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2018年02月12日

酒池肉林コード

とりあえずの中国史・その2

酒池肉林コード

 夏王朝滅亡後、あとを継いだのが殷(イン)王朝。考古学上、確実に証明できるのはここからである。殷というのはあとから付けた名前で、当時は商(ショウ)と呼んでいた。商の時代が紀元前16世紀頃から紀元前11世紀頃まで続く。

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 殷はもともと邑(ムラ)の一つだった。他の邑に比べて規模が大きく、軍事的にも強力だったため、周辺の邑を傘下に収めて連合体を形成していった。この連合体が殷王朝。

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 殷の遺跡が殷墟(インキョ)。王の墓が発掘されている。逆ピラミッド型に掘った頂点に王の遺体が埋葬。王の棺の下に埋められている犬はあの世への案内役。王以外にもたくさんの殉死者が埋葬。青銅製の酒器もたくさん並べてある。あの世で王を守るための兵士。戦車もある。
 死んだ人の霊はそのまま神になって存在し続けているという祖霊崇拝は、朝鮮半島や日本にも伝わり東アジアの宗教的伝統となっていく。それにしても、神への生け贄か、魔除けなのか、おびただしい数の生首や殉死者は、権力の集中と大きさをうかがわせるものである。

酒池肉林コード

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 殷代の青銅器。一面に刻まれたグニャグニャの模様。原型は羊の怪獣なのか、蛇のお化けなのか、逆巻く黄河の水なのか。魑魅魍魎がうじゃうじゃいた当時の人たちの精神世界を表しているようである。神々や悪霊や妖怪が満ち溢れたこの宇宙。

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 殷の政治の特徴は祭政一致の神権政治。殷王が占いに使ったのが動物の肩甲骨や亀の甲羅。甲骨の亀裂から神意を読み取り吉凶を判断するのが殷王の役割だった。占った結果を甲羅や骨の裏側に刻んで記録した。これが甲骨文字。漢字の原型となる。

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 殷の最後の王が紂王(チュウオウ)。絶世の美女と言われた妃・妲己(ダッキ)の虜となり、彼女を喜ばす為に淫蕩な世界に溺れて行った。妲己の為に離宮が造られ、大きな池に酒を満たし、木々には肉が吊るされた。淫らな歌謡が辺りに流れる中、一糸まとわぬ男女が酒の池で戯れ、肉の林で遊ぶ。これが「酒池肉林」。さらに彼女は、人々が本気で殺し合う様を見ては喜び、人民に怨嗟の声が広がると、炮烙(ホウラク)の刑が考え出された。油を塗った柱の上に囚人を上がらせ、下から火を焚きつけるという刑。心ある重臣は王の行状を諌めたが、諫言した者は惨殺され、千肉にされた。
 やがて、諫言に寄って捕らえられていた殷王の補佐役・西伯の死後、その息子である周の武王が殷に攻め寄せた。しかし、すでに紂王を見限っていた殷の兵士に戦意はなく、王は宮殿に火を放ち殷王朝は滅んだ。武王は妲己を捕らえて首を刎ね、「殷を滅ぼしたのはこの女だ!」と晒し者にしたという。
 実に凄まじい話だが、政権奪取した側がその正当性を示すために前政権の残虐性を脚色することはよくあることだ。『日本書紀』に出てくる第25代・武烈(ブレツ)天皇も凄まじい悪行が並べたてられている。「人の生爪を剥して山芋を掘らせる、人を登らせた木を倒して登った人を殺す、池の樋から人を流して矛で刺殺する、人を木に登らせて弓で射殺する、女性を裸にして目の前で馬の交尾を見せる」。
 この武烈の後に、応神天皇5世の孫として越前から入ったのが継体天皇である。王朝交替の歴史観が現れているとの説もある。この「酒池肉林」コード、いかに読み解くべきなのか。