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2016年05月20日

韓国大邱の旅

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 韓国旅行。今回、ピーチは帰路のみ。往路は、韓国LCC(格安航空会社)ティーウェイ(tway)航空で大邱へ向かった。関西空港から約1時間半で大邱空港。

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 国際空港とはいえ、小さな地方空港。降り立った9割以上は韓国人。おかげで外国人専用入国窓口はガラスキ。日本人観光客など、そんなに来ないのだろうか。

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 大邱(テグ)は、ソウル・プサンに次ぐ韓国第三の都市。韓国南部にあり、人口約250万人。広々とした道路に街路樹が美しい。

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 街の中は地下鉄と共にモノレールが走っている。大邱に来たのは、十数年来の友人L氏夫妻宅にホームステイするため。

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 最初に案内してもらったのが鹿洞書院(ノクトンソウォン)。市内から車で約30分。前から一度、来てみたかったところ。

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 もっと山奥の辺鄙なところかと思っていたが、意外と整備されていた。横に韓日友好館が建っている。この場所は、実は日本と深い因縁がある。

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 秀吉の朝鮮侵略。加藤清正の配下にいた「沙也可」と呼ばれた武将が、3千人の部下と共に朝鮮側に寝返った。その後、火縄銃の製作技術を伝授し、多くの戦功をあげ、王から金忠善(キム・チュソン)の名が与えられる。晩年は、この友鹿里(ウロンニ)の地に定住し、住民の教育に励んだという。その金忠善の子孫と称する人たちがこの地に住む。「沙也加(サヤカ)」は、紀州の鉄砲衆「雑賀(サイガ)」から転じたとも言われ、和歌山県とも交流がある。

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 ロープウェイでアップ山展望台へ上ると大邱市街が一望できる。アップとは「前」のこと。テグは古代タボルと呼ばれ、大きな野原を意味した。川を挟み右側が新市街、左側が旧市街になる。L氏の高校時代、新市街は一面の田園地帯だったそうだ。大邱は朝鮮戦争時の激戦地でもあった。

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 寿城池(スソンモッ)と新市街。岐阜県加納町の町長だった水崎林太郎は、1914年に開拓農民として朝鮮へ渡った。花栽培などで成功した後、貯水池を造るために私財を投じ、十年の歳月をかけて寿城池を築造したと紹介されている。

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 2002年日韓W杯の会場でもあった大邱スタジアム。2011年国際陸上の会場にもなった。

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 夕食は韓定食。韓国料理はひたすら赤くて辛いイメージだが、そんなことはない。韓国料理の基本は、「五味五色」の食文化。五味とは「辛味・甘味・塩味・酸味・苦味」、五色とは「赤・青(緑)・白・黒・黄」。「宮廷料理」は、トウガラシが朝鮮半島に伝わる前の料理で、彩り豊か、しかも体にとても良い。

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 夜はモノレールに乗り、西門市場(ソンムンシジャン)へ。ソウル南大門市場に次ぐ賑やかさだそうだ。

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 朝、L氏のマンション(韓国ではアパートと呼ぶ)の窓から見た景色。L氏のマンションは、大邱の東・慶山(キョンサン)市にある。10数年前まで田園地帯だったところに、次々とマンションが建っていった。

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 朝食の前に付近を散歩する。田園風景が残っていてすがすがしい。「外国」というより、まるで「故郷」。

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 朝ごはん。パンとコーヒーの生活とは雲泥の差。こりゃパワーが違う訳だ。

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 大邱の中心部へ。防川市場。若くして亡くなった歌手・金光石(キム・グァンソク)の故郷。

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 金光石(キム・グァンソク)通りは、多くの若者たちが集まる文化と芸術の場。

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 日本風の建物は、日本軍「慰安婦」歴史館。The Museum of Military Sexual Slavery by Japan。日曜日で休館だった。河野談話・村山談話で謝罪しながらそれを否定するのは信義に反することだと言うと、L氏はABEですねと答えた。韓国人は意外とよく見ているのかもしれない。

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 薬令市韓医薬博物館。隣接する通りには、韓方薬局・韓方医療・韓方薬剤店などが立ち並び、多くの人々が訪れる。

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 桂山聖堂(ケサンソンダン)。フランス人神父によって建てられたロマネスク様式の教会。

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 教会へ続くこの道は「三・一運動路」と呼ばれる。

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 三・一独立運動の際、市民や学生たちが西門市場に向かってこの階段を降りていった。

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 チョンナの丘は、大邱に入ってきたキリスト教宣教師たちの布教の中心地だった。宣教師の生活した住宅が今は博物館になっている。

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 駆け足の「大邱」。L氏夫妻は、東大邱駅のプラットフォームまで見送ってくれた。「今度はもっと長い時間で来てください、今回行けなかった所を案内します」「シンセ マニ ジョッソヨ(お世話になりました)また、滋賀県にも来てください」。KTXに乗り韓国旅行後半のソウルへ向かった。
 違うから面白い。物事は接すれば半分解決する。「嫌韓反日」などという「妄想の世界」は、ここにはない。「日本が好き=韓国が嫌い」ではないし、「韓国が好き=日本が嫌い」でもない。大切なのは、自分の目で確かめ、自分の頭で考えること。「解放」とは、自分を縛る「思い込み」から解き放たれ、自分が自由になっていく過程なのだ。