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2025年03月03日

現実に起こった『ソウルの春』



 2024年12月3日夜、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は「非常戒厳」の宣布を発表。12月4日午前4時頃、たまたま目覚め、ネットを見て知った。現実に起こったこととは思われず、しばらく頭が混乱した。急いでテレビをつけてみたが、日本ではNHKから民放まで何の報道もなく「のどかな世界」だった。しかし、韓国ではとてつもない「ドラマ」が進行していた。


 実はこの事件の前に、韓国国民の約4分の1に当たる1300万人を動員した大ヒット映画があった。『ソウルの春』。1979年10月、軍事独裁政権パク・チョンヒ(朴正煕)大統領が暗殺され、民主化運動の機運が高まった。この時期を「ソウルの春」という。これを踏みにじったのがチョン・ドゥファン(全斗煥)。
 クーデターを指揮して軍の実権を握り、1980年に非常戒厳令を発布。金大中ら有力政治家を逮捕。言論を統制弾圧し、光州では民主化を求める市民や学生を武力で鎮圧した。45年前にあった事件をもとに作られた映画が『ソウルの春』。皮肉なことに、それを見た韓国市民は既に「学習」を終えていたのだ。




 危機感を持った大勢の市民が国会議事堂の周りに集まった。歴史の一部でしかなかった光景が目の前に現れた。そうした中、国会に議員が入るのを助けるため、兵士の銃をつかんだ女性の姿が注目された。「何もしないなんて無理だった」。野党「共に民主党」の報道官アン・ギリョンさん。インタビューでアンさんは、「考える暇はなかった。ただ、これを止めなければならないと分かっていた」と話した。



 ウ・ウォンシク(禹元植)国会議長。国会正門前には警察官らが立ちはだかっていたため、拘束されないよう脇にあるフェンスを乗り越えて敷地内に。議場に駆けつけたウ・ウォンシク国会議長は議決をあせる議員にこう言った。「こんな時には、一つの瑕疵もあってはならない」。




 定数300の韓国国会で、4日未明に集まった与野党議員190人全員が非常戒厳の解除要求に賛成した。議員たちは議決後も政府による議会解散強行を警戒し、議席にとどまっていた。尹錫悦(ユン・ソンニョル)は宣布から約6時間後、国会の要求に従って解除を発表した。


 尹錫悦大統領が宣布した戒厳令が国会によって解除された4日未明、国会前に集まった市民たちは抗議を続けた。
 それにしても尹大統領は唐突な非常戒厳令など出したのか。北朝鮮の脅威や中国に操られた「反国家勢力」から韓国を守り、自由民主主義を守るためだと説明した。
 選挙で大勝した野党を「従北勢力」、「間諜(スパイ)」だと罵る。国民の意思により正当に選ばれた人たちに対する態度ではない。いや彼らは不正選挙で当選したのだという根拠のないデマを吹聴する。
 尹錫悦がそう思うのは勝手だが、言論で表現すればいいものを、軍隊を動かし、国会機能を停止し、言論を統制し、集会・デモを禁止するなど、民主主義社会ではあり得ない行為である。
 「どっちもどっち」論を振りかざす日本のメディアは、目も当てられないほどに腐りはてている。これは意見の違いなどではなく、常識対非常識の問題なのだ。


 国会前に集まった市民たちの「戒厳を解除せよ」というスローガンは、すぐに「尹錫悦を逮捕せよ」に切り替わった。20代女性「『従北(北朝鮮追従)反国家勢力』という言葉が、2024年にも通じると考えていることにまずショックを受けた」。30代女性は「正気の沙汰ではない」という言葉を繰り返す。30代男性「非常戒厳令なんて、ふざけるな。大統領が国民を不安にさせて良いのか」。20代男性「国民を抑圧するために戒厳令を敷くのは独裁政権のやり方と変わらない、怖い」。光州市民「非常戒厳は光州市民にとってより一層衝撃的だ。一体誰が反国家勢力だというのか」


 市民たちは尹大統領の戒厳令宣布の責任を問い始めた。「戒厳宣布は憲政秩序破壊と権力乱用であり、市民社会は黙っていない」「国民が与えた権力をむしろ国民を抑圧する道具として乱用しようとする今回の事態は明らかに反憲法的であり、民主主義の根幹を揺るがす深刻な犯罪行為だ」。韓国の「民主主義」はその底力を発揮し始める。


 梨花女子大学は、1886年にアメリカ人宣教師が創設した梨花学堂(イファンハクツタン)が前身。1919年、日本の植民地支配に抗議する三一独立運動が全土で燃えさかった時、多くの梨花学堂の少女たちが街頭で抗議の声をあげた。その一人、16歳の「柳寛順(ユグァンスン)」は郷里の天安(チョナン)に戻って抗議活動を続けて逮捕され、翌年、獄死する。
 2016年7月、梨花女子大学で大学経営に反対する運動が始まった。7月30日、大学総長は大学本館で学生と対話を行うことを約束したが、時間になって現れたのは1600名の警察官。屈強な警察に取り囲まれた女子学生たちは、恐怖に震えながら互いに腕を組んで歌を歌い始めた。その歌が少女時代の『また巡り逢えた世界』。
 
 私たちの目の前にある、けわしい道 想像もつかない未来と壁 
 それは、変えられない でも、あきらめたくない
 この世界の中で繰り返される 悲しみにさよならを
 たとえ、道に迷うことがあっても かすかな光を私は追い続ける
 いつまでも一緒にいよう また巡りあう世界で

 
 梨花女子大の学生たちが歌う姿に誰よりも早く反応したのは、2016年の「ろうそくデモ」に参加した若い女性たちだった。当時の朴槿恵大統領を辞任にまで追い込んだ「ろうそくデモ」の現場で、彼女らは『また巡り逢えた世界』(「Into the New World」)を歌い続けた。


 「Into the New World」には、「新しい世界がたとえ悲観的であっても飛び込んで変えろという趣旨が込められている」と作詞家キム・ジョンベは語る。作り手の意図を越えて、それは大きく一人歩きし始めていく。


 混乱の中でも、「市民社会」は迅速に行動を起こしていった。非常戒厳宣布の当夜、深夜にもかかわらず、多くの市民が国会議事堂のある汝矣島(ヨイド)に駆けつけ、堂内に立ち入ろうとしている軍隊に立ち向かった。
 また、尹錫悦の弾劾訴追案が議会で票決にかけられた12月14日には、100万人以上の市民が国会付近に集まり、与党議員が尹錫悦を擁護することに抗議の声を上げた。
 退陣を求める大規模デモが連日続く。そこには民主主義の回復のために行動する市民がいた。そしてその中心には若い女性たちがいた。「改革娘(개딸)」と呼ばれる彼女らは、インターネットやSNSを上手に活用しながら声をあげ、尹錫悦の弾劾を求める大規模なデモに活躍した。


 市民の大規模なデモや集会は、決して勇ましい悲壮なものではない。政治的メッセージの合間に楽しい歌やパフォーマンスが繰り広げられた。
 たとえば、K-POPの象徴であるペンライトがデモの道具に化している。カラフルなペンライトを持ち上げたデモ隊が合唱するのは、抗議や戦闘を想起させる歌ではなく、K-POPの名曲であったりする。
 さまざまな色のペンライトが広場一面を彩る様子は、政治集会というよりもコンサートのようだ。
 市民が自主制作した旗には、「腹立った猫の連盟」、「全国末端冷え性持ち、集まれ」、「論文を書きながらも飛び出した人たち」など、ユーモアに満ちたフレーズが掲げられた。


 「先払い」(선결제)という、新たな応援文化も登場した。これは、デモ参加者のために飲食物やモノを事前に購入して提供する仕組み。
 例えば、有名なシンガーソングライターのIUは、弾劾デモに参加するファンのために汝矣島付近のベーカリーや食堂、カフェなどで800食分のスナックと飲み物を「先払い」し、アイドルグループのニュージーンズのメンバーも500食以上を「先払い」してデモ隊を応援した。
 多くの匿名市民がこれを実践しており、デモ参加者たちは近くのお店に立ち寄り、無料の飲食物を手に入れたり、寒さをしのぐことができた。多様性と開放性を重視するパフォーマンス型デモ文化が、新しい市民連帯を生み出していった。
 非常戒厳や大統領弾劾という厳しい現実に直面しながらも、デモ参加者たちの表情は明るく、前向きであった。そしてそのテーマソングであるかのように「Into The New World」があちこちで歌われた。


 尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領に対する弾劾訴追案の2回目の採決が12月14日夕、国会で行われた。在籍議員300人の3分の2以上の賛成で弾劾訴追案は可決された。
 投票の直前には、最大野党「共に民主党」の朴贊大(パク・チャンデ)院内代表が議案を説明。「12月3日午後10時半に民主主義の心臓が止まった」「尹錫悦の弾劾こそ憲法秩序を回復する唯一の方法だ」「弾劾することで民主主義が機能していると、世界に示さなくてはならない」と議員らに訴えた。


 禹元植(ウ・ウォンシク)議長が可決を宣言すると、最大野党「共に民主党」など野党側からは歓声が沸き起こり、与党「国民の力」の議員らは静かに議場を後にした。


 12月14日、尹大統領を弾劾する決議が国会を通過した瞬間、国会周辺ではやはり、「Into The New World」が鳴り響いていた。



 2025年1月4日、大統領官邸周辺で尹大統領の弾劾を求める集会があった。その夜、厳寒の雪の中、徹夜で座り込みを続ける女性たちがいた。写真には「ありがとう、ごめんなさい、応援します」と書かれている。


 集会参加者たちのため、漢南洞のカトリック修道院の神父さんが手を差し伸べた。


 極寒のソウルで夜を徹して尹の逮捕を求める市民のために、トイレや休憩する部屋を提供した修道院。神父さんがBTSの公式応援棒(ペンラ)を手に、女性たちをトイレまで案内している姿があまりにも神々しい。人間の「暖かさ」を感じさせずにはいられない。


 TBS井上貴博アナは韓国の戒厳令で「韓国には民主主義が根付いていない」と発言し問題となった。
 「野郎自大」という言葉がある。 中国西境にいた部族「夜郎」が、漢の巨大で広大であることを知らずに、自分たちがもっとも勢力があると自慢し、おごり高ぶっていた。ここから、愚かな者が自分の力量をわきまえずに、得意になっていばっていることを例えて言う。
 韓国では、日帝の支配と戦い、軍事独裁体制の圧政下、民主主義を求めて戦い続けた抵抗の歴史が子から孫へと脈々と受け継がれている。闇の中の一つ一つのロウソクの輝きが人々を勇気づけてきた。たとえ大きな矛盾を抱えても、韓国の民主運動はしたたかで根強く、世界最先端のレベルであることは間違いない。無知は恐ろしいことだ。無恥は悲しいことだ。隣国に謙虚に学び、共に友好の輪を広げていきたいものだ。
 この記事を書くのに、どれだけの情報阻害に悩まされたことか。こんなに情報があふれているはずなのに、求める情報は見事に切断されていた。出てくるのは嫌韓とヘイトばかり。それも気づかず「韓国には民主主義が根付いていない」などという無知と無恥からは卒業したいものだ。私たちは私たちの民主主義を草の根から築き上げていきたい。
  


Posted by biwap at 22:02

2025年02月20日

ディープシークのヒロイン


  ディープシークのヒロインとよばれる羅福莉さん

 世界に衝撃を与えた「ディープシーク」。中国製は危ないと、いくら封じ込めようとしても公開されたオープンソースの力にはかなわないだろう。今回は珍しく保守メディアの「朝鮮日報」から引用してみたい。私たちの持っている「中国像」は、見事に崩れるだろう。

 羅さんは、中国の先端技術人材優待の流れに乗って成長した人物だ。中国紙「現代快報」によると、羅さんは四川省宜賓市の田舎の村で育った。父親は電気技師で、母親は教師だった。高校3年生のとき、両親は省内の大学に進学するように勧めたが、羅さんは「大都市に行くべき」という信念で2015年に北京師範大学電子学科に入学した。
 大学1年の終わりごろ、教授が「電子学科よりコンピューター学科の方が未来は明るく、修士への進学の道も広い」と助言し、羅さんはコンピューター学科に移った。このために独学で、わずか3カ月でコーディング言語の「Python」に熟達し、巧みに使いこなすようになったという。
 3年生のときには、北京大学のAI研究所でインターンをした。4日間は北京大学で実験を行い、2日間は北京師範大学で講義を聞くという形で勉強した。
 学部卒業後は、人間の言葉をコンピューターが理解できるようにする「自然言語処理」分野の研究機関である北京大学コンピューター言語学研究所に合格し、修士課程へと進んだ。研究所で勉強した最終年の2019年に、世界的に権威ある学術大会「ACL」(計算言語学会)で論文を6本発表し、AI専門家らを仰天させた。
 羅さんは2019年に24歳で修士号を取ると、先端技術の「最前線」へと向かった。中国を代表するテック企業「アリババ」の傘下にあるAI研究・開発部門「DAMOアカデミー」に合流して、多国語辞書学習AIモデル「VECO」の開発に参加。
 さらに、アリババ初の大規模言語モデル(LLM)である「AliceMind」の開発時には一部のプロジェクトのリーダーを務めた。
 22年には、ディープシークの母体で、やはり「若き天才」に挙げられる梁文鋒さんが創業したAIベースの投資会社「幻方量化」(High-Flyer)に籍を移した。
 23年にディープシークに合流してV2モデル開発を主導した。昨年5月に公開されたこのモデルは、世界的に注目されるディープシーク R1の土台となるAIモデルで、既にこの時点でチャットGPTの性能に一部追い付いた、という評価を中国内外で受けている。
 羅さんは、中国メディアが「中国を代表するテック企業『シャオミ』の創業者、雷軍さんが昨年12月、1000万元(現在のレートで約2億1400万円)を超える年俸を提案した」と報じた後、さらに有名になった。
 既に中国の先端技術業界で「若き天才」などの年俸が急速に上がっていることを考慮しても、1000万元は大金だ。シャオミは2016年に傘下のAI研究所を設立した後、23年までに3000人を超える人材を吸収した。
 「人材を連れてくることこそ、創業者のやるべき最も重要な仕事」だと語ってきた雷軍さんが、羅さん招聘に力を入れたのだが、羅さんは固辞したという。
 羅さんは自らの実力を証明したのに続いて、知名度まで獲得し、この程度のオファーは容易には受諾しない可能性が高いと業界関係者はみている。北京のあるテック企業関係者は「いっそ羅さん自ら創業するとなれば、一夜でスター企業を作って大変な資金を集めることができるだろう」と語った。
 ディープシーク創業者の梁文鋒さんも、羅さんと同じく中国で生まれ育ったエンジニアで、中国の大学でコンピューター工学を学んだ「若き天才」に挙げられる。広東省出身で、名門大学の浙江大学コンピューター工学科に入って勉強した後、アリババ本社がある杭州で投資会社を創業した。AIスタートアップ企業のディープシークを立ち上げた後、投資会社の運営で稼いだ資金を惜しげもなく使い、若き天才を大挙迎え入れて育てたことで有名だ。
  


Posted by biwap at 20:38

2025年02月02日

韓国人は中国旅行がお好き?


