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2014年10月31日

未来を拓けるか草津川




 朝の散歩道、旧草津川河川敷堤防。11月1日から通行止めとなり、日課のスロージョギングは、コース変更を余儀なくされる。工事を横目で見ながら、この先どうなるのかと思う。「草津川跡地利用基本計画」を読んでみた。基本コンセプトは、「ガーデンミュージアム」。自然風植栽による「ナチュラルガーデン」を基調としながら、「ビオガーデン」、「エコ・ファームガーデン」、「エコ・ウェルネスガーデン」、「マルシェガーデン」の4つのガーデンにより構成されるそうだ。横文字が並んで、何やらイメージがわかないが、旧河川をいくつかの区画に分け、それぞれ、特色を持った庭園・広場・公園をつくるらしい。菜園ガーデン、ふれあい牧場、農産物直売所、スポーツ施設、市民活動広場、市民の森、東海道歴史広場、カフェ・レストラン、セレクトショップ、伝統工芸などの体験型施設、レンタサイクルなどが列挙され、少しずつイメージがわいてくる。道路はあくまで歩行者・自転車中心。以前は、平地化して自動車道路を建設するという恐ろしい話があったが、幹線道路としての役割を明確に否定している。こだわりと意地と意思を感じた。川がなくなり、跡地という悲しい名称になってしまったが、「旧草津川」を「私たちの町の誇り」としてよみがえらせてほしい。新しい街づくりと活性化のモデルとなっていくよう、これからの市民参加の事業に期待したい。やはりイラストの方がわかりやすく、イメージを膨らませてくれるようだ。


  


Posted by biwap at 06:27近江大好き

2014年10月29日

憧れの力


「禁じられた遊び」が弾きたくて、クラシックギターの道へ。でもこの曲、超定番曲過ぎて弾くのはなぜか気恥ずかしい。次の定番曲はタレガの「アルハンブラの想い出」。美しいトレモロが魅力的だ。こんな曲を感情込めて弾けたらと・・・。そしてその次は、「アラビア風奇想曲」。スラーを多用した非常に綺麗な曲。6弦を1音下げてレの音に調音する。タレガの曲はどれも美しい。奇想曲(キソウキョク)は、イタリア語でcapriccio(カプリッチョ)、「きまぐれ」という意味。演奏者の表現力が逆に問われてくる。それにしても、きっと惹かれるものがあるからこそ、人生は活き活きとしてくるのだろう。
http://youtu.be/06GVrYP6NKs

  


Posted by biwap at 08:41芸術と人間

2014年10月27日

雄大な富士か優雅な富士か

道草百人一首・その30 
「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ」(山部赤人)【4番】


 山部赤人。柿本人麻呂とともに歌聖と呼ばれ称えられている。百人一首3番・人麻呂の「夜の闇」に対し、4番・赤人は「雪の白さ」を歌っている。経歴は定かではないが、聖武天皇時代の宮廷歌人だったと思われる。歌意は、「田子の浦まではるばる来てみると、富士山の高いところは真っ白になっている。今でも雪は降り続いているのだ」。ところが、この歌は万葉集に違った形で載っている。「田子の浦ゆ うち出でてみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける」。「田子の浦ゆ」の「ゆ」は、経由の由(ゆ)。「降りける」は、降った後ということになる。歌意はこうなる。「田子の浦を通って視界が開けたところまで出てみると、富士山の高いところには真っ白い雪が積もっていた」。「真白にぞ」と、いかにも万葉集らしい雄大な表現。どちらが好みかは、人それぞれ。滋賀県東近江市下麻生町には、山部赤人を祀る山部神社と、山部赤人の創建で終焉の地と伝わる赤人寺がある。  


