› 近江大好きbiwap › 2016年04月

2016年04月30日

未生(ミセン)



 記憶喪失、交通事故、出生の秘密、崖から落ちてもなぜか死なない。韓国ドラマの道具立ては一切ない。ラブロマンスでもシンデレラストーリーでもない。あくまでもリアルに描かれたビジネス社会の現実。地道で丁寧な演出。無名だった俳優たちの好演。次第にそのリズムにはまっていく。韓国で圧倒的な支持を得たドラマ「未生ミセン」。
 幼い頃から棋士を目指していたチャン・グレ。父の死を機にその道を断念。大学にも行けず、バイトにあけくれる。母の伝手(ツテ)で大手総合商社にインターンとして入社。サラリーマン社会の冷酷な現実に挑んでいく。
 「未生ミセン」というのは、囲碁の用語で、まだ生き石にも死に石にもなっていない「不確かな存在」のこと。目ができて生きた状態を「完生ワンセン」という。
 という訳(?)で、さっそく囲碁を始めてみた。囲碁のルーツは中国。5世紀には朝鮮へ、7世紀頃に日本に伝わったとされる。正倉院には碁盤と碁石が収められている。清少納言や紫式部も碁をよく打ったとか。室町時代末期からは碁打ちが専業化し、戦国武将たちも大いに好んだ。
 江戸時代には、本因坊家・井上家・安井家・林家の四家が碁の家元と呼ばれるようになり、優秀な棋士を育て、互いに切磋琢磨しあった。四家はそれぞれ幕府から扶持を受け、血筋ではなく実力により宗家が受け継がれた。明治維新により江戸幕府が崩壊。パトロンを失った家元制度もまた崩壊した。西洋文明への傾斜のなか、囲碁自体も勢いを失っていく。
 中国と朝鮮では、囲碁は余技としてあまり重視されてこなかった。1955年、韓国棋院が設立されると、韓国内でプロを目指すものが増えてきた。1981年、中国囲棋協会が創設されると、中国でも棋士を目指す子どもが急増。1990年代に入り世界大会を韓国棋士が勝利するようになり、韓国内で囲碁人気が爆発。囲碁教室が開かれ、子どもたちがプロ棋士を目指した。21世紀初頭、韓国勢は世界の囲碁界を制す。しかし2005年頃から、国家レベルで若手棋士の育成に励む中国が猛追。台湾勢も台頭し始めた。
 囲碁は白と黒の陣地取りというシンプルなゲーム。しかし、そこに人間の想像力・創造力・感性までが入り込み、コンピューターと対峙する程の奥深い世界を展開する。まるで「未生」を生き続ける私たちの人生のように。
  


Posted by biwap at 06:28芸術と人間KOREAへの関心

2016年04月29日

仮想現実

道草百人一首・その74
「あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな」(謙徳公)【45番】


 「私のことを哀れだと言ってくれそうな人は誰も思いつかないで、きっと私はむなしく死んでいくのだ」。謙徳公(ケントクコウ)はおくり名。生前の名前は藤原伊尹(フジワラノコレタダ)。娘は冷泉天皇の女御となり、花山天皇の母となる。おかげで、摂政・太政大臣にまで昇進。一条に邸宅があったので「一条摂政」と呼ばれた。才色兼備の貴公子。時の権力者にこの嘆き節はしっくりこない。
 ねんごろにしていた女性がいつしか冷たくなり、全く自分を顧みようとしなくなった。現実の女性に宛てたのか、それとも虚構の人物を設定してつくったのか。そのどちらであるともいえる。歌を通じた貴族社会の恋愛遊戯。半ば現実、半ば虚構の世界。私たちの人生も、かくの如しか。
  


Posted by biwap at 09:26道草百人一首

2016年04月28日

美は乱調にあり

道草百人一首・その73
「白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬき留めぬ 玉ぞ散りける」(文屋朝康)【37番】


 文屋朝康(フンヤノアサヤス)。百人一首22番・文屋康秀(フンヤノヤスヒデ)の息子。平安時代、真珠に穴を開け緒に通してアクセサリーとした。「玉」とは「真珠」。風に吹き散らされて翔ぶ草の露を、真珠のネックレスの緒がほどけて飛び散った様子に見立てている。「草の葉の上に乗って光っている露の玉に、風がしきりに吹きつける秋の野原。まるで紐に通して留めていない真珠が、散り乱れて吹き飛んでいるようだ」。
 藤原定家も気に入っていたというこの歌。「露」を「玉」と見立てて、「緒で貫く」という表現は、平安時代にはよく使われたパターン。しかし、この歌の面白さは「ばらけてしまった真珠」。「美は乱調にあり」。きっちり整わない乱れたものの方に、美しさや艶っぽさを感じる人間の不思議な感性。繋ぎ留めずに「散りこぼれ、飛ばされた真珠」の妙。「組体操」の美学より、「ふぞろいの林檎たち」がいい。
  


