2023年09月15日
処理水という名の汚染水

自らの責任で生じた汚染水を海へ捨ててしまう。いくら何でもやってはいけないことだ。でも、そんな批判をしようものなら、中国の肩を持つつもりか、風評被害を煽って地元の人たちを傷つけるのかと、訳のわからん言葉が浴びせられる。
少なくとも、以下のことだけは確認しておいた方がよさそうだ。
海洋放出される処理水にはトリチウム以外は含まれていないので安全だ。また、トリチウムは海外の原発や国内の原発からも海洋放出しているので安全だ。
間違いの第一。流れてくる水は通常運転の原発からのものとは全く違うということだ。福島第1原発の敷地内のタンクに溜まり続けているのは、全電源を喪失し溶け落ちた核燃料を冷却し続けている汚染水だ。また、流入した地下水が核燃料デブリに触れて汚染水となっている。
通常の原発では、燃料棒は被膜管に覆われており、冷却水が直接核燃料に触れることはない。だが、福島第1原発では、溶け落ちて固まったむき出しの核燃料デブリに直接触れることで放射能汚染水が発生している。その汚染度は通常の原発排水どころではない。2018年にはALPSで処理したにもかかわらずセシウム137、ストロンチウム90、ヨウ素131などトリチウム以外の放射性核種が検出限界値をこえて発見されている。
これは汚染水以外の何物でもなく、処理水と呼ぶのはれっきとした詐欺行為である。

間違いの第二。トリチウムは本当に何の害もない安全なものなのか。
「トリチウムは自然界にも存在し、全国の原発で40年以上排出されているが健康への影響は確認されていない」という。だが実際に、世界各地の原発や核処理施設の周辺地域では、事故が起きなくても稼働させるだけで周辺住民や子どもたちを中心に健康被害が報告されている。その原因の一つとしてトリチウムもあげられている。
トリチウムは水素の同位体で、三重水素とも呼ばれ、化学的性質は普通の水素と同一だが、β線を放出する放射性物質だ。人の体重の約61%は水が占めている。トリチウムは水とほとんど変わらない分子構造をしているため、人体はトリチウムを水と区別できず容易に体内の組織にとり込みやすい。トリチウムを体内にとり込むと、体内では主要な化合物であるタンパク質、糖、脂肪などの有機物にも結合し、有機結合型トリチウムとなり、トリチウム水とは異なる影響を人体に与える。
トリチウムが染色体異常を起こすことや、母乳を通じて子どもに残留することが動物実験で報告されている。動物実験では、トリチウムの被曝にあった動物の子孫の卵巣に腫瘍が発生する確率が5倍増加し、精巣萎縮や卵巣の縮みなどの生殖器の異常が観察されている。
実はこの内部被曝の問題は、原子力推進側にとって積年のタブーであった。内部被曝による人体への影響はアメリカのマンハッタン計画以来、軍事機密とされ隠ぺいされ続けてきたのである。

政府の有識者会議は、トリチウムの生体への影響としてマウスやラットで発がん性や催奇形性が確認されたデータの存在を認めながら、ヒトに対する疫学的データが存在しないことを理由に、トリチウムが人体に影響を及ぼすことを裏付けるエビデンスはないと主張している。都合の悪い時はいつもこの理屈を使う。
しかし実際にはトリチウムの人体への影響はこれまでもくり返し指摘されてきた。ドイツでは1992年と98年の二度、原発周辺のがんと白血病の増加を調査した。その結果原発周辺5㎞以内の5歳以下の子どもに明らかに影響があり、白血病の相対危険度が5㎞以遠に比べて2・19、ほかの固形がん発病の相対危険度は1・61と報告された。
カナダでは、重水炉というトリチウムを多く出すタイプの原子炉が稼働後、しばらくして住民のあいだで健康被害の増加が問題にされた。調査の結果、原発周辺都市では小児白血病や新生児死亡率が増加し、ダウン症候群が80%も増加した。またイギリスのセラフィールド再処理工場周辺地域の子どもたちの小児白血病増加に関して、サダンプト大学の教授は原因核種としてトリチウムとプルトニウムの関与を報告している。
日本国内でもトリチウム放出量が多い加圧水型原発周辺で、白血病やがんでの死亡率が高いとの調査結果も出ている。
トリチウムは通常の原発からも海洋放出しているから安全と言っているが、実際に被害報告や危険性が指摘されている以上、人体にとって危険なトリチウムを排出する通常の原発稼働も止めるべきなのである。通常の原発から出ているのだから安全だなどと間抜けな言葉に騙される方も騙される方だ。
トリチウムは宇宙線と大気の反応により自然界にもごく微量で存在し、雨水やその他の天然水の中にも入っていた。しかし、それが急増したのは戦後の核実験や原発稼働によってだ。さらにそれに輪をかけて、桁違いのトリチウムを無制限に放出し続けて、安全ですなどと涼しい顔をしていられる神経がわからない。

「処理水の取り扱いに関する小委員会」では処分方法として最終的に5つの方法を提示した。その処分方法別の費用は34億~3976億円の幅があったが、結局もっとも安い費用で済む海洋放出(費用34億円)に決定した。科学的な安全性より「安さ」を選択したのだ。そして、全世界に対し償うことのできない無責任と傲慢な大犯罪を演じている。
異常なことを異常なことと気づかない位この世の中は異常なのか。無知ほど怖いものはない。最後の一瞬まであきらめるな!騙されるな!自分の頭で考え続けよ!
2023年09月14日
孤立無援から

人と人が殺しあっていたら、すぐに止めるのが当たり前じゃないか。不思議なことに人殺しを止めようとしない「正義の味方」の顔を見たら、昨日の同志だったりして愕然とする。

和田春樹著『ウクライナ戦争即時停戦論』の書評を抜粋引用する。
著者はロシア史・現代朝鮮史の研究者。ベトナム戦争以来、反戦平和・国際連帯の市民運動にとりくんできた。ウクライナ戦争をめぐっては、ロシアのウクライナ侵攻直後からいち早く「即時停戦」を訴え、「憂慮する歴史家たちの声明」。「日韓市民共同声明」。G7広島サミットに向けた「今こそ停戦を!」まで、学者仲間とともに連続的なキャンペーンを展開してきた。