 右から左まで中国ヘイトが続く後進途上国があるが、韓国でもとんでもない政権がそれをふりまいていた。しかし、韓国の若い女性はいとも軽やかにその壁を乗り越えていく。きっと彼女たちの力でとんでもない政権は崩壊していくのだろうが、今回はRecord Chinaの記事を読んでみよう。
 2005年に開設された「Record China(レコードチャイナ)」は、自社サイトで中国関連の時事を日本語で配信している。「激増続く!韓国人はなぜ中国旅行が大好きになったのか」と題する記事を以下引用。


 記事によると、米旅行業界メディアのSkiftは最近、「金曜日の退勤後に中国旅行」といった話題が中韓のSNS上で関心を集め続けていると報じた。韓国側では週末の中国旅行の日程を紹介する投稿が50万件以上に上るそうだ。
 中国は2024年11月、韓国人に対する短期滞在ビザの免除政策を開始した。旅行関連サイトの携程によると、24年通年の韓国人の中国入国者数は前年比157%増、中国旅行予約件数は同145%増。大都市の上海をはじめ杭州、張家界、青島、延辺などに韓国人が押し寄せていることもたびたび話題になっている。
 韓国・大韓航空では、中国によるビザ免除措置が始まってから中国便の旅客輸送量が前年同期より40%以上増えたという。Skiftは「外国人の訪中旅行の利便性を高める一連の政策を中国は出し続けている」などと指摘し、以前の報道では上海が韓国人が週末に気軽に訪れる旅先になっていることを紹介した。


 また、最近は韓国人を含め多くの外国人観光客が春節(旧正月、25年は1月29日)を楽しむために中国を訪れているといい、記事は北京、上海、杭州などの大型ショッピングモールで韓国語の案内を増やすなどコミュニケーションの利便性アップに向けた措置が取られたことを伝えた。


 春節は24年12月にユネスコの無形文化遺産登録が決まっており、北京連合大学観光学院の張波(ジャン・ボー)教授は「春節が無形文化遺産に登録されたことで中国の伝統文化に対する外国人観光客の認識は大いに深まった。春節の外国人にとっての魅力は強まり続けている」と指摘した。  


Posted by biwap at 11:40KOREAへの関心

2024年07月25日

enlightenment


 1954年、冷戦下の米ソ対立の中で、第三世界諸国の存立の基本とされた理念が発表された。「平和共存五原則」=「領土保全及び主権の相互不干渉・相互不侵略・内政不干渉・平等互恵・平和的共存」。
 周恩来とネルーの間で合意された5原則は、中国・インド両国だけではなく、冷戦下の世界に広く適用されるべき原則であるとされ、翌年のアジア諸国民会議で共同声明として発表されている。
 70年後の2024年6月28日、北京市内の人民大会堂で平和共存五原則発表70周年記念大会が開かれた。


 習近平主席は談話の中で「70年前、平和共存五原則が正式に発表された。国際関係史上の偉大な試みであり、画期的で重大な意義を持った。平和共存五原則はアジアで誕生し、世界に速やかに広がった」と述べた。
 習主席はその上で「五原則の出発点は、強権政治の環境における弱小国の利益と訴求を守り、反帝国主義、反植民地主義、反覇権主義の旗を鮮明に掲げ、みだりに武力を行使することをやめ、強者が弱者をしいたげるジャングルの法則を捨てることであり、国際秩序をより公正で合理的な方向に発展させるための重要な思想の基盤を打ち立てた」と強調した。


 習主席はさらに、「70年後の今日、中国はどのような世界を建設するのか。どのようにこの世界を建設するのかという重要な課題に向き合い、『人類運命共同体の構築』という解答を出した。中国の平和的発展の道を歩む決意は変わらず、中国の各国と友好協力を行っていく決意は変わらず、世界の共同発展を促進する決意は変わらない」と表明した。
 戦争なしには一刻も生きていけない某没落覇権国家とは違い、中国は平和なしに経済発展はないという明確な意思を持っているようだ。他国の経済発展が自国の経済発展をも促すというウインウィンの関係の構築。10億以上の飢えた民の胃袋を満たし、分厚い中流階級を形成しようとしてきた自負と自信がそこには垣間見える。
 しかし毎日毎日、メディアを通して私たちの頭を支配しているのは、憎悪と敵意に満ちた「中国」像。
 例えば今週前半のこんな歴史的ニュースに関心を持っている人はどれだけいるのだろう。


 パレスチナ自治政府の主流派ファタハと厳しく対立していたイスラム組織ハマスの代表団、さらに12のパレスチナのグループが、21日から23日にかけて北京で和解に向けた協議を行い、「北京宣言」に署名した。宣言は「分裂を終わらせ、パレスチナの団結を強化する」もので、「暫定的な民族和解政府」をつくるとともにパレスチナ国家の樹立を求めるという。


 最近の中国の外交交渉力には目を見張るものがある。いや、この10年20年の中国社会の変化をどこまで正しく読み取れているのだろうか。思考停止の部活脳社会に骨の髄まで浸りきることなく、知性の扉を開け放とう。  


Posted by biwap at 16:34辛口政治批評

2024年07月15日

本を焼く社会


 「SF界の抒情詩人」レイ・ブラッドベリが1953年に発表した小説『華氏451度』。本はいたずらに市民を惑わすものとして、持つことも読むことも禁じられた近未来社会が舞台。華氏451度とは、本が自然発火する温度。


 主人公ガイ・モンターグは〈ファイアマン〉として本を焼き払い、市民の安全を守る仕事に誇りを持っていた。ある日、今の人生に疑問を抱かないのかと声をかけてきた謎の少女クラリスと出会う。


 翌朝から毎日のように、通勤時間になるとクラリスが現れ、メディアに情報汚染された今の社会について意見をやり取りするようになる。モンターグは焚書という行為に次第に疑問を持ち始める。
 「本には本当に価値がないのだろうか」という疑問が芽ばえてくる。唯一の楽しみは〈壁〉に設置されたテレビから流れてくる刺激的な映像のみ。考えることを放棄したのっぺりとした社会が本当にすぐれているのか。
 

 自由な思考をもつ女性クラリスや本と共に焼死することを選ぶ老女らとの出会いによって、やがて密かに本を読み始めるモンターグが最後に選んだ選択とは…
 
 難解な書物が敬遠され、刺激的な映像を流すテレビに思考能力を奪われている大衆社会という設定はまさに現代社会の暗喩。「反知性主義」という思潮が猛威を振るう中、私たちにとって「思考する力」や「記録することの大切さ」などを改めて考えさせてくれる。
 この作品は、本を焼却し去り、人間の思考力を奪う全体主義社会の恐怖が描かれているだけではない。効率化の果てに人々が自発的に思考能力を放棄してしまう皮肉や、「記憶」や「記録」をないがしろにする社会がいかに貧しい社会なのかも、逆説的に教えてくれる。そこで描かれている人々の姿は、スマホを片時も離せない現代人の姿に妙に重なってくる。
 人類の記憶ともいうべき本を焼却し去り人間の思考力を奪う社会の恐怖。そこにはブラッドベリが同時代の米国で直面した「レッドパージ(赤狩り)」の影が色濃く落とされている。


 〈ファイアマン〉の隊長ベイティは、「考えて苦しむくらいなら本など読まない方がまし。私たちは幸福な生活を守っているのだ」とはっぱをかける。
 その後モンターグは、密かに本を愛し続けるフェイバー教授と会い「人々が自発的に本を読むことをやめ権力がそこにつけこんだ」という事実を知らされる。そこには、支配を自ら招いた人間たちの愚かさを鋭く告発するブラッドベリの思いがある。人間が自発的に思考の自由を手放し、効率化・スピード化に身をまかせ、権力に盲従していくことの怖ろしさを告発している。


 テレビスクリーンを見にやってきた近所の女性たちに、思い立って朗読を聞かせるモンターグ。感動のあまり泣き出す女性もいる中それが違法行為だと告発される。そしてついにモンターグは密告によって自宅の本の焼却にむかうことに。追い詰められるモンターグは逃亡犯と化す。モンターグが最後に辿り着いた場所とは?
 そこで描かれるのは人類にとっての最後の希望「記憶」のかけがえなさだった。豊かな消費生活、メディアから絶え間なく流れてくる圧倒的な娯楽、あらゆる場面で効率的に、かつスピーディーに進められる物事。その大波の中で、私たちは自ら大切な記憶を手放してしまっていたのだ。
 ブラッドベリは、ロウソクの火をメタファー(暗喩)として使っている。すぐに吹き消されてしまうはかなさをもちながらも、ロウソクからロウソクへと火が受け継がれていくイメージ。私たちの記憶や歴史は、そのリレーにほかならない。あるときはシュレッダーにかけられ、あるときは「そんなものは存在しない」と権力によって隠蔽される、このはかない火をどう守り育てていくのか。
 フランソワ・トリュフォーによって映画化された美しいラストシーン。ブックピープルたちが行きかいながら、それぞれが記憶した名著の言葉を朗読し、それがポリフォニーを奏でるように世界を覆っていく。私たちの未来を変えていくのは、このポリフォニーなのかもしれない。
  