Posted by biwap at 06:19道草百人一首

2016年04月26日

うちは比叡おろしですねん



風は山から降りてくる
レタスのかごをかかえて
唇はくびれていちご
遠い夜の街を越えてきたそうな
うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を雪にしてしまいますえ
風は琵琶湖に落ちてくる
北山杉を下に見て
夕焼けはよそゆきマント
光る銀の靴をはいていたそうな
うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を雪にしてしまいますえ
風は今夜も吹いている
死んでは駄目よと言いながら
さよならは小さなみぞれ
そっと京の闇に
捨てて来たそうな
うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を雪にしてしまいますえ
(歌:六文銭 作詞・作曲:松岡正剛)
 
 世の中に同姓同名の人は数多いるが、まさか同じ人だったとは。「人」との出会いは、知らず知らずに狭くなっていた自分の視界を解き放ってくれる。



 松岡正剛(マツオカセイゴウ)。編集者、著述家、日本文化研究者、編集工学研究所所長。
 京都の呉服屋に生まれる。朱雀高校入学後、父親の横浜出店に伴い東京都立九段高等学校に通う。早稲田大学文学部フランス文学科進学。学生運動の論客として鳴らす。一方で教会・禅寺などをめぐり、量子力学と民俗学に関心を寄せる。大学4年の時、父親が多額の借金を残して死去。やむなく早大を中退。広告会社に勤める。編集活動を通じて、稲垣足穂、土方巽、寺山修司、唐十郎、鈴木忠志、宇野亜喜良、横尾忠則らと親交を深める。
 1971年、工作舎を設立。雑誌『遊』を創刊。1982年、工作舎を退社し松岡正剛事務所を設立。古代から現代まで続く「情報」そのものの歩みを年表化した大作『情報の歴史』を編纂。1987年、株式会社編集工学研究所を設立(現在は丸善の子会社)。1990年、『日本人のこころ』(NHK)に五木寛之・田中優子とともにレギュラー出演。2000年、書評サイト『千夜千冊』の執筆開始。その直後、胃癌が発覚。手術入院。
 日本文化における創作技術や伝統の精神を探求する一方、編集工学(Editorial Engineering)を提唱。人間の思考や社会のコミュニケーション・システム、創造性にかかわる総合的な方法論を模索。
 学生時代の失恋体験。雪のような冷たい気持ちの中で作ったのが「比叡おろし」。ハーモニカ一つであっというまに書き上げた曲。妻は、稲垣足穂の本などに幻想的な絵をよせた画家「まりの・るうにい」。


  


Posted by biwap at 09:03芸術と人間

2016年04月24日

汝自身を知れ


 「日本の報道機関の独立性は深刻な脅威に直面している」。4月19日、日本における「表現の自由」の状況を調査するため訪日した国連特別報告者デイビッド・ケイ氏(米カリフォルニア大学教授)の会見。
 「多くのジャーナリストが、自身の生活を守るために匿名を条件に私との面会に応じてくれました。彼らの多くが、有力政治家からの間接的な圧力によって、仕事から外され、沈黙を強いられたと訴えています」。
 「電波停止もありうる」という高市発言には、「政府は脅しではないというが、メディアは脅しと受け取る」「政府による『中立性』と『公平性』への絶え間ない圧力が、高いレベルの自己検閲を生み出しているように見えます」。
 4月20日、「国境なき記者団」(RSF)が発表した2016年度「世界報道の自由度ランキング」。日本は前年の61位から順位を大きく落とし、72位まで滑落。アフリカのタンザニア、レソトという発展途上国に挟まれた順位。第二次安倍政権発足後の2013年から急転落を続けている。RSFのコメント。「安倍晋三総理と日本政府は、ますますメディアの自由と大衆の知る権利を考慮しなくなっているように見える」。
 4月21日、菅官房長官。RSFのランキングに対し「わが国で表現の自由、報道の自由は極めて確保されている」。「他の安保理メンバーとも連携しながら、(次期国連事務総長の)選出プロセスに積極的に関与していきたい」とコワい表明。
 NHK籾井会長。熊本地震に際し、「原発については、住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えることを続けてほしい」。「食料などは地元自治体に配分の力が伴わないなどの問題があったが、自衛隊が入ってきて届くようになってきているので、そうした状況も含めて物資の供給などをきめ細かく報じてもらいたい」。
 4月21日、韓国中央日報。「旧日本軍慰安婦被害者の金福童(キム・ボクドン)さん(90)と吉元玉(キル・ウォンオク)さん(87)が20日、ソウルの日本大使館前で開かれた水曜集会の参加者に熊本地震被災者への寄付を呼びかけた」。金さん。「私たちは日本人と戦っているのではない」「(被害を)ただ眺めていることはできない。少しずつでも募金に協力してほしい」。
 何を報道し、何を報道しないのか。何が報道され、何が報道されていないのか。自己の発見は、他者を通じて為される。
  


