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2013年09月05日

六歌仙の謎

 858年、文徳天皇が原因不明の急な病に倒れる。藤原良房の娘を母とする惟仁(コレヒト)親王はまだ9歳。一方、紀氏の娘を母とする惟喬(コレタカ)親王は既に15歳だった。藤原氏をバックにした弟惟仁親王が即位し、清和天皇となる。良房は、さらに娘高子(タカイコ)を清和天皇の皇后にする。
 高子入内の少し前、惟喬親王と親しかった在原業平は高子と駆け落ちを試みている。摂津芥川まで逃げるが、追っ手によって都に連れ戻される。高子は入内し皇后となり、その9年後に貞明親王を生む。後の陽成天皇。精神的に不安定な人物であった。業平は捕らえられ、東国に落ち延びた。伊勢物語の「東下り」である。
 一方、権力者良房は、惟喬親王の周りの人間を徹底的に排除する。
 惟喬親王と親しかったのが、良岑宗貞(ヨシミネノムネサダ)。「天つ風 雲のかよひ路 ふきとぢよ 乙女のすがた しばしとどめむ」。宮廷で行われた「五節の舞」。少女たちの舞う姿があまりに美しかったので、歌った良岑宗貞の歌である。良岑宗貞は、政争の中、出家。僧正遍昭である。彼は、深草少将とも呼ばれていた。小野小町との恋愛は有名で、「深草少将百日通い」の伝説を残している。
 一方、天皇の更衣であった小野小町も宮廷を追放。小町は、仁明・文徳天皇に愛され、惟喬親王の側に仕えていた。在原業平、僧正遍昭、小野小町、高子のサロンに出入りした文屋康秀、雲に乗って飛び去ったという喜撰法師、園城寺に関わった謎の人物大伴黒主。
 六歌仙とは、いったい何者なのだ?惟喬親王の母は、紀氏。六歌仙の選者は、紀貫之である。
 
六歌仙の謎