2016年08月04日
われらフォーク世代



ソウルにあった「セシボン」。韓国で最初にできた音楽鑑賞室(ライブハウス)。このセシボンから「フォーク第1世代」のスターたちが輩出された。
ソン・チァンシク。朝鮮戦争で父が戦死。母も行方不明になり祖父母のもとで不遇な学生時代を過ごした。ソウル芸術高校卒業後、1967年ふらりと「セシボン」に現れて歌い喝采を浴びる。
ユン・ヒョンジュ。魔性の美声を持つ医大生。この二人が生涯のライバルとして初めて出会った場所が「セシボン」。セシボンの社長は二人の天才をデビューさせるため、フォーク・デュオを結成させる。1968年からわずか1年の活動で伝説となった人気デュオ「ツインフォリオ」。
映画「セシボン」は、実在した「ツインフォリオ」誕生の背景に3人目のメンバーがいたという設定。この架空の人物オ・グンテを中心に物語が繰り広げられていく。
「セシボン」で人気を二分するソン・チァンシクとユン・ヒョンジュ。セシボンの専属プロデューサーであるイ・ジャンヒは、偶然オ・グンテの重低音な声を聞き、グンテを入れてトリオにしようとする。ギターのコードさえもまともに知らない田舎者のグンテは、ジャンヒの説得でしぶしぶトリオ「セシボン」のメンバーとなる。
グンテは「セシボン」で憧れのマドンナだった女優志願のミン・ジャヨンに一目惚れ。彼女のために歌を歌うことを決意。ジャヨンもグンテの想いを受け入れたかのように見えた。一方、トリオも3人のハーモニーが評判となり、テレビ出演が決まるが・・・

日本では「和製フォーク」全盛。韓国でもギター文化は若者の心を捉えていた。それは「音楽」を超えた世界的な文化革命の潮流だった。1960年代後半、「いちご白書」の時代。しかし、韓国ではミニスカートや長髪は取り締まりの対象。南北分断という軍事的緊張の中で、夜間通行禁止令が敷かれていた。そんな中でも若者たちは音楽を愛し、政治を語り、恋をした。「セシボン」は、そんな「文化」の拠点。
1971年。大統領3選を狙う朴正煕(パクチョンヒ)の眼前に強力なライバルが現れる。野党から出馬した金大中(キムデジュン)。激しい選挙妨害の中、旋風を巻き起こし、朴正煕にあと一歩と肉薄した金大中。肝を冷やした朴正煕は3選を果たした翌年、緊急声明を発表。非常戒厳令を発布して国会を解散し、野党の政治家を全員逮捕・監禁した。いわゆる「維新」体制である。これに抵抗した金大中は、1973年8月、東京のホテルで拉致される。いまだに多くの謎が残る「金大中事件」である。
フォーク文化も当然検閲と弾圧の対象となった。「セシボン」を活動拠点にしていた金敏基(キムミンギ)の「朝露」は発禁処分。この歌はその後、民主化運動における抵抗歌として広く愛されていく。「ツインフォリオ」解散後、ソロ活動に転向したソン・チァンシクの「鯨狩りの歌」もやはり発禁処分。1984年に制作された韓国映画「鯨とり」の題名はここから来ている。「鯨とり」とは、韓国語で「大きな夢を追う」という意味の隠語。民主化の時代は、まだ先だった。

映画の終盤、アメリカで再会するグンテとジャヨン。恋のエピローグを彩るのは「ツインフォリオ」がヒットさせた懐かしの名曲「ウェディングケーキ」。
ソン・チャンシクらは今なお現役。近年再び集まり、「セシボン」の名で活動。窮屈だった時代の青春をもう一度取り戻すかのように。

Posted by biwap at 21:36
│KOREAへの関心