2017年09月03日
笑いという石の礫

笑いは、強い者を揶揄してこそ価値がある。弱い者を笑うのはいじめでしかない。いつのころからか、この国の「お笑い」は、弱い立場にいる人たちを攻撃するようになった。ワイドショーに出たお笑い芸人が「世間の声」を代弁するかのように振る舞い、松本人志のような「保守オヤジ」たちが声高に叫ぶ。世間の空気が作られていく。
ヒトラーを徹底的に揶揄したチャールズ・チャップリン。英国王室・教会・軍人・警察など、硬直した権威の欺瞞を茶化し続けたモンティ・パイソンなどのコメディアン。お笑いやコメディは、庶民が権力に対して持ち得る数少ない武器だった。
権力をもっている方が強いに決まっている。もたない側にできること。ギャグにして笑い飛ばす。それすらできなければ、ただ押さえつけられるだけの恐怖社会でしかない。
愛川欽也氏はこう言っていた。「テレビやラジオでものをしゃべる人間は、いつもどんな時代が来ようとも、ユートピアが生まれない限り、野党じゃなきゃダメなんだ。野党が今度政権取ったら、また野党になれ」

Posted by biwap at 06:22
│芸術と人間