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2017年10月03日

神々の集う出雲へ

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 十月は「神無月(カンナヅキ)」。全国の神々は出雲へ集まり、出雲以外には神がいなくなる。出雲では、「神在月(カミアリヅキ)」の神事が行われる。それはオオクニヌシの葬儀に集まった神々の饗宴のようでもある。いや、日本海に身を隠したオオクニヌシが、黄泉の王として再生したことを祝う祭りともいえる。

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 「国譲り神話」の舞台「稲佐の浜」。アマテラスは、地上界を統治するオオクニヌシ(大国主)のもとに使いを送るがいずれも失敗。そこで、タケミカヅチが遣わされた。
 タケミカヅチは稲佐の浜に降り立つや波間に剣を逆さに立て、その上にあぐらをかいてオオクニヌシを威圧。国譲りを要求した。オオクニヌシはこの要求には答えないで、自分の子コトシロヌシ(事代主)に聞いてほしいという。
 美保の岬で釣りを楽しんでいたコトシロヌシは、舟で西に向かい、稲佐の浜に到着。国譲りを承知するが、乗っていた船をひっくり返すと、天の逆手を打って海中に飛び込んだ。
 弟のタケミナカタは国譲りを承知せず、タケミカヅチと力比べ。敗れたタケミナカタは、信濃の諏訪湖まで逃げ降参してしまう。かくして、オオクニヌシは国譲りを承諾し、自らは稲佐の海に隠れた。

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 国譲りの代償として、稲佐の浜の近くに立派な神殿が建てられることになる。これが、出雲大社の起源。
 「出雲王国」を亡ぼした「ヤマト」は、祟り神となった出雲の「怨霊」をなんとしても鎮めねばならなかったのだ。出雲大社の本殿に祀られたオオクニヌシは、自らが隠れた海の方を向いているという。

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 「国譲り神話」は、「古事記」「日本書紀」に記されているが「出雲風土記」には見えない。風土記には、「国引き神話」が記されている。

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 ヤツカミズオミヅヌ。「八雲立つ出雲国」は小さく作ってしまったので、他の土地を縫いつけて大きくしようと考えた。新羅の三埼の方から「国来(クニコ)国来」と引いてきて縫い合わせたのが杵築(キヅキ)の御埼。このとき国引きに用いた綱が薗(ソノ)の長浜。綱を結びつけた杭が三瓶山(サンベサン)だという。上の写真がその舞台で、海の向こうに見える山が三瓶山。
 次いで、北門(キタド)から二か所、越(北陸)から一か所を引いてきた。国引きを終えたヤツカミズオミヅヌは、意宇(オウ)の社に杖を突き立てて「おゑ」と言ったのが意宇郡の名の由来であると「出雲風土記」は語る。
 出雲から新羅、出雲から能登半島はほぼ同じ距離。そこを「海の道」がつながっていたのだ。

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 日本書紀には、本文以外にいくつかの異説が併記されている。一書(アルフミ)によると、高天原を追放されたスサノオは新羅のソシモリという所に降り立ち、その後、舟に乗り出雲の国にたどりついたという。
 この後、有名なヤマタノオロチ退治の話になり、出雲を統治していく。スサノオは韓国(カラクニ)から来たと考えるのが自然であろう。
 しかし、出雲神話の主人公は何と言ってもオオクニヌシ(ナムジ)である。

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 出雲王国の神の子として生まれたオオクニヌシ。母の地位が低いためか兄弟神のシモベとして、兄たちの一番うしろに大きな袋を背負ってついていく。傷ついた白ウサギを助ける優しい心。いくつもの迫害を女性たちが守ってくれ、オオクニヌシとして成長を遂げていく。

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 オオクニヌシの国造りを助けた相棒がスクナヒコナ。蔓草の実を割った小舟に乗り、海を渡ってきた「小人」。
 身体は小さいが知恵にあふれたスクナヒコナ。海の向こうから先端の医療技術をもたらした。温泉療法もその一つ。スクナヒコナが発見したと伝えられる「玉造温泉」は、古代より「神の湯」と讃えられた名湯だ。美容液の如き温泉に、若い女性の姿も目に付く。
 スクナヒコナは、国造りの途中でなぜか海へ消えていくことになる。出雲は常に海を背負っている。

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 「出雲神話」は長い間「架空の物語」だと考えられてきた。開発の進んだ所では遺跡の発掘される機会も多くなり、そこに大きな権力のあったことが実証されていく。「裏日本」とさえ称された日本海に面した地域。高度成長から取り残されたこの辺境の地に王国などあろうはずがない。
 しかし、銅剣358本が発掘された「荒神谷遺跡」、大量の銅鐸が見つかった「加茂岩倉遺跡」、出雲大社の巨大な柱の発見。この20~30年の考古学の発見は、神話の背景にある巨大な「出雲王国」の存在を浮かび上がらせてきた。

神々の集う出雲へ

 朝鮮半島から山陰地方へと、古代人たちは日本海を往来し交易した。出雲は、その中心にある玄関口。地図を逆さまに見るように、歴史の視点もひっくり返してみよう。
 神々が集まる出雲の国。それを支えたものが、見えてくるかもしれない。