅南道庁は、いまは博物館に生まれ変わっている。
今回の滞在では済州島にも足を延ばした。同島は、48年から7年間、軍や警察が関与した大規模な住民虐殺事件があったことで知られる。こちらも長く実態が知られてこなかったが、今世紀に入り真相究明が進んだ。いまでは島じゅうに事件関連の碑が立ち、大きな追悼公園も建設されている。
光州と済州、二つの土地を巡り、あらためて感じたことがある。日韓では政治と記憶の関係が異なる。日本は水に流す、韓国は恨(ハン)を忘れないとはステレオタイプの日韓比較論だが、それにとどまらない差異がある。キーワードは「名誉回復」だ。光州でも済州でも、博物館の記述は、事件の概要だけでなく、真相究明の過程にも重点を置いている。歪められた事実が正され、真実が明らかにされ犠牲者の名誉が「回復」される、韓国人はその過程こそ重視している。だからときに大胆に歴史を見直す。元大統領に死刑判決を下すことも厭わない。日本にはそのような価値転換のダイナミズムは、よかれあしかれ存在しない。
日韓どちらの態度が正しいのか、判断はむずかしい。ただ思うのは、これこそ両国のすれ違いの原因だろうということである。
従軍慰安婦にせよ徴用労働者にせよ、韓国人が求めているのはじつは賠償や個々の日本人の謝罪ではない。名誉回復である。しかしそれこそが、日本人がもっとも苦手とするものなのだ。そもそも日本人は名誉がなにかすら忘れている。ないものを与えることはできない。>
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07:00
2019年07月01日
掲載不許可写真

朝鮮戦争は法的には休戦状態のままだ。トランプ大統領が訪れたDMZ(非武装地帯)には、休戦を監視するための中立国監視委員会(NNSC)が駐留している。
分断と対立の歴史に終止符を打ち、平和と共生への道を開きたい。そんな痛切な思いのひとかけらたりとも汲み取ろうとしない、日本のメディア報道は腐りきっているとしか言いようがない。
韓国がいかに蚊帳の外に置かれているかを喧伝してきたメディア。蚊帳の外にいたのは誰だったのか。またしても政権擁護の国政翼賛報道が繰り返されるのだろう。
想像力と感受性、そして自分の頭で考えきる賢さ。それは、皮肉にも「効率と競争」原理の教育や社会が排除してきたものだ。だから、この写真がこの国で報道されることはない。
2019年07月01日
「新聞記者」

「これは、新聞記者という職業についての映画ではない。人が、この時代に、保身を超えて持つべき矜持についての映画だ」(是枝裕和)

ある夜、東都新聞社に「医療系大学の新設」に関する極秘公文書が匿名FAXで届いた。表紙に羊の絵が描かれた同文書は内部によるリークなのか? それとも誤報を誘発するための罠か?

書類を託されたのは、日本人の父親と韓国人の母をもち、アメリカで育った女性記者・吉岡エリカ(シム・ウンギョン)。吉岡は真相を突き止めるべく取材を始める。

政権に絡んだきな臭い問題が立てつづけに起こる。その裏側で動いているのが、内閣情報調査室(内調)。政権を守るための情報操作。政権に楯突く者たちを陥れるためのマスコミ工作。

その内調に出向している若き官僚・杉原拓海(松坂桃李)。政権擁護のための情報コントロールという仕事に葛藤する。外務省時代の上司・神崎がビルの屋上から身を投げたことにより、杉原は不信感を募らせていく。神崎の通夜が行われた日、偶然にも言葉を交わした吉岡と杉原。2人の人生が交差した先に、官邸が強引に進めようとする驚愕の計画が浮かび上がる。

劇映画というフィクション作品でありながら、ここ数年のあいだに安倍政権下で起こった数々の事件が重ねられる。森友公文書改ざん問題での近畿財務局職員の自殺、加計学園問題に絡んだ前川喜平・元文科事務次官に仕掛けられた官邸による謀略、“総理ベッタリ記者”による性暴力被害ともみ消しを訴える伊藤詩織さんによる告発。その背後にあるのが官邸の「謀略機関」内閣情報調査室。その暗躍をこの映画は正面から描いている。

衝撃の問題作には違いないのだが、何よりも映画として面白い。権力批判には違いないのだが、人間性への普遍的な問いかけでもある。
「良心」を貫くのは、決して容易なことではない。家族を愛し守らねばならない杉原(松坂桃李)の葛藤は、誰しもが経験することなのかもしれない。人の心は壊れやすく脆い。だからこそ、人の心を蹂躙していく暴力を私たちは告発し続けなければならない。「新聞記者」のメッセージがそこにある。
少なくとも声を上げた人たちを見殺しにしてはいけない。映画を見に行こう!