Posted by biwap at 06:49辛口政治批評

2016年04月21日

高天原は近江に


 「天ノ朝」とは、記紀神話の「高天原(タカマガハラ)」のこと。そしてそれが「邪馬台国」。
 菊池山哉(キクチサンサイ1890年~1966年)。東京府出身。被差別の地をくまなく歩き、前人未到の学問をうちたてた民間学者。
 菊池は、高天原は大和から遠くない場所だと考えた。神話の中で、神々は比較的自由に高天原と地上の間を往来している。高天原は「高海(タカマ)」。淡海(オウミ)。つまり、「天ノ朝」は近江にあった。そこが邪馬台国。菊池は、記紀神話に登場する人物を、「天ノ……」で始まるかどうかを基準として、「天ノ朝=邪馬台国」の人物か、大和朝の人物かを区分けした。記紀に登場する「天ノヒボコ」も天ノ朝の人物。
 第9代開化天皇の子・日子坐(ヒコイマス)王。・アメノヒボコの後裔とも言われ、近江の「ハツクニシラス」と称される人物。神武以来の天皇家の中、「命」がつかず「王」と呼ばれる最初の人物である。菊池は、日子坐王を開化天皇の子ではなく「天ノ朝」の人物だとする。日子坐王の孫・倭姫。卑弥呼と擬せられる人物の一人。卑弥呼は「天照大神」のモデルとなる。
 近江高天原説を主張する人たちは地名のアナロジーにこだわる。正直、牽強付会(ケンキョウフカイ)の感は否めない。しかし、「正史」に対するゲリラ的抵抗は面白い。地方には、数多の「高天原」が存在する。「日本」とは、7世紀後半に作られた歴史的作為物に他ならない。

  


Posted by biwap at 06:06近江大好き

2016年04月20日

あひてあはざる恋か

道草百人一首・その72
「逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし」(中納言朝忠)【44番】


 中納言朝忠(アサタダ)=藤原朝忠。笙(ショウ)の名手。多彩な恋の遍歴。百人一首38番・右近もお相手の一人だった。「もし、あなたと逢うことがなかったなら、あなたの無情やわが身の辛さを恨んだりすることもないだろうに」。「逢わなきゃ、よかった」という歌なのだが、少々クセ物。「未逢恋(いまだ逢はざる恋)」なのか「逢不逢恋(あひてあはざる恋)」なのか議論の分かれるところ。百人一首43番「逢い見ての後の心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」にあるように「逢う」とは契りを結ぶこと。「いまだ逢はざる恋」と解釈すると、一方的な片思いの恨み節。「あひてあはざる恋」ならば、「逢って」しまったばかりに、はまりこんだ恋の深み。それほどまでに「いとおしい」と言いたのだ。さすが恋の達人。
 在原業平の歌。「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」。実は、一見否定のかたちを取っているが、これも立派な「桜花讃」。大人の修辞法は複雑だ。
  


Posted by biwap at 10:46道草百人一首

2016年04月19日

忍ぶれど色に出過ぎて

道草百人一首・その71
「浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき」(参議等)【39番】


 参議等(サンギヒトシ)。嵯峨天皇の曾孫・源等。近江の地方官にもなっている。「まばらに茅が生える篠竹の茂る野原。その<しの>ではないけれども、忍びに忍んできた私の心も、もはやこらえきれなくなって、想いがあふれそうになる。どうしてこんなにまであなたが恋しいのでしょう」。
 「浅茅生の小野の篠原しのぶれど」は、いわば民謡的な口承歌だった。本歌は「浅茅生の小野の篠原しのぶとも 人知るらめや いふ人なしに」。それをそのまま踏まえて、少しだけ転じて見せた。それが「あまりてなどか」。この言葉の挿入でにわかに様相が一変。茅に隠れていた低い篠竹が余って外に出る。そんなふうに隠れ忍んでいたはずの思いの丈(タケ)を、もはや抑えることはできない。一転して激しい恋情が迸(ホトバシ)る。民謡のマイルドな没個性を見事に吹きとばしてしまった。
  