本書は、ウクライナをめぐって揺れ動く情勢の変化と、運動への賛否あわせた反響を丹念にとりあげ、ウクライナ戦争の内実に迫り、停戦の具体的な方策を提起するものとなっている。
戦争には反対しなければならず、もし戦争になれば、即時停戦を働きかけなければならない。
みずから空襲のなかを逃げまどった体験を持つ著者は、国民の多くが共有しあうそのような信念で活動してきた。ところが、ウクライナ戦争ではそのようなあたりまえの考えが以前のようには通用しなくなったことを痛感したという。
マスコミはロシアを非難し、「ウクライナ支援」といって戦争を煽る報道をくり返す。そればかりか、「共産党」など「平和運動勢力」の一部やロシア研究者の間からも「侵略者ロシア」「専制主義者プーチン」を非難し撤退させることが第一で、そのためにウクライナの戦いを前進させることなくして停戦はありえないと主張するありさまであった。
ウクライナの多くの民間人が砲弾に倒れ、強制動員されたウクライナとロシアの若者が殺し合うような戦闘をただちに止めるよう求めることが、正義に反するというのだ。それは今も続いている。
徹底的に相手をたたきつぶすまで戦うのか、それとも戦闘を即時中止し交渉に入るのか。著者はそれ以外に選択肢はないと強調する。
和平と停戦は別の問題であり、とくに二国間の戦争においては停戦することなく、正義や戦争犯罪、領土問題などを第三国を含めて解決する道筋を開くことはできないという。
本書では特別に一章をもうけて、朝鮮戦争において複雑を極めた停戦過程を詳細に分析し、それとの比較でウクライナでの停戦の方策を提起している。
著者はロシア研究の専門家としてプーチンの思想、信条、主張をロシア史の流れのなかで分析的にとりあげ、「プーチン=ヒトラーの再来」という見方を否定する。
ロシアとウクライナは350年間一つの国であった。2014年のマイダン革命を前後したウクライナ東部での紛争、それに続く今日の事態は、「ソ連解体から生じたウクライナの独立に関連する対立の産物」なのだ。ウクライナ、ロシアの国民大衆の厭戦気分には兄弟同士のたたかいへの痛みがともなっている。
なによりもウクライナとロシアは昨年、早くも開戦から5日目には停戦交渉を始めていたのだった。どちらの側も停戦を望んでいたが、「ブチャの虐殺」報道をきっかけに吹っ飛んでしまったかのように見える。著者は、そこではバイデン米大統領がポーランドでロシアに対する戦闘宣言ともいえる「ワルシャワ演説」をおこなったことが大きいと見ている。
バイデンはウクライナ戦争を「専制主義」に対する「民主主義」の戦いと見なし、アメリカ主導の戦争(=代理戦争)として操作することを隠してはいない。さらに、この紛争は長引き、「少なくとも数年間は続く」と公言してはばからない。そして、「最終的には外交的に終わらせる」とのべている。
著者は、そこにウクライナ戦争がアメリカにとって「新しい夢の戦争」であること、同時にその限界も明確に示されているという。米軍はこの戦争に直接参戦せず、戦死者も出さない。ロシアと戦って死ぬのはウクライナ人であるから、ロシアとの直接的な戦争にならない限り長く戦争を続けることができる。そのもとで、アメリカ製の武器を大量にウクライナに送り戦場で消費するので、兵器産業は莫大な儲けにあずかり喜んでいる。
アメリカにとって、この戦争の目的はウクライナの軍事的勝利ではなく、ロシアの力を可能な限り弱めることにある。だからロシアとの直接的な軍事衝突の危険性が高まれば、ただちにウクライナ支援を止めて「外交的に終わらせる」というのだ。こうしたアメリカの新しい戦争のやり方は、アジアにおいて「台湾有事」を叫び、中国との緊張を高めて日本を武力衝突の最前線に立たせ戦場にしようとする動きにも貫かれているといってよい。

岸田政府はウクライナ戦争を口実に「防衛政策の抜本的転換」を進めるが、本書はその愚かさにも踏み込んでいる。アジアにおいて日本がウクライナのような悲惨にいたらないようにするというのなら、中国や北朝鮮、ロシアとの緊張と軍事的対抗に走るのではなく、対話によるアジアの平和を追求する以外に道はないのだ。
著者は「憲法九条擁護」をとなえて、「専制主義対民主主義」を旗印にしたアメリカの戦争に組み込まれていく潮流との違いを鮮明にしている。
当初は孤立無援状態から始まった著者らの即時停戦の運動だが、その創意的な行動を通して市民の共感と支持を大きく広げてきた。そして、欧米を中心に「今こそ停戦を!」の声を上げる世界の知識人、文化人との連携をも強めてきた。本書全体に、「平和」を口で叫ぶだけでなく現実を変える実践を通してつかんだ運動への確信がみなぎっている。
2023年09月14日
新自由主義の墓場

「El Pueblo Unido Jamas Sera Vencido!」(団結した民衆は決して敗れない!)
2022年3月、南米チリで36歳の若き大統領が誕生した。ガブリエル・ボリッチ。10年前には高等教育の無償化を求める大規模な学生運動のリーダーであった。1973年9月11日のピノチェトによる軍事クーデターによってアジェンデ人民連合政府が転覆されて以降、約半世紀の時を経て、再び左派政党の大統領が誕生した。
新内閣は、女性大臣14人、男性大臣10人の編成。24人中7人が30代。画期的なジェンダー平等と新しい世代のリーダーシップ。その背後には、社会的な不平等、先住民への抑圧と不正義、女性への差別や暴力、汚職や腐敗と闘う大規模な社会運動があった。
「チリは新自由主義が生まれた場所であり、その墓場にすることだってできる」
選挙中も選挙後も、ボリッチは自信を持ってそう言っている。ピノチェト独裁政権下で経済政策を作ったのは、新自由主義の提唱集団「シカゴ・ボーイズ」出身の経済官僚であった。チリは水道を完全に民営化した世界で数少ない国の一つである。1980年には、その「改革」は経済分野を超えて教育や社会保障にも拡大。年金と教育の民営化は、新自由主義の中心的なプロジェクトであった。世界に先駆けて国民年金制度を解体し、民間投資ファンドが運営する年金基金機構がとってかわっている。
ボリッチらはセクト主義や革命によって資本主義を終焉させるというような、古い社会主義や共産主義左派とは一線を画す。彼らが目指すのは、環境、公共サービス、文化、そして女性の権利や多様性、先住民の権利を守ることによる、具体的な生活の改善であり、そのために新自由主義と決別することであった。
南米12カ国では2019年に「大きな政府」を掲げてアルゼンチンで左派政権が復活。ボリビアでも反米左派政権が2019年にいったん崩壊したが1年で返り咲いた。ペルーでも新自由主義に反対する元小学校教師のカスティジョ氏が大統領に就任。チリを含めて七カ国で左派政権が誕生し、かつてない「左派ドミノ」の波が起こっている。中米ホンジュラスでは「貧困と格差是正」を訴えた左派のカストロ氏が大統領選に勝利した。