Posted by biwap at 17:31芸術と人間

2024年04月23日

天皇の妻スベクヒャン


 2013年から2014年までMBCで放送された韓国ドラマ『帝王の娘 スベクヒャン』。
 物語の始まりは6世紀初め百済、24代・東城(トンソン)王の時代。



    東城(トンソン)王
 
 チェファは王の従弟であるユン(のちの武寧王)と恋仲になり身籠る。そのことをユンに告げる間もなく、チェファの父親は東城王を暗殺。


   チェファ


   ユン(のちの武寧王)

 逆賊となったチェファの父は自殺。チェファも父の後を追おうとするが、父の家来で聾唖者のクチョンに救出され伽耶に逃れる。

 

   クチョン

 チェファを心配するユンだが、忠臣ペ・ネスクから彼女は死んだと聞かされる。強大な百済を築くことを決意したユンは25代王・武寧(ムリョン)王として即位。


    武寧(ムリョン)王

 東城王の息子を守るため、武寧王は自らの息子と彼の息子を入れ替えてしまう。
 一方、伽耶に逃れたチェファはクチョンに助けられて娘を出産。ユンと約束した娘の名前はスベクヒャンだったが、チェファはソルランと名付けた。


    ソルラン

 その後も献身的に尽くすクチョンに助けられ、なんとか暮らしていくことができた。
 クチョンが自分に恋心を抱いていることを知りながらも、彼を受け入れられないでいたチェファ。クチョンが父の遺骨を手に入れてくれたことを契機に彼を夫として受け入れることになる。そして、2人の間にも娘が生まれ、ソルヒと名付けた。


    ソルヒ

 そして平和に暮らす4人。ソルランとソルヒは年頃の娘に育っていった。偶然クチョンを見つけたネスクはチェファの姿も確認し、王にチェファが生きていることを告げる。
 チェファと会おうとする王だが、チェファは遠くから見るだけで逢いには行かなかった。


 一方、チェファが生きていることはチンム公の耳にも入る。彼は実は武寧王の息子なのだが、東城王の息子として育てられる。彼は父と思っている東城王の敵を討つために伽耶の地までやって来た。


    チンム
 
 チェファもまた、父の敵の娘。人を使ってソルランたち一家を襲わせる。クチョンは敵の刃に倒れ、近隣の住民たちも殺され、瀕死のチェファと二人の娘が残される。息を引き取る真際、チェファはソルヒをソルランと間違え、ソルランが王の娘であることをソルヒに告げてしまう。すぐに間違いに気づくのだが、ソルランにはそのことを伝えないままに亡くなってしまう。
 姉ソルランの出自が羨ましいソルヒは、ソルランには母の話を伝えないまま、盗賊に連れ去られたように装ってソルランと離れ、一人百済の王宮を訪れ、王の娘として暮らし始める。


    ソルヒ
 
 一方、ソルランは偶然武寧王の世子のミョンノン(実は入れ替えられた東城王の息子)と出会い、妹を探すため、彼の統括する百済の諜報組織の一員となり、宮殿へと入ることになる。


    ミョンノン

 そのソルランの姿を見つけたソルヒは自分の身分を守るため、ソルランを危険に陥れ、また、彼女の秘密を知る者の命を奪って行くことに…。



 そして惹かれ合うソルランとミョンノン、ソルヒとチンム公。ともに別人に成り代わった男女二人ずつが、運命に翻弄されていく。
 このドラマは終盤になって急に12話分も短縮されている。全く違うラスト・ストーリーが用意されていたようなのだ。
 スベクヒャンの漢字表記も当初「手白香」だったものが「守白香」に変えられた。「手白香」は継体天皇の妃の名前として歴史資料に記されている。歴史歪曲議論が起こり、表記が変えられ、倭国との関連も描かないことになったようだ。フィクションとはいえ、どのようなストーリー展開だったか興味深い。


 実は武寧王と継体天皇、百済と倭国には、調べれば調べるほど深い関係があることがわかる。
 日本書紀によると、武寧王(461~523)は佐賀県唐津市にある加唐島で生まれたと記されている。生母は妊娠した体で渡海し、大和に向かう途中の筑紫で彼を出産。島で生まれたため嶋王と名付けられる。倭国で成長した後、百済に帰国。「末多王(東城王)が暴虐であったので、百済の国人は王を殺し、嶋王を立てて武寧王とした」と日本書紀は記している。百済中興のため数多くの業績を積み上げた聖君とされている。


 武寧王陵の棺は1400年以上を耐えた木棺である。その木棺のかけらを採取した結果、高野槙であることがわかった。高野槙とは、その種類が世界でも一種しかない近畿地方南部の特産物であるとされている。

 2001年12月18日、平成天皇は自らの誕生日に際し記者会見を行い、その中で有名な韓国との「ゆかり発言」を行っている。最後にその下りを全文引用しておく。
 「日本と韓国との人々の間には、古くから深い交流があったことは、日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や、招へいされた人々によって、様々な文化や技術が伝えられました。
 宮内庁楽部の楽師の中には、当時の移住者の子孫で、代々楽師を務め、今も折々に雅楽を演奏している人があります。
 こうした文化や技術が、日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは、幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に、大きく寄与したことと思っています。
 私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。
 武寧王は日本との関係が深く、この時以来、日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また、武寧王の子、聖明王は、日本に仏教を伝えたことで知られております。
 しかし、残念なことに、韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした。このことを、私どもは忘れてはならないと思います。
 ワールドカップを控え、両国民の交流が盛んになってきていますが、それが良い方向に向かうためには、両国の人々が、それぞれの国が歩んできた道を、個々の出来事において正確に知ることに努め、個人個人として、互いの立場を理解していくことが大切と考えます。
 ワールドカップが両国民の協力により滞りなく行われ、このことを通して、両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております」
  


Posted by biwap at 11:57KOREAへの関心

2024年02月14日

曽根崎心中


 『曾根崎心中』終盤の道行文。
 日本語で綴られた最も美しい文だと言われている。

  この世の名残り 夜も名残り
  死ににゆく身をたとふれば
  あだしが原の道の霜
  一足ずつに消えてゆく
  夢の夢こそ あはれなれ
  あれ 数ふればあかつきの
  七つの時が六つ鳴りて
  のこる一つが今生の
  鐘のひびきの聞きおさめ
  寂滅為楽とひびく也


 「無常」と「情」。近松のすべてがこの一節に語られている。


 近松門左衛門の父・杉森信義は、とある不祥事で越前藩士の地位を奪われ浪人となる。次男であった門左衛門は近江国野洲郡中主村比留田の近松家に養子縁組となる。近松家は浅野家との因縁が深く、養父・近松伊香は赤穂藩浅野家の典医を務めることになる。
 浅野家は豊臣秀吉の正妻・北政所の実家である。本能寺の変・山崎合戦の後、浅野長政は大津城を築き城主となる。この時、瀬田領主であった大石家は浅野家に仕えることになる。
 後に「忠臣蔵」に登場する「浅野内匠頭」「大石内蔵助」は、「近松門左衛門」と抜き差しならぬ密接な関係にあった。因縁の舞台は近江から始まっていた。
 元禄15年(1702年)近松門左衛門50歳の時、赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件が起こる。四十七士の中には、幼い時からの知己であり同志でもあった大石内蔵助、わが子の様に慈しんだ甥の近松勘六・奥田貞右衛門兄弟がいた。縁深き人が切腹して果ててしまう。身勝手で理不尽な幕府権力。武士といえども公権力の前には平伏せざるを得ない。ましてそれが名もなき庶民ともなれば。虐げられ抵抗する手段を持たない人たちへ、近松の目は向けられる。


 そんな近松の胸を打つような事件が大坂で起こる。元禄16年(1703年)、曽根崎にある「露天神の森」での醤油屋の手代徳兵衛と堂島新地の遊女お初の心中事件。二人の心の葛藤を近松は思い描いた。そしてすぐさま浄瑠璃の脚本に書き上げた。近松の傑作の一つ『曾根崎心中』。竹本座で上演されるや空前の大当たり。傾きかけていた竹本座は息を吹き返すことになる。


