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2024年02月14日

曽根崎心中

曽根崎心中

 『曾根崎心中』終盤の道行文。
 日本語で綴られた最も美しい文だと言われている。

  この世の名残り 夜も名残り
  死ににゆく身をたとふれば
  あだしが原の道の霜
  一足ずつに消えてゆく
  夢の夢こそ あはれなれ
  あれ 数ふればあかつきの
  七つの時が六つ鳴りて
  のこる一つが今生の
  鐘のひびきの聞きおさめ
  寂滅為楽とひびく也


 「無常」と「情」。近松のすべてがこの一節に語られている。

曽根崎心中

 近松門左衛門の父・杉森信義は、とある不祥事で越前藩士の地位を奪われ浪人となる。次男であった門左衛門は近江国野洲郡中主村比留田の近松家に養子縁組となる。近松家は浅野家との因縁が深く、養父・近松伊香は赤穂藩浅野家の典医を務めることになる。
 浅野家は豊臣秀吉の正妻・北政所の実家である。本能寺の変・山崎合戦の後、浅野長政は大津城を築き城主となる。この時、瀬田領主であった大石家は浅野家に仕えることになる。
 後に「忠臣蔵」に登場する「浅野内匠頭」「大石内蔵助」は、「近松門左衛門」と抜き差しならぬ密接な関係にあった。因縁の舞台は近江から始まっていた。
 元禄15年(1702年)近松門左衛門50歳の時、赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件が起こる。四十七士の中には、幼い時からの知己であり同志でもあった大石内蔵助、わが子の様に慈しんだ甥の近松勘六・奥田貞右衛門兄弟がいた。縁深き人が切腹して果ててしまう。身勝手で理不尽な幕府権力。武士といえども公権力の前には平伏せざるを得ない。ましてそれが名もなき庶民ともなれば。虐げられ抵抗する手段を持たない人たちへ、近松の目は向けられる。

曽根崎心中

 そんな近松の胸を打つような事件が大坂で起こる。元禄16年(1703年)、曽根崎にある「露天神の森」での醤油屋の手代徳兵衛と堂島新地の遊女お初の心中事件。二人の心の葛藤を近松は思い描いた。そしてすぐさま浄瑠璃の脚本に書き上げた。近松の傑作の一つ『曾根崎心中』。竹本座で上演されるや空前の大当たり。傾きかけていた竹本座は息を吹き返すことになる。

曽根崎心中

 お初は北新地にある天満屋お抱えの遊女。徳兵衛は醤油を商う平野屋の手代。主人・九右衛門は徳兵衛の叔父にあたる。徳兵衛の両親は他界、今は義母(父の後妻)のみが住んでいる。
 九右衛門は勤勉な甥の徳兵衛と妻方の姪を結婚させ、ゆくゆくは店を持たせたいと考えていた。しかし、お初と恋仲の徳兵衛は気乗りがしない。お初の存在に勘づいた九右衛門。徳兵衛の義母に結婚支度金の銀二貫を渡し、早く身を固めさせようとする。
 それを知った徳兵衛は、自分の妻は お初しかいないと訴えるが、主人は聞き入れない。徳兵衛は義母の家に行き、主人から受け取った大金を主人に返すために取り戻した。
 その帰り道、徳兵衛はばったり出会った親友の九平次に、金を貸してほしいと懇願される。人のいい徳兵衛は断りきれず、主人に返すための大事な大金を、九平次に貸してしまった。
 だが、約束の日を過ぎても、九平次は、金を返しには来なかった。一方お初の身にも、身請け話が持ち上がっていた。
 そんなある日、運命に追い詰められた二人は、久しぶりに生玉本願寺の境内で再会する。その時、町衆といっしょに九平次が現われる。「金を返せ」と迫る徳兵衛。「金など借りていない」と開き直る九平次。九平次はさらに、徳兵衛が店の金を使い込んだと町中に吹聴し、町の人々は、九平次の嘘を信じた。
 絶望した徳兵衛は、お初が働く天満屋に人目を隠れてやってきた。徳兵衛をかくまうお初。そこへ九平次が店にきた。 大金をはたき、あびるように酒を飲む九平次。徳兵衛をなじる声にじっと我慢をするだけだった。
 そもそも、遊女であるお初は、 徳兵衛と自由に結婚できる身分ではない。九平次にだまされた徳兵衛も今では追われる身。商人にとって一番大切な信用を失い、 叔父である主人にも合わせる顔がない。
 お初は、どうせ生きて結ばれることがないのなら、あの世で夫婦になろうと、徳兵衛に迫る。追い詰められた自分のために命を断とうというお初の心に、徳兵衛は心中を決心する。ふたりは店を抜け出し、曽根崎の森へと向かう。

曽根崎心中

 致命的なトラブルを抱えていたのは徳兵衛。心中を促していたのはお初の方だ。自分の意志で決断しようとするお初。「徳さまはもう死ぬしかない」「徳さま一人を死なせはしない」「だから一緒に死ぬ」「死ぬ覚悟、あるわよね?」と畳みかけてくる。
 お初は若くして身売りされた女郎。自分の意のままになることなど一つもなかった。自分で自分の身をどうすることもできない遊女の身分。しかし、最後にお初は自らの生を自ら決定しようとする。しかし、その意志の選択は、生ではなく死であった。
 近松は決して死を美化しているわけではない。「刀を持つ手は震え、そんなことじゃだめだと思い直しても、それでも手の震えは止まらない。ちゃんと突いているつもりなのに、切り先はあちらへ、こちらへと、とそれてしまう。そして最後は、刀の柄も折れんばかり、刀が砕けてしまいそうなものすごい力で突きまくり、肉をえぐる。恋する女はぐざぐざ刺され、苦しみ抜いて、暁に死ぬ。それを見届けて、徳兵衛も自刃する」
 目に見えぬ大きな力によって理不尽にも押しつぶされようとする人たちに、近松の限りなく優しい眼差しは向けられている。