2017年09月11日
「バベルの塔」を築いた画家

ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展(大阪・国立国際美術館)

ノアの洪水の後、人間はみな、同じ言葉を話していた。人間は石の代わりにレンガをつくり、漆喰の代わりにアスファルトを手に入れた。技術の進歩は人間を傲慢にし、天まで届く塔のある町を建てようとした。神は人間の企てを知り、怒った。そして人間の言葉を混乱(バラル)させた。
今日、世界中に多様な言葉が存在するのは、バベル(混乱)の塔を建てようとした人間の傲慢を、神が裁いた結果だという。バベルはヘブライ語でのバビロンの呼び名。バビロニア各地には、33基の聖塔(ジッグラト)のあったことが知られている。
ブリューゲルは、高い教養を持ち、知的に洗練された画家である。先輩画家ボスが人間の根源の醜さを描き出したことに対し、ブリューゲルは愚直な人間の人間らしさをそのまま描いた。北方ルネサンス特有の精緻な細部描写とそこに隠された寓意、そしてボスに顕著に見られるシュールさがここでも感じられる。
イタリアで興ったルネサンス運動は、アルプスを越えドイツ、ネーデルランド、フランスなどにも届いた。これを北方ルネサンスという。洗練された技法を受け入れながら、各国独自の絵画表現を発達させていった。ボスやブリューゲルの絵は、意外と現代的で興味深いものがある。(http://biwap.shiga-saku.net/e1077826.html)

14〜15世紀に描かれた「バベルの塔」は、いずれも数階建ての塔で描かれている。それに対し、ブリューゲルは地平線まで見渡すパノラマ風景と巨大な塔を画面一杯に配置。その壮大な構図の中に、米粒ほどの人々の姿を描いてみせる。その数およそ1400人。割れたレンガ屑の飛び散った様子。作業員たちが休む飯場。拡大鏡で見なければわからない程の細部が丹念に描きこまれている。ブリューゲルがこれ程までに思いを込めて描きたかった「情念」とは何だったのか。
「人間の傲慢」を戒めるお説教だとはとても思えない。もしかすると、有限な人間への果てしない共感だったのかもしれない。

ブリューゲルは農民生活を題材にした作品を多く残している。この時代の絵画は農民を「無学で愚かな者」の象徴として描いていた。ブリューゲルもそれと同じだと考えられてきたが、果たしてそうなのか。
農作業に向かう娘たちの初々しい表情。結婚式に集まる人々の喜びの様子。生活の隅々にまで入り込み、「人間」としての農民たちの側に立たなければ、とうてい描けないものだ。
ブリューゲルは、エラスムスなどの「人文主義者」の著作にも親しんでいたと言われる。
エラスムスの著書『痴愚神礼讃(チグシンライサン)』は、痴愚の女神モリアーが人間社会の馬鹿馬鹿しさや繰り広げられる愚行を饒舌に風刺するというもの。王侯貴族や聖職者・神学者・文法学者・哲学者ら権威者を徹底的にこき下ろし、人間の営為の根底には痴愚の力が働いているのだ、人間は愚かであればこそ幸せなのだ、と自画自賛する。
「ヒューマニズム」の語源「フマニタス」は「へそ」を意味する。どんなにエラそぶった「お偉い方々」のお腹にも、オレたちと同じ「へそ」がついている。それはどことなくユーモラスでさえある。正義を掲げた宗教戦争の凄惨な殺し合いに比べ、「へそ」の戦いは実に柔軟でしたたかだ。
ブリューゲルの描いた『バベルの塔』。「有限で愚かしい人間」が懸命に生きていく姿。それは、「神の威厳」ではなく、「人間の尊厳」なのだ。ブリューゲルはキャンパスいっぱいに渾身の力で、自らの『バベルの塔』を築き上げようとしたのだ。
Posted by biwap at 06:15
│芸術と人間