Posted by biwap at 06:38道草百人一首

2014年10月25日

コンビニは30坪


 畳2枚が1坪である。平均的なコンビニの面積は30坪(約100㎡=1アール)。この30坪は1畝(セ)になる。つまりコンビニは1畝である。この10倍が1反(タン)。1反は300坪位になる。近世の石盛(標準収穫高)では、1反で 上田=1石5斗 、中田=1石3斗、下田=1石1斗、下々田=9斗のコメが取れた。現在は、1反で3~4石位のコメが取れる。1反(10a=1000㎡)は、小学校の体育館位の大きさ。ここから、8人分位の年間コメ消費量が生産される。10反でちょうど1ヘクタール位。100m×100m(1万平方m)の広さである。日本のコメの作付面積は160万ヘクタール。年間収穫量は860万トン位である。石高にすると5733万石。コメの消費量は半分以下に落ちているので、1石は2人の人間の年間コメ消費量と考えると、日本の人口と合ってくる。元号などという非民主的なものと違い、古い度量衡はけっこう便利である。度は面積、量は容積を意味する。ものさしを道具に、具体的に物事を考える習慣を身につけたい。  


Posted by biwap at 06:40歴史の部屋

2014年10月23日

飯盒は4合


 標準的な飯盒は米4合炊。本体に刻印されている線は、2合・4合で用いる水量の目安。蓋と中蓋も米の計量に使う。蓋が3合、中蓋が2合である。1合(コメで約150g)は、だいたい一人分である。1合=10勺(シャク)。柄杓(ヒシャク)で水を汲んだ時の容積が1勺。1升(ショウ)=10合。約1.8ℓ。ペットボトル1本位、一升瓶。1斗(トウ)=10升。樽の大きさ、1斗樽。1石(コク)=10斗。つまり、1石=1000合となる。1回に食べるゴハンを1合弱とすると、1日3合。これに1年365日を掛け算するとざっと約1000合。つまり、1石になる。1石は、1人の人間が1年間に食べる米の量(米で約150kg)。江戸初期の石高が1700万石なら、1700万人位の人口があったのだろう。30万石なら、30万人。この大雑把な感覚は、歴史を見たり物事を考えたりするのに結構役立つ。ところで日本人の一人当たり平均コメ消費量はどんどん落ち込み、1年間に57kg位になった(0.4石)。もっとコメを食べなきゃ。  


Posted by biwap at 06:34歴史の部屋

2014年10月21日

人麻呂の憂愁

道草百人一首・その29
「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」(柿本人麻呂)【3番】


 秋の夜長の寂しさがつのるのは、今も昔も変わらない。「山鳥の尾の しだり尾の」と音感の面白さが感じられる。万葉集最大の歌人とも言われる柿本人麻呂。しかし、その生涯はまったくの謎につつまれている。出自、経歴、生没年すべて未詳。下級官人としての生活を送ったのち、奈良遷都以前に没したらしい。「大君(オオキミ)は 神にしませば 天雲の 雷(イカズチ)の上に いほりせるかも」。近江朝を滅ぼした天武を称える歌である。「日本」という国号や「天皇」という称号がこの時期に確立する。しかし、人麻呂の視線は、滅び去った近江朝に向けられる。「近江(アフミ)の海(ミ) 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ 」。確実に年代の判明している人麻呂の歌は、天智の娘・持統天皇の即位からその死去にほぼ重なっている。この女帝の存在が、人麻呂とどのように関わっていたのか。最後に石見国で亡くなったとされるが、その死には暗い影がつきまとう。秋の夜長の寂しさも、何か違う意味に感じられてしまうのだ。  