 お初は北新地にある天満屋お抱えの遊女。徳兵衛は醤油を商う平野屋の手代。主人・九右衛門は徳兵衛の叔父にあたる。徳兵衛の両親は他界、今は義母(父の後妻)のみが住んでいる。
 九右衛門は勤勉な甥の徳兵衛と妻方の姪を結婚させ、ゆくゆくは店を持たせたいと考えていた。しかし、お初と恋仲の徳兵衛は気乗りがしない。お初の存在に勘づいた九右衛門。徳兵衛の義母に結婚支度金の銀二貫を渡し、早く身を固めさせようとする。
 それを知った徳兵衛は、自分の妻は お初しかいないと訴えるが、主人は聞き入れない。徳兵衛は義母の家に行き、主人から受け取った大金を主人に返すために取り戻した。
 その帰り道、徳兵衛はばったり出会った親友の九平次に、金を貸してほしいと懇願される。人のいい徳兵衛は断りきれず、主人に返すための大事な大金を、九平次に貸してしまった。
 だが、約束の日を過ぎても、九平次は、金を返しには来なかった。一方お初の身にも、身請け話が持ち上がっていた。
 そんなある日、運命に追い詰められた二人は、久しぶりに生玉本願寺の境内で再会する。その時、町衆といっしょに九平次が現われる。「金を返せ」と迫る徳兵衛。「金など借りていない」と開き直る九平次。九平次はさらに、徳兵衛が店の金を使い込んだと町中に吹聴し、町の人々は、九平次の嘘を信じた。
 絶望した徳兵衛は、お初が働く天満屋に人目を隠れてやってきた。徳兵衛をかくまうお初。そこへ九平次が店にきた。 大金をはたき、あびるように酒を飲む九平次。徳兵衛をなじる声にじっと我慢をするだけだった。
 そもそも、遊女であるお初は、 徳兵衛と自由に結婚できる身分ではない。九平次にだまされた徳兵衛も今では追われる身。商人にとって一番大切な信用を失い、 叔父である主人にも合わせる顔がない。
 お初は、どうせ生きて結ばれることがないのなら、あの世で夫婦になろうと、徳兵衛に迫る。追い詰められた自分のために命を断とうというお初の心に、徳兵衛は心中を決心する。ふたりは店を抜け出し、曽根崎の森へと向かう。


 致命的なトラブルを抱えていたのは徳兵衛。心中を促していたのはお初の方だ。自分の意志で決断しようとするお初。「徳さまはもう死ぬしかない」「徳さま一人を死なせはしない」「だから一緒に死ぬ」「死ぬ覚悟、あるわよね?」と畳みかけてくる。
 お初は若くして身売りされた女郎。自分の意のままになることなど一つもなかった。自分で自分の身をどうすることもできない遊女の身分。しかし、最後にお初は自らの生を自ら決定しようとする。しかし、その意志の選択は、生ではなく死であった。
 近松は決して死を美化しているわけではない。「刀を持つ手は震え、そんなことじゃだめだと思い直しても、それでも手の震えは止まらない。ちゃんと突いているつもりなのに、切り先はあちらへ、こちらへと、とそれてしまう。そして最後は、刀の柄も折れんばかり、刀が砕けてしまいそうなものすごい力で突きまくり、肉をえぐる。恋する女はぐざぐざ刺され、苦しみ抜いて、暁に死ぬ。それを見届けて、徳兵衛も自刃する」
 目に見えぬ大きな力によって理不尽にも押しつぶされようとする人たちに、近松の限りなく優しい眼差しは向けられている。
  


Posted by biwap at 21:58芸術と人間思想史散歩

2024年02月10日

欧州農民一揆


 『被抑圧者の教育学』を著したブラジルの教育学者パウロ・フレイレは、「花瓶に水を注ぐような教育観」ではなく、「教育というものは自己発見であり、能力を発展させ、自立した精神をもって関心と興味を探求すること」だと述べる。
 反植民地主義、民族解放運動の指針となったフレイレだが、左右両翼の知識人たちの傲慢さと権威主義を批判している。「左翼陣営」の中にも、自分の主張はすべて正しく、意見の異なる者を排除するというセクト主義がはびこり、民衆の多様な意見や言葉を蔑視する風潮がはびこっているという。
 その過剰な自己確信を克服して、民衆のまえでより謙虚な姿勢をとるよう求めてきた。「教える側が人々に学ぶ」。そんな思いで、『長周新聞』「 欧州で広がる農家の大規模デモ 、誰が国民の胃袋支えているか」を抜粋引用する。


 ドイツ政府の農業政策に抗議してベルリンで集会を開く数万人の農家

 ドイツでは1月8日から約1週間にわたり全国の農民約3万人が約1万台のトラクターで各地の幹線道路や高速道路を封鎖し、首都ベルリンに押し寄せ、首都機能もまひする大規模な抗議行動をおこなった。きっかけとなったのは、農家向けの補助金削減への反発だったが、背景には「地球温暖化の原因は農業にある」として、「脱炭素」政策のターゲットとして農業を悪者扱いする政府への鬱積した怒りがある。
 農民の大規模な抗議行動は、同じように「脱炭素」政策の犠牲が押しつけられている手工業者や運送会社、トラック運転手、各種自営業者など広範な国民の支持を集めた。
 農民の大規模なトラクターデモはドイツだけではなくオランダやフランス、ポーランドなどEU各国であいついでとりくまれている。今ヨーロッパの農業や農家が直面している問題について見てみた。


 標識にぶら下げられた長靴(ドイツ)

 ドイツでは、昨年12月中旬から、政府に対する農民の抗議のシンボルとして、あちこちの市町村の道標にゴム長靴をぶら下げる行動がめだってきていた。「私たち農民が長靴を脱いで仕事をやめると、食料が足りなくなるぞ」という警告だった。
 農民の抗議行動のきっかけとなったのは、ショルツ政府が農業補助金を突然、「二酸化炭素削減に逆行する補助金」とし、2024年から廃止する方針を発表したことだ。これに対し、ドイツ農民連盟は昨年12月18日からベルリンで抗議デモを実施し、約1700台の大型トラクターがベルリンの主要道路を封鎖した。


 トラクターを集結させてコンテナターミナルの道路を封鎖した農民

 農家に対して補助金削減を強行する他方で、化学メーカーや製鉄所の生産プロセスで使われる化石燃料を水素に切り替えるための補助金や、外国の半導体メーカー工場を誘致するための補助金は温存してきた。そのしわ寄せが農家にふりかかった。これに農民の怒りは爆発した。
 農民たちは「ベルリンの政治家や官僚たちは、現実世界から切り離された“バブル”のなかで、畑で汗水垂らして働いたことのないコンサルタントやアドバイザーの意見だけを聞いて政策を決めている」と主張しており、各地で政府に対する農民の強い不満が噴き出した。
 今回の農民デモのきっかけとなったのは、70年以上続いてきた農業補助金の廃止に怒りが爆発したものだが、農民の怒りの根はさらに深く、ヨーロッパ全土に広がるEUの「グリーンディール」政策にもとづく農業破壊の強行に向けられている。
 EUは2019年に「温室効果ガスの削減」と「経済成長」の両立を掲げ、EUの新たな成長戦略に据えた。それから5年が経過するが、この政策によって「成長」したのは一部の再エネ関連産業のみという現実が赤裸々になっている。他方で中小規模の農業をはじめ広範な国内産業が犠牲になっており反発は国民的な規模に広がっている。
 ドイツ政府は再生エネルギー導入の最先頭を走っており、太陽光パネルも風車も増設されているが、電気の供給は不安定化し、料金は上がり、CO2の排出量ではEUでは1位、2位を争っている。肝心の経済は高い電気代とさまざまな規制でがんじがらめになっている姿が浮き彫りになっている。農業もこうした脱炭素政策に追い詰められた部門の一つになっている。
 ドイツの農業政策は、酪農はメタンなど温室効果ガスを排出するので縮小し、有機農業の面積を強制的に広げるとしている。牛や羊のげっぷに含まれるメタンガスは温室効果ガスのひとつとして悪者扱いされている。連立政府に参加している緑の党は、温室効果ガス削減を掲げて肉を食べることを嫌い、自動車に乗ることも飛行機に乗ることも悪とし、自転車に乗ることを推奨している。一部の過激な菜食主義者は牧畜を「動物虐待だ」と非難し、肉の消費を敵視し、食肉店の襲撃もおこなわれるという。こうした方向が「人造肉」や「食用コオロギ」に行き着いている。


