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2015年04月11日

疏水が伝える生命の水

疏水が伝える生命の水

 明治維新そして東京遷都。京都復興の起爆剤とされたのが琵琶湖疏水計画。琵琶湖と京都を疎水で結び、舟運・発電・灌漑等に利用しようというもの。1885年着工。ダイナマイトとセメント以外の資材は自給自足。夜に技術者を養成し、昼には実践。当時日本最長となった長等山トンネルは、山の上から垂直に穴を掘りそこから山の両側に向けて工事を進めていった。大日本帝国憲法発布の翌年1890年。大津から鴨川合流点までが完成。翌1891年には、蹴上に日本最初の商業用水力発電所が稼働している。

疏水が伝える生命の水

 第1疏水は、大津市三保ヶ崎から長等山トンネルを抜け、山科北部の山麓をめぐり蹴上に出る。第1疏水だけでは、電力や飲料水等の需要増大に対応できなくなり、第2疏水が1912年に完成。第1疏水の北側にほぼ平行して走る。水道水源として汚染を防ぐため全線がトンネル。蹴上で第1疏水に合流する。

疏水が伝える生命の水

 京都市内で疏水は分線していく。沿線には社寺が多い。その景観を守るため、南禅寺境内には水路閣が設けられた。若王子から銀閣寺までは、哲学者西田幾多郎や文化人の散策道。「哲学の道」として親しまれている。

疏水が伝える生命の水

 1912年、蹴上浄水場より給水が開始。琵琶湖の水は京都市民の飲料水となった。旅客・貨物として利用されていた舟運は、1951年に姿を消す。琵琶湖疏水竣工から125周年にあたる2015年。京都市と大津市は、疎水の「船下り」を復活させるべく観光船を試験運航。さっそく乗船モニターに応募したが、あえなく落選。本格的な再開が待ち遠しい。琵琶湖の水が京都の景観を作り、飲料水を提供してきた。でも、生命の湖・琵琶湖は、けっして単なる「水瓶」ではないことを心に刻んでおきたい。

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