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2014年10月16日

近江最古の寺は今

近江最古の寺は今

 JR湖西線唐崎駅を降りて北西へ進むと「穴太(アノウ)」。1960年代以降、JR湖西線、西大津バイパス、宅地開発などに伴い、発掘調査が行われた。古墳や副葬品などから、比叡山東南麓が渡来系集団の居住地であることがわかってくる。近江地域、いや日本列島における渡来文化研究の先駆けとなった場所である。それは、まさしく古代のコリアタウン。この地域に近江最古の寺院「穴太廃寺」が建てられた。渡来系氏族穴太村主(アノウノスグリ)によって造営されたものと考えられる。飛鳥時代に建立されたこの伽藍は、大津宮遷都の際、天智天皇によって再建され、平安時代まで存続していた。これと同じ独特の金堂形式を持つ寺院は、日本で3つのみ。山田寺、夏見廃寺、そして穴太廃寺。
 奈良県桜井市にある山田寺(ヤマダデラ)は、蘇我倉山田石川麻呂の発願により建て始められ、石川麻呂の自害の後に完成した。蘇我倉山田石川麻呂は蘇我氏の一族だが、中大兄皇子・中臣鎌足と共に乙巳の変(蘇我入鹿暗殺事件)に加担。しかし、その4年後、今度は石川麻呂自身、謀反の密告で攻められる。石川麻呂は抗戦せず、一族とともに山田寺仏殿前で自害。冤罪であったとされる。山田寺は、蘇我倉山田石川麻呂鎮魂慰撫の寺。
 三重県名張市にある夏見廃寺を建立したのは、大来皇女(オオクノヒメミコ)。蘇我倉山田石川麻呂の孫娘に当たる。母は天智天皇皇女の大田皇女、父は天武天皇。大田皇女の死後、弟・大津皇子は謀反の疑いで逮捕され、翌日処刑される。夏見廃寺は、姉・大来皇女が弟・大津皇子の鎮魂慰撫のために建立した寺。
 穴太廃寺を、何らかの意図で再建したのは天智天皇。妻・遠智娘(オチノイラツメ)は、蘇我倉山田石川麻呂の娘。父蘇我倉山田石川麻呂は、謀反の密告をされ自害。この事件は夫である中大兄皇子の陰謀であるという説が有力である。天智には、新しい都を開くためにも鎮魂慰撫の必要があった。
 さて、大津宮の北に位置する大寺院「穴太廃寺」。当初、遺跡保存の要望を受けた建設省は、地下にトンネルを掘り道路を通す予定だった。しかし、コストの問題で地上を高架道路が走ることになった。現在、遺跡は埋め戻され、跡形もない。とまどい、歩きながら考えた。隣国の悪口を並べる前に、もっと文化的で品性のある国にしたいものだと。

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