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2014年10月02日

武家に生まれし不幸

道草百人一首・その27  
「世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海人の小舟の 綱手かなしも」(鎌倉右大臣)【93番】
武家に生まれし不幸

鎌倉右大臣とは、鎌倉幕府を開いた源頼朝の子、3代将軍源実朝(サネトモ)のこと。「世の中が、こんな風にいつまでも変わらずあってほしいものだ。漁師の小舟が綱に引かれていく、その景色の愛しさよ」。目の前の何気ない日常の風景。淡々とした景色。それこそが愛しいと詠っているのだが、実朝の経歴をふまえて考えると、胸に迫る歌である。選者藤原定家も実朝の人生を象徴するものとして、百人一首に撰んだのであろう。父・頼朝の急死の後、兄頼家は2代将軍となる。若き将軍の独走に御家人は反発し、頼家は伊豆修禅寺に幽閉された後、北条氏の手により暗殺される。北条氏は弟の実朝を3代将軍とするが、所詮お飾りと知った実朝は、もっぱら歌や蹴鞠など、京都風の公家文化に傾倒する。和歌を藤原定家に師事し、「方丈記」の作者鴨長明とも会見している。28歳になった1219年の正月、鶴岡八幡宮への参拝時に頼家の子公暁に暗殺された。これにより源氏将軍は断絶する。ひときわ優しい心と鮮烈な感性を持った文学青年・実朝。何気ない日常の中に、自分の人生を置きたかったのだろう。



Posted by biwap at 06:27 │道草百人一首