2022年10月30日。ブラジル大統領選の決選投票がおこなわれ、左派・労働者党のルラ元大統領が、右派現職のボルソナロに勝利し、政権の座に返り咲いた。中南米では、メキシコ、ニカラグア、コロンビア、ベネズエラ、ボリビア、アルゼンチン、ホンジュラス、ペルー、チリと主要国で軒並み左派政権が誕生している。
80年代以降、世界に先駆けて新自由主義の実験場とされた「米国の裏庭」中南米。今、新たな歴史が幕を開けようとしている。
勝利宣言したルラ大統領は、「これは私や労働者党の勝利ではなく、政党や個人の利益、イデオロギーをこえて形成された民主主義運動の勝利だ」と、集まった数十万人もの人々に呼びかけた。
そして選挙中、かつてない規模のフェイクニュースや嘘が垂れ流され、人々を翻弄したことにふれ、今後は教育分野への国家投資を拡大し、文化省を復興させ、文化に関する州委員会を設立し、教育や文化に誰もがアクセスでき、雇用と収入を生み出す産業にまで成長させることを強調。
「文化を恐れる者は、民衆を嫌う者、自由を嫌う者、民主主義を嫌う者であり、文化の自由がなければ、世界のどの国も真の国とはいえない」と述べた。
2023年09月14日
サンチアゴに雨が降る

2023年9月11日、チリ・サンチアゴの大統領宮殿では50年前のクーデター発生時刻に合わせて軍政による犠牲者への黙とうをささげる行事が行われた。
今から約半世紀前のことだった。世界で初めて自由選挙による社会主義政権がチリに誕生した。
チリの基幹産業は銅。世界の生産量の約3割を占めている。しかし、銅産業はアメリカ資本の傘下に置かれていた。これに対し、銅鉱山はチリの主権の問題である。国営化すべきと主張したのがサルバドール・アジェンデ。

アジェンデは1908年に中産階級の名家として生まれた。医師としてサンチアゴの貧困地区に住み、社会的弱者と接してきた。1937年の国会議員選挙でアジェンデは社会党から下院議員に立候補し当選した。貧困の解決には社会化した計画経済しかないと主張し、銅鉱山を国営化しチリ人の手に取り戻すことで、その収益を貧困にあえいでいる労働者に還元しようした。

アジェンデは、社会主義政党を中心とした勢力に1970年大統領選挙に担ぎ出された。一方、米国は銅鉱山の利権喪失、アジェンデの対米自主路線が他国に与える影響を懸念した。ニクソン米政権はアジェンデ大統領当選阻止に向けてあらゆる妨害工作を行った。
アジェンデの社会主義路線をソ連と同様であるとしたネガティブキャンペーンが行われた。ソ連によって蹂躙されたプラハの春に関するポスターがばらまかれた。妨害活動に膨大な資金がつぎ込まれた。しかし、アジェンデは大統領選挙に勝利する。

アジェンデは主要企業の国有化や大地主からの土地の収用といった社会主義政策だけではなく、社会的弱者の生活を保障するための政策を行った。物価凍結、賃金・年金の引き上げ、緊急住宅計画の実施、教育施設の拡充、機動隊の解散、公共事業拡大計画の実施、15歳以下の子どもへのミルクの無料給付など。
従来の政権とは異なる社会的弱者を重視した政策は民衆から大きな支持を獲得し、大統領就任の翌年1971年4月の地方選挙では与党人民連合は圧倒的勝利を収めている。
しかし米国や既得権益を保持する特権層にとっては自身の権益を脅かすもの以外の何物でもなかった。一日も早いアジェンデ政権の崩壊を!彼らは政権を崩壊させるためのあらゆる手段に出た。
米国はチリへの融資の停止を行い、チリ経済を締め上げた。その一方で、チリ国内での軍事クーデターを促すべく、チリ軍部に対して500万ドルの信用供与を行うなど経済的支援を惜しまなかった。米国傘下のケネコット社はチリの主要産業である銅の暴落を図るべく、銅の大量放出を行い銅の価格を下落させた。
米国のコリー大使は「アジェンデ政権下では、ナットもボルトも一つとしてチリに入れるのを許さない。あらゆる手段を使ってチリを最低の貧困状態に陥れてやる」と豪語している。
チリ国内の社会情勢が不安定となる中で行われた1973年3月の総選挙ではCIAが選挙資金を反アジェンデ勢力に注入したにもかかわらず、人民連合は大きく勝利した。

業を煮やした反アジェンデ勢力は、もはや軍部によるクーデター以外にアジェンデ政権を倒せないと判断。軍部に対して本格的なクーデターの画策を行うようになった。
1960年代には「軍の近代化」の名の下に米国指揮下の訓練プログラムが組み入れられ、反共産主義教育や反乱鎮圧活動の訓練が行われた。4000名ほどのチリ人将校が米軍の訓練を受けており、米国はここで育成した親米将校らを最大限駆使した。



1973年9月11日早朝、軍がクーデターを起こした。アジェンデ大統領は私邸からモネダ宮殿に向かった。陸海空軍および国家警察は、大統領に対し投降を呼びかけた。午前8時30分頃、軍は新政権誕生の放送を行った。しかしアジェンデは辞任やモネダ宮殿からの退去を拒否した。
正午ごろ、モネダ宮殿に対し4機のホーカー ハンター戦闘機によるロケット攻撃が行われ、その後陸軍が突入し、およそ2時間の白兵戦の後、炎上するモネダ宮殿内で、アジェンデは自ら自動小銃を握って自殺した。顎から頭に向けて銃弾が2発発射されていた。