Posted by biwap at 06:30道草百人一首

2014年10月18日

愛と復讐のルサンチマン


 「山中常盤物語絵巻」。源義経伝説に基づく御伽草子系の物語。歴史的事実ではないので念のため。藤原秀衡を頼って奥州へ下った牛若を訪ねて、都を旅立った母の常盤御前。山中の宿で盗賊に惨殺される。常盤も侍従も小袖を奪われ、上半身裸、刺された常盤の胸には血がべっとりと。何とも凄まじい絵だ。母・常盤を殺害されたその翌日、奇しくも悲劇の舞台となった宿に泊まった牛若丸。その夜、夢枕に母が現れ、事の顛末を知る。母の仇を討つため牛若は、盗賊をおびき寄せ、不意を突いて襲いかかる。盗賊どもの首や手足が切り落とされ、胴体が切り刻まれる血なまぐさいシーンが連続する。目を背けたくなるような修羅場。まるで得体の知れない力に導かれるように、作者は筆を進めていく。この情念はいったい何なのか。
 激しくも妖しい絵巻の作者、岩佐又兵衛。江戸時代初期の絵師。「浮世又兵衛」の異名をとり、浮世絵の祖、大津絵の祖と喧伝され、謎の絵師とされてきた。父は、摂津国伊丹の有岡城主・荒木村重。村重は織田信長の家臣であったが、信長に反逆。信長に攻められた村重は城から脱出。信長は見せしめの為、人質を処刑。女房衆122人が尼崎近くの七松において鉄砲や長刀で殺された。京都に護送された村重一族と重臣の家族の36人は、大八車に縛り付けられ京都市中を引き回された後、六条河原で斬首。城中に残された一族郎党は虐殺。村重の子・又兵衛は乳母に救い出され、石山本願寺に保護された。肝心の村重本人は毛利方へ逃亡。秀吉が覇権を握ってからは、大坂で茶人として復帰している。過去の過ちを恥じ、「道糞」(ドウフン)と名乗った。子の又兵衛と再会したかは、詳(ツマビ)らかではない。
 成人した又兵衛は母方の岩佐姓を名乗り、織田信長の息子・信雄に御伽衆(オトギシュウ)として仕えた。その後、京都で絵師としての活動を始める。この又兵衛を京の都から呼び寄せたのが、越前北之庄藩主・松平忠直。祖父・徳川家康の冷遇に怒り、乱行に走ったバサラ大名である。京の都から福井に移った又兵衛は、絵巻という大作に取り組んだ。しかし、そのほとんどは、仇討ちの復讐物語。 戦乱の時代に一族を惨殺された岩佐又兵衛。反骨のバサラ大名・松平忠直。この出会いが恐るべき絵巻を生み出すこととなる。晩年の又兵衛が使った印章には、「道薀(ドウウン)」の文字が刻まれていた。
  


Posted by biwap at 22:35芸術と人間思想史散歩

2014年10月16日

近江最古の寺は今


 JR湖西線唐崎駅を降りて北西へ進むと「穴太(アノウ)」。1960年代以降、JR湖西線、西大津バイパス、宅地開発などに伴い、発掘調査が行われた。古墳や副葬品などから、比叡山東南麓が渡来系集団の居住地であることがわかってくる。近江地域、いや日本列島における渡来文化研究の先駆けとなった場所である。それは、まさしく古代のコリアタウン。この地域に近江最古の寺院「穴太廃寺」が建てられた。渡来系氏族穴太村主(アノウノスグリ)によって造営されたものと考えられる。飛鳥時代に建立されたこの伽藍は、大津宮遷都の際、天智天皇によって再建され、平安時代まで存続していた。これと同じ独特の金堂形式を持つ寺院は、日本で3つのみ。山田寺、夏見廃寺、そして穴太廃寺。
 奈良県桜井市にある山田寺(ヤマダデラ)は、蘇我倉山田石川麻呂の発願により建て始められ、石川麻呂の自害の後に完成した。蘇我倉山田石川麻呂は蘇我氏の一族だが、中大兄皇子・中臣鎌足と共に乙巳の変(蘇我入鹿暗殺事件)に加担。しかし、その4年後、今度は石川麻呂自身、謀反の密告で攻められる。石川麻呂は抗戦せず、一族とともに山田寺仏殿前で自害。冤罪であったとされる。山田寺は、蘇我倉山田石川麻呂鎮魂慰撫の寺。
 三重県名張市にある夏見廃寺を建立したのは、大来皇女(オオクノヒメミコ)。蘇我倉山田石川麻呂の孫娘に当たる。母は天智天皇皇女の大田皇女、父は天武天皇。大田皇女の死後、弟・大津皇子は謀反の疑いで逮捕され、翌日処刑される。夏見廃寺は、姉・大来皇女が弟・大津皇子の鎮魂慰撫のために建立した寺。
 穴太廃寺を、何らかの意図で再建したのは天智天皇。妻・遠智娘(オチノイラツメ)は、蘇我倉山田石川麻呂の娘。父蘇我倉山田石川麻呂は、謀反の密告をされ自害。この事件は夫である中大兄皇子の陰謀であるという説が有力である。天智には、新しい都を開くためにも鎮魂慰撫の必要があった。
 さて、大津宮の北に位置する大寺院「穴太廃寺」。当初、遺跡保存の要望を受けた建設省は、地下にトンネルを掘り道路を通す予定だった。しかし、コストの問題で地上を高架道路が走ることになった。現在、遺跡は埋め戻され、跡形もない。とまどい、歩きながら考えた。隣国の悪口を並べる前に、もっと文化的で品性のある国にしたいものだと。


