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2017年09月05日

俊徳丸伝説

俊徳丸伝説

 能『弱法師(ヨロボウシ)』。河内国高安に住む高安通俊(タカヤスミチトシ)は、他人の讒言を信じて、実子の俊徳丸(シュントクマル)を家から追い出してしまう。後悔した通俊。俊徳丸の現世と来世の安楽を願い、春の四天王寺で七日間の施行を営んだ。その最終日、弱法師(ヨロボウシ)と呼ばれる盲目の若い乞食が、施行の場に現れた。実はこの弱法師こそ俊徳丸その人だった。
 弱法師が施行の列に加わると、梅の花びらが袖に散りかかった。花の香を愛でる弱法師。通俊は、弱法師が我が子・俊徳丸であると気づくが、人目をはばかり、夜に打ち明けようと考える。日想観という瞑想に入った俊徳丸。かつて見た難波江の景色をくっきりと思い浮かべ、「満目青山(バンボクセイザン)は心にあり=すべての景色は、心の中にある」という意味深い言葉を発する。ところが、心の景色に惹かれて狂態となり、あちこち転びつまずく現実の姿のみすぼらしさ。盲目の悲しさに打ちのめされてしまう。
 夜更けに通俊は、自分が父であると打ち明ける。俊徳丸は恥ずかしさのあまり逃げようとするが、通俊は追いついて手を取り、高安の里に連れ帰った。

俊徳丸伝説

 俊徳丸は、「俊徳丸伝説」(高安長者伝説)で語られる伝承上の人物。河内国高安の長者の息子で、継母の呪いによって失明し落魄するが、恋仲にあった娘・乙姫の助けで四天王寺の観音に祈願することによって病が癒える。この題材をもとに謡曲の『弱法師』、説教節『しんとく丸』、人形浄瑠璃や歌舞伎の『攝州合邦辻(セッシュウガッポウガツジ)』などが生まれた。説教節『しんとく丸』では信徳丸(シントクマル)。おなじ説教節『愛護若(アイゴノワカ)』との共通点も多い。

俊徳丸伝説

 近藤ようこさんの漫画『妖霊星 身毒丸の物語』は、説教節『しんとく丸』をもとにしたもの。
 長者の姫君。とても美しい姫なのに、日がな一日自室に篭り、畳いっぱいに並べた鏡を眺めて過ごしている。その訳は両親が、自分が生まれる前に亡くなった姉の事ばかり口にするから。何かにつけて姉の死を嘆く両親を見て育った姫。
「私はここにいるのだろうか」「必要とされているのは姉上で、私など存在していないのではないか」 
 自分が今ここにいる自覚が持てない。沢山の鏡を覗いて、自分がいると確かめようとする。
 身毒丸。旅から旅を続ける田楽一座の芸人。元々は河内の長者の家に生まれた。長らく子宝に恵まれなかった両親は、清水寺の観音さまに願掛けをした。観音菩薩はこう告げた。「その子が三歳になった時、そなたか妻の命が危うくなるが良いか?」こうして誕生したのが身毒丸。
 身毒丸の母親は病に倒れ、そのまま帰らぬ人となる。父親は観音に逆恨みし、また同時に息子を恨んだ。父親は幼い息子を連れて家屋敷を捨てて出奔し、物乞いに身を落とす。そして寿命が尽きる時、旅の田楽一座に息子を託した。「父母の穢れを身に受けて生まれた子供」 そんな自覚から、鏡で自分の顔を見ることさえ嫌がった。
 自分などいないのでは?と危ぶむ長者の姫。自分なぞいない方がよかったと感じている身毒丸。この二人は、瓜二つの顔をしていた。
 姫は田楽一座の興行で身毒丸を見て驚く。「あそこに私がいる」
「おまえを見ていると、自分に会っているようで嬉しい。おまえは本当にいるのだもの」
「なにを戯事を。俺はおまえじゃないぞ」
「では、私は何者だろう?」
「自分が何者かなんて知らないほうが仕合わせだ」

俊徳丸伝説

 拒絶された姫。屋敷を抜け出し身毒丸に会いに行くが、「消えてしまえ、おまえはいない」と突き放される。姫はその言葉に強い怒りを覚える。「愛しいと思っても逃げる者なら、憎むほうが甲斐がある」
 姫は清水寺で丑の刻詣りをする。「身毒丸の命を取り給え、さもなくば…」
 端正で美しかった身毒丸は、徐々に体が膿み崩れる業病に冒されていった。包帯を巻かれ、一座からも捨てられ、天王寺界隈の物乞いの群れに紛れていった。
 自分のかけた呪いが効いたと知った姫は再び出奔。今や見る影もない身毒丸に会いに行く。自分が誰かは明かさずそのまま寄り添った。
「おまえはどこのお方か、何故こうまでして下さる?」「私は、罪を滅ぼさねばなりません。自分の作った恋の罪を」
 失明して歩くのもままならぬ身毒丸に付き従い、姫は一緒に物乞いをして介抱した。
「恋は終わった。自分の手で終わらせてしまった。身毒丸は顔かたちも変わり果て、もう私の鏡ではない。私はまた、私ではなくなってしまった」
 淡々と「振り出しに戻った」と感じる姫。対して身毒丸は、様々な生き死にを見せる他の物乞い達を知るうちに、「生きている」ことを疎ましく思わなくなっていった。
 その後、身毒丸は姫の祈念によって救われ、彼女の子供として生まれ変わるというストーリーが展開していく。宿縁からは逃れられない二人が星に導かれるが如くに出会い、傷つけ合い、再生していく。「誰も勝手に生き死にはできぬ」 その言葉に己の身を託す姫と身毒丸。説経節『しんとく丸』を借りた死と再生の物語。
 八尾市山畑地区に6世紀頃の横穴式石室墳墓がある。「俊徳丸鏡塚」と呼ばれている。俊徳丸が住んでいたとされる山畑地区。そこから少し北にある街道。俊徳丸が高安から四天王寺へ通った「俊徳道」として伝えられている。

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