2016年11月07日
若き野心家
道草百人一首・その99
「おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染の袖」(前大僧正慈円)【95番】

身の程もわきまえないことだが、このつらい浮世を生きる民たちを包みこんでやろう。この比叡の山に住みはじめた私の墨染の袖で。前大僧正慈円。関白藤原忠通の息子。13歳で出家し、37歳の時に天台宗の座主となる。日本初の歴史論集「愚管抄」の作者。
慈円の兄・九条兼実は、激動の時代を渡り歩いた政治家。失脚後、妻や長男の死を契機に専修念仏に救いを求め法然に帰依。しかし兼実は悪人正機の教えに疑問を持つ。そこで戒を破った僧が本当に極楽往生できるのか確かめようと、法然の弟子と自らの娘を結婚させ、その僧を破戒僧にしてみようと考えた。法然は、兼実の弟・慈円の弟子だった僧を指名し、兼実の娘と結婚させた。この若い僧がのちの親鸞。
慈円は当時異端視されていた専修念仏の教義を批判。しかし一方、その弾圧にも否定的で、法然や昔の弟子であった親鸞を庇護している。天台座主として公武の協調を理想とし、後鳥羽上皇の挙兵にも反対した。「愚管抄」もそれを諌めるために書かれたとされる。「一切の法は道理であり、其の道理に基づいて世の中は動く」。まるでヘーゲルの歴史哲学。その墨染の袖で、慈円の理想はかなえられたのか。
「おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染の袖」(前大僧正慈円)【95番】

身の程もわきまえないことだが、このつらい浮世を生きる民たちを包みこんでやろう。この比叡の山に住みはじめた私の墨染の袖で。前大僧正慈円。関白藤原忠通の息子。13歳で出家し、37歳の時に天台宗の座主となる。日本初の歴史論集「愚管抄」の作者。
慈円の兄・九条兼実は、激動の時代を渡り歩いた政治家。失脚後、妻や長男の死を契機に専修念仏に救いを求め法然に帰依。しかし兼実は悪人正機の教えに疑問を持つ。そこで戒を破った僧が本当に極楽往生できるのか確かめようと、法然の弟子と自らの娘を結婚させ、その僧を破戒僧にしてみようと考えた。法然は、兼実の弟・慈円の弟子だった僧を指名し、兼実の娘と結婚させた。この若い僧がのちの親鸞。
慈円は当時異端視されていた専修念仏の教義を批判。しかし一方、その弾圧にも否定的で、法然や昔の弟子であった親鸞を庇護している。天台座主として公武の協調を理想とし、後鳥羽上皇の挙兵にも反対した。「愚管抄」もそれを諌めるために書かれたとされる。「一切の法は道理であり、其の道理に基づいて世の中は動く」。まるでヘーゲルの歴史哲学。その墨染の袖で、慈円の理想はかなえられたのか。
Posted by biwap at 06:17
│道草百人一首