2015年06月18日
明智が妻の話せむ

大津市坂本にある西教寺。織田信長による比叡山焼き討ちの後、近江国滋賀郡は明智光秀に与えられた。光秀はこの地に坂本城を築く。西教寺の復興も光秀の手によるもの。本堂前庭左手に明智一族の墓と供養塔がある。明智光秀の妻・煕子(ヒロコ)の墓の隣にある芭蕉の句碑。「月さびよ明智が妻のはなしせむ」(寂しい月明りのもとですが、明智光秀の妻の昔話をしてあげましょう)。芭蕉が奥の細道の旅を終えて伊勢の遷宮参詣をした時のこと。貧しい弟子夫婦のもとに泊まり、暖かいもてなしを受けた芭蕉は、感激しこの句を詠んだ。「あなたのその心掛けは、必ず報いられる日が来ますよ」。いったいその意味は何なのか。

明智光秀と婚約した煕子(ヒロコ)。婚約後しばらくして煕子は疱瘡にかかり、その美しい顔を失った。それでも光秀は破談することなく煕子を娶る。浪人となり、困窮する生活。連歌会を催す金もなかった時、煕子は自分の黒髪を売り、光秀を助けた。光秀も側室を置かず煕子を大切にしたという。中島道子「濃姫と煕子」は、光秀をめぐる三角関係を描く。織田信長に政略結婚で嫁いだ斎藤道三の娘・濃姫。彼女の心はいとこの明智光秀にあった。信長に魅力を覚えたこともあった濃姫。だが、子の生まれない自分から離れ側室を愛し、故郷の美濃を滅ぼした信長。次第に憎悪の念を抱き始めた濃姫の心は光秀に向かった。光秀に恋人(オモイビト)があり、それが濃姫だったと知った煕子。過ぎ去った日のことなのかそれとも。光秀への想いと信長への憎悪は、それぞれに思い重なりつつ本能寺の変へと向かう。

光秀と煕子の娘・たま。細川忠興に嫁ぎ、細川ガラシャと呼ばれた女性。関ヶ原の戦い前夜。西軍石田三成は大坂玉造の細川屋敷にいたガラシャを人質に取ろうとする。ガラシャはそれを拒絶し死を選ぶ。「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 」。クリスチャンゆえ許されぬ自殺。夫への愛ではないはずの、その胸に去来したものは何だったのか。
芭蕉は敗北していった悲運の武将たちに心惹かれた。そして煕子の黒髪の話が好きだったようである。才能がありながら、出世できないことに悩んでいた弟子。芭蕉はその夜こう語った。「今は出世の芽がでてないが、あなたにはそれを支える素晴らしい妻がいるじゃないか。今夜はゆっくり明智の妻の黒髪伝説を話してあげよう」