2015年04月13日
同時代を生きる孫正義

孫正義。佐賀県鳥栖市の朝鮮人部落に生まれる。文字通りの貧困と差別。やがて父親は消費者金融・パチンコ業で成功。一転した豪勢な生活にも、国籍の壁が立ちはだかる。1974年、高校を中退し渡米したのもそれゆえ。1977年、カリフォルニア大学経済学部に編入。1979年、米国でソフトウェア開発会社を設立。結婚。1980年、カリフォルニア大学卒業。帰国後、福岡に「日本ソフトバンク」を設立。
IT産業を名乗っていたものの、当初のソフトバンクはソフトの卸会社だった。ある時、徳島から若い夫婦が来社した。浮川和宣(ウキガワ カズノリ)・初子。二人は愛媛大学工学部在学中に知り合い結婚。徳島市内の初子の実家で「ジャストシステム」という会社を創業。自分たちで開発したワープロソフトを売り込みに来た。孫正義は即決で卸を引き受ける。案の定、「一太郎」は爆発的なヒット商品となった。
台湾出身のジェリー・ヤン。1978年に渡米し、スタンフォード大学で電子工学を専攻。毎日パソコンに向かいホームページのアドレスばかり集めるヤン。同じ大学の学生・山崎あき子はあきれるばかり。このアドレスを集めたサイトはやがて口コミで爆発的に広がる。ヤンはこれをビジネスとした。「ヤフー」の誕生。山崎あき子はヤンと結婚。
1995年、設立して間もないヤフーを訪れたのが孫正義。その場で115億円の投資を決めた。翌1996年、ヤフーとソフトバンクの合弁でヤフー株式会社を設立。2006年には「ボーダフォン」を買収。ソフトバンクは携帯電話事業へ参入しIT産業の花形へ。
孫正義の通名は安本正義。中学時代、「あんぽん」と揶揄された。それは出自を隠して生きてきた彼の自尊心を深く傷つけた。「差別され銀行も絶対金を貸さない」と言われながら、孫正義という本名で起業したのはその自尊心だった。1990年に日本国籍を取得した時も、日本式の名前ではなく本名にこだわった。しかし自分のルーツに対する思いは複雑である。けっして美しいサクセスストーリーなんかではない。ドロドロとした壮絶な「在日」の生き様がその土壌にある。
2011年、「3・11」。政治家・財界・官僚・電力会社・マスコミ・専門家と称する学者たちがおぞましい姿を呈する。孫正義は、100億円の義援金と引退するまでソフトバンクグループ代表として受け取る報酬の全額を寄付することを表明。さらに私財10億円を投じ、自然エネルギー財団を設立。意外にも、彼の脱原発の主張は素直には受け取られなかった。激しい攻撃。そこにヘイトスピーチが加わる。でもそんなことに屈しない、柔軟な頭の切り替えとすばやい決断力。今インドに注目している。ソーラーエネルギーで原発100基分の電力を作る。通信網が可能ならば送電網を世界に張り巡らせ、自然エネルギーを供給することが出来るはず。
孫正義。どこか危なく、いかがわしく、でもそのひらめきに未来を見てしまう。世の中もまんざら捨てたものではないな。ふと、そんなことを思わせる人間が同時代を生きている。
Posted by biwap at 09:17
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