› 近江大好きbiwap › 2016年09月

2016年09月06日

多様性の豊かさ


 全米OP女子、18歳の大坂なおみは3回戦で9位のキーズと対戦。力強いショットを連発し、大金星になりそうだと思った瞬間、大坂は固くなり安易なミスを連発。接戦で負けてしまった。この経験が次への大きなステップとなるだろう。
 大坂なおみ。ハイチ出身の父親と日本人の母親との間に生まれる。4歳の時、一家はアメリカに移住。父の手ほどきでテニスを始める。2013年、プロ転向。日本語よりも英語の方が流暢。


 ハイチ共和国。カリブ海、イスパニョラ島西部に位置する共和国。島の東部ドミニカ共和国と国境を接し、北西にキューバ、西にジャマイカがある。ハイチは先住民アワワク族の言葉で「山々の国」という意味。しかし、現在のハイチ国民はアラワク族ではなく黒人。
 ハイチがあるイスパニョラ島。コロンブスがアメリカ大陸を「発見」した時に「スペインに似ている島」と命名したことに由来。「発見」は西洋人側に立った表現。先住民にとっては「白人による侵略の開始」であった。当時、イスパニョラ島には先住民アラワク族がいた。スペイン人が銀採掘に酷使したため全滅。スペイン人は、次の労働力としてアフリカから黒人奴隷を送り込み、サトウキビの栽培を始めた。
 17世紀になると、カリブ海ではフランス、イギリス、スペインの海賊が割拠。1697年にイスパニョラ島西部(現ハイチ)はフランス領となる。黒人奴隷制によるサトウキビ・コーヒー栽培。最も繁栄したフランス植民地として「カリブ海の真珠」と呼ばれるようになる。その繁栄の犠牲となったのがアフリカの奴隷たち。アフリカ大陸から船に乗せられ2ヵ月の航海。不衛生な船底に手足を縛られた状態で入れられ、「物」として扱われた。大西洋海底には、この航海の途中に捨てられたアフリカ人の遺骨が100万体も沈んでいると言われている。植民地に着いてからも、苛酷な労働を強いられ、逃亡した奴隷への罰として身体を切断したり、火炙りなどが行われたと記録されている。
 当然のことながら奴隷たちは度々反乱を起こした。1791年、黒人逃亡奴隷ブクマンを頭にした一斉蜂起でハイチ革命が始まる。遂に1804年、ハイチはナポレオン軍を打ち破りフランスからの独立を勝ち取る。世界史上初の黒人共和国の誕生。しかし、フランスは独立と引き換えに巨額の賠償金を要求。その返済のためハイチの国家予算の8割が失われる状態が100年続いた。独立後も強国からの干渉は止まない。米国の支配層は、自分たちの所有する奴隷制への影響を恐れ、介入していった。
 中南米全域に広がるアフリカ人奴隷の子孫たちにとって、ハイチは解放運動の中心地だった。一方、アメリカ大陸を自分の庭とみなす米国にとって、ハイチはキューバと並ぶめざわりな存在。ハイチは独立以来、欧米の干渉と迫害を受け続ける。彼らと結んだ支配者による、弾圧と汚職と腐敗。ハイチは世界の極貧国におとしめられた。
 2004年、ハイチで民主的に選出された大統領が米国の支援するクーデターで亡命させられた。米国がハイチの民主主義をつぶす。大手メディアが、そんな事実を報じることはなかった。
 女子テニス界の新星・大坂なおみ。「ハーフのテニス選手」と呼ばれる。父でコーチのレオナルドさんはハイチ出身の米国人。母環(タマキ)さんは日本人。なおみさんは、日米二重国籍。
 1984年まで、日本の国籍法では父系主義が採られていた。父が米国人の大坂なおみは米国籍になるはず。しかし、米国では出生地の国籍を取得することになる。大阪で生まれた彼女は、日本国籍になるはず。このようなどっちつかずの無国籍状態は、米軍の駐留する沖縄でも大きな問題となった。女性差別禁止条約の批准に伴い、国籍法は改正され、父母両系主義に変わった。子どもは二重国籍のまま、22歳までにいずれかの国籍を選択することになる。
 欧米では本人を目の前にして「ハーフ」呼ばわりすることはない。英語でのhalfには「完全ではない」というニュアンスを含み、「ピュアではない」という意味も含まれる。もちろん日本語での「ハーフ」にはそのようなマイナスの意味を含まないが、言葉の背景にある偏見が存在することも事実だ。「単一民族国家」などという間違った認識が消えないこの国では、まだまだマイノリティや多様性を尊重する文化は根付いていない。
 「ハーフではなくダブルを」と言う人もいる。言葉はともかく、プラス思考でとらえるべきなのだ。多様性の豊かさこそが美しい。
 http://biwap.shiga-saku.net/e959738.html
  


