
2014年11月26日
傘がない

1972年の連合赤軍浅間山荘事件を契機に、全国に吹き荒れた学生運動の波は潮を退くように消えていく。1973年、「神田川」。「あなたのやさしさ」が、極私的空間への退行現象を誘(イザナ)った。1972年の「傘がない」は、ポスト・モダニズムの思想そのものであった。人民のために命を投げ出し革命のために死ぬ、そんな大義や正義こそが独善的暴力に他ならない。いかなる真理・道徳も、結局は個人の自由を奪う抑圧装置となりうる。ポスト・モダンの告発には共感するところが多かった。「傘がない」は好きだった。でも?と考える。論壇でもてはやされた「逃走」は、本当に非人間的状況を克服しえたのか? 通過点として必要なものが、到達点ではないケースは多々ある。その過渡期のエネルギーはどこへ向かったのか。あの頃の学生たちは今何を思い、心の中に何を感じているのか。
井上陽水の「傘がない」。UA(ウーア)も面白いが、忌野清志郎が意外とはまっている。
http://youtu.be/eBCQEkdgkTI
Posted by biwap at 07:03