› 近江大好きbiwap › 近江史を歩く › 「瀬田川さらえ」の悲願

2014年01月05日

「瀬田川さらえ」の悲願

「瀬田川さらえ」の悲願
琵琶湖の水はすべて瀬田川を通り下流へ流れこみます。台風18号による記録的な大雨。2013年9月16日、瀬田川洗堰は41年ぶりに全閉操作がなされました。下流の氾濫を防ぐためです。でも、琵琶湖岸では増水による被害が・・・。水量の調節は住民の死活問題です。江戸時代、瀬田川に堆積した土砂のため、琵琶湖岸一帯は度重なる水害に見舞われました。住民は、瀬田川浚渫工事を幕府に訴えます。しかし、南郷洗堰の近くは供御瀬(くごのせ・朝廷へ献じる魚を獲る場所の意)と称し浚渫をさせなかったところです。度重なる請願にもかかわらず、幕府は軍事上の問題からこれを許しませんでした。実に三代にわたり、命をかけ、全財産をなげうち、住民の悲願を実現させた人物がいます。「近江史を歩く36」は、「治水の先覚者藤本太郎兵衛」です。
http://biwap.raindrop.jp/details1044.html (PC版)
http://biwap.raindrop.jp/sp/details1044.html (スマホ版)