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2014年11月04日

鬼になった阿倍仲麻呂

道草百人一首・その32 
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」(阿倍仲麻呂)【7番】

鬼になった阿倍仲麻呂

 「吉備大臣入唐絵巻」。遣唐使として唐に渡った吉備真備の奇想天外な説話。現地で様々な困難に遭遇する吉備真備。鬼の助けを借りてこれを退ける。幽閉されている吉備真備を訪ねる赤鬼。実は遣唐使阿倍仲麻呂の亡霊である。
 阿倍仲麻呂が遣唐留学生として吉備真備らとともに入唐したのは平城遷都から間もない717年のこと。 仲麻呂19歳の時。19年後、吉備真備らは帰国。しかし、仲麻呂の才能を愛した玄宗皇帝は、仲麻呂を唐にひきとどめた。唐に残った仲麻呂は「科挙」に合格し、李白や王維などの文人とも交流を持つ。30年後、日本に戻ることになった。 帰国を惜しんだ友人たちとの送別の宴で詠まれたのが百人一首のこの歌。 しかし、仲麻呂の乗船した船は暴風雨に遭い流される。遭難死を信じた友人・李白は、「明月帰らず 碧海に沈む」と、その死を悼む詩をつくっている。だが、仲麻呂の乗った船は、はるか南方の安南(ヴェトナム)に漂着していた。船は壊れ、襲撃を受け、からくも生き延びた仲麻呂は帰国をあきらめ、唐の都にもどった。再び宮廷の要職に就き、770年に唐で亡くなる。実に54年間の異国生活だった。
 仲麻呂はなぜ鬼になったのか。伝説によれば、仲麻呂の才能を妬む唐の大臣たちによって、酒に酔わされ、高楼に幽閉され、 仲麻呂は怒りのあまり死んでしまったという。絵巻では鬼になった仲麻呂が窮地に追い込まれた真備を助けるというあらすじ。実際は真備が再度入唐した時には、仲麻呂は存命。ずいぶんいい加減な脚色である。世界の最先端を行く憧れの大国。その唐で妬まれるほどの才能を発揮した阿倍仲麻呂。しかし、彼の心の中に去来したものは、はたして何だったのか?