15時30分頃、ラジオ放送で、アジェンデ政権側の無条件降伏およびアジェンデの死亡が伝えられた。22時、軍政評議会発足。陸軍総司令官であり軍事評議会委員長に就いたのが、9・11クーデターの首謀者で、この後チリの独裁者として君臨するアウグスト・ピノチェトであった。ピノチェトはさらに、チリ全土を恐怖に陥れることになる秘密警察DINAを自らの直属の組織として創設した。

「左翼狩り」が行われた。人民連合の関係者、労働組合員、市民や活動家が逮捕・拘束・殺害。サンティアゴの室内競技場エスタディオ・チレには、多くの左派市民が拘留され、そこで射殺されなかったものは、投獄あるいは非公然に強制収容所に送られた。また、左翼系の書籍や雑誌はことごとく没収され、公衆の面前で焚書された。


米国政府は経済面でもピノチェト軍事政権を支援した。米国農務省は10月と11月にそれぞれ2400万ドルを供与した。米国国際開発庁は3年間で1億3200万ドルを提供した。米国が牛耳る国際金融機関も対チリ信用供与を再開した。
プロパガンダの面でも米国政府はピノチェトを支援した。その多くは、ピノチェト政権の国際的イメージアップを狙ったもので、チリのキリスト教民主党の著名な議員たちがラテンアメリカとヨーロッパを回ってクーデターを正当なものとして説明するというツアーの資金を提供した。
日本では当時の政権与党である自民党の他、民社党などが反共主義を理由にクーデターを支持した。とりわけ民社党は塚本三郎を団長とする調査団を派遣し、クーデターを「天の声」と賛美した。

ピノチェトの政治体制に反する者への拷問は悲惨を極めた。目、鼻、口、膝、敏感な陰部に狙いを定めて繰り返し打撃をしたという物理的な暴力が行われたほか、爪の下に針を差し込みそこに電流を流すといった電気ショックを行うなどした。女性に対しては性的に辱める拷問も行われていたという。直接的な拷問以外にも、2m四方の部屋に押し込められた上、トイレに行くことも許されず汚物をそのまま垂れ流すといった人間の尊厳に反する行為も行われていた。

ピノチェト政権下では、新自由主義学派のミルトン・フリードマンの弟子 で俗に「シカゴ・ボーイズ」と呼ばれる経済学者の政策が採られた。彼らの経済学は反ケインズ主義に基づくものであり、政府による規制、貿易障壁を資本主義の理念に反するものであるとして、政府による規制撤廃、徹底した民営化、財政縮小による自由放任経済を理想とするものであった。
ピノチェトは彼ら「シカゴ・ボーイズ」を経済顧問とし、彼らの進言に沿って国営企業の民営化、関税の引き下げ、財政支出の削減、価格抑制の廃止などを行った。
その結果、クーデターの翌年1974年にはインフレ率375%を記録。失業率も増加し、一般庶民はパンを買うのにも苦労する有様となった。
ピノチェト政権を容認していたアメリカ政府もチリ国内での民意の不満の高まりやアメリカ議会からのピノチェト政権の軍事独裁に対する批判の声が出始めると、アメリカ政府はピノチェト政権に民政移管を行うよう求め始めた。
ピノチェトは1990年に大統領を辞任。1998年に病気療養のために渡英した際、国際逮捕状が発行され、ジェノサイドと人道に対する罪で逮捕・拘束された。しかし、健康上の問題があるとして拘束が解かれた。
その後もチリ国内でもピノチェトを裁判にかける動きはあったものの、健康上の問題や認知症を理由に有罪となることはなく、2006年に91歳の長命でこの世を去った。
この間、チリは新自由主義の実験場に位置づけられ、国営企業を次々に多国籍企業に売り渡し、外国からの輸入自由化、医療や教育を中心にした公共支出の削減、食料などの生活必需品の価格統制を撤廃した。
フリードマンはこれを「チリの奇跡」と呼び、米国は同様の手法でアルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルにも軍事独裁政権を成立させ、多国籍企業の草刈り場にした。
チリ経済は破綻し、貧富の格差が極限にまで拡大した。同時にCIAが暗躍する反政府運動の弾圧は続いた。拷問や投獄などの被害者は7万人をこえたとされる。
一握りの富裕層をさらに富ませ、中間層をも消滅させ、大多数を貧困化して社会を荒廃させた。その恩恵を受けたのは多国籍企業と「ピラニア」と呼ばれる投資家の小集団だけだった。
だが、いまや南米をはじめ世界的に幾多の犠牲をともなってくり広げられた新自由主義の壮大な実験は、その失敗が明白になり、米国の支配は行き詰まりを迎えている。

アジェンデは死の間際、唯一残ったラジオ放送局から最後の演説をおこなった。
「我々のまいた種は、数千のチリ人民の誇り高き良心に引き継がれ、決して刈り取られることはないと確信する。軍部は武器を持ってわれわれを屈服させるだろうが、犯罪や武器をもってしても歴史の進歩を押しとどめることはできない。歴史は我々のものであり、人民がそれをつくるのだ。
人民は、破壊され、蜂の巣にされたままであってはならない。屈服したままであってはならない。我が祖国の労働者たちよ!
私は、チリと、その運命を信じている。私に続く者たちが、裏切りが支配するこの灰色で苦い時代を乗り越えていくだろう。遅かれ早かれ、よりよい社会を築くために、人々が自由に歩くポプラ並木が再び開かれるだろう。」

あれから半世紀の時をこえて、2021年12月、チリで「新自由主義の墓場にする」ことを宣言する新大統領が誕生した。南米において、狂気に満ちた軍事的経済的謀略や、内政干渉をともなう新自由主義を乗りこえた新しい歴史の端緒がひらかれようとしている。
独立と民主主義を求める人々のたたかい。激しい弾圧と紆余曲折の中、そのたびに増していく民衆の力を押しとどめることはできないことをチリ人民は教えている。
2023年07月19日
百姓を怒らすでない

