2016年01月01日
遊びをせんとや生れけむ

「遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん」(梁塵秘抄)
どんなに楽しいことも強制された途端、苦痛となる。労働の喜びは、本当は遊びに近いものなのだ。自由・自発・自主的な決定。それが生きがいの前提条件。
人間は意味を求める動物。死が恐ろしいのは、その虚無に耐えられないからだ。意味を与えるために宗教が発明された。しかし覚めきった頭は、その無意味さを拒否してしまう。
「人は何のために生きるか」を考えてはいけない。人はけっして何かのために生きるのではない。生きることを喜びに変えるには、生きることを楽しむしかない。
自由・自発・自主的な決定。それが生きがいの前提条件なら、それは何と「遊び」に似ていることだろう。虚無の中に、生きる喜びを紡ぎ出していく営み。
子どもの戯れのように、夢中になってみる。好奇心と冒険心を持って、夢中になってみる。意味を求めてはいけない。生きることは「遊び」なのだから。そのことの中にしか、「意味」はない。
Posted by biwap at 07:14
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