Posted by biwap at 06:29biwap哲学

2016年09月05日

親バカと言われても

道草百人一首・その87
「契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋も去ぬめり」(藤原基俊)【75番】 


 約束してくださったさせも草の恵みの露のようなあなたの言葉を頼みに生きてきました。それなのに、今年の秋もむなしく過ぎさっていくようです。
 恋の恨み節かと思いきや、これがなんとも。
 藤原基俊(モトトシ)。百人一首74番・源俊頼のライバル。和歌や漢詩の才能に優れ、名家の出身だったが、そんなに出世できなった。息子は、興福寺のお坊さん光覚(コウカク)。興福寺は、藤原氏の氏寺。毎年秋に「維摩会(ユイマエ)という重要な法会がある。この法会の中で「維摩経」を講義する講師に抜擢されることは、まさに出世コースに乗ったようなもの。基俊は息子・光覚を是非この名誉ある講師につけてほしいと、前の太政大臣・藤原忠通にたびたび頼んでいた。
 「させも草」は、平安時代の万能薬だったヨモギのこと。「露」は恵みの露という意味。「大丈夫だ、私に任せておけ」、藤原忠通の言葉にすがりつく。待ちわびた秋、その年も息子・光覚は講師に選ばれなかった。「もう、秋も過ぎていくではありませんか」。「親ばか騒動」のお話でした。
  


Posted by biwap at 06:05道草百人一首

2016年09月03日

不寛容、あらがう一歩






 被爆40周年の1985年に始まった「広島国際アニメーションフェスティバル」。「愛と平和」をメインテーマに2年に一度開催される。今年8月18~22日の「第16回広島国際アニメーションフェスティバル」には、短編を中心に世界各国の約600本が集った。メインのコンペティション部門は、学生から大御所まで粒ぞろいの作品が並ぶ高レベルの争いだった。


 今回のグランプリは、韓国の若手女性作家チョン・ダヒ監督の「空き部屋」(韓仏合作)。愛する人が去ってしまった空虚な場所を表現。住人の去った部屋が詩的なモノローグで語り出し、失われた日々をたどる。鉛筆と木炭のごく淡いタッチで、白昼夢のような世界を紡ぎ出した。


 チョン・ダヒは、前作で最高峰アヌシーのグランプリを得た俊英。1年半かけ9分半の本作を完成させた。「テーマは時間と喪失。観客にどう受け止められるか不安だったが、受賞でこれからも作り続けていいんだと勇気づけられた」と会見で語った。
 下は優秀賞「サティのパラード」(山村浩二)。大人もこどもも無邪気でナンセンスなパレードへ。ピカソの美術とはひと味ちがったバレエの世界がひろがる。


 「愛と平和」にふさわしい作品に贈るヒロシマ賞は、アンナ・ブダノバ監督「アモング・ザ・ブラック・ウェーブズ」(ロシア)。モノクロの荒々しい筆遣いで、アザラシが人間の子を産む伝説を基に命の尊さを訴えた。才気あふれる演出とデザインで、自由を奪われた愛の顛末を描いている。


 国際審査委員特別賞6作の中に岡崎恵理の「FEED」が入った。多摩美術大の卒業制作として初めて作ったアニメ。明暗を巧みに操るセンシティブな映像作品だ。


 9月1日「朝日新聞」朝刊は、「不寛容、あらがう一歩」としてこのフェスティバルを報じている。国際審査委員を務めた古川タクは、「複雑で不寛容な時代に対する作家らの反応が、作品に込められていた」と指摘。長年見てきた広島のコンペについて「グロテスクで殺伐とした作品ばかり目立った時期があったが、今回は若い人たちの作品にユーモアが復活してうれしい」と振り返った。
 国際名誉会長を務めたジャンフランソワ・ラギオニは、閉会式でこう締めくくった。「世界を変える力はないかもしれないが、どの作品も暴力や醜さに対する抵抗を、1コマずつ、一歩ずつ示していた。私たちのささやかなレジスタンスを受け入れてくれる広島に感謝します」
  


Posted by biwap at 07:22芸術と人間