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2015年08月26日

「嫌」でも「呆」でもなく

「嫌」でも「呆」でもなく

 ジュンク堂書店難波店。今年5月、反ヘイト本のコーナーを設置。決めたのは福嶋聡(アキラ)店長。「市場原理に任せて隣国への憎悪をあおる本を並べていることに違和感があった」。
 「大嫌韓時代」「どの面下げての韓国人」「笑えるほどたちが悪い韓国の話」「呆韓論」「バカが隣に住んでいる」「中国を永久に黙らせる100問100問」。じめっとした空気が社会を覆っている。そんな風潮に一石を投じようという動きが書店や出版関係者自身の中から起こった。
 売り上げに貢献するから置かざるを得ない。そもそも出版社みずから言論・表現の自由を否定していいのか?  自問自答しながら、どこかで良識のブレーキがかかることを期待した。しかし、もうこれ以上黙っていてはいけないのだ。自らの責任を問い直す人たちが声を上げた。「自分は加担しない」「私は差別や憎しみを飯の種にしたくない」「私たちの愛する書店という空間を、憎しみの言葉であふれさせたくない」。
 新聞やテレビというメディアが差別的言辞をそのまま流すのは明らかに不当だ。それを出版の世界にそのまま当てはめることは確かにできない。しかし、書店という公共空間の中で「差別や憎悪の煽動」といえる本を特設することが、企業倫理として許されるのだろうか。人を傷つける自由はないはずである。
 今この国を考える「嫌」でもなく「呆」でもなく。河出書房新社はこんな選書フェアを開催した。「嫌」や「呆」という文字が、隣国にレッテル貼りされる中、違和感を覚えた社員4人が企画提案した。「価値観の多様性」「社会に向けて、さまざまなボールを投げていく」ことを目指したという。