› 近江大好きbiwap › KOREAへの関心 › イムジン河水清く

2015年09月29日

イムジン河水清く

イムジン河水清く

 松山猛は、中学時代の喧嘩相手・京都朝鮮学校にサッカーの試合を申し込みに行った。その時、始めて耳にしたのがこの曲。松山はよく九条大橋でトランペットの練習をしていた。同じ場所にサックスの練習に来ていたのが朝鮮学校の文光珠。彼からこの曲のメロディと歌詞を教わった。
 松山はフォーク・クルセダーズのメンバーと知り合いになり、加藤和彦に口頭でメロディを伝えた。それを加藤が採譜した。教わった1番だけでは歌うのに短すぎる。松山は2番と3番の歌詞を付け加えた。フォーク・クルセダーズは、この歌をアマチュア時代から歌い続けた。
 「帰って来たヨッパライ」が予想外の大ヒット。第2弾は、満を持してこの歌だった。ところが・・・「帰って来たヨッパライ」200万枚発売記念パーティーの翌日、レコード会社は突如第2弾発売中止を決定。
 分断された朝鮮半島。臨津江を渡って南に飛んでいく鳥を見ながら、なぜ南の故郷へ帰れないのか、誰が祖国を分断したのかを鳥に問いかけ、故郷への想いを募らせる。
 この曲はもともと北朝鮮では有名な曲だった。オリジナルの曲では、臨津江の流れに対し、なぜ南の故郷へ帰れないのかを嘆き、2番では、荒れ果てた「南」の地へ、花の咲く「北」の様子を伝えてほしいと述べる。松山の歌詞では、2番の歌詞は分断に対する疑問を訴える歌詞に変えられている。さらに、オリジナルにはない3番がある。全く別の歌だ。
 朝鮮総連は、これが北朝鮮の歌であることと、作詞作曲者名を明記すること、原詞に忠実に訳すことを求めた。大韓民国も北朝鮮の曲が日本国内でヒットすることを望まなかった。レコード会社に圧力がかかった。発売自粛そして放送自粛。
 「イムジン河」は、レコード店や営業所から回収され、世に出ることはなかった。加藤和彦は、それに代わる新しい曲を急いで作らなければならなかった。「イムジン河」のメロディをうしろから逆にたどって作った曲。これが、「悲しくてやりきれない」。
 2001年、韓国ソウルから車で約1時間。統一展望台に着く。イムジン河の向こうに初めて北朝鮮を見た。私にとって、「イムジン河」は、フォーク・クルセダーズの「イムジン河」しかない。「誰が祖国を二つに分けてしまったのか」。その問いかけは、私たち自身にかえってくる。
 https://youtu.be/W23kSbY2Zus



Posted by biwap at 06:23 │KOREAへの関心