「フードテック投資」という妖怪が徘徊している。金儲けのためなら手段を択ばない例の面々。
2020年、農林水産省は今後の活性化領域としてフードテック官民協議会を立ち上げた。同協議会には約1000人の産官学の組織に所属するメンバーが集まった。
ゲノム編集食品、培養肉、コオロギパウダー入りのお菓子。産業振興面での今後への期待は大きいという。食品メーカー、商社、食品流通事業者、金融機関、ベンチャーキャピタルまでが注視している。
三菱総合研究所の「フードテックの未来展望」を読んでみよう。
<食料のうち、気候変動の観点から負荷が最も大きく、需要拡大が懸念されているのは、牛肉である。牛肉1㎏を作るのに必要とされる飼料要求量(穀物を含む)は25㎏にも及ぶ。大量の水と土地を必要とするのに加え、牛のゲップに含まれるメタンガスがCO2の28倍もの温室効果を有する。これらを合わせると、牛肉1kgの生産により、88kg分のCO2排出と同等の環境負荷があるとされている。
これに対して、より効率の良いたんぱく源として、植物肉、コオロギをはじめとする食用昆虫、培養肉、精密発酵による乳製品などの新しい食品製造(フードテック)が提案され、一部はすでに市場で流通し始めている。果たして、これまで食べてこなかったたんぱく源への移行はスムーズに進むのだろうか。これまでに食経験のない食品については、より丁寧な説明や制度的な後押しが必要になる。
例えば温室効果ガス排出の多さから各たんぱく質を評価すると、最も多い牛に比べて豚は約3分の1、鶏は約5分の1、昆虫食では鶏よりもさらに少量となる。
では、培養肉や、植物肉、魚介類はどうなのか。牛乳に比べ精密発酵乳は生体の飼育を伴わない分、温室効果ガスの排出が少ないとされる。こうした情報が分かることではじめて、価格とおいしさという従来からの指標に加え、気候変動など環境視点からの評価を加味した商品選択が可能となる。>

オランダは九州ほどの小さな国にもかかわらず、多数の家畜を集中させて生産効率を上げる「集約畜産」を採用することで、現在もアメリカに次ぐ世界第2位の農産品輸出額を誇ってきた。その分、家畜の糞尿に含まれるアンモニウムが大気へ排出する量も大きい。牛のげっぷに含まれるメタンガスの温室効果は二酸化炭素の28倍であるという。このため、気候活動家はオランダがEUの中で最大の集約家畜頭数を維持し続けていることを非難した。
2022年6月、オランダ自然・窒素政策相は2030年までに国全体のアンモニアと窒素化合物の排出量を半減させるという目標を打ち出した。そのために、家畜の数を3分の2に減らし、さらに農地を強制的に買い取るという。
農業を基幹産業としているオランダで、何千もの農家が家畜の数や経営規模を大幅縮小しなければならなくなり、政府に協力しなければ完全廃業を余儀なくされる。さすがに、「何か変だよね」となる。
「温暖化による地球滅亡というショックをたてに、畜産を潰し農地を没収するドクトリンを進めているのでは?」
オランダ政府が自国農民を土地から追い出すその裏で、同時に進めていたプロジェクトがある。「スマートシティ」開発計画。
3000万人から4000万人の住民が、水耕栽培や昆虫食などCO2を出さない健康な食事をし、あらゆるデータがネットでつながれ、生活に必要なサービスが最速で受けられる、持続可能な生活スタイルを送るという全く新しい都市計画。メガポリス都市の建設には大量の土地が必要だ。

廃業を恐れる農家や農業団体は大規模なデモを始めた。2022年9月には農業大臣が辞任に追い込まれる事態にまで発展した。農家主導の政党が、上院議員選挙で第1党に躍進した。グローバリズムに対する素朴な反発が背景にある。

農家団体は数多くのトラクターで高速道路を封鎖し、都市部でデモ行進を繰り返した。抗議活動が繰り返される中で生まれたのが「BBB(農家市民運動)」だった。

党首ヴァン・デル・プラス氏。元々は養豚を専門とする農業ジャーナリスト。政治的にアジるというより、人々に分かりやすく話す才能を持っている。母親がアイルランド出身。選挙集会では米国の人気歌手ニール・ダイヤモンドの名曲「スイート・キャロライン」に乗って演説をする。
この曲はアイルランド系のジョン・F・ケネディの長女キャロライン・ケネディに捧げたものと言われ、アイルランドでは人気の曲だ。オランダ国内では、「キャロライン」という名前は非エリート層の出身を思い起こさせるという。
農家や地方の有権者が、グローバリゼーションで恩恵を受ける都会のエリートや富裕層をやり玉に挙げ、政治の場で反旗を翻す風景は、欧米で広がっている。
庶民性を表す「キャロライン」を前面に出したBBB。怒れる農家が主導し田舎代表として存在感を示したオランダの反乱は、多くの国で関心を集めた。
日本では、かつてTPP反対運動で反グローバリゼーションの立場から市民団体を巻き込んだ農協も、自民党政権下で徹底的に牙を抜かれていった。政権与党に刃向かってまで自分たちの要求を突きつける兆候は見られない。

欧州では素朴な農村の怒りは、中道右派政党へと向かっている。日本でも、都市のリベラル左派は「サンデーモーニング」を見ながら、地球温暖化に危機感を募らせている。蜘蛛の巣の張った観念左翼は、もう一度原点から再出発した方がよろしいのではないかと思う。
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│CO2温暖化説への懐疑
2023年04月24日
地球温暖化と米国の黄昏