  


Posted by biwap at 14:52近江大好き

2014年10月14日

次は草津ジャズフェスを!

 震災後、見違えるばかりの復興を遂げた神戸の街。三宮から山手に向かって北野坂を歩いていくと、レトロでオシャレな店が立ち並ぶ。この辺り一帯は、金木犀の花の香りが漂ってくるとジャズの季節だ。たまたま10月恒例の「神戸ジャズストーリ」に遭遇した。急遽予定変更し、ジャズを満喫。やはり、ジャズは臨場感が命。神戸は、オーソドックスなジャズを守り続けている。今年も、ヨーロッパから優れたジャズミュージシャンたちが参加し、神戸でしか聴けない素晴らしいジャズを演じた。一つの通りにジャズを聴かせるライブハウスが6店も軒を並べているのは、神戸だけだそうだ。
 一週間後、今年で6回目を迎える「大津ジャズフェスティバル」。JAZZを愛する市民が、仲間を集めてゼロから立ち上げたジャズフェスティバル。コンセプトは、「JAZZと一緒に街歩き」。琵琶湖を背景に、有志による手作り感いっぱいのイベントが素敵だ。パンフレット片手に、幾つもの会場を回るのが楽しみ。
 わが草津も旧街道筋という絶好の立地条件。「イナズマロック」のあの熱気が、旧宿場町で蘇る「草津ジャズフェスティバル」を! 群馬県じゃなく、滋賀県でね・・・

  


Posted by biwap at 06:42

2014年10月12日

ハノイは河内なのだ


 漢字文化圏。中国大陸、台湾、ベトナム、朝鮮半島、日本列島。ベトナムでは、ほぼ完全に漢字を廃止。北朝鮮は公式に漢字を廃止。韓国では独立と同時にハングル専用法が制定され、漢字を読めない世代が増加。漢民族を主要な民族とする国以外で、現在まで漢字を日常的に使用している国は日本のみである。
 しかし、漢字文化圏の国には漢語系語彙が多く含まれ、音声言語にも流入し通用している。現在、日本語・韓国語・朝鮮語・ベトナム語では辞書に掲載されている語彙の6割程度が漢文に起源を持つ単語と言われる。ハングル文字やベトナム独自のローマ字表記などを漢字で書けるものを漢字に置き換えれば、意味は即座に通じる。ベトナムで、フランス植民地支配下において流入したローマ字表記の「クオック・グー」は、「国語」である。韓国語の「アンニョンハセヨ」は「安寧ハセヨ」。
 せっかく共通の言葉を持ちながら、もったいない。漢字を共有することにより、コミュニケーションは飛躍的に容易になるはずだ。しかし、そこにはそれぞれの国の文化的自立とナショナル・アイデンティティの問題がある。言語が覇権主義から解放され、真に民衆の道具となるためには、まだまだ人間の英知が必要なのかもしれない。

  


Posted by biwap at 06:47歴史の部屋世界史の窓