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2016年08月26日

あるジャーナリストの死

あるジャーナリストの死

 「戦場では従軍記者も兵士と同じ心境になる。それは、死にたくなければ相手を殺せ。正気を保てるのは、せいぜい3日。それからは道徳観が崩れ、女性に乱暴をしたり、物を盗んだり、証拠を消すために火をつけたりする。こういう戦争で社会の正義が実現できるでしょうか。人間の幸福が実現できるでしょうか。できるわけありません。だからこそ、戦争は決して許されない。それを私たち古い世代は許してしまった」
 戦争中、新聞記者として戦地を取材。だが、真実を伝えることができなかった。その自責の念から、敗戦の日に新聞社を去る。故郷の秋田県に戻り、週刊新聞「たいまつ」を創刊。地方を拠点に反戦、平和、民主主義を守る執筆と運動を続けた。2016年8月21日、死去。むのたけじさん、101歳。
 「言葉」は、「人の生きた証」なのかもしれない。

<学ぶことをやめれば、人間であることをやめる。生きることは学ぶこと、学ぶことは育つことである。
 倒れないこと、倒されないことが自立ではない。ぶちのめされて、ぶっ倒されて、そして立ち上がるときに自立しはじめる。
 怠けることを何かに抵抗していることだと思うのは、最もみじめな怠惰である。
 進歩を望むなら、まず物ごとに対する感受力を鋭くきたえることだ。
 相手からよく学ぶ者だけが、相手によく学ばせることができる。
 喜びは、どんなに小さくとも、なるだけ多くの人たちと分かち合いたい。悲しみは、どんなに大きくとも、なるだけ自分ひとりでなめ尽くしたい。
 友情でも愛情でも『できる』のではない。『めぐりあう』ものでもない。『つくる』ものなのだ。
 希望の根は絶望の深さに沿うて張る。希望を希望するなら、絶望に絶望せよ。絶望が本当なら、希望も本当だ。
 より高く、より遠く跳躍しようとする者は、それだけ助走距離を長くする。現在以降をより高く積もうとする者は、現在以前からより深く汲みあげる。
 憎む相手とは口論をするな。そんなひまがあるなら、憎むものを断つヤイバを研げ。
 今日の失敗は、失敗した原因を正確に反省すれば、明日は武器となり、明後日には財産となる。
 きのうは去った。あす はまだ来ない。きょうというこの日に、全力を注ぎこもう。どんなにつまらなく思われる1日であろうと、きょうがなければあすはない。
 美しいといえる生き方があるとすれば、それは自分を鮮明にした生き方である。>