「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」(ヘーゲル)
ミネルヴァとは、ギリシア神話の知恵と戦いの女神アテナのこと。夕暮れになるとアテナは飼っていたフクロウをアテネの町に飛ばして一日の出来事をさぐらせ、それをもとにみずからの知恵を深めたとされる。
ヘーゲルは、哲学をミネルヴァの梟(フクロウ)にたとえ、一つの時代が形成される歴史の運動が終わった後で哲学はその時代の意味を読み取り、歴史を総括する知恵を見出すとした。
田中宇「資源戦争で中国が米国を倒す」(2023年4月24日)より以下抜粋引用。
米政府が4月12日、自動車メーカーに対し、これから10年かけて二酸化炭素の大幅な排出削減を義務づけ、ガソリンやディーゼルのエンジンの内燃自動車の生産を妨害し、電気自動車の生産を事実上義務づけていく「温暖化対策」の新政策を打ち出した。 電気自動車で最重要な部品は製造費の3-4割を占めるバッテリーで、そこではリチウムやマンガン、ニッケル、コバルト、希土類などの鉱物が不可欠な材料だ。米国や同盟諸国が「温暖化対策」をやるほど、これらの鉱物資源が重要になる。 それを見越したかのように最近、米国側の敵である中国が、他の非米諸国を誘い、リチウムなど重要な鉱物を非米側で専有し、米国側に渡さないようにする資源戦争の様相を強めている。
4月22日には、世界第2位のリチウム生産量を持つ南米のチリが、リチウム生産の事業を国営化していくことを決めた。チリのリチウムはこれまで米国企業アルベマールなどが握ってきたが、今の契約が切れるとともに国営化する。
4月13日には、チリなどと並んで世界的なリチウム埋蔵量を持つアフガニスタンで、中国企業(Gochin)がリチウム鉱山の開発権を得る見返りに、アフガン南北を結ぶ100億ドルの道路整備の事業を行う契約を交渉していることが報じられた。
米国側が「温暖化対策」として、電気自動車のバッテリーでリチウムを必要としているし、中国がリチウムの生産や流通で世界的に大きな力を持っているのも事実だ。中国から見ると、リチウムは米国側が抱える弱点の一つだ。
地球温暖化人為説はウソである。地球は急速な温暖化をしていない。人為の二酸化炭素排出と温暖化の関係も、実は立証されていない。温暖化人為説は、米英の「専門家」(詐欺師)たちが、歪曲したコンピューターシミュレーションを「証拠」として捏造し、それを国連IPCCなどが無誤謬な「事実」として権威付け、マスコミが喧伝し、異論を発する者たちを政治的に殺すことで確定的な「事実」にのし上がった。
人為説はウソなのだから、あらゆる温暖化対策が不必要だ。米政府などが温暖化対策として内燃自動車を規制・禁止するのは全く間違っている。電気自動車は価格の3-4割を占めるバッテリーを数年ごとに交換せねばならず、電気代も高いので、内燃車よりはるかにお金がかかる。温暖化問題を信じない人も世界的に増えている(日本人は軽信的なのでダメだけど)。長期的に、電気自動車はすたれていき、内燃車が復権していく。
ウソに基づく地球温暖化問題は、米国側が世界中に持っていた石油ガスの利権を軽視・放棄する動きもたらしてきた。米国側が手放した世界の石油ガス利権の多くを、国有化などによって露中サウジイランイラクなど非米側が取得した。ウクライナ開戦後、米国側がロシアを強烈に経済制裁し、中立を米国に拒否された非米側の諸国がロシアを支持して米国側と敵対しつつ結束した。非米側は石油ガスから金地金、リチウム希土類、穀物までの資源類の多くを握って結束した状態で、米国側から敵視された。非米側は米国側に資源類を渡さなくなった。その一例が今回のリチウム争奪戦であると考えられる。
習近平は、非米側を結束する外交攻勢を開始し、まずOPECの盟主であるサウジアラビアを訪問して関係を強化した。中国は、サウジが望んでいたサウジとイランとの和解を仲裁し、返礼にサウジはOPECを動かして米国側を困らせる石油減産をした。世界的な石油の支配権が、米国側から非米側(中露サウジイランなど)に移転した。習近平は3月にロシアを訪問して中露関係を結束させ、ウクライナ和平仲裁も提案した。
米政府は、半導体製造など戦略的に重要な産業の面でも、中国との敵対を強めている。これまでは米国側が半導体製造の高度技術を持ち、それを中国に投資して儲け、中国は米国側から「借りた」高度技術を使って実際の製造を担当してきた。中国は実のところ米国側から借りた技術を習得し、すでに自分のものにしている。それでもこれまでは、借りた技術の使用料みたいな感じで米国側からの投資を儲けさせてきた。ところが今は、米国が米中分離策を進めてもう中国に技術を出さず、中国に投資して儲けることもやめていく。これは一見、米国側が技術を借さずに中国を困らせる中国敵視策に見える。だが実はすでに中国は高度技術を自分のものにしており、米国側に利益をとられなくなる分、中国の儲けが増える。
米中分離は中国にとって好都合であり、米国側を損させる。それを知りながら、米国はハイテク面などで中国との経済断絶を進めている。イエレン財務長官は先日「米国にとって大事なのは経済利得よりも安全保障だ。安保的な中国の脅威をなくせるなら、中国との経済関係を切ることで米国が損をしてもかまわない」という主旨の発言をした。中国はすでに高度な半導体技術をおおむね習得しており、米国から関係を切られても困らない。むしろ中国は、これ幸いと非米側の経済結束を強め、米国側に気兼ねせず世界経済を非米化していくようになる。
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16:26
│CO2温暖化説への懐疑
2023年04月22日
夢に消えたジュリア


「永遠の愛にさまよう 燃えろ夏の十字架
南の空高く 夜の闇を照らす」
(桑田佳祐『夢に消えたジュリア』)

伊豆大島の南東部、筆島を眼前にする海岸にあるのがオタア・ジュリアの十字架。
豊臣秀吉の朝鮮侵略。キリシタン大名・小西行長は3歳前後だった朝鮮の少女を保護して九州に連れ帰った。少女はキリシタン信者だった小西行長夫妻に育てられ、長じてジュリアの洗礼名を受ける。
南蛮貿易によって栄えていた日本有数の商業都市・堺。宣教師たちも相次いで来港し、信徒となるものも多くいた。堺の豪商・小西立佐(リュウサ)も熱心なキリシタンだった。世間から見捨てられた窮民の救済に奔走し、ハンセン病患者の病院を建てるなど慈善事業に尽くした。小西立佐の次男が小西行長であった。
行長は秀吉の船奉行を務めキリシタン大名として名を馳せたが、関ヶ原の戦いで家康と戦って敗れ、六条河原で処刑された。ジュリアはその才気と美貌により家康の侍女に召し上げられた。
1612年、家康はキリシタン禁教令を発する。家康の小姓だった原主文(モンド)は、転宗を拒否して逐電するも捕まえられ、額に十字の焼印を押され、手足の指を切断され追放された。主文(モンド)は江戸に潜入するとハンセン病者たちの小屋に住んで活動を続けた。
家康の侍女として仕えていたジュリアが改宗を求められたのもこの時。迫害にも負けず棄教しなかった彼女は、見せしめとして伊豆大島へ流される。駿河から網代港までは自ら裸足になって歩き、街道で見かけた困窮者に自分の着物を分け与えたという。



