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2016年04月26日

うちは比叡おろしですねん

うちは比叡おろしですねん

うちは比叡おろしですねん

風は山から降りてくる
レタスのかごをかかえて
唇はくびれていちご
遠い夜の街を越えてきたそうな
うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を雪にしてしまいますえ
風は琵琶湖に落ちてくる
北山杉を下に見て
夕焼けはよそゆきマント
光る銀の靴をはいていたそうな
うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を雪にしてしまいますえ
風は今夜も吹いている
死んでは駄目よと言いながら
さよならは小さなみぞれ
そっと京の闇に
捨てて来たそうな
うちは比叡おろしですねん
あんさんの胸を雪にしてしまいますえ
(歌:六文銭 作詞・作曲:松岡正剛)
 
 世の中に同姓同名の人は数多いるが、まさか同じ人だったとは。「人」との出会いは、知らず知らずに狭くなっていた自分の視界を解き放ってくれる。

うちは比叡おろしですねん

うちは比叡おろしですねん

 松岡正剛(マツオカセイゴウ)。編集者、著述家、日本文化研究者、編集工学研究所所長。
 京都の呉服屋に生まれる。朱雀高校入学後、父親の横浜出店に伴い東京都立九段高等学校に通う。早稲田大学文学部フランス文学科進学。学生運動の論客として鳴らす。一方で教会・禅寺などをめぐり、量子力学と民俗学に関心を寄せる。大学4年の時、父親が多額の借金を残して死去。やむなく早大を中退。広告会社に勤める。編集活動を通じて、稲垣足穂、土方巽、寺山修司、唐十郎、鈴木忠志、宇野亜喜良、横尾忠則らと親交を深める。
 1971年、工作舎を設立。雑誌『遊』を創刊。1982年、工作舎を退社し松岡正剛事務所を設立。古代から現代まで続く「情報」そのものの歩みを年表化した大作『情報の歴史』を編纂。1987年、株式会社編集工学研究所を設立(現在は丸善の子会社)。1990年、『日本人のこころ』(NHK)に五木寛之・田中優子とともにレギュラー出演。2000年、書評サイト『千夜千冊』の執筆開始。その直後、胃癌が発覚。手術入院。
 日本文化における創作技術や伝統の精神を探求する一方、編集工学(Editorial Engineering)を提唱。人間の思考や社会のコミュニケーション・システム、創造性にかかわる総合的な方法論を模索。
 学生時代の失恋体験。雪のような冷たい気持ちの中で作ったのが「比叡おろし」。ハーモニカ一つであっというまに書き上げた曲。妻は、稲垣足穂の本などに幻想的な絵をよせた画家「まりの・るうにい」。

うちは比叡おろしですねん

うちは比叡おろしですねん