› 近江大好きbiwap › 「10人に1人」の声

2018年08月29日

「10人に1人」の声

「10人に1人」の声

 早稲田大学2年生が作成した「東京五輪学生ボランティア応援団」なるサイト。
<私は、東京五輪まで2年と迫った今、もうすでに感動と興奮を抑えられません。
 1兆円以上もの予算を提示しながらボランティアにはたとえスキルがあろうが無かろうがびた一文出さない組織委の倹約精神、
 「排除します」と堂々宣言した人間をトップに抱えながら「ダイバーシティ」を掲げる厚顔無恥、
 東京五輪なんか大した興味もないだろうに宣伝効果やらCSRやらを意識して金だけ出しておく大企業、
 戦中の金属供出を彷彿とさせる都市鉱山からのメダル製作、
 本当に環境のことを考えているのならオリンピックなんかやらないほうがよほど環境にいいという当然の論理を無視できる二重思考、
 どう考えても耐え難いであろう酷暑に対して打ち水で挑もうとする竹槍根性、
 睡眠やコンピュータの専門家から明確な異論反論が出され、諸外国では廃止が検討されているにも関わらず今更サマータイムを導入しようと躍起になる政治家、
 問題は山積しているというのに未だにやりがいや絆や感動などといった聞こえのいい言葉に簡単に騙されてしまう国民、
 これらの要素が揃えば、美しい国・日本は世界に誇る自己犠牲の精神をもって最高の五輪を実現できるに違いないからです。
 皆さん、この素晴らしい我が国の、威信を懸けた祭典のためにぜひ身を賭して貢献しようではありませんか!
 東京五輪、万歳! 日本、万歳! >

「10人に1人」の声

 西日本新聞に掲載された永田健・論説副委員長によるコラム。
<東京五輪が待ち遠しくない
 われながら気弱な書き出しだが、今回のコラムは大多数の読者から賛同を得ようなどと大それたことは考えていない。10人に1人ぐらいの読者の共感をいただければ幸いである。
 東京五輪の開催まで2年に迫った。競技会場が予定される各地で「あと2年」のイベントが開かれ、テレビもしきりに「待ち遠しいですね」と呼び掛ける。
 私はといえば、全然待ち遠しくない(個人の感想です)。
 猛暑の日本列島とあって、同じ季節に本番を迎える東京五輪のコンディションを憂慮する声が上がっている。何しろ今年は「命に関わる危険な暑さ」の日々が続く。同程度の暑さになれば、屋外で行う競技の選手の健康が心配になる。
 ただ、私が東京五輪で懸念するのは、「暑さ」よりも「熱さ」の方だ。国民こぞって五輪を盛り上げましょう、という「熱さ」。開催期間前後、社会が五輪一色になる「熱さ」である。
 先のサッカーワールドカップ(W杯)日本代表初戦の日、新聞のNHK番組欄にはこう記載されていた。
 「90分間、日本代表が戦う姿に、ボールの行方に、目を凝らしましょう。そしてシェアしましょう。語り草になるドラマがあるかもしれません。出場国だけが味わえる幸福な時間をともに。行こうぜ!初戦」
 W杯でこの押しつけがましさなのだから、五輪ではいったいどうなるのか。
 さらに心配なのは、その「熱さ」が「日本人なら五輪に協力して当然。何しろ国民的行事なのだから」という「圧力」に転じることだ。日本社会に根強い同調圧力が一層強まりそうだ。
 五輪の式典演出に関わる人気ミュージシャンが昨年、インタビューで五輪反対論に触れ「もう国内で争ってる場合ではありませんし」「いっそ、国民全員が組織委員会。そう考えるのが、和を重んじる日本らしい」などと語っていた。
 実は東京五輪への反対論、懐疑論は根強い。「復興五輪というが、本当に被災者のためになるのか」「欧米のテレビ放映優先で選手のことを考えていない」。元競技選手からも批判の声が上がっている。
 こうした異論を「もう決まったこと」「和を乱すな」などの論理で封じ込めるようなことになれば、かえって「より良き五輪」の実現は遠のくだろう。>

「10人に1人」の声

 「10人に1人」の声を圧殺させないことこそ、民主主義の基本。
 「一人を除いて全人類が一つの意見にまとまっており、一人だけが反対意見であるとしても、人類がこの一人を沈黙させることは、この一人が権力者で人類を沈黙させるというのと同じように、正当化できないことなのです」(J.S.ミル「自由論」)