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2014年07月12日

神武東征の記憶

勝手に読む古事記・9
神武東征の記憶
山幸彦つまりホオリの孫に当たるのがカムヤマトイワレビコ。兄のイツセと共に天下を治めるために東に向かった。日向の高千穂を発ち、豊国の宇佐、筑紫の岡田、安芸、吉備に留まりながら、長い年月をかけて旅を続けた。明石海峡を越え、白肩津(東大阪市)に上陸し、生駒山を越えて大和に入ろうとした時、敵の待ち伏せに遭い、イツセは矢傷を受けてしまう。日の神の子なのに、日に向かって戦ったのが悪かったのだと、敵の東側に回りこむために南に進んだ。紀国の水門(ミナト)に着いた時、傷を悪化させたイツセは死んでしまう。遠征の軍はイワレビコが率いることとなる。
神武東征の記憶
熊野に上陸したイワレビコは、高天原から神剣を授けられ、ヤタガラスという三本の足を持つ巨大なカラスの導きで、険しい山を越えて行った。在地の首長である異形の人たちが次々と現れ、服従の意をしめしたり、だまし討ちで殺されたりしていく。その後、兄イツセを殺したトミビコ(ナガスネヒコ)を討ち果たした。
神武東征の記憶
ある日、陣中にニギハヤヒという神が訪ねて来た。高天原から降りてきた同じ天孫族であると言い、証拠の宝物を献上して服従した。こうして敵対勢力を撃退したイワレビコは、畝傍山の東南、現在の橿原神宮の場所に宮殿を造り、天下を治めた。これが第1代・神武天皇である。紀元前660年2月11日のこととされ、2月11日は、戦前は紀元節、戦後は歴史学者の反対を押し切り、1966年に「建国記念の日」となった。いまだに皇国史観を振り回す危険な人たちがいて困ったものだが、神話を神話として読んでみると興味深いものがある。西の方から東へと遠征してヤマトの地に入ったという遠い日の記憶が、神話の中にこだましているのかもしれない。