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2022年07月20日

コロンブス像を降ろせ

コロンブス像を降ろせ

コロンブス像を降ろせ

 コロンブスといえば、「新大陸発見」をした偉人。でも、「新」も「発見」も一方の側からの勝手な見方だ。「功績」とするのは侵略した側。侵略された側の先住民、奴隷として連行されたアフリカ人の子孫はコロンブスを「残忍な虐殺者」と捉えている。

コロンブス像を降ろせ

 クリストファー・コロンブスは1451年イタリアに生まれる。成長して航海士、冒険家となり、盛大な国力を誇ったスペインの支援により、1492年、インドを目指して出航。同年の秋、インドではなくカリブ海のサンサルバドル島(ハバナ)にたどり着き、続いてフアナ島(キューバ)、エスパニョーラ島(ハイチ/ドミニカ共和国)にも上陸。以後1502年までに計4回、ヨーロッパとカリブ海(西インド諸島)間の航海を繰り返した。

コロンブス像を降ろせ

 上の絵はコロンブスのサンサルバドル島上陸の様子。十字架を立て領有を宣言しているのがコロンブス。裸同然に描かれている先住民は貴金属などの宝物を差し出しているが、彼らは奴隷としてスペインに連れ帰られた。
 どの島にも先住民が暮らしており、「平和的かつ友好的」で「ものを所有する概念が薄く」、かつ「体躯ががっしり」していた。それを見たコロンブスは、サンサルバドル島に到着した初日の日誌に「優れた奴隷になるだろう」と記している。また、キリスト教の布教も容易におこなえると考えた。

コロンブス像を降ろせ

 コロンブスは先住民を奴隷化し、過酷な労働を課した。だが先住民にも奴隷となることを拒む者たちがいた。コロンブスとその配下は非常に残忍な方法で先住民を大量虐殺し、見せしめとして切り刻んだ身体のパーツを屋外で晒すことすらあった。女性へのレイプも当然のようにおこなわれた。また、先住民を奴隷としてスペインに連れて行くこともした。
 さらには意図的ではないにせよ、当時のカリブ海には存在しなかった伝染病をヨーロッパから持ち込んで蔓延させることもしてしまった。その結果、島々の先住民はコロンブスの到着から約60年後にほぼ全滅してしまうのである。
 17世紀になるとヨーロッパ人はアフリカ人を捉え、奴隷として西インド諸島へ送り込み始めた。西インド諸島に黒人が暮らしているのはこれが理由だ。
 コロンブスは西インド諸島での残忍な行為と統治能力の欠如によりスペインで裁判にかけられるが、有罪を逃れる。その数年後の1506年、スペインで死去。

コロンブス像を降ろせ

 コロンブスをめぐる言葉には虚像が散りばめられている。
 コロンブスは主にカリブ海の島々に通い、かつ南米(ヴェネズエラ)、中米(ホンジュラスなど)には上陸しているが、北米大陸に足を踏み入れたことはない。
 大陸にも先住民が暮らしており、コロンブスが「発見」したわけではない。また、コロンブスはアメリカスにやってきた「最初のヨーロッパ人」でもない。11世紀にヴァイキングのレイフ・エリクソンが訪れていることが定説となっている。
 コロンブスは自分がたどり着いたカリブ海の島々を「インド」と信じていた。したがって先住民をインディオ/インディアン(インド人)と呼んだ。これが元となり、先住民全般をインディオ/インディアン(現在、米国ではネイティヴ・アメリカン)と呼ぶようになった。
 後になって本物のインドは東(アジア)にあることが分かり、カリブ海の島々は「西インド諸島」、そこに住む人々は「ウェスト・インディアン」と呼ばれることとなった。

コロンブス像を降ろせ

 若く、自由で、リベラルな国であるはずのアメリカ合衆国だが、実は暗く重い過去を背負っている。アメリカ合衆国とは、ヨーロッパ人が先住民を追い立て、殺し、アフリカから黒人を拉致し、奴隷として強制労働させたことによって繁栄した国だ。コロンブス像はようやく引きずり降ろされ始めた。



Posted by biwap at 08:42 │世界史の窓