伊豆・網代から御用船に乗せられ、伊豆諸島の大島、新島を経て神津島へと流刑にされたジュリア。今でも神津島ではジュリアを偲んで「ジュリア祭」が行われている。

2023年4月19日、萩博物館(山口県萩市)は、家康に仕えた女性の直筆の書状が見つかったと報道陣に公開した。朝鮮半島から連れてこられ、棄教の命令を拒んで流刑となった悲劇のキリシタン女性「ジュリア」の直筆書状が初めて見つかったのだ。専門家は「歴史的にも極めて貴重な資料」と話す。家康に仕えていたジュリアが、朝鮮半島で生き別れた弟に似た男性が毛利家にいると伝え聞き、素性などを尋ねる内容などが記されている。
2023年04月18日
神の沈黙

江戸時代初期、長崎の宗門目明しとしてキリシタン弾圧に辣腕を振るった沢野忠庵という人物がいた。沢野忠庵ことクリストワン・フェレイラ。遠藤周作の小説『沈黙』に登場する実在の人物である。
1580年、ポルトガルに生まれる。1596年、イエズス会に入会、マカオのコレジオで4年間神学を学んだのち、1609年に長崎に上陸。有馬のセミナリオで2年間日本語を学ぶと、1612年、京都に派遣される。1633年、長崎潜伏中に捕縛され穴吊りの刑に処される。この時、一緒に吊るされたもう一人の人物がいた。
1582年、九州のキリシタン大名らが、その名代として少年たちをローマに派遣した。「天正遣欧少年使節」という。伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノの4名。彼らはポルトガル、スペインを経由してローマにたどり着き、教皇グレゴリウス13世に謁見。ローマ市民権を与えられるなど、東洋の少年たちは大歓迎を受けている。1590年、長崎に帰国。彼らを待ち受けていたのは、出国した時とは正反対のキリシタン弾圧の時代だった。
千々石ミゲルは棄教、伊東マンショは長崎で布教中に死去、原マルティノは日本を追放されてマカオで死去。中浦ジュリアンは正式な司祭となるが、フェレイラと同じ時に捕縛され、穴吊りという拷問を受ける。
足を縛った逆さ吊りで体を穴の中に入れる。全身の血が頭に溜まって苦しむものの、すぐには死なないよう、両耳の後ろに穴を空けて血が流れ出るようにしていた。
この時吊るされたのは、中浦ジュリアンとフェレイラ、そして3名の外国人宣教師。中浦ジュリアンは4日間耐えて死亡。最期に、「私はこの目でローマを見た中浦ジュリアン神父である」と言い放ったという。
フェレイラは刑の苛烈さに堪え切れず、刑執行の5時間後に棄教した。そしてこの時、フェレイラは「転び伴天連」となった。棄教後のフェレイラは洪泰寺の檀徒となり、沢野忠庵という日本名を名乗る。長崎に邸宅が与えられ、三十人扶持、宗門吟味役が宛がわれた。すなわち権力に与し、弾圧する側に転向したのだ。1644年にはキリスト教を攻撃する『顕偽録』を出版している。
フェレイラ棄教の報は、殉教者の振る舞いを英雄視していたカトリック世界の人々に大きな衝撃を与えた。そうした中、フェレイラに回心を求める試みが幾度かなされている。イエズス会士により組織された宣教団は、1643年に日本に潜入するが、直ちに捕えられてしまう。
その際フェレイラは江戸に呼び出され、宣教団員の一人として囚われの身となっていた、イエズス会士ジュゼッペ・キアラの詮議通訳として立ち会うことになる。程なくしてキアラもまた「転び伴天連」となり、岡本三右衛門の名が与えられた。彼は宗門改役の業務の傍ら、幕府の要請で、キリスト教の教義を論じた『天主教大意』を著している。来日してから43年後、幽閉先であった小石川の切支丹屋敷で83歳の生涯を閉じている。
沢野忠庵と名を改めたフェレイラは、京都所司代板倉重宗からキリシタン吟味役に取り立てられ、長崎に住み、「宗門目明し」となる。滋賀県草津市にある「芦浦観音寺文書」にも「長崎之者」として登場する。
「芦浦観音寺文書」にはこんな記述がある。永原源七という「きりしたん」が死亡。その子九左衛門は常念寺の「もんと」となるのだが、観音寺の指示のもとにその行動が監視されている。「笛吹新五郎」なる人物が訴人となり九左衛門がかくれキリシタンであることが観音寺に密告される。九左衛門は京都所司代の命により入牢せしめられ、12年にして牢死している。
被差別民と考えらえる「笛吹新五郎」も何らかの転向者であったのかもしれない。それを統括していた「長崎之者」も転向者であった。
フェレイラは晩年に再び回心し殉教を遂げたともいわれているが定かではない。1650年11月、長崎で波乱に満ちた生涯を終えた。
遠藤周作の『沈黙』に次のような言葉がある。
「この国は沼地だ。やがてお前にもわかるだろうな。この国は考えていたより、もっと怖ろしい沼地だった。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地にキリスト教という苗を植えてしまった」
2023年04月17日
裏切りの友