 トラクターデモをおこなうオランダの農家

 2022年6月にはオランダで農民の大規模なデモがおこなわれた。オランダ政府が2030年までに窒素排出量を50%削減するとの目標をうち出したからだ。財務省の試算では、目標達成のためには、4万~5万軒ある農家のうち1万1200軒を廃業に、1万7600軒は規模を3分の1から2分の1に縮小することになる。政府は廃業する農家には補償を出したが、そのかわりに二度と農業に復帰しないと約束させた。また、それでも立ち退かない農家の土地は政府が強制的に没収した。
 政府の政策の根拠となったのはオランダ国務院がオランダ政府に対し、同国の窒素排出がEU規制に違反しており、過剰な窒素排出を許可すべきでないとの判決をくだしたことだ。
 オランダは他の国々に比べて酪農・畜産が盛んだ。九州と同じぐらいの面積だが、世界で米国に次ぐ2番目の農産物輸出国だ。人口1740万人に対し、1200万頭の豚、400万頭の牛、1億羽の鶏がいる。それらが糞尿やゲップを出して窒素やアンモニアの排出量を増やすとEUからやり玉にあげられた。
 EUは、すべての産業活動に対して、温室効果ガスを出すか出さないかで「善」か「悪」かにわけ、それを加盟国にも押しつけており、オランダ政府もその方針で突き進んでいる。
 オランダの伝統的な基幹産業である牧畜や酪農を破壊する政策に対して農民が立ち上がった。農民は「この排出基準を守るためには、農家は違う場所に引っ越すか、廃業するかしかなくなる」と声を上げ、何百台もトラクターを連ね、スーパーマーケットや主要道路を封鎖し、高速道路に家畜の糞尿を撒いたりした。この抗議行動に国境を接するドイツの農民も応援に加わった。
 緑の党の農業大臣は、「休耕地を増やし、土地を自然な状態に戻そう」と呼びかけている。緑の党は「農業は自然を荒らす」という理屈をつけて農業をやり玉にあげ、先人が何百年もかけて開墾した肥沃な農地の少なくとも一割をただの原っぱや湿原地にもどすことを掲げている。ただ、この主張は食料難が迫るなかで非難世論が噴き上がり、実施には至っていない。
 だが、こうした「温室効果ガス削減」を掲げて酪農や畜産、伝統的な農業をやり玉にあげる動きは、とくに中小規模の農家を追い詰め、ここ数年廃業に至るケースも増えている。他方で、中小規模の農家が手放した農地を大規模農家が買いとっており、農業の寡占化が進んでいる。
 農民のトラクターデモはヨーロッパ各地でおこなわれている。フランスでは1月中旬に南部のオクシタニー地域での道路封鎖に始まり、1週間後には農民組合の呼びかけで全土に広がった。農業を温暖化の原因とする政府が農業への補助金を削減したり、規制を強化したりしていることへの抗議行動だ。


 農業危機を訴え、国旗を揚げて抗議集会を開くポーランドの農民たち

 ポーランドでも1月24日、欧州グリーン・ディールの導入とウクライナからの農産物流入に反対して全土の250カ所で農民たちが道路封鎖の抗議行動をおこなった。農民はグリーン・ディールが排出ガス規制の一環として毎年4%の休耕とすることを批判した。
 ルーマニアでも1月10日から4500台のトラックやトラクターで道路封鎖行動をおこなっている。リトアニアでも1月23日から26日まで農業への補助金削減に反対し、5000人以上の農民が1300台のトラクターで抗議行動をおこなっている。
 EUは2019年末にグリーン・ディールの大方針として「サスティナブルを欧州の成長戦略とする」と発表した。そこでは農業や食を重点産業として位置づけ、「リジェネラティブ・アグリ(環境再生型農業)」と称して2030年までに欧州の農地の4分の1をオーガニックに転換するとの目標を掲げている。そこで進んでいるのは、民間企業や投資家による大規模な投資だ。
 EUは農薬や化学肥料の使用規制を強めると同時に、新ゲノム技術を「食料システムの持続可能性と回復力を高めるための革新的なツール」として推奨している。そして「気候変動に強く、病害虫に強く、肥料や農薬の使用量が少なくて済み、収量を確保できる改良品種の開発を可能にし、化学農薬の使用量とリスクを半減させる」としている。
 また、EUは昨年、食肉に関して牛の幹細胞を増殖させ、それを材料に牛を殺さずに本物の肉を3Dプリンターでつくるという技術が開発されたと発表した。中小の農家を酪農・畜産から追い払い、巨大企業が技術開発によって酪農・畜産分野を支配しようというものだ。「温室効果ガス削減」の名のもとに農業をやり玉にあげて中小の農家を廃業に追いやる一方で、進められているのは、農業分野を巨大企業が新ゲノム技術などで独占的に支配する方向だ。


 農家が連続的に大規模集会を開いているドイツ

 1月15日からスイスで開かれたダボス会議では、「農業が温暖化の原因」とされ、バイエル社CEOのビル・アンダーソンは「コメの生産はメタンの最大の発生源の一つであり、温室効果ガスの排出という点ではCO2の何倍も有害」と発言した。バイエル社はドイツの企業だが2016~18年にかけて遺伝子組み換え種子の世界最大手である米モンサント社を買収しており、世界の食の支配を狙う勢力として注目されている。
 日本では2018年に種子法が廃止され、コメや麦、大豆など重要作物の種子を国の責任で安定的に供給する制度をなくし、民間企業が種子をもうけの道具にすることに道をあけた。バイエル社CEOの発言は、そこに目をつけ日本のコメをターゲットにし、バイエル社が開発したF1種子を買わなければならないようにしようという企みも見える。
 環境の悪化や環境破壊は、自然を顧みない市場原理に基づく利益追求による開発、工業化による結果にほかならない。だが、農業や稲作、畜産など人類の古代からの営み、牛や豚のげっぷなどの自然の摂理までが地球温暖化の主因であるかのような論議がダボス会議でもおこなわれている。
 環境破壊どころか、農家があり、農業があるから治山治水が維持され、人々の住環境と動物の棲み分けやその狭間で起きるさまざまな問題が解決されてきたことは言を俟たない。そのような自然の摂理に従った人類の伝統的な営みを破壊し、市場経済での競争力を高めると称して大規模化したり、農薬や化学肥料などを多用して収量を上げる生産性一辺倒の「効率化」を進めてきたことにこそ問題があり、農業による環境破壊を問題にするのなら、過剰な市場競争を排し、より人にも環境にも優しい農業への転換を促すものでなければならないはずである。
 田に水を張ることも否定し、既存の農畜産業のあり方を根本から否定する先に、彼ら投資家らが意図しているものは、遺伝子組み換えやゲノムなどバイオやIT技術などを駆使し、デジタル農業、人工肉や人工卵、昆虫食などを新しいビジネスモデル(日本でも「フードテック」として政府が推奨)を構築し、既存の農業を淘汰して一部の多国籍企業が世界の農地、食料、アグリビジネスを独占・コントロールするというものに他ならない。これらはビル・ゲイツをはじめとする投資家が現実に主張していることでもある。
 「地球温暖化防止」や「脱炭素」「温室効果ガス削減」などを掲げて、農業や自動車、発電、エネルギーなど各分野で国家の強力な介入で新たな産業分野が形成され、従来の産業構造が根こそぎなぎ倒されている。かつては石油メジャーがエネルギーで世界を支配したように、今は再エネ産業の巨大資本がそれにとってかわろうとしている。
 ドイツなどヨーロッパでまきおこっている農民の大規模な行動は、「地球温暖化防止」などを掲げたEUや各国政府の巨大な産業構造転換政策とのたたかいであり、広く国民の支持を得ている。また全世界的に農業や農民が直面している共通課題に対するたたかいでもある。


