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2014年10月05日

異端の近江商人「西武」・続

異端の近江商人「西武」・続

 大宅壮一が「近江の知能犯」というレッテルを貼った堤康次郎。しかし、その行動力や影響力はすさまじく、良くも悪くも稀代の実業家であった。戦後、公職追放になるが、1953年には衆議院議長に就任。1964年4月24日、内縁関係にあった石塚恒子(堤義明の母)を連れて熱海に向う途中、昏倒し緊急入院。4月26日、心筋梗塞で死去。葬儀には康次郎そっくりな子どもの手を引いた女性が行列を作ったという。派手な女性関係だった。
 堤清二は、1927年、堤康次郎と歌人青山操の間に生まれた子どもである。操の父は倒産した東京土地の社長青山芳三。康次郎は零落した青山家の姉妹四人をすべて“愛人化”した。その三女が青山操。康次郎は5人の女性との間に5男2女を持った。堤清二の父への反抗はここに起因する。清二は、東京大学経済学部入学直後、日本共産党に入党。1950年の党分裂と内部抗争の中、党中央から除名される。この頃から詩を書き始める。1954年、西武百貨店入社。1955年、取締役店長として百貨店を任される。1964年、堤康次郎死去。清二が継承すると思われていた西武グループ総帥の座は、異母弟・堤義明が継ぐことになる。清二は西武グループの流通部門を継承。1970年、堤義明率いるグループ本体から独立し、西武流通グループ(のちのセゾングループ)を立ち上げた。進出した事業は、ホテル・マンション・リゾート開発・金融サービスなど多岐にわたった。若い女性を対象にした専門店街「パルコ」。完全なる日本発のコンビニ「ファミリーマート」。西友系ブランド「無印良品」。バブル景気に踊った高度消費社会の中、順風満帆にみえたセゾングループ。しかし、バブル崩壊で一転する。バブル期に手がけた不動産事業の失敗などで多額の負債を抱え、グループは解体。中核の西武百貨店もセブン&アイ・ホールディングス傘下になるなど、セゾングループは消滅。無印良品、loft、PARCO、ファミリーマート、西武百貨店、西友・・・。流通業界で一時代を築いた堤清二のもう一つの顔は、詩人・辻井喬。経営の一線を退いてから作家活動を本格化させ、谷崎潤一郎賞や野間文芸賞を受賞。原発や秘密保護法案についても積極的に発言。「マスコミ九条の会」の呼びかけ人も務めていた。2013年11月25日、肝不全のため東京都内の病院で死去。86歳。