「百姓は生かさぬように殺さぬように」という言葉がある。出典は、本多正信が『本佐録』に記した「百姓は財の余らぬように、不足なきように治むる事道なり」。
本多正信は徳川家康が「友」とさえ呼んだ、生涯の盟友で唯一無比の忠臣であった。しかし、彼こそ主君家康を裏切った反逆者だった。
三河平定へ向かった若き家康を大いに苦しめたもの、それは一向一揆であった。事の発端は一向宗寺院への強引な兵糧米徴収。当時の三河では、一向宗の有力寺院が水運や商業を掌握していた。さらには、課税や外部の立ち入りを拒否できる「守護使不入」の自治権などを持っていた。三河支配を目指す家康と衝突するのは時間の問題であったともいえる。
しかし、家康の強硬な姿勢への反発は大きく、各地で一揆は勃発していく。一向門徒だけではなく、国人や土豪、農民も加わって一揆は拡大していった。そして、主君に忠実なはずの三河武士たちにまで一揆側への寝返りが続出することになる。本多正信もその一人であり、反逆のリーダーとなる。
家康は自ら先頭に立ち一揆の鎮圧に乗り出す。次第に一揆の勢いは抑え込まれていく。一揆側から和議が要請された。家康を説得したのが、代々松平家に仕えた大久保忠俊だった。忠俊は厳罰に処することで、民の心が家康から離れることを心配した。家康は折れて起請文を取り交わす。
寺院は以前と同じにようにする。そう言って、すべてを水に流すかに見えた家康だったが、和議に至ると態度を一変。一揆を引き起こした寺院は、改宗を迫られた。拒否すると寺内は破壊され、坊主たちは追放された。家康はこう言い放ち、堂塔の破壊にとりかかった。「以前は野原だったのだったから、もとのように野原にせよ」(『三河物語』)。
「一揆側についた者も許す」という約束についても守られなかった。本多正信らの家臣は追放されている。正信は加賀へ向かい一向一揆を戦い続ける。家康にとって今回の騒動は、宗教勢力の脅威を肌で感じた経験でもあった。これ以後の三河では、20年にわたって本願寺教団の活動が禁じられている。
宗教一揆への憎悪は、その後のキリシタン弾圧へとつながっていく。主君か信仰かの家臣たちの動揺は、それに対抗する権力側のイデオロギー装置の構築を必然ならしめた。
本多正信が一向一揆側についたことに、後世の人々が驚くのは、その後の活躍ぶりを知っているからだ。正信が家康の元に戻るのは姉川の合戦あたりと言われている。家康による正信への信任が厚くなるのは、本能寺の変以降のこと。家康の参謀的な立場にまで登りつめている。家康が江戸幕府を開いた時には、欠かせない側近だった。家康が首を縦に振るか横に振るかは、そばにいる正信の表情でわかったという。
自分が最もつらい時期に、裏切った家臣・本多正信。はらわたが煮えくり返るはずの、その人物の帰参を許し、最大の腹心とした家康。裏切り続けた本多正信が家康の謀臣たりえた裏側。それを推し量るすべはない。
2023年04月15日
殺すな!

権威に寄りかかり、自分の頭で考えないのはリベラル派も同じだ。ここで停戦すればロシアの侵略を追認することになるという。制裁し糾弾すればロシアは撤退するのか? 撤退するまで正義(?)の戦争を続けろと言うのか?
4月5日、国際政治や紛争問題の専門家を中心とした有志が、G7首脳に向けてウクライナ戦争の停戦とアジアで戦争の火種を広げないことを求める声明を発表した。彼らは昨年から異端を引き受けてきた。でも、ここに来て少しずつ変化が起こりつつある。誰が何を言ってきたのか、何を言っているのか、忘れずにしっかりと心に刻んでおこう。昔の「べ平連(ベトナムに平和を市民連合)」のコピーをもう一度。「殺すな!」
会見の中から、羽場久美子氏のメディア批判をみてみたい。

私たちは、ロシアとウクライナの戦争が始まった当初から、即時停戦と話し合いによる問題解決を訴えてきた。ここでは3点について話したい。
一つ目は、停戦とは、どちらかの敗北であったり、勝利ではないということだ。戦争の停止である。人の命を救うことであり、平和な世界秩序を構築することだ。
二つ目は、主にメディアの方々に訴える。戦争時においては報道の公平さが極めて欠如する。まさに今、日本の報道が戦争前のようになっていることをたいへん憂う。多様なファクツ(事実)にもとづく多様な報道は、戦争時にこそ必要であり、それが私たちが正しく判断するうえでの拠り所になる。一方だけの情報は、戦争賛美に奉仕することになる。メディアの責任は、われわれ研究者の自由な発言とともに極めて重要だ。
三つ目は、現在、世界の3分の2が停戦を要求し、殺戮の停止を要求しているという事実だ。そして今後の世界の潮流はどこにあるのか? 21世紀後半の世界を牽引していくのは誰なのか? それはアメリカなのか? ということを、事実をもとに考えたい。

ミサイルを撃ち込んで応戦するウクライナ軍
連日、いかにロシアの悪事によってウクライナの人々が苦しんでいるかということが新聞やTVで強調され、その論調がSNSにも溢れている。それに対して少しでも反論をすると、「ウクライナの人々を蹂躙し、ロシアの勝利を助けている」「恥を知れ」といったような荒唐無稽なバッシングを受ける。公的メディアのNHK、あらゆる民放でも客観的で公正な報道は影を潜め、戦争継続を支持する方々が、明らかに間違った発言であるにもかかわらず前面に出てきている。
すでに国民の多くは、この事態のおかしさに気付いている。だからこそ、私たちは昨年だけでも50回以上もいろいろな場所で講演に呼ばれ、聴衆からは「メディアでわからないことが事実をもってわかった」と驚かれる。
戦争継続により、1年間でロシア兵が20万人死亡(イギリス軍部発表)、ウクライナ側で8000人が死亡(ウクライナ政府発表)したといわれる。この情報を信じるなら、ロシア側の犠牲も甚大であり、歴然とした力の差を感じる。だが、それはウクライナの果敢な戦いによるものではない。西側とりわけ米国からの大量の武器の流入によるものであり、それによってロシア兵だけでなく東部のロシア系ウクライナ人が大量に殺されているという事実がある。これによってアメリカの軍事産業は空前の利益を得ている関係だ。
東部には3割近くロシア語話者がいる。2014年のマイダン革命で、ウクライナではロシア語の使用が禁止された。これは国連からも、EUからも国際法違反として批判されてきたことだ。だが現下のメディア報道では、そのような事実に触れることなく、いかにロシアが一方的にウクライナを蹂躙し、いかにロシアによって一般の民家が破壊されているかという情報だけが流される。東部での戦闘による住民への被害は、戦争である以上、ロシアだけでなく双方の戦闘行為によるものであることは明らかであるにもかかわらず、その視点はみられない。これは「戦時報道」であり、ロシアのみを非難することで、国際社会がやるべき作業を覆い隠している。メディアは多様な事実の報道に撤し、それに対する攻撃や筋違いな批判については果敢にたたかってもらいたい。
かつてのように言論や情報を統制し、一部の戦争遂行者のみを利するような戦争を東アジアで起こしてはならない。そのためには、ロシアの声も、中国の声も、ASEANの声も訴え続けるという役割を果たしてもらいたい。

ウクライナへの兵器供与に反対するドイツ市民のデモ
報道では知らされることがないが、すでに世界の3分の2が停戦を望んでいる。すなわちアジア・アフリカ、中南米などグローバル・サウスの国々だ。私たちは、戦争の継続ではなく、平和を望む人々と結ばなければならない。