 ブランデンブルグ門前での抗議行動  


Posted by biwap at 11:03CO2温暖化説への懐疑

2023年09月24日

福田村事件を知っていますか






 京都シネマ。満席で見られなかった人も出た。こんな映画は初めてだ。森達也監督作品「福田村事件」。
 製作資金が思うように集まらず、クラウドファンティングを募ったところ、開始1ヶ月で目標金額2500万円の半分以上が集まった。ネクストゴール設定によって最終的に3500万円以上に。
 「今」という時代に抗する、人々の抑えがたい「叫び」がうねりの様に響いてくる。
 深刻なテーマだが、エンターテインメントとしてもよくできた作品だ。何よりも映画として面白い。
 作品に敬意を表すると同時に、ここでは「福田村事件」を取材したNHK千葉放送局の記事を抜粋紹介したい。


 福田村事件は、関東大震災から5日後の1923年9月6日に起きた。当時、震災直後に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などと流言飛語が飛び交う中、各地では自警団が結成される。福田村でも、消防団や在郷軍人などから構成された自警団が結成され、村内の警戒にあたっていた。
 一方、香川県から薬の行商に来ていた15人の一行がいた。一行は家族や親族で行動し、福田村を訪れていた。村を流れる利根川から対岸の茨城県へ渡ろうと渡船場に行ったのち、近くの神社の鳥居に6人、そこから30メートルほど離れた水茶屋のベンチで9人が休憩していた。すると自警団がやってきた。「見かけない者だ」と一行を囲む自警団。団員の中には、一行を朝鮮人だと疑う者もいて、これをきっかけに一行を襲い、9人が殺害された。


 生き残った男性が襲われた時の様子を綴った手記が、香川県の文書館に残っていた。男性が事件後、裁判に備え、資料として利用するために書いたと言われている。長らく眠っていたが、7年ほど前に文書館に寄贈されたという。
 「取井ノソバデ、休ミテ居リタ処エ/青年会、シヨボ、在郷軍人ガキテ/鮮人ジヤトユウ人モアリ/棒ヤトビグチヲモッテ頭エブチコンダ」
 (鳥居のそばで、休んでいたところへ/青年会、消防、在郷軍人が来て/「鮮人じゃ」と言う人もあり/棒やとびぐちをもって頭へぶち込んだ)


 今回の取材で、被害者の遺族がNHKの取材に応じ、事件後の地元での様子を教えてくれた。
 「生き残った一行が帰ってきて、『ほかの人は殺されたんだ』と。それはいかんという話で、住民らが神社に集まって『今から千葉に行くんだ』『みんな人を集めていくんや』と。『抗議に行くんや』と。それを村の女子衆というか女の人たちが、『殺されたらうちらどうするの』となだめて、みんなで泣いて終わった」。
 一方で事件については、被害者の地元でもほとんどの人は知らないという。その理由についてはこう口にした。
 「もともと福田村事件を知っている人というのは、ごくわずかだったと思う。その事件すらも知らない人がほとんどだし、良いことだったらそれは次の世代にもこうだったと伝えると思うんだけど、やっぱりそういうことって、みんな蓋をするをするじゃないけど、隠して言わない」。
 「知っている人もみんな話したがらない」。野田市の現場の近くに住むある男性が口にした言葉である。事件が起きた野田市でも事件は語られていない。男性によると、かつては町の祭りなどで若者と高齢者が交流する場があり、事件の話を伝え聞くこともあったが、その祭りもなくなり伝承される機会がなくなったという。


 その野田市で事件を地元の歴史として伝え続ける人がいる。市川正廣さんだ。かつて野田市役所に勤めていたが、1980年代に事件の記事を見て初めて知った。
 「率直に言って、まさかと思いました。全く知らず、誰からも教えてもらっていません。周りの人に聞いても、誰も知りませんでした。地元、旧福田村の人にも聞きましたが、みんな黙して語らず。これはまずいと思いました。しっかりと地元の歴史として残すべき。やはりあった史実は、負の歴史です。誰でもつらいです」


 負の歴史こそ伝え続けるべきと思いたった市川さん。一足早く香川県の市民グループが事件を調べていたが、千葉県側でも市川さんらを中心として市民グループを結成する。被害側の香川県、そして加害側の千葉県のグループが一緒になって活動を始めた。関東大震災から80年となった2003年。事件をしっかりと野田市の歴史として刻もうと、両グループが協力して慰霊碑を建立した。建立後は、県内外から慰霊碑を訪れる人たちに、現場を見せながら詳細を説明し、事件を伝え続けている。野田市の住民によると、慰霊碑があることで、事件について知らない人も知るきっかけになっているという。
 「多くの方々に、ただ知っただけではなくて、二度とこういうことを起こさないという人権問題として、100年前に起きたことであっても今現在にもつながる差別問題をしっかり見るためにも、このメモリーはあると思います。差別のない社会作り、人権尊重の社会作りにこの碑は大きな意味を持つ」。


 ことし6月、注目の本が再版された。福田村事件について丹念な取材を重ねてまとめた、一冊の本だ。執筆したのは作家・辻野弥生さん。彼女がこの事件を知ったのは、地元の千葉県流山市で関東大震災について取材していたときだった。野田市のある住民から「調べてほしいものがある」と連絡があったという。


 「野田の人が突然やってくきて、『こういう事件があるので、書いてくれませんか』と言われました。地元で事件のことはタブーで、『野田の人間にはあと50年は書けない』と」。
 事件の概要を聞き、関心を持った辻野さんはさっそく取材を始めた。しかし、いきなり壁にぶちあたった。事件に関する資料が乏しく、手がかりがなかったのだ。ほとんどが口頭での伝承であったため、活字で残っていなかった。
 「一番私ががっかりしたのが、活字も何も残っていなかったこと。その時は力が抜けましたね。どうやって調べようかと。でも同時に、たくさんの人に知ってもらうにはやっぱり活字で残す必要があると思いました。それでやっぱり書いておかなければならないと思いましたね」。
 わずかに残る当時の新聞記事を頼りに、現地に赴き取材を重ねていった。2013年に書籍化を実現する。そして関東大震災から100年にあたることし、改めて事件が注目され、本が再版された。辻野さんは今の時代にこそ、この事件のことをより多くの人に知ってもらう必要がある考えている。本の冒頭にはこのような辻野さんの思いが綴られている。
 「福田村事件も朝鮮人虐殺も、過去の不幸な出来事と片づけることはできない」。
 「今、違う形で、ネットの中で誹謗中傷を書き込んだりして人を死に追いやるようなこともある。竹槍のような武器が、ネットに代わってしまっている。この恐ろしさは、今の時代もある。活字にしておけば残りますからね。やはり刻んでおくことは大事です。決して歴史の闇に消えていかないよう、特に若い方にぜひ語り継がねばなりません。本を通じて、学んでもらいたい」。

 せっかく素晴らしいルポを作ったNHKだが、この後、災害時における流言飛語の問題として話をまとめてしまっている。今でも、テレビでは他国を一方的に誹謗中傷する言説が平然と流れている。憎悪と敵対を煽り続けているのは、あなたたち自身ではないのか。その自己批判なしにジャーナリズムの再生はあり得ない。
 100年前の事件を今なぜ見つめ直さなければならないのか。この映画に関心を持つ一人一人の市民に、闇の中を照らす一本一本の「たいまつ」を見る思いだ。
  


Posted by biwap at 12:50KOREAへの関心

2023年09月22日

再エネに侵される阿蘇山


 熊本県にそびえる阿蘇山。世界最大級のカルデラと、雄大な外輪山を持つ活火山。毎年国内外から多くの観光客が訪れる。外輪山に広がる日本最大級の草原は、古代から人々が牛馬とともに野焼きや採草、放牧をおこなって守ってきた。ところがその阿蘇外輪山の南側に、福岡ドーム17個分といわれるメガソーラーが突如あらわれて人々を驚かせている。