Posted by biwap at 05:58道草百人一首

2016年04月17日

裁判長の社会通念


 それは、わずか10日前のこと。九州電力川内(センダイ)原発1、2号機の運転差し止めを求めた即時抗告審。4月6日、福岡高裁宮崎支部は住民側の申し立てを退けた。西川知一郎裁判長は《社会通念上》、「絶対的な安全性に準じる安全性の確保」までは求められていないとして、原子力規制委員会が策定した新基準は合理的と結論づけた。
 4月12日、NHK世論調査。「現在、停止している原子力発電所の運転を再開することについて」、「賛成」18%、「反対」43%、「どちらともいえない」33%。「飛行機だって落ちることもある。絶対安全じゃなきゃ動かしちゃダメというのは、《社会通念上》非常識である」と。ところが、《社会通念》はけっしてそんなふうに考えていないことがわかる。しかも、この調査は熊本地震の前。
 どうして、誰も何も言わないの? いや、東京新聞2016年4月16日社説!
<日本はやはり地震国。九州を襲った「震度7」に再び思い知らされた。福島第一原発事故のそもそもの原因は、地震である。その原点に立ち戻り、原発の安全対策の在り方を再点検するべきだ。
 「今までに経験したことのない揺れだった」と、強い余震が繰り返される中、住民は不安に戦(オノノ)く。
 「断層帯全体が動いたにしては規模が小さい」と専門家。さらに大きな地震の恐れがあった、ということなのか。
 あらためて思い知らされた。「いつでも、どこでも、強大な地震は起こりうる」
 今月6日、福岡高裁宮崎支部は、今回の震源地からもさほど遠くない九州電力川内原発の運転差し止めを求める住民の訴えを退けた。
 高裁は、対策上想定される基準地震動(最大の揺れの強さ)を「極めて合理的」と判断した。
 住民側は「国内の原発ではそれを超える揺れが、2005年以降だけで5回観測されている」と観測地の過去の平均値から基準を割り出す手法に異議を唱えていた。
 瓦や石垣が無残に崩れ落ちた熊本城の姿を見ても、同じ判断ができただろうか。
 国会の福島第一原発事故調査委員会は、原因は津波だけでなく「地震による損傷の可能性も否定できない」と指摘。「小手先の対策を集積しても、根本的な問題は解決しない」と結論づけた。
 ところが、電力会社も原子力規制委員会も、地震の揺れを甘く見すぎてはいないだろうか。
 その象徴がくしくも九電だ。
 九電は、川内原発の再稼働がかなうやいなや、事故対策の指揮所になる免震施設の建設をあっさりと引っ込めた。それでも原子炉は止められない。
 原発は無数の機器と複雑な配管の固まりだ。見かけは正常に動いていても、強い震動がどの部位にどんなダメージをもたらすか。その積み重ねがどんな結果につながるか、未解明のままなのだ。
 断層のずれは、想定外の地震を起こす。熊本地震の教訓だ。
 規制委の審査を終えて次回再稼働候補とされる四国電力伊方原発の近くには、日本最大の断層である中央構造線が走っている。
 今回の被害を教訓に、起こり得る地震の規模や影響をじっくりと検討し直すべきではないか。
 「いつでも、どこでも、強大な地震は起こる」。地震国日本では、これこそ社会通念であり、一般常識だからである。>
  


Posted by biwap at 06:29辛口政治批評

2016年04月15日

掃除は箒なのだ


 ひと手間の億劫(オックウ)さというのは意外に大きいものだ。その点、箒は電気掃除機より圧倒的に手軽。リズムに乗ると「お掃除体操」も結構楽しいもの。静かで電気代も要らない。そういえば「節電」という言葉はどこへ行ったのだろう。オール電化が「エコ」などと訳のわからないことも言っていた。何事も、もっとシンプルにやってみることだ。


 棕櫚(シュロ)の箒(ホウキ)を買ってみた。ちょっと節約して柄の短いのを買ったのが失敗。腕と腰に負担がかかる。パイプを買ってきて、つぎ足した。梃子の原理が働くのか、適当な長さだと力も要らずリズミカルに掃ける。素晴らしい。これぞ「伝統の知恵」。勲章なんて余計なことはやめて、昔ながらの「職人の技」を大切に継承してほしいものだ。


 箒は神事にも使われる。掃き浄める行為にはもともと呪術的な意味があったのかもしれない。植物を束ねるというのも昔からのもの。材料となる植物は、棕櫚(シュロ)・竹・ワラなど。「江戸箒」は「ホウキモロコシ」から作られる。イネ科の一年草で、草丈、約2メートル。関西では、棕櫚を使った高級箒。棕櫚箒の天然油脂には、フローリング効果がある。大切に使うと20年もつそうだ。箒は、直立、両手で柄をもち、左右同じように使う。腰をかがめることもなく、体のひずみもこない。だからといって、電気掃除機を駆逐して箒を使えなどとは決して言わない。何事も原理主義に走ると、窮屈なばかりで自分を苦しめることになる。面白い!楽しい! それでいい。とりあえず、箒で掃除を!  


Posted by biwap at 06:13biwap哲学