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2016年07月16日

天皇の護憲

天皇の護憲

 明治維新。天皇を討幕のための手段=「玉(ギョク)」と呼んだ志士たちは、この「玉」を「現人神(アラヒトガミ)」に仕立て上げた。国教としての「国家神道」の成立。皇室の祖先である天照大神を最高神とし、それ以外の信仰は弾圧されていく。小学校に天皇の写真(御真影)を祀り、神として最敬礼すること、天皇のために命を捧げることが強制された。教育勅語を教典とし、国粋主義の教育が国民を教化した。
 行きつく先は、「八紘一宇」(天皇の威光を世界の八方に拡げ一つの家にする)を旗印にした「聖戦」という名の侵略戦争。天皇の名の下に一切の自由は抑圧され、民衆は赤紙一枚で戦場へ駆り立てられた。この国家体制を支えたのが大日本帝国憲法。第1条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」、第3条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」。日本を戦争へ暴走させた原因は、まさにここにあった。
 日本国憲法第1条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」。戦前の天皇と戦後の天皇は全く別のものだと言っている。天皇は神ではなく人間であり、国民は主権者であり臣下ではない。しかし戦後の歴史は、この自明の原則が一つ一つ崩されていく過程でもあった。
 謎だらけの明仁天皇「生前退位の意志」。しかし、そこには大きな意味が隠されている。戦後民主化の中、きちんと清算されなかった封建遺制の数々。生前退位の禁止、女帝の禁止、一世一元の制(一人の天皇が一つの元号を持つ)。いずれも明治期天皇制絶対主義の時代につくられたものだ。
 「万世一系」の男性血統を国家の基軸に据え、天皇を現人神と位置づける以上、途中で降りることなどありえない。明治憲法の真髄ともいえるこの終身制をひっくり返し、生前退位を打ち出したのだ。天皇が生前に退位するということは、天皇は国家の「役職」にすぎないということを示す。役職だから、時期が来たら自分の意志で退位できる。役職を果たせなくなったら交代する。現憲法では当たり前の考え方だ。だがそうなれば、天皇を現人神に担ぎ上げ、国民支配のイデオロギーに利用することは難しくなってしまう。
 明仁天皇は、日本国憲法の精神に沿った新しいかたちの皇室作りを目指しているのかもしれない。小泉政権時、女性・女系天皇が検討されたのも、自分の陵墓を縮小し、埋葬を土葬から火葬へ切り替えたいという希望を表明しているのもその表れである。
 2004年、園遊会の席上、東京都教育委員が「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけた際、天皇は「強制にならないことが望ましい」と述べている。天皇を政治利用しようとする人たちの異様さに比べ、その感覚はバランスを保っている。
 改憲をもくろむ「安倍晋三と仲間たち」。その究極の目的は、戦前の「強く美しい国」日本。まさに、明仁天皇が脱却を目指した「そのもの」である。



Posted by biwap at 06:51