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2014年07月19日

ヤマトタケルの悲劇

勝手に読む古事記・10
ヤマトタケルの悲劇
ヤマトタケルは、第12代景行天皇の子として生まれる。幼名をヲウスと言い、オホウスという兄がいた。行き違いからオウスは兄オホウスを殺害して手足を引きちぎり、薦に包んで投げ捨てた。スサノオのような制御不能の破壊力に恐れをなした父王は、西方の熊襲を討伐するよう命じた。オウスは女装して敵の宴席にもぐり込み、首領のクマソタケル兄弟をやっつける。この時、弟のタケルから名前を譲り受け、以後ヤマトタケルを名乗るようになる。帰路、出雲に立ち寄ったヤマトタケルは、友達になっておきながらイヅモタケルを裏切って討伐し、凱旋した。
ヤマトタケルの悲劇
父王は息子の帰還を喜ばず、今度は東に行って蝦夷を平らげるよう命じる。ヤマトタケルは、自分が父に疎まれていることに気づいてしまう。戦勝祈願のために伊勢神宮に参り、巫女を務めていた叔母のヤマトヒメに悲痛な真情を吐露する。ヤマトヒメは、タケルの無事を祈り草薙の剣と火打石を与えた。相模の国に入った時、敵に野火を放たれ危機に陥るが、ヤマトヒメにもらった剣で草を薙ぎ払い、火打石で迎え火を起こすことで敵を倒すことができた。
ヤマトタケルの悲劇
三浦半島から走水(ハシリミズ)の海を渡って、房総半島へ向かおうとした時、荒ぶる海峡の神によって行く手を阻まれる。同行していた妻のオトタチバナヒメが、海に身を躍らせて神に命を捧げた。海は急に凪いで、ヤマトタケルは無事に目的地に着くことができた。7日後、オトタチバナヒメが身につけた櫛だけが海岸に打ち上げられた。
ヤマトタケルの悲劇
長い東国遠征を終え都に戻る前に、ヤマトタケルは近江国伊吹山の「山の神」を討とうとした。大切な草薙の宝剣を置いてきたヤマトタケルは、伊吹山の神など素手でも大丈夫だと言って出かけた。山の途中の登り道で大きな白い猪に出会うが、山の神の家来だと考えたタケルはそのまま先に進んだ。実はその猪は山の神そのもので、軽んじられて怒った山の神はタケルに激しい雹(ヒョウ)を降らせた。傷ついたタケルは大和に向かう途中の伊勢国能煩野(ノボノ)で力尽きて亡くなった。タケルの癒されない魂は白鳥となって大空の彼方へ飛んでいった。日本書紀のヤマトタケルは父の期待に応えようと頑張る忠実な息子。しかし、古事記は父と子の断絶を語る。白鳥となったヤマトタケルの魂は父のいるヤマトを素通りして飛び立ってしまうのである。