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2021年08月03日

まぼろしの翼

まぼろしの翼

 桑原さんは東京で生まれ、岩手県で育った。1942年、16歳で海軍飛行予科練習生に。45年2月、兵庫・姫路海軍航空隊で白い紙片と封筒を渡され「特攻隊への参加を希望するかどうか書け」と言われた。拒否したかったが「命令のまま」と書いて提出。指名されたのは、その2日後だった。「死ななければいけないんだ」。巨大な力で押しつぶされるような感覚に襲われた。
 沖縄戦が激化した4月、鹿児島・串良基地へ。先に出撃が決まった同級生から「まだ死にたくない。代わってくれ」と迫られた。何も言えなかった。同期生はこわばった笑みを浮かべて飛び立ち、戻らなかった。
 桑原さんにもその時がやってくる。5月3日、翌朝の出撃が決定。800キロ爆弾を積んだ艦上攻撃機に3人で乗り込み、沖縄周辺の米艦に突っ込むため離陸。涙がぼろぼろこぼれた。
 ところが、エンジンから異常音が聞こえ、黒煙が出始めた。種子島の飛行場に爆弾を抱えたまま不時着。串良基地に戻ると、上官から厳しく叱られた。
 1週間後、2度目の出撃。飛行中に油が漏れ、再び種子島に着陸。使える飛行機がなくなり、翌日、解散命令が出た。その後、赴いた台湾で終戦を迎えた。息子と対面した母は泣いて喜んだ。
 「上官は出撃せず、上官に目をかけられている人間は指名されなかった。強者が弱者を矢面に立たせることを実感した」
 元隊員の体験談には特攻を美化したようなものが多いと感じ、84年に「串良ある特攻隊員の回想」を出版、自分が直面した苦悩や絶望をつづった。
 「面汚し」と非難されたが、桑原さんはこう反論する。「勇ましい建前で陶酔することは簡単だ。だが、戦争はそんなもんじゃない」
  (琉球新報 2014.8.16.より)



Posted by biwap at 08:45