 阿蘇外輪山の南側、熊本県山都町。約119㌶の土地に太陽光パネル約20万枚が、まるで無造作に置かれたように平地や斜面を覆い尽くしている。
 遠くを眺めれば、真っ青な空に緑が映える、夏の阿蘇山の中岳や根子岳。その雄大な自然とはあまりにミスマッチな、黒々と光る大量の太陽光パネル。
 再エネは「地球に優しい」といいながら、長年月にわたって守られてきた大自然にこんなことをしていいのか。地元の住民は「ここに来ると吐き気がする」と語る。
 太陽光パネルが置かれた場所は、外輪山の尾根部分に当たり、かつては牛を放牧する牧草地だった。10年ほど前までは野焼きもやっていたという。
 同時にここは、町民に命の水をもたらす神働川の水源地。町民はここから出る豊かな湧き水をためて牛に飲ませたり、野菜を洗ったりしてきた。ところがメガソーラーができると雨が降っても土地に浸透せず、パネルの表面を流れ下って問題になっているという。


 ところがこれだけ巨大なメガソーラーだが、山都町の町民はほとんどが知らないという。通常ここまで登ってくる人はまれなのだ。
 熊本県上益城郡山都町は、北は阿蘇外輪山の南側、南は九州山地に接する山に囲まれた町。人口約1万2000人。農林業で成り立っている。
 この町にメガソーラーの建設計画が持ち上がったのは、2017年頃。2018年2月には、神働川の源流に一番近い目細地区に、事業者が高森町の牧野組合を連れて説明にやってきた。建設予定地の牧草地は山都町にあるが、その所有権は隣の高森町の牧野組合が持っていた。


 目細地区の男性はいう。「うちの集落には14軒が暮らしているが、みんなが反対した。というのも50年前、国の補助金事業で原野を草地改良するためブルドーザーで山を削ったところ、大雨が降ったとき田んぼに泥水が流れ込む大災害になった経験をしていたからだ。だから、また同じことにならないようにとみんなが反対した。反対したのに、その後事業者はわしらになにもいわないまま工事を始めた」
 目細地区のもう一人の男性は、開口一番「説明会はまるで脅しのようだった」といった。「“火事になっても知らんぞ”“養豚場をつくるぞ”といったり、“ここの部落が反対してもつくる”といったりした」
 2019年12月に起工式があり、工事が始まった。現場を見に行った住民は「私たちは太陽光発電と聞いて、牧野の草を刈ってそこに建てるのだと思っていた。ところが広大な牧野の表土がすべてはぎとられ、木は伐採、伐根されて、泥がむき出しになっていた」という。「説明会で事業者が“除草剤を撒く”と話したので、“除草剤を大量に撒くのはだめ”といったのよ」とも。
 そして2020年6月、梅雨時の天気のいい日に、どぶどぶに濁った泥水がいきなり田んぼに入ってきて稲をなぎ倒したので、目細地区の農家はびっくりした。水は白茶色で、「軟弱な地盤を固めるために大量に石灰を撒いたんじゃないか」と語られていた。
 農家の人たちが上流を見に行くと、工事業者がいて、「あんたらか?」と聞いたが、「一切流していない」という。町役場にも訴えたが、逆に事業者が役場にやって来て「泥水がうちの工事から出ているという根拠がどこにあるのか」という。そこで農家が川をさかのぼって登っていき、工事業者がホースで泥水を流していた場所をつきとめ、写真に撮って突きつけた。それでもなにも変わらなかった。
 この泥水被害について、いまだに事業者はなんの補償もしていない。住民たちは町長や町役場に何度も訴えたが、業者と結託した町も町民を守ろうとしない。今後、もっと大きな災害が起こったときはどうなるのか。


 メガソーラー建設予定地の牧草地は、もともと隣接する高森町の牧野組合の25人が共同所有し、牛を放牧していた。その25人が印鑑を押して、牧草地を事業者に売却した。しかし、山都町の農業委員会としては「ここは国の草地改良事業をおこなった牧草地であり、第一種農地であるから、農地転用は認めない」と決めた。
 ところが事業者は、牧野組合を連れてきて、農業委員会立ち会いのもとでの現地視察を求めた。現地は放牧をしなくなってから3年経っており、荒れていた。それを見て事業者が「なにが農地か。原野じゃないか」といい始めた。
 山都町の農業委員は、「県にも国にも問い合わせたが、どう対応していいかわからない。ついに農業委員会として、130haのうち1割程度を農地とし、あとは非農地とした。非農地にしたのが間違いだった。これが向こうの狙いだったんだ」と、悔やみながら何度も強調した。
 一方、山都町長も議会の議決を経ないまま事業者と協定を結び、開発許可を出していた。町議が協定書を見せてくれと要求したが、「協定書のなかに、第三者に見せてはならないという条文があるので見せられない」と拒否されたという。
 メガソーラーをつくるのに環境アセスはなかったのか?当時、太陽光発電の建設にアセスは必要なく、住民説明会も自治体の審議会も開催されない。こうして地元同意のないまま、メガソーラーの建設が進んだ。


 阿蘇外輪山には現在、約460戸の農家が参加する156の牧野組合があり、合計して約6000頭の牛を放牧している。しかしこの牧野組合も、年々高齢化が進み、後継者がいない状態で、メンバーも徐々に減っており、「10年後には今の野焼きも続けられない」という。
 牛の値段は暴落し、一方で輸入配合飼料はうなぎ登りに高くなっていく。廃業する畜産農家がたくさん出てくる。高齢化し、牧草地は荒れ、牛の数も減少していく。結局、土地を売ることになる。
 第一次産業が困難な状況につけ込んで、再エネ事業者が土地を買い占め、メガソーラーや大規模風力発電を次々につくっていく。


 山都高森太陽光発電所の土地登記は、26年間の地上権設定契約となっている。地上権設定期間が26年だと、地権者はその間、契約を解除することはできない。一方、事業者はこの期間、事業の採算がとれなくなったら、他の事業者に転売することも、事業ごと譲渡することも、一方的に撤退することも可能で、これに地権者が口を出すことはできない。
 地上権設定契約書の中に「倒産隔離」条項が入っている。それによって、たとえば台風がきて太陽光パネルが壊れ、修繕費用がかさんで事業の採算がとれなくなった場合、事業者は勝手に撤退でき、撤去費用は地権者や地元自治体に押しつけることができる。
 再エネをつくる場合、多くの事業者は合同会社を立ち上げる。山都高森太陽光発電所の場合、JREとSMFLみらいパートナーズが共同投資契約を結び、合同会社JRE山都高森をつくっている。通常、各企業はこの合同会社に資本金100万円程度の少額を入れ、そこに銀行からの融資などを呼び込む仕組みをつくっている。
 そして、台風などでメガソーラーが稼働できなくなり、事業者が事業から撤退するとき、地上権設定契約で「倒産隔離」条項が入っていれば、事業者は「責任財産」(この場合は合同会社に出資した100万円)だけを負債にあてると、それ以上の財産を失うことなく計画倒産することができる。そして壊れたメガソーラーはそのまま山の上に残される。壊れた太陽光パネルからは、鉛やカドミウムなどの有毒物質が流出する危険性があるにもかかわらず。


 阿蘇外輪山のメガソーラーだと、撤去費用は数億~数十億円はかかる。地上権設定契約では、この費用を地権者が負うことになり、それは事実上不可能なので、町や県が税金で負担しなければならなくなる。全国の風力や太陽光の用地取得は、多くがこのやり方でやられている。
 一方、町に入るメガソーラーの固定資産税は、年間1億円とも1億5000万円ともいわれる。収入源の乏しい町の窮状につけこむ手口だが、実際には将来にわたって何倍もの負担がおしつけられることになる。


 「CO2削減」「地球に優しい」といいながら、阿蘇の豊かな山々を破壊し、水源地を潰して巨大なメガソーラーをつくるのだから、まさに本末転倒である。しかも風力や太陽光は自然に左右される不安定な電源なので、火力発電のバックアップがなければ成り立たず、九電管内は太陽光発電をつくりすぎたために、何度も出力制御をやって太陽光で発電した電気を捨てている。
 日本が本来の独立国なら、政府は国民の食を守るために食料自給率の向上に努めるはずが、アメリカのいいなりになって農産物の輸入を増やし、農林水産業を存亡の危機に追いやっている。そこにつけ込んで、経産省お墨付きの再エネ企業が地方をターゲットに乗り込み、金もうけのためにやりたい放題をやっている。生活が脅かされるのは地方に住む人々である。

  


Posted by biwap at 12:49CO